第11話 -原理-
神官様に読んでおくようにと言われ渡された本は、この世界のことをまだほとんど理解できていないわたしには難しく解読には困難を極めた。
夜仕事を終えた神官様に、疲れているのに申し訳ないと思いながらもこの本について尋ねてみた。
わたし一人ではどれだけ時間をかけても到底理解できそうになかったからだ。
そうして神官様にこの国のこと、龍について話を聞くと、自分が想像していたよりも遥かに重大な役目を負わされていることに気づき、その重責に呑まれそうになっていた。
わたしなんかに務まるのかとその不安を隠すことが出来ずに俯いていると、すまないと謝罪の言葉が聞こえ、その声の硬さにはっとして顔を上げた。神官様の顔を見れば、その顔は辛そうに歪められていた。
そんな顔をさせたいわけじゃないのに。
自分の不安が彼にその表情をさせているのだと思い当たり、必死に言い募ると彼がわたしの名前を呼んだ。
そして、必ず護ると言ってくれる。
そのことに不安と恐怖が薄れていく。完全に拭い去れるわけではないけれど、自分にできることを頑張ってみようと思えた。
自然と笑みが浮かぶと、神官様の方も強張っていた表情が緩み笑顔を見せてくれた。
最近の神官様はこうして色んな表情を見せてくれるようになっていた。
最初のうちは不機嫌な表情か無表情でいることが多く、声を掛けるのも憚られた。
それらが彼の不器用な性格からきているものでもあると分かる様になってきたのは、ジェイドさんを交えて色んなことを話す様になってからだ。
まだこの世界にきて数日だが、彼の表情が読み取れるようになってくるとなんだか嬉しくもあった。
彼の名も何と呼んでいいか分からず、ずっと神官様と呼んでいたが、名前で呼ぶように言われてからはディーと呼ばせてもらうことになった。
これも一歩距離が近づいたような気がして何だか嬉しい。
なんとなく自分が異質な存在であると感じていたから、この世界のことを知っていくにつれ、少しずつ溶け込めていけている様な気がしてきた。
今はまだこの部屋の中しか動き回れないが、そのうち自由にあちこち行けるようになれば知り合いも増えるだろう。できれば同年代の女性と仲良くなって、話し相手が欲しいなとも思う。
朝起きて、朝食を頂きながらぼんやりとそんなことを考えていた。
そうしていると、向かい側の一人掛け用ソファーに座っていたディーが話しかけてきた。
「午前中は仕事が残っているから、昨日の話の続きは午後からでいいか?」
「はい、忙しいのにすみません」
わたしがそう言うと、彼は頭を横に振って必要なことだから問題ないと言った。
それにしても彼は身体の方は完全に回復したのだろうかと疑問に思う。
召喚を行った初日に倒れたのに、次の日からは仕事を始めている。休息は確実に足りていないのに、その仕事量の多さに働きすぎだと口を出してしまいそうになってしまう。
倒れても仕事を休めないなんて過酷すぎると、日々その体調を心配して彼の顔色を窺うようになってしまったのも致しかたがないだろう。
顔色は出会った頃からすると随分と良くなった気がする。
以前は仕事に没頭して食事も疎かになっていたようだから、わたしが来てからはほぼ同じ時間に食事をすることもあってきちんと栄養もとれるようになったらしい。
夜もこれまでが嘘のように良く眠れているようで、これも初日の彼のあの苦しそうな寝顔を見ている方としては良かったと胸を撫で下ろしている。
寝食がかなり改善されたことにより体調も随分と良いらしいが、それでもあの仕事量はありえない。
机に山積みにされている書類は夕方にはある程度なくなるのだが、次の日になるとまた新たな資料が山積みにされている。
本来は机仕事以外にもやることがあるらしいが、わたしと離れられない現在は机仕事以外は行っていない。
動き回らずに済むのは身体への負担も減るので、ある程度彼の体調を考慮してのことだとは思うのだが、あの書類の量を毎日処理するのは過酷すぎると思えてならない。
朝食を食べ終えて紅茶を口に運びながら、わたしは今日もディーの顔色を窺う。
そんなわたしの視線に気づき彼は小さく苦笑を零す。その様子にわたしは眉根を寄せて更に訝しむようにして彼を凝視するのだった。
「お前も大概心配性だな」
「…誰のせいですか。ていうか、働きすぎです」
「無理はしていない」
そう言う彼に、どこがですかと返してやりたいがわたしが手伝える仕事でもないから黙って見守るしかない。
「わたしのせいで面倒かけてるのに…」
「体調が良いのはむしろお前がいるおかげだろうがな」
ぼそりと呟いたわたしに彼がそう言ってしまえばもう押し黙るしかない。
彼にとって仕事量の多さよりも夜ぐっすりと眠れていることの方が重要らしい。
その顔色を窺い穏やかな表情をしていることを確認するとわたしは安堵して険しい表情を緩めた。
そんなわたしの様子を見てから彼は立ち上がり、離れる間際にわたしの頭に手をぽんと置いて軽くひと撫でしてから執務室に向かった。
彼の穏やかな表情に安堵するも、その負担を思うと何もできない己の不甲斐なさに唇を尖らせてしまう。
毎日の日課となりつつあるこのやり取りだが、わたしはその度に早く一人立ちしなくてはと強く思うのだった。
*・*・*
一息ついて、今日は何をしようかと周りをぐるっと見回した。
目に留まったこの国の歴史書は、昨夜に引き続きディーが午後から時間をとってくれることになっているからひとまずおいておくことにした。分からない言葉が多く、無駄に時間を費やしてしまうからだ。
どうしようか逡巡していると、何冊かおかれた書物の中に魔術に関する本を見つけて手に取った。
数日前にも見た内容だが、あの頃よりは随分と読めるようになった。
再びその本に目を通すと、最初は文字を追うだけで細かい内容まで意識することのなかったそれが、だんだんと興味を魅かれるものに変わっていく。
「そういえば、わたしにも魔力があるって…」
そう言われたことを思い出し、何となく自分の掌を見つめた。
自分にも魔法が使えると聞けば、もちろん使ってみたくなる。
一旦興味を引き出されたことによって、わたしはその魔術の本を食い入るように読み始めた。
「えっと、魔力の流れを感じ、発現したい魔法を明確にイメージすることが大事…、……」
本に書かれていることをぶつぶつと呟き、魔法発動までの手順を頭に入れる。
魔力の流れを感じるとあるが、曖昧な表現にいまいちよくわからないので発現したい魔法をイメージする方を意識してみることにした。
「属性ってやっぱり関係あるよね…」
この世界にきて魔法らしいものを実際に目にしたのはディーが治療を受けている際の治癒魔法だけだが、それ以外では召喚された際にディーが魔物を倒すのに使用したのが魔法だったのだろうと思う。
一度に複数の敵に攻撃を加えるのは物理では不可能だろうし、ちらりと見えた敵の残骸は焦げたものや鋭利なもので切られたような跡があった。あれは炎系と風系の魔法だったのではないだろうか…。
本来ならば自分の適性を知って、その使用方法についてもきちんと学ぶべきなんだろうが今すぐにそれらを教え乞うことは不可能だ。それに一旦興味を魅かれてしまうとどうしようもなくやってみたくなるものだ。
他にすることもない今現在において、その誘惑に勝てるはずもなかった。
さて、何をしようかと悩む。
今いる場所は室内なので炎や風などの魔法は危険すぎる。
自分自身が何の属性に適応しているのかも分かっていない状態でそれらが発動すること自体がありえないと思うが、もし予想外のことが起きてしまったら対処できない。
どうしようかと室内をぐるりと見回して、窓際のテーブルに置かれた花瓶が目に留まった。最盛期を迎えた花々はその勢いを失いつつある。
わたしは窓際へ行き、その花瓶を手に取ってソファーへと戻った。
目の前のローテーブルの上に花瓶を置きその正面に座るとじっと花を見つめた。
「回復魔法…」
わたしも大好きなファンタジー小説や漫画などにもよくでてきていたそれ。
その原理についてなんて今まで考えた事なかったけれど…。
回復魔法を使用する対象としてケガや体力の回復にばかり気を取られていた。
回復に必要なのは治癒力。回復魔法を使用した際、その魔法を受けた対象がどのような現象を起こしているのかは定かではないが、損傷を起こしている部位を元の状態になるよう修復もしくは回帰しているのだと考えられる。
あ、回帰はないか。回帰だと時空関与系の魔法になってしまうし。
となると、修復しているのかな?
てことは……自己治癒能力を上げれば修復速度と精度は上がる…?
自己治癒に必要なのは元気な細胞で……。
あれ?そうすると治癒力を細胞の活性化による再生能力の向上というように考え方を変えれば、何となくその原理は似ているように思えてきた。
活性化という概念に観点をおいて考えてみれば、ケガについては損傷部位周辺の細胞の治癒力・再生能力を活性化させれば同等の結果が得られるのではとの考えに至る。
体力の回復についても、疲弊した細胞の回復、疲労物質の体外排出機能促進と考えれば、同様にそれらを担う機能を活性化させれば同等の結果が期待できるのではないかと思われた。
細胞や何かしらの物質自体が持つ力を活性化させるといった方向に考え方を切り替えてみると、それは人だけでなくあらゆるものに応用できるのではと思いついたそれらに没頭し、視界の隅に追いやられていた花にもう一度視線を向けて考え込んだ。
花自体と花に水分を供給している水とをそれぞれ活性化させれば、衰えが見え始めた花の活力を甦らせその瑞々しさを取り戻せる?
それに、限界を超えて力を高めると器の方が耐えられなくなって壊れてしまうよね…。
となると、回復魔法は使い方次第で攻撃魔法にもなる…?
イメージとしては…。
花が持つ生命力と水分を吸収する力を活性化させれば、花びらには色の鮮やかさとピンとしたハリが出て瑞々しさを取り戻すだろうからわたしの魔力を流して活性化させて…。
水の方は……。
ぼんやりとしていた考えをぶつぶつと呟きながら明確にしていく。
「よし!やってみよう」
思いついた方法ならこの部屋で行っても支障はでないはずだし、自身の体内に魔力の流れは未だ感じられないが、ディーがわたしにも魔力があると言っていたのだからあるのだろう。
こんなことで彼が嘘をつくはずがないし、嘘をつく意味がないように思えるからだ。
ある程度イメージも固まったので花瓶の隙間に手を差し入れ、水と花の一部に触れるようにしつつ、力の循環を感じられるように花を挟んで両掌が向かい合う様にして静かに目を閉じた。
身体の中から掌へ力が流れるようにイメージしていると、掌がほんわり熱を持ったように感じた。
花と水、各々が持つ力が高まるよう小さな光が力強く大きくなるようなイメージを頭の中に思い浮かべながら、その熱を触れている花と水に流すように想像を膨らませていった。
ただ単純に花と水とに魔力を流して活性化させるだけで大したことではないと、ちょっとした思い付きでやってみたことがあんなことになるとは予想もしていなかった。




