弱さ故に
波乱の夜が明けた日曜のお昼過ぎ。
休憩を貰ったアナさんが、私達の待つ奥座敷に入ってきました。
銀の髪を結い上げ、袖まくりした着物姿。黒い靄なんて出ていません。
「雁首揃えてなんだお前ら。何か用か」
訝しげな彼女に、メイさんがデバイスを翳します。
空中投影されたモニターには『外殻型魔獣:GEM-P2アナマリア・リリンラク』、と。
「メンテしたばかりの計器でも、間違いないね」
「ってことは!?」
「ああ、合議の結果は覆らないよ」
「やったぁ! やりましたよ!」
魔獣の無害化――――とどのつまり私の魔法とは、それなのです。
魔法がなんなのか、その大元は未だ解明されていません。
けれどもし、心の底の想いに形を与える奇蹟だとすれば。
オカルト嫌いを公言していた私は、自分の嘘に向き合わねばなりません。
やっつけようとする力は、酷く弱い私の魔法。……本当の想いは、なんだったのか。
けれど今は友達を守れたことがとても嬉しくて、それがどうしようもなく答えなのです。
諸手を挙げて喜ぶ私に、アナさんのムスッとした視線が刺さりました。
踵を返してUターン。出て行こうとする彼女の帯を慌てて捕まえます。
「わぁ、待ってくださいよぅ!」
「二人の話なら二人でやれ」
「違います! アナさんの話です!」
「私の?」
「そうだよ、アナマリア。結局キミは魔獣になったけれど、人殻を保っている。瘴気も出ていない。……こんなことは異例だ。慎重に経過を探りたい、と評議会が決定を下した」
メイさんが私の説明を引き継ぎました。
アナさんは、ふん、と鼻を鳴らして。
「亜人型は封印・及び終了処理。そう決めたジジババ共か」
「キミはもう違う。六種の魔獣型、どれにも類似しない新型魔獣。千八百年振りに発見された七番目だ。学術的な価値は計り知れないよ」
「つまり、モルモットになれと」
「喜んで欲しいな。照子みたく、無邪気にさ。――――キミが一般人に危害を加えない限り、ボクらもキミを傷つけない。その誓約書を持ってきたんだ」
「書かないぞ、そんなもの」
卓に置かれた紙を一瞥して、アナさんはきっぱり言いました。
服の端を掴む私を、そっと外して、今度こそ座敷を出て行きます。
ひらひらと手を振る背中。
「ボク、白玉ぜんざい! つぶあんで!」「私、フルーツあんみつ!」
追い掛けて来た声にアナさんはズッ転けました。
「お前らな、これ食ったら帰れよ、本当に」
オラオラと言いたげな調子で甘味をブン並べる不良店員さん。やっぱり接客業向いてないと思う、この方。
「少しは読んでいってよ。折角持ってきたんだからさ」
書類の並べられた向かいの席を手で指すメイさん。
にべもなく断られるかと思いましたが、チラと私の方を見ると、如何にも渋々といった様子で掘り座卓に腰を下ろしました。
「……よくも騙しましたね」
その言葉にアナさんがギクッと固まります。「なんの話だ?」なんてすっとぼけて。
「だ、だから、その。アレですよ。アレしても、戻らなかったじゃないですか!」
「ちゃんとやったのか?」
「しましたよっ! 見てたでしょう!?」
「……ちゃんと奥までやんなきゃダメなんだぞ? ぺろぺろっと」
「でっ、できるか、そんなことっ! ひどいです! 後付けです!」
「まぁ難しかったかもな、お子様には」
なんてクスクス笑って、書類に視線を逃がすのです。
「メイさんっ! 全然謝ってくれません、この方! 悪い吸血鬼です! やっつけてください!」
「どうどう、照子どうどう」
アナさんが書類を捲る間、――――いただきます。と手を合わせて、蜜の掛かったバニラを頬張ります。
まず舌に乗るのは冷たい匙。甘くて柔らかなバニラアイスが滑り落ち、清涼な幸せがふわっと広がります。今度はキウイを絡めて、パク、と。
程よい酸味のアクセント、後から抜ける甘みが一層引き立ちます。これも美味しい。
このフルーツあんみつは旬の果物を使っていて、凡そ月ごとに中身が変わるらしく、私は今から七月が楽しみなのでした。
ふと、アナさんと目が合います。かと思えば紙面に顔を落として、またチラと。
――――なんですか、食べづらいんですけど。
こちらを見たメイさんまで、ぷぷっ、と笑いやがるのです。
「照子。クリーム付いてるよ?」
言われるがまま鼻の頭を触ってみれば本当に。
「ア、アナさんっ、気づいてたなら早く教えてくださいよっ!」
「くくくっ。そのまま帰ったら面白かったのに」
――――すぐそういうこと言う。
◇
「話にならんな」
私達が食べ終わった頃合い、アナさんは書類を片手で放りました。
「何故だい? キミに不利益はないはずだけれど」
「これでは歯牙を抜かれた獣と同じだ」
「誰よりキミが、その牙を嫌ってるのに?」
「私は自分の意思で使わないんだ。誰かに強制されるのでは、全く意味が違う」
「だとしても、……これが最大限の譲歩だよ。急進派はキミを解剖したがってる。友好的だと先に示せば、向こうの動きを潰せるんだ」
「……ご心労痛み入るが、私は誰のものにもならん。好きにやらせてもらうぞ」
「……どうしたら飲んでくれるのかな」
「ほっといてくれ」
「できない。それはキミが一番よく分かってるはずだよ。……だから遙々、この国まで渡ってきた。……そうだよね?」
「…………」
露骨に眉を顰めるアナさん。
「確かに不服かもしれない。プライドが許さないのかもしれない。……けどね、キミは今回、多くの人を危険に晒した。修復できる範囲だったとはいえ、……多少の痛みは受け入れるべきだよ」
真剣なお小言に、ツンッとそっぽを向いて聞こえないフリ。
「……あー、そう。わからない?」
メイさんはこちらに目配せして「やっちゃって」と。
合図に従って、こっそり魔法を使いました。
途端、ビクッと銀髪を跳ねさせるアナさん。掘り座卓から脚を出そうとしますが、動かせません。卓の下に隠された機械が、両足首をガッチリと捕まえているのです。
「おい、なんだこれ――――っ?!」
思い切り背中を反ったせいで、卓がガタッと揺れました。
アナさんは尚も渋い顔をして身を捩ります。
それもそのはず。土踏まずを思い切りこちょぐられているのです。足袋の上からガシガシと。機械から伸び出たマジックハンドに。
誰が操作しているのかといえば、私。得意魔法は電気ですから。とある場所から借りてきた悶絶機械を遠隔操作しつつ、素知らぬ顔でお茶を啜って見せます。
「……気は変わったかな?」とメイさん。
「ふ、ふざけるなよっ?! なんでこんな真似を……!」
「金曜日の夜、あなたを逃がした後、私達がどんな目にあったか分かります? 藤林さんに捕まって……」
「し、知るかっ! お前が行っていいと言ったんだ!」
「……そうですね。そこに関してはいいです。けど、感謝も謝罪もない、というのはどうなんでしょうか?」
「そもそも頼んでないぞっ、助けてくれなんて!」
「今は?」
「……え?」
「今は助けてほしい、ですか?」
「別に……」
「素直になりましょーよ♡」
足袋を脱がせて、汗ばんだ足裏へ、直に指を立ててあげます。
カリカリ、こちょこちょ♡
膝すら持ち上げられないアナさんは、その場で何度もお尻を跳ねさせました。
そんなに嫌がっても絶対逃がしません。しつこくしつこく擽ってあげます。
「こんなっ、こんなバカみたいな真似して……! 何が目的だっ!」
「ボク達はただ、知っておいて欲しいだけだよ」
「何をッ!? こんなことで、何がッ?!」
「キミのためにどれほど苦労があったのかを。その上でもう一度答えを聞くよ?」
「まさかお前ら――……ぇひっ?! や、やめろぉ……っ」
無理に怒ったような顔を作るのは、笑いを堪えるためでしょう。わかります。あなたってプライド高いですもんね? こちらの思惑に乗っかるのが悔しいのでしょう。
意地でも崩してやりたくなります。指の動きをより激しく。こちょこちょこちょ♡
「……ふっ、……くぅ……! な、なにが苦労だ、バカらしい。た、ただのくすぐりじゃないか。……っ?! お、お子ちゃま共め……。尋問なら、もっと残酷な奴を、幾らでも知ってるっ、くっ……、ひっ……♡」
「その割には随分辛そうですね?」
「全然?! 全然余裕だが!?」
「ふーん?」
それから暫く足裏を責めました。
顔を真っ赤にして耐え続けるアナさん。
膝をつき合わせてもじもじと、もう私達を見ていません。
専用金具で足指の間を広げて、細っこい羽根をこしょこしょと通してあげます。
「――――ぃひぁっ?!」
途端、机に突っ伏して、背中を振わせ始めました。顔は見えませんが確実に笑ってます。
籠もった音の中に「うひひひひ……」なんて似つかわしくない声が聞こえるのです。
「降参、します?」
「ば、バーカバーカッ!」
これは酷い。会話になりません。
お昼休憩の終わりまで、この体勢で逃げ切るつもりなのでしょう。なんて姑息な。
「これはラストスパートが必要ですね」
そう話し合い、私達は彼女の両サイドに座り直しました。
一人一本、無防備な片腕を捕まえて、その根元をこちょこちょこちょこちょ――――。
捲られた袖の中に手を突っ込んで、腋の窪みをほじくり倒します。
効果は絶大でした。
即座に飛び起きた彼女が、隠しようもない声量で笑い出したのです。
高貴な吸血鬼様とは思えない無様な姿。
髪をブンブン振り乱して、恥も外聞もなく涎を垂らします。
「ぎひひひひっ♡ うははははっ?! お、お、お前らっ、覚えてろよぉぉっ!?」
「まだそんな態度がとれますか。なかなか強情ですね」
「気が変わったらいつでもどーぞ」
メイさんが書類とペンを揃えました。そこにペッ、と唾を吐くアナさん。
「ふざけんなっ! 書くわけないだろっ! ぜぇぇったいぃぃぃっ♡ ひひひひひひっ♡ この、くそ砂利どもぉっ!!」
体をうねらせて逃げようとします。
「これはあなたの為なんですよ?」
「う、嘘だっ! 楽しんでるだろ、お前らっ」
「いえいえ全く。アナさんにこんなことしなくちゃいけないなんて、心が痛みます」
「ニヤつきながら言うんじゃない!」
身を捩っていたアナさんが、突然、ゾクゾクゾクッと肩を震わせました。
凄まじいパワーで背中を丸めて動かなくなります。
「んんん♡」と口を結ぶ彼女に、私達も小休止。
擽りを中断された彼女は、ソワソワと貧乏揺すりしはじめます。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ♡ ……まっ、待て! 一回離して! ホントにダメだ! 漏――――」
「も?」
「――――なんでもない」
プイ、とそっぽを向くアナさん。
「もしかして、おトイレですか?」
「ちっ、違っ!! 違うぞ!? 吸血鬼はトイレなんかいかないんだっ」
もじもじ越を揺らしながら訳の分からない嘘を吐く彼女。どこまでも捻くれています。
「朝から働きづめで、お昼休憩は私達に邪魔されて、行く暇なかったんですね?」
「わ、分かってるなら――――いや、違うぞ?」
「じゃ、再開しまーす♡」
手をわきわき動かしてみせた途端、瞳孔が開きます。
冷や汗がぶわっと噴き出して、滝のようにダラダラと。
「あっ、いや、それは、その……っ」
歯切れ悪く口籠もる彼女。意を決して幽かに呟きます。「……も、もう、許してくれ」
「えっ、なんです?」
「……なんでもないっ!!」
異論がないようなのでこちょこちょ再開。
アナさんのきめ細やかな肌は、その感触に違わず敏感で、どう責めても反応してくれます。
それはちょっとした楽器に似て、いけない愉しみに目覚めてしまいそう。
機械から伸びる5,6本目のマジックハンドは、いま、着物の裾からこっそりと潜り込み、アナさんの内股に狙いを付けています。
上半身に意識が向いた頃合いを見計らって――――、こちょこちょこちょっ♡
「ふぎゅぁっ?!」
思い切り腰を引き、脚を絞めるアナさん。
切羽詰まった泣き笑いで髪を振り乱しました。
「あははははっ?! ダメだっ、そこはやめろっ、ホントにダメだぞっ?! はぐぅぅぅ……♡ よ、汚したら、あいつに怒られる……っ、マジでマジでマジで……っ」
「降参です?」
「こ、この鬼っ!! 悪魔っ!! 鬼畜ぅぅぅっ!!」
まだ余裕ありそうですね。
「んひひひひっ?! ギ、ギブギブギブッ! 書くよぉっ! 書けばいいんだろぅっ!? 書かせてくださいぃぃぃっ♡」
かくして街の平穏は、吸血鬼様のお墨付きになりました。




