遍く色を純黒に
少女を室内に残し、死神は外に出た。
驚く女吸血鬼目掛けて、一瞬で肉薄。蹴撃。
スナイパーライフルに匹敵する超音速。撓められたバネの脚部がそれを可能にする。
紙一重で躱した吸血鬼に対し、更なる追撃。スピードを弾力へ、弾力をスピードへ。加速に次ぐ加速。息継ぐ暇さえ与えない連続攻撃。
深傷を負った吸血鬼は、堪らず、ドボンッと〝影の中〟に潜った。
消えた場所を蹴りつけてもコンクリートが抉れるだけ。
――――ふふふふふ。褒めてやろう。私に奥の手を出させるとはな。
頭の中に声が響いた。
「どこにいる。…………逃げるつもりか。ワラキア公」
――――くははははっ! 驕り高ぶったその振る舞い。不敬が過ぎてむしろ愉快だ。……私も少々興が乗ったぞ、スレンダーマン。……特別に見せてやる。『緋影の潜王』たる所以をな。……我が胎中で絶望するが良い!
周囲の闇がゴポゴポと盛り上がる。まるでどす黒い泥のように。或いは出血するように。
地面や建物、あらゆる影から噴き出して、三階建てのビルを優に超える高さまで練り上がった。
奇っ怪なスライムが街を遍く覆っていき、触れた端から融かしてしまう。
微熱の岩漿。漆黒の中に見える鮮烈な緋色が、それを思わせた。
避けようもない。全ての影からマグマが湧いているのだ。
街灯もネオンも、先程消してしまったばかり。支柱からズブズブと沈んでいく。
立ち並ぶ家屋も同じ。屋根から融け落ちて、沈下する。
彼方此方で悲鳴が上がった。当然だ。一軒一軒に人が居て、家族の営みがある。
それを丸ごと闇に融かして、磨り潰す。
街を平らげていく。
『貪食細胞・マクロファージ』――――それが泥の正体だ。
全ての闇がアナの血管。
人間も、そうでない異物も、等しく包まれ消化される。
鉄靴も泥に飲まれ、シュウシュウと煙を上げ始めた。
こんな足場では跳躍もままならない。
――――無様だな、スレンダーマン。無辜の民を守るのではなかったのか?
純黒のスライムが、血染めの口腔を開いて嗤った。
泥を波打たせて這いずり、一口で、バクンッ、と。押し掛かるように飲み込んだ。
が、幾ら咀嚼しても死神の味には辿り着かない。
狙いの彼は一瞬早く、沼の中より脱出していた。
伸ばしたバネ腕で高窓の格子を掴んで、ビョンッ、と空へ。
向き直ったスライムが高射砲を放つ。全面に展開される30cm口径の杭弾幕。
空中に逃げ場はない。瞬く間に串刺しに――――。
「ラクリマ・グラシア・サフィーリア……ッ!」
氷の盾が杭弾の機関砲を受けきった。青年の隣に付く黒髪の犬耳少女、メイ。
どこから来たのかと言えば、彼女も空から。
まるで銀河鉄道のように、氷のレールが空中を走っている。
新たな氷のレールが、地を這う巨大スライムをズドンッと貫いた。
「いくよ耕太郎! あの時と同じように!」
滑り台に着氷する二人。スライム目掛けて一直線に滑走する。
透明な足場に落ちる影は薄く、泥も生まれない。
迎撃する杭弾を氷の剣で捌ききり、聳え立つ泥山に一太刀くわえた。
瞬く間に凍り付く軟体。
限界まで撓められたバネが、一気に蹴り壊した。




