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微弱デンキのおしおき師  作者: 龍輪龍
第二章 吸血鬼の城へ
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グール強襲


 それから数日が経ち、グールの話題などとうに色褪せた頃。

 ――――ドンッ! ドンッ! ドンッ!

 そんな音で夢の中から引っ張り上げられました。

 寝惚け眼でぼんやり。カーテンの外はまだ暗く、常夜灯を頼りにスマホを取ります。


 ――――ドンッ! ドンッ! ドンッ!

 音は玄関の方からでした。

「な、なんですか? どなたですか?」

「あ゛、ああ、良かった、照子。まだ起きてたか。すまん。出先で鍵を無くしちゃって」

「なんだ、パパ……。しっかりしてよ、全く」

 あくびを噛み殺しながら鍵を回します。

 瞬間、ドアが弾けるように開き、ドゴンッ、とつっかえました。

 伸びきったチェーンロックの隙間から、見知らぬ男性がギョロギョロとこちらを覗き込み、浅黒い腕を突っ込んできます。

 私を掠めるボロボロの黒い爪。

 血走った目には瞼がなく、溶けた頬から剥き出しの歯茎。

 まるで腐乱死体。


 父を装う優しげな口調は絶叫に変わり、無茶苦茶にドアを引っ張り出しました。

 ――――ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ!

 扉ごと壊しそうな勢いに気圧され、私はぺたん、と腰を抜かしてしまいました。

 すっかり眼が覚めたはずなのに、悪夢は消えてくれません。

「ひや、あ、あ…………」

 声が掠れて叫ぶことすらままならない。

 窮地の私はいつだってポンコツで、私は私を救えない。

 ……いつもそうです。

 頼みの親二人は泊まり込みのお仕事。大きく大きく叫ばなくては。隣近所に届くほど。

「あ……っ、あぁ……っ、…………た、たしけて……っ!」

 分かっています。無理なのです。獣みたいな暴力を見せつけられて、歯の根が噛み合いません。反射的に身を固めてしまいます。ここにいてはいけないと、分かっているのに。


 団亀を決め込んだグズの私を嘲笑うように、ちょっと間抜けな着信音が響きました。誰ですか、こんな曲セットしたの。

 震える手でスマホに触れると、いつもの声が流れ出します。

「やった、繋がった! 芥川君、無事かね!?」

「こ、耕太郎しゃんっ!?」

「いいか、落ち着いて聞いてくれ。発信器付きのグールがキミの家の方に向かってる。まさかとは思うが――――」

「来てます! もう来ちゃってます! どしたら、どしたら良いんですか!?」

「……じゃあ下手に動いちゃ駄目だ。吸血鬼は招かれてない家に入れない。その眷属も一緒かもしれない。何をされても絶対に鍵を開けないように」

「も、もう開けちゃった場合はっ!?」


 凄まじい衝撃が家を揺らしました。

 振り返ればキッチンの方が紅蓮に染まっています。天井を這うように濛々と立ち籠める黒煙。何が起きたのか推測する前に、続け様、お風呂場も爆発しました。

 火の手が次々に上がります。

 目の前では複数のグールが玄関扉にしがみつき、力任せにベキベキベキッと引き壊すところでした。

 私は二階に駆け上がり、自分でも信じられないパワーでソファーを動かして扉を塞ぎました。息継ぎする間もなく、外からタックルされます。

 もう、家の中すら安全じゃない。


「このあとは、どうしたら――――」

 隣に話しかけて、誰もいないことに気が付きました。

 スマホは玄関に置いたまま。取りには戻れません。

 途端にへこたれそうになる自分の頬を叩き、覚悟を決めます。家を捨てる覚悟です。このままでは蒸し焼きにされるだけ。ベランダ伝いに外へ。そう思ってカーテンを開けると、窓にへばりついたグールと目が合いました。

「わぁぁぁあっ!?」

 なけなしの気力は、もう消えそう。


 腐れた人間は尻餅を付いた私を見下ろすと、窓に頭突きを始めました。

 自分が破片で傷つくのもお構いなしに。

 鮮血がピシピシと飛び散って、見るだけで痛々しい。


 ノーガードの強攻はあっという間に窓を割るでしょう。私は和室に逃げ込みました。

 ――――が、バリケードの材料がありません。

 足音は部屋の外まで迫っています。急いで押し入れの中へ。

 グールは花瓶をひっくり返し、柱時計を倒し、私が息をひそめる押し入れまでやってきました。私を捕まえてどうしようというのでしょう。ただ殺しにきたのでしょうか。目的が全く解りません。もしかして私が通報したから、その報復に――――。


 ――――ガラッ、と押し入れが開け放たれました。

 直後グールに押し掛かる布団の津波。私が逆サイドから押したのです。和室を飛び出すとリビングにはグールの影が数人。しかし充満した煙のお陰で向こうの反応が遅れます。一気に駆け抜けて再びベランダへ。庭木に飛び移ると私を追って手を伸ばしたグールが頭から転げ落ちました。

 続いて着地すると、自宅を取り巻いていたグール達が集まってきます。

 震える足で構えを取り繕うものの、ジリジリと追い詰められて庭の隅へ。

 グズグズに爛れた腐肉が私に触れる――――



 ――――刹那、グールが吹き飛びました。


「ワシの可愛い孫娘に、何しやがる!」

 傍らに現れた声の主。

 道着を纏った骸骨が、鉄山靠てつざんこうを放ったのです。


 仲間を巻き込んで倒れる亡者の群れを見送って、彼は自嘲しました。

「ふん。年は取りたくないもんだ。過保護になっていかんな」

「お爺ちゃん! 無事だったんですね!」

「応とも。この身は既に火葬済みよ」

 堅い頭蓋骨を和らげて笑うお爺ちゃん。

 彼は人間ではありません。

 私がまだ小さい頃、父がどこぞで押しつけられた曰くの品に憑いていました。

 なので血の繋がりもありません。

 しかし私にとって唯一お爺ちゃんと呼べる存在で、例外的に嫌いじゃないオカルトです。

 両親は駆け落ち同然で家を出ていますから。ホントの祖父祖母の顔は知りません。

 斃れたはずのグール達が起き上がり、尚もこちらへ向かってきます。

 カンフー映画みたいな動きでそれらを蹴散らすお爺ちゃん。まさに一騎当千。

 しかしグール達は一向に減りません。

 関節があらぬ方向に曲がっても、頭がひしゃげても、お構いなしに立ち上がるのです。


「……照子、ここはワシが抑える。そっから逃げろ」

 お爺ちゃんは生け垣の下に開いた穴を指しました。

「お爺ちゃんも一緒に!」

「無理じゃ。依代はまだ家の中。アレからは離れられんし、ワシには動かせん」

「だったら私、取ってきます! 瓢箪!」

「アホ抜かせ。孫娘を火の中に送り出すジジイがどこにおる」

「でも……!」

「見くびられたもんじゃのう。ワシがキョンシー共に遅れをとるとでも?」

 私が返答に困っていると、お爺ちゃんは付け加えました。

「だが、どうしても力になりたいというのなら、一つ頼みがある」

「私に出来ることでしたら、なんでも……!」

礼奠れいてんがあれば、ワシの気力は更に増すじゃろう」

礼奠れーてん?」

「ああ、つまり対価の約束じゃ。ここを脱したら生前叶わなんだおとこの夢を叶えて欲しい。つまりその胸で、パフパ――――」

「――――頑張ってね、お爺ちゃん!」


 老骨との会話を打ち切って生け垣の下に潜り込みました。

 汗と土が交じって泥んこ。いくら小柄な私でもこの直径は少しキツい。

 それでも、このトンネルを掘ってしまった隣家のホタ君に今は感謝しながら、モグラのように穴を抜けます。

 直後、熱風と火の粉が私の背を押しました。

 振り返れば轟々燃え盛る自宅が屋根から潰れていくところで。

 思い出が潰えるような喪失感に、ああ、息が漏れました。


 これだけの大火事、間違いなく騒ぎになっているはず。

 人目があればグールだって動けない。

 庭から道路に飛び出すと、私の期待に反して近くに立っているのは二人だけでした。

 土気色のチンピラが二人だけ。あとの野次馬は寝ていました。アスファルトに血だまりを作って。顔見知りのご近所さんたちが、パジャマに上衣を羽織ったまま。ピクリとも動きません。


「な、なんで…………」

 そう呟いた瞬間、グール二人が血濡れの鈍器を振り上げて向かってきます。

 私は裸足のまま駆けました。生温いアスファルトをグリップして。

 投げられたバールがヒュオンッと頭の横を掠めます。

 当たれば即死。足を止めれば殺される。恐怖が鳥肌となって全身を覆いました。


 そんな中、目の前がカッと白く染まります。鮮烈なヘッドライト。真っ赤なパトランプ。

 市民の味方、お巡りさん! 信じられない奇跡です!

「助けて! 助けてくだしゃいっ!」

 声、出ました! 急停止するパトカー。飛び出した二人のお巡りさんの内、年配の方が拳銃を抜きます。その鋭い眼光には見覚えがあって――――。

「え?」

 銃口の先に居るのは私。

 綺麗に見えた警官の制服は瞬く間にボロ布と化し、胸には貫通した大穴。左半分が爛れていきます。その変貌から目を離せず。



 ――――ダァンッ! と乾いた銃声。


 続いて、ぐしゃんっ、ゴロゴロゴロ、と転がる人だったもの。

「乗って!」

 白いバイクに乗って颯爽と現れた部長は、警官グールを轢き飛ばし、私の前でドリフトターンを決めました。

 後ろに飛び乗った途端、嘶く馬のようにガオンッと車体が持ち上がり、ウィリーしたまま急発進! 私は死に物狂いでしがみつきました。

 こういう時は『しっかり掴まっていろ』とか、一声あるべきなんじゃないですか!?

 私の悲鳴も、蹌踉めく怪物達も置いてけぼりにして、バイクはぐんぐん加速します。


 背後から追い縋る銃声。彼の背に顔を埋め、当たらないことを祈りました。

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