私小説 帰り道を探して
私小説
帰り道を探して
1.
吾輩はもぐらである。
と、どこぞの文豪の冴えない一文をパクってみたものの、しっくりこなくて、頭をぼりぼり搔きむしり、ヒステリックな陶芸家がおのれの作品を叩き割るかの如く、奇声を上げる二十二時。病的に原稿をくしゃくしゃに丸め、屑篭にスリーポイント。苛立つ手元が功を奏し、弧を描いたそれは見事ぱつんぱつんの屑篭に収まる。
一人称は何にしようか。そんなこんなで数時間悩んでいる。ぼく、わたし、俺、おいら……面倒臭いので、小生で行こうか。
小生はもぐらである。優柔不断のA型である。ここだけの話だが小説書きである。アマチュア小説家である。せんせーと呼んでくれても構わない。ただ先生と言っても、人に何一つとして教えることなどできはしない木偶の坊でよいのなら。
かれこれ何日もこんなことを繰り返している。お恥ずかしい話ではあるが、見ての通りずぶずぶのスランプである。
「せんせ。まだ書けていないのですか? 帰り道をお題に小説を書くと、自分で言い出したのではないですか。せんせは仕方ありませんね」
キッチンから書斎にお茶を運んでくるメイド服の背のちんまい少女。ご紹介しよう。彼女は小生の類い稀なる想像力、否、創造力が生み出した妄想猫耳ロリメイドのカチュ子である。死んだ祖父が晩年「おっぱいは大きいに越したことはないぞ」と言い残して息を引き取ったので、その遺言に従い巨乳である。ご紹介どーもどーもと、猫耳がぴょこりとお辞儀。可愛い猫耳とは裏腹に、カチュ子の視線は、まるでゴミを見るような目で小生を刺す。
「書けるまで、お家出ちゃだめですからね」
「なななな何を云ふ。小生の妄想のくせに。そもそも今日は金曜ではないか。小生だってそんな夜は、どこぞのデスコでパーリーナイトしたいぞ」
「かぁー、犬も歩けばなんとやらと先人は上手いこと言いますが、せんせは、くっさいもぐらなのですから、前に進まねば、箸にも棒にも掛からぬのですよ。ほらほら書いてくださいな! さぁ! さぁ!」
そんなこと云ってもこちとら、お散歩を自転車の籠で済ます、ぬるま湯に浸かりきったお座敷もぐらなのだぞ。今更、荒野にほっぽり出されても、途方にくれるだけで、何もできはしない。
小説書きとは、何もない荒野に立たされ、一人遠くを見渡し開拓者を気取ることとよく似ている。遥か先にある地球を形造る地平線に目がくすむのだ。
「ちょっと、休憩してもいいかな」
「ちょっとだけですよ!」
お出かけがダメならと、小生は懐から暖めたスマアトホンを取り出し、ゲームを始める。ログインボーナスぐらいは貰っておきたいものである。
毎日欠かさずログインボーナスを貰っている。だからゲームは趣味なのであろうか。ならば小説は? 趣味なのであろうか。残念な話ではあるが、小生は小説を書くことで収入を得ていない。これが趣味だとするのであれば、書いていて何か楽しいのであろうか。いつか仕事にしたい程好きなのであろうか。三度の飯より小説が好きなのであろうか。答えはいつだって否である。しかしだ。ならば何故に小説を書いているか。と、そう訊かれても困ってしまう。これは妄言だと思って頂いても構わないが、ある日突然、神に選ばれ、取り憑かれたように書いていたのだ。だから小生は選ばれし者なのである。誰かの幸せの為、世界平和の為、閉ざされたこの世の未来の為に小説を書いているのだ。
カチュ子の猫耳は、無情にもぴょこりと休憩終了の合図を小生に告げる。
「さぁさぁ、続きを書いてくださいな」
ぽつりぽつりと屋根に雨の音が聴こえる。洗濯物は自分で取り込まなくては……カチュ子は小生の妄想だからな。
子供の頃から夜に降る雨が好きだった。小生はテレビを観ないので、一人でいると音という感覚を忘れがちになるからである。
世は金曜日だが、小生は明日も仕事なので適当なところで眠ることにする。
2.
恥の多い生涯を送ってきました。
と、どこぞの文豪の冴えない一文をパクる朝。はだけたパジャマ姿のカチュ子は、欠伸をしながら猫耳でぴょこりとお早うの挨拶を済ます。行儀が悪い。親の顔が見てみたいものである。
残念ながら小生は、小説を書くことで金銭を得ていないので、仕事に出かけなくてはいけない。
パリッとしたビジネススーツに着替え、スタイリッシュなネクタイを締める。香水を付け、インテリジェンスな伊達眼鏡を掛け、自動巻きの腕時計の時間を合わる。脳を仕事モードに切り替える。
スタイリッシュに決めたものの、根はもぐらなので、太陽と云う残酷に耐えられるはずもなく、玄関を出てすぐさま地下に潜り、地下鉄で躯を運ぶ。今日が晴れでなくて良かった。
オフィス街の中心にある職場。小生は遅刻ぎりぎりにタイムカードを切る。出来るもぐらは早すぎず遅すぎず、きっかりと時間を守る。後輩や部下に挨拶を済ませ、本日の業務に取り掛かる。
小生のデスクに置かれた大きなダンボール箱。
おっと、今日のヤマは中々手強そうだ。しかし出来るもぐらに掛かれば、これくらいチョチョイのチョイで終わるに決まってる。
ダンボール箱を開け、本日の仕事と対面する。
そこにはカラフルに色を塗られた大量のひよこがいた。
……このひよこのオスとメスを分けるのが、小生の生業である。
理想と現実。こんなはずじゃなかった将来。鈍い痛みが胸の奥をずきんと突き刺す。小生はこんなものになる為に、大事にしていた宝物と呼べるアレコレを売って学費に充てたり、寝る間も惜しんで勉強したのではない。
取り敢えず、この斬新な業務をとっとと終わらせようと、慣れた手つきで大量のひよこを千切っては投げ、千切っては投げ……。
「痛いピヨ。優しくして欲しいピヨ」
一心不乱に仕事をこなしていると、気づけばひよこのダンボールに入っていた、ひよこ口の可愛い美少女のむっちりした二の腕をぐにぐにと掴んでいた。
「す、すまない。次からは優しくする」
「わーい、優しいもぐらさんだピヨ。そんな優しいもぐらさんには、良いこと教えてあげるピヨ」
野球をしたい人が野球選手になるんだピヨ。もぐらさんは小説……随分書いてないね。好きでないなら、その席、書きたい人に譲ってあげるといいピヨ。一生ひよこのオスとメス分けていればそれなりにハッピー。あ、ちなみにわたしオスだから。
なーんて残酷を言い残してむっちりした美少女……否、オカマひよこは消える。小生は随分と小説を書き上げていない。なのに小説書きだなんて、笑ってしまう。
3.
こんな夢を視た。
と、どこぞの文豪の冴えない一文と偶然にも一致してしまう書き出しで、申し訳ないが、その夢の中で神さまは小説を書けと云い、小生にもぐらの呪いを掛けた。
もぐらから人間に戻る方法は二つある。一つは来た道を戻る方法。それは小説を辞めることである。仕事を頑張り、慎ましくも少しずつ年俸を向上させ、恋人と同棲なんかして、そうしたら子供なんかできたりして、休み前は仕事帰りに駅前の居酒屋で同僚と生ビールを飲んで、休日は両親のところに孫を見せに行く。たまには友人と会ったり、旅行に行ったり。キラキラした明日を取り戻せる。
きっとそれは幸せなことで、その生活の、いったいどこに小説なんてものが入り込む隙間があるというのであろうか。
小生は随分と小説を書き上げていない。このまま何もかも忘れて人間に戻れそうである。小説なんて書いてしまったら、また人間に戻れなくなる。退くのも勇気である。
でも、だけれど、人間に戻る方法は、もう一つだけ、そう、もう一つだけあるんだ。
がたんごとん、がたんごとんと、一定のリズムに目を覚ます。不意に見上げれば、首吊りロープのような吊革が、幾つも規則的に揺れていた。電車の揺れはいけない。規則的かつ緩いBPMが眠気を誘う。すっかり駅を寝過ごすところであった。
忘れ物が無いように慎重にチェックし、急いで電車を降り、地下鉄の改札をくぐる。
小腹が減ったので、駅前のスーパーの中にある総菜屋に寄った。カチュ子は妄想の産物なので料理はしてくれないのだ。
「おにぃちゃん、いい男だからコロッケ一個オマケしてあげる」と、今日も総菜屋のおばちゃんに廃棄寸前のコロッケを押し付けられる。いい男ですって。実にモテモテである。モテてモテて吐きそうである。この世の中の言葉は、全てがこんな薄っぺらい駆け引きで出来ていて、冷たい嘘や、見返りを求めるものばかりなのだ。よく言えば営業努力。言葉なんて大嫌いだ。そんなこんなが嫌で小生はもぐらになったくせに、何が神に選ばれただ。言葉が何よりも嫌いなくせに、言葉を紡ぐとはいったい小生は何をしているのだ。
それでもきっと小生は、明日もこの総菜屋に来てしまうのであろう。べしょべしょで美味しくはないけれど、お値段が手頃なのである。
人生とは妥協なのかもしれない。
4.
カチュ子は激怒した。
その、ふと思いついた、どこぞの文豪が小生をパクった一文は、中々の出来で、これはこれで吝かではない。あら、やだ。小生ったら天才かもしれない。と、まるで小説書きのような発想の自分が嫌になる。
そんなことよりガラガラと我が家の引き戸を開けると、猫耳をプルプル震わせたカチュ子が、真っ赤な顔で何かを喚き散らしているので、まずはそちらから何とかしておきたい。
「せんせ。小説辞めようとか考えているでしょ。カチュ子は赦しませんか、ら、ね!」
さすがは小生の妄想の産物。考えていることなど、お見通しである。
「せんせは悪いひよこにたぶらかされただけです。さあ、カチュ子と一緒に小説家への帰り道、探しましょうよ」
「小生、学も無いし向いてないのじゃないかなー。そうだ。死んだ祖父の意思を継ぎ、おっぱいハンターになるのはどうであろうか。こう見えて小生はモテるのだ。今日だって総菜屋のおばちゃんがいい男だからと言って、一個コロッケをオマケしてくれた。こうおっぱいの大きな女子に上目遣いでもすればワンチャンあるやもしれぬぞ」
「はいはい。ワロスワロス。せんせが書きたいのは、そんな偽物の言葉じゃないでしょ」
「ちょ、カチュ子。それはそれで傷つくのだが。と言うか、ワロスって久しぶりに訊いたわ」
「あの日の誓いはウソなのですか?」
「あの日?」
小生の頭はポンコツなので物忘れが酷い。カチュ子の言うあの日が、いったいどの日なのか思い出せずにいる。都合が悪いことだけを忘れる、中々ハイスペックなポンコツである。
「確かその誓いの言葉はこうです。もしも人間に戻れたなら……」
……あなたに会いたい。
人間に戻るもう一つの方法。それは作り話を、本当のことにすること。偽物を本物に変えること。夢みたいな何かが、現実に侵食すること。
穴から顔を出して、見上げてばかりだった空は、眩しくて目が眩んで、もう小説なんて書きたくなくて、だけれど、そう言えば小生はあなたに伝えたいことがあった。
あなたに会ってそれを伝えれば早い話ではあるが、いかんせん小生、喋るのが書くことよりも、もっと下手くそなのである。ならば、やはり文にして書くしかそれを伝える方法はなく、まだ見ぬあなたの手に、それが届くには、穴を上に向かって掘って掘って血が滲んでも、空まで掘って大きな風穴を空けるしかないのである。
もしもいつか光の当たるあなたの肩の高さと同じところまで行けて、人間に戻ることができたのなら、その時はどうか一緒にお茶してください。小生はポンコツでノロマなので歩みは遅いかもしれませんが、きっとあなたに伝えます。
あなたを夢中にさせる小説家。
そういふものに、わたしはなりたい。
「ちょ、せんせ。最後までパクリとか、辞めてくださいってば。あ、失礼しました。ご愛読ありがとうございました。夕凪もぐら先生の次回作にご期待ください。猫耳ぴょこり」