8. リアルな着ぐるみ
サバイバルにも疲れてきたので移動してみます。
少しダラダラと長めになってしまいました……
捕まえた豹柄模様のイタチのような動物の皮を剥ぎ、内臓と骨の一部を取り除く。綺麗に血を洗い流し、水と塩虫で作った濃度の高い塩水に漬ける。数日このまま風通しの良い場所に吊るして干し肉を作ろうと思う。
取り出した内臓も捨てはしない。綺麗に洗って干し何枚かに重ねて強度を増せば色々と使い道がある。毛皮は良質でなかなか良い。骨も釣り針や狩りの道具として有効活用できる。ゼロからのサバイバル生活からはゴミはほとんど出ない。
ひと通りの作業を終えたオレは、木の実を頬張り小気味良い咀嚼音を立てながら考える。まさかあんな場所で人に出くわすなんて。どう見ても子供だったが、日本人には見えなかった。やはりオレは国外に連れて来られたらしい。身長は低かったが、身のこなしから考えると小学校の低学年くらいだろうか。
助けを求めて叫びもせずに逃げ去ったということは、近くに助けを乞う大人がいなかったか、もしくは1人で森へ入った可能性が高い。恐らくは後者か。良識ある大人が子供と山へ入ったとして、子供に背負い籠を担いがせ鉈まで持たせて目の届かない場所に送り出すだろうか。普通は考えられない。まあ、オレの場合は良識なんかないから問題ないのだが。
もし、あり得るとすれば周辺地域でそれが当たり前の場合。つまりこの辺りの地域では、子供が籠を背負い鉈を持って山に入るようなことが日常的に行われているのではないだろうか。そこまで考えてオレの中にある疑念が浮かぶ。だとすればどうして今日まで子供はおろか、他の人間をまったく見掛けなかったのだろうか。
また1つ木の実を頬張り、滴る果汁を手の甲で拭いながら考える。
もしオレがあの少年だったら、あの後どうした。間違いなく親や周りの人間に怪物の存在を伝えるはずだ。子供の戯言だろうと相手にされないだろうが、万が一、真に受けた大人が”念のために通報したほうが”などと言い出せば、この生活は一気に破城へと向かう。
名残惜しい気もするが、手遅れになる前に住処を移すか。そうと気まれば、まずは候補地探しだ。この場へ戻れない可能性も考慮して、荷物を纏めて出発の準備だ。まったく、面倒なことになったもんだ。内心でそう呟きながらも、オレは少しだけ気持ちが高揚しているのに気付き苦笑した。
この辺りも決して完璧ではないが、水と食料を兼ねそろえている点では申し分ない。危険動物も思ったより少ないし、きっとここ以上の場所を探すのは容易ではないはずだ。上流には大王サンショウウオのような化物も住んでいるが、下流に向かうに従って個体も小さくなり数も減少するのは、恐らく人間の居住区に近いからだろう。つまりあの少年は下流方面から来たに違いない。そうなると新たな住処は危険を覚悟で、更に上流方面に向かうしかないか。
オレは手にした木の実を再び頬張る。”ひょっとしたらコイツも食い収めかもな”などと考えながら、荷物と一緒に2つの木の実を纏める。少しばかりの干し肉と塩虫、竹に似た植物を水筒代わりにして水を汲み、荷物を背負い籠の中へと仕舞う。その上に弓と矢入れると小さな籠は満杯になった。
ふと木に吊るされた肉塊を見上げる。
大王サンショウウオの死骸を見付けたときは本当に驚いた。遠目でもすぐにその異常に気付きはしたが、上流付近で最も恐るべき存在が思いがけず亡くなっているのを確認したときは、1つの脅威が去ったことへの安堵より、奇妙な現状への不安の方がよっぽど大きかった。
こんな生活では引っ越し荷物など無いに等しいが、ある程度の食料を持ち出す必要がある。木の実や塩虫は良いとしてコイツはどうしたものか。オレは木に吊るされた大王サンショウウオの肉を眺めて考える。とりあえず今回は候補地の選定が1番の目的だ。ただ、万が一ここへ戻れないことも想定し必要十分な荷物を纏め背負い籠に詰め込んだ。
残念ながら木に吊るした大王サンショウウオの肉塊はここへ放置だ。
こんなものを抱えて長距離を移動するのは不可能だ。
弓と矢も一緒に籠に入れて背負い、腰から鉈を下げ、手には銛を持って出発する。すぐにシロが後を追って来て、オレの肩に飛び乗った。一緒に来てくれるなら心強い。この環境下で無事でいられるのはシロの助けが大きい。今やコイツはオレの大切なパートナーだ。
切り立った岩場を越えしばらく進むと、その先には更に深い森林が広がる。この辺の植物はまだ住処にしていた中流地帯と大きな違いはなさそうだ。聞こえてくる鳥の鳴き声や、ときどき見掛ける小動物も今まで目にしたことのあるものが多い。
しばらく緩やかな上り下りの斜面を、外敵に注意しながらひたすら進む。同じような景色の中を歩き続けていると、不思議と同じ場所をグルグルと回っているような錯覚に陥る。
途中で縞模様の巨大な大蛇を見掛けた以外は際立った脅威もなく、些か拍子抜けに感じるほどに順調に先へと進む。住処を出発して1時間が経過しようとしていた。緩やかな下り斜面からなだらかな森に入ったところで、木々の向こうに明るい場所が見えてきた。何かあるのか。緑を掻き分けてそのまま歩き続けると、深い緑の切れ間から思いもしない光景が現れた。
湖だ。いや、沼と呼ぶべきだろうか。瓢箪型の巨大な水辺は、手前の畔から浅瀬に掛けて葦のような植物が群生しており、沼の中にも何本かの木が根を下ろし、更に向こう側は泥濘んだ湿地のようになっているようだ。畔は植物が多く一面を見渡すことは出来ないが、それは一見して幻想的とも言える独特な雰囲気を醸し出す場所だった。
住処を出発して約1時間。移住先としては元の住処に少し近過ぎる気もするが、環境的には飲み水と食料の確保が同時に期待でき、周囲の緑にも食用になりそうなものが見られる。なかなか良さそうな場所だ。オレは湖の周辺を移住先の第1候補地とし、荷物を木陰に置いて念入りに探索することにした。
散策を始めて間もなく沼の魚がピシャンと音を立てて跳ねた。
よく見ると沼の中には貝類も生息しているようだ。
「キャァァア!」
そのとき向こう岸の湿地帯の藪の奥から、平穏な時間を切り裂くような少女の悲鳴が聞こえた。オレは咄嗟に右手に鉈を、左手には銛を構える。人間。まさかここも人里に近い場所なのか。本当ならすぐにでも荷物を纏めてこの場を去るべきだった。今の悲鳴を聞きつけて他の人間が駆け付けるかも知れないのだから。ただ、困ったことに何者も助けに現れる気配がない。
決してスケベ心をからの偽善などではない。状況を把握することで、危険を未然に防ぐのは大切な防衛手段だ。それに仮に悲鳴が男のものだったとしても、オレは同じように行動を起こしたはずだ。たぶん。自分に言い聞かせるかのように言い訳を並べ、オレは身を低くして足早に向こう岸へと向かった。
岸には沼から這い出したであろう泥の着いた触手のようなものが伸び、その先に見える少女の足首に巻きついて沼地へと引きずり込もうとしていた。必死に耐えるその先には、腰を抜かしたような格好で開きっぱなしの口から”あわわわ”と分かりやすく慌てふためく言葉を漏らす、連れらしき者の姿が見える。
即座に助けに入るべき場面でオレが一瞬だけ躊躇したのは、怪物である自分の存在が露見することではない。沼に引きずり込まれまいと必死に抵抗するその少女も、それを見て腰を抜かす連れも、普通の人間とはかけ離れた存在だったせいだ。
「ラ、ラチータちゃん!」
連れの少年がようやく我に返ったように叫ぶ。
だが、その言葉に反して体が言うことを聞いていない様子だ。
何だコイツらは。オレの目に映ったのは、人間のように2足歩行に適した体型で、粗末ではあったが洋服らしきものもちゃんと着ていた。ただし、”それ”はオレの知る”少女”や”少年”とはかけ離れた存在だった。
2人を一文で表現するならば”リアルな着ぐるみ”だ。昨今の特殊技術があればこれくらいリアルな怪獣の着ぐるみを作ることなど造作もないことだろう。ただし、オレの前にいるそれは着ぐるみなどではない。草陰から現れたオレに驚くその素振りや、眼球や口元の質感、少年の股間の濡れ具合など、本物のみが持つリアルさを幾重にも併せ持っていた。
少女は明緑色から緑色、少年は僅かに青色を帯びた濃緑色の体色をしている。爬虫類を思わせる頭部から、脊椎に沿うように背ビレのような突起あり、腰部には足と見間違えるほどの長く立派な尻尾が存在感を示す。僅かに開いた口からは小さな牙が覗き、手足の爪が黒色の鈍い輝きを放つ。
あえて付け加えるとすれば、リアルな着ぐるみでありながら、どこかディフォルメされたかのような可愛らしさを感じさせる。その部分だけを切り取れば前出の”少女”や”少年”の表現が当てはものの、平たく言えば2人ともオレと同じ”怪物”だ。
気が付くとオレは、少女を沼地へ引き込もうとする触手に、握った鉈を思いっきり振り下ろしていた。同族意識などまったくない。ただ直観に従って動いただけだ。そもそもオレ自身はこんな見た目になっても、どこかで自分を人間側の存在だと思っている部分もある。触手は傷口から緑色の液体をまき散らしながら、突然の攻撃にうろたえるように大きくうねる。
少年が僅かに”あっ”と声を漏らす間に、沼の中から新たにもう2本の触手が襲い掛かる。迫る触手を左手の銛でいなし、右手の鉈で薙ぎ払うが、今度は切込みがあまりにも浅過ぎた。30センチに満たない鉈でこんな化物を相手にするのは分が悪い。
「ラチータちゃん、危ない!」
少年の声に釣られて振り向くと、もう1本の太い触手が再びラチータと呼ばれた少女の足に絡みつこうと迫る。ラチータもそれを許してはいけないことは理解している。足をバタつかせて抵抗するが、先に巻きつかれた方の足は既に限界を越え、少女の顔には苦悶の表情が浮かび始めていた。
「お願いします! ラチータちゃんを! ラチータちゃんを助けてください!」
少年は必死の形相で自らの足を殴りつけながら叫ぶ。
目の前に突如として現れた何者かも知り得ない最後の希望。
それに向け自らの不甲斐なさを嘆きつつも懇願する少年。
咄嗟に放った銛は触手に弾かれた。1撃目の手応えでオレの銛が役に立つような相手ではないことは理解した。続けざまに振りかざした鉈が太い触手に深く食い込む。
直後に戦慄が走った。
深く食い込み過ぎて鉈が抜けない。
判断を誤ればが命に係わる場面だ。
オレは瞬時に唯一の武器である鉈を諦め、そのまま触手に跳び付いて抱え込んだ。いつも獲物に巻きついて沼地に引きずり込んでいるであろう触手からすれば、オレの行動は異様なものに感じたかも知れない。武器を手にしていないオレには、最早この方法しか残されていない。
噛み付いてみたが固くて噛み千切れそうにない。ならばと、鉈の食い込んだ深い傷口に足を掛け、触手を抱きかかえたまま全身を使って勢い良く伸び上がる。渾身の力を込めて引っこ抜く。
まるで伸びきったゴムのようにブツリと触手が千切れる。その刹那、弾けるように体液が飛び散り、オレの全身は一瞬にして真緑に染まった。
読んでくれてありがとうございます。
※用語※
・ラチータ