66. 癒し
毎回読んでくれて本当にありがとうございます。
少し長くなりましたが第1章ラストです♪
ロロナの召喚した慈愛の女神は、クロの思い描くような金髪に薄衣を纏った、碧い瞳の色白美人などではなかった。青白い光は次第に黄色味を帯びながら膨らみ、やがて完全な黄金の輝きを湛えた巨大な球体へと成長を遂げる。そこから漏れる輝きはどこか優しい温かさを感じさせ太陽を思わせ、それを眺めているだけで不思議と左腕を失った痛みが和らぐような感覚を覚えた。
流石は”女神”を名乗るだけはあって、見る者を引き付ける不思議な力を有しているのだろう。その場にいた徘徊魔植物に寄生された者や、女王と化したレミイナですら、その巨大な黄金の球体から目を逸らすことがことが出来ずにいた。
限界まで大きく広がった黄金の球体は、不意に音もなく爆散すると辺りは得も言われぬ輝きに包まれた。虹色の長い尾ヒレを輝かせながら散り散りになっていくそれは、上空から黄金のシャワーのように降り注ぎ、その場にいる全ての者たちを包み込んだ。
火竜の喉仏を使ったバンガルは、クロの予想通り爆風で吹き飛ばされ酷い火傷を負っていた。死を半ば覚悟していた彼は、目を開ける体力を惜しむ程の状態にあった。だが、不意に火傷で火照った体を何かが癒していくのを感じ目を開ける。
バンガルは自らの目を疑う。そこに広がるのは黄金と虹色が織りなす不思議な世界だ。黄金のシャワーが空から降り注ぎ、棺桶に片足を突っ込んでいたはずの自分の体に染み込んでいくのが見えた。何かの魔法、それともこれが神の奇跡と言うものか。
幼少期を地下街のスラムで過ごした彼にとって、本来の意味での神とは彼に食事と休む場所を与えてくれる者のことだ。しかし、幾つもの修羅場を潜り抜けていく中で、特別な何らかの存在をその肌で感じることがあったのは事実だ。もしかするとあれが聞き及ぶところの神と言うものなのかと考えていた彼は、今本物の神と言う存在を目の前にしてその慈悲に心を震わせていた。これが神と言うものかと。大粒の涙が無意識のうちに頬を伝っていることに気付いたのはだいぶ後のことだ。
ドラケルドもまた神の奇跡を目の当たりにし言葉を失っていた。癒しの光で体中の傷が回復していくのを感じたのは、驚きのほんの一部に過ぎない。本当の驚きはその後にやってきた。寄生された仲間たちの体から、枯れ掛けた徘徊魔植物が這い出して来るではないか。寄生を解かれた蜥蜴人種たちは、糸を切られた操り人形のように次々とその場に倒れていった。だが、それすらも彼がそのとき目の当たりにした驚きの、ほんの一部でしかなかった。
「あ、あなた……」
大振りな徘徊魔植物を口から吐き出し、その場にへたり込んでいたレミイナがドラケルドを見て声を発した。それが女王のものでないことは彼女の表情を見れば一目瞭然だ。すぐに駆け寄ったドラケルドは、腰に下げた短剣で地面に弱りながらも蠢く、大振りな徘徊魔植物に止めを刺す。必要に何度も短剣を振り下ろすその姿を朦朧とした意識でレミイナは眺める。寄生は解けたが彼女の場合はあまりにも長い期間、徘徊魔植物によって生かされ続けたことで、寄生なしでは生きていくことが難しい体となっていたのだ。
「あなた、ありがとうございます……ラケルドをお願いしますね……」
「ああ。わかった」
これが本当の別れとなる。言葉を交わした2人にはすぐにそのことが分った。だが、ドラケルドにとってそれは分かれの悲しみ以上に、妻を蜥蜴人種として逝かせてやれることと、最後にもう一度言葉を交わすことが出来たことへの喜びの方が遥かに大きく感じていた。
慈愛の女神を召喚し終えたロロナはその場にドサリと倒れた。見ると長かった黒髪は男の子のように短くなっており、篝火の陰のせいで目の下に出来た色濃いクマが更に酷く見える。クロの左腕だけでは足りずに、自らの髪と血液を生贄にしたロロナは、魔力切れによる倦怠感だけでなく、貧血で激しい目眩と頭痛に襲われていた。クロはすぐに駆け寄ってロロナを抱き起した。一瞬、気を失っていたのだろう。ロロナは驚いたように辺りを見回すと、自分を抱き起すクロに目を止めて金色の瞳にいっぱいの涙を浮かべた。
「大丈夫か、ロロナ?」
「クロ様……」
ロロナは自分を抱き起すクロの右手の力強さを感じながらも、贄として失った左手に申し訳なさそうな視線を向ける。下級奴隷である自分にこれほどまで良くしてくれる、クロの腕を生贄にしたことは命令とは言え彼女に心に重く圧し掛かっていた。
「ありがとう」
クロはそう言って笑みを浮かべた。左腕を失いはしたが、その言葉は本心からのものだ。事実、ロロナが呼び出した慈愛の女神は、術者である彼女が想像した以上に強力な存在だった。その場にいた者たちの傷が次々と回復し、徘徊魔植物に寄生された者たちも元の状態へと戻っていった。クロはレミイナを抱きかかえるドラケルドたちに視線を向けて思う。彼がずっと心のどこかで引っ掛かっていたあの言葉。ドラケルドが自ら口にした、妻を殺して欲しいというひと言。こんな形で幕を閉じることになるとは思わなかったが、レミイナの姿をした徘徊魔植物の首を、ドラケルドの目の前で跳ね飛ばすよりはよほど良い結末と言える。
「クロ殿、世話になった」
レミイナの亡骸を抱きかかえるドラケルの表情は穏やかだ。後処理は自分たちにまかせて先に休んで欲しいと言われ、クロはその言葉に甘えることにした。抱きかかえるロロナは憔悴しきった様子だったし、自らも左腕を失いかなりのダメージを負っていた。それに比べて慈愛の女神の癒しの輝きを受けたドラケルドは、激しい決戦を終えた後とは思えない気力と体力に満ち溢れていた。どうやら術者であるロロナと生贄となったクロだけが、あの癒しの輝きの中にあって回復できていないようだった。
シンにロロナを任せると、折れた槍の柄を杖代わりにしてクロは自らの移動式住居へと向かった。
クロは鎧を脱ぎ捨てるとそのまま横になった。隣にはロロナが横たわっている。癒しの輝きで回復していたシンは、流石に自分まで横になるのはまずいと思ったのか、ロロナを寝かせると後処理の手伝いへと向かった。疲れた。戦いはもうたくさんだ。そんなことを思いながらクロは深い眠りに落ちた。
目を覚ますと入口から外の陽が差し込んでいるのが見えた。隣を見ると既にロロナの姿はなく、クロは1人で移動式住居の中に横たわっていた。起き上がろうとすると全身に軋むような痛みが走る。筋肉痛だけでなく、打ち身や捻挫による痛みもあるようだ。
寝返りを打とうとしてようやく左腕を失ったことを思い出したクロは、器用に右手を使ってゆっくりと起き上がると移動式住居の外へと出た。陽は既に最も高い位置からだいぶ西に傾いていた。どうやら12時間以上は寝ていたらしい。どこからともなく小鳥の鳴き声も聞こえる。もちろん雷雲の精霊ではない普通の小鳥だ。
「あ、アニキ! 起きたダか。今、ロロナちゃんと食事の準備してたダヨ」
シンの声に釣られるように移動式住居の陰からロロナが姿を現した。その表情は昨夜の披露し切ったものとは違う。
「クロ様、お加減はいかがですか?」
「ああ、だいぶゆっくりさせてもらったからな。ただ、まだ体のあちこちが少し痛むけどな」
「もうすぐ食事ができますので、食事の後にでもジャコナ様の所へ出向いて治療していただきましょう。起きたら連れてくるようにとジャコナ様にも言われてましたので」
鍋をかき回しながらロロナが言う。ロロナもジャコナに治療してもらったのだろう。昨夜に比べて格段に顔色が良いのもそのためだろう。
ロロナが居なければ自分たちはあのままジリ貧を強いられ、いずれラケルドにもバレて、尚且つ集落を捨ててでも避難する他なくなっていたのではないか。クロは食事の準備をするその小さな背中を眺めながら思う。人間界へ帰る手立てを聞くためだけに奴隷商から買い受けた屍食族の少女が、思いも寄らぬ強大な力を有していたことにクロは未だに驚きを覚えていた。この小さな体にあれ程の力を有するとは、魔法とは本当に凄まじいものだ。
「あ、あの……私の背中に何かついてましたか?」
そんな事を考えながら眺めていると、ロロナが恥ずかしそうに問い掛ける。何でもないと適当に誤魔化すと、代わりにロロナが麦粥の入った器を差し出してくれた。干し肉がたっぷりと入っているロロナ好みの麦粥だ。ハフハフと熱々の麦粥を口に運ぶと、ゆっくりと咀嚼して飲み込む。干し肉の出汁の味と麦粥の温かさが内臓に染みる。
半日ぶりに口にした食事を2杯平らげると、クロはロロナとシンと一緒にジャコナの元を訪れた。流石に昨夜の決戦は老体に堪えたのではないかと心配していたが、癒しの輝きのお陰で持病の腰痛まで良くなったらしく、ジャコナは以前より元気になったと喜んでいた。塗り薬と飲み薬をもらって酋長が顔を出すようにと言っていたらしいので、クロたちはその足でドラケルドの移動式集落へと向かう。
「おお、クロ殿! お加減はもう良いのか? さあ、中に入られよ」
昨夜ぶりに見るドラケルドの表情は、憑き物が堕ちたように晴れ晴れとしていた。案内されるがままにいつもの広間へと通されると、クロたちはそこに座って待つようにと言われた。すぐにテナが3人にお茶を運んで来てくれた。クロのダラリと垂れ下がった左袖を見ると、テナは一瞬だけ複雑な表情を浮かべたが何もふれずにお茶を配る。
「クロ様、本当にありがとうございます……」
そう言って去り際に深々と頭を下げると、テナは静かに奥の部屋へと下がる。テナと入れ替わるように、皮袋を手にして戻って来たドラケルドが、クロたちの前に腰を掛ける。そして、手にした皮袋を静かにクロの前へと差し出した。
「クロ殿、此度は本当に世話になった。これは約束の報酬金だ」
「ありがとうございます」
素直に頭を上げるとクロはその皮袋を受け取った。見た目ほどの重さではないが、いったい幾ら入っているのだろう。
「中を確認しても?」
「勿論」
クロは皮袋の口を開けて中を確かめる。
「こ、これって!?」
クロは慌てて皮袋を逆さにして中身をその場に広げる。穴隙金貨10枚と小判金貨10枚。それはクロの予想を遥かに上回る大金だった。
「酋長、これは流石にもらい過ぎです」
「かっかっか!」
クロの言葉を聞きドラケルドが豪快な笑い声を上げる。
「もらい過ぎとは、クロ殿らしい。例の徘徊魔植物の一件は領主直々の依頼を受けての討伐だ。討伐の成功報酬は白金貨5枚だ。それに加え魔晶片も買い取ってもらう約束になっている。クロ殿には安心してそれを収めてもらいたい」
それにして多過ぎる気がしないではないが、白金貨5枚の前では霞んで見えるのも確かだ。ドラケルドは”それに────”と続ける。
「その金があれば、ひょっとするとその腕を治せるかも知れんしな。それと、このローブは腕の良い職人に作らせた物だ。良ければ使っていただきたい」
ドラケルドが臙脂色の上等なローブを差し出しながら言う。昨夜の決戦で服もボロボロになったので、有難く頂いておくことにした。それにしても、やはりこの腕を治せる可能性はあるらしい。ロロナも言っていたように、この世界には体を再生する魔法も存在するようだ。
「クロ殿はこの集落の救い主。気の済むまでごゆるりとしていかれよ」
そう話を締め括ったドラケルドは、そばに置いた包みを開けて中から焼け焦げた棒のような物を取り出した。初め何をしようとしているのか理解できなかったクロも、その棒が放つ鈍い輝きを見てようやく得心がいった。それは中心的寄生個体に突き刺さったまま落雷を受けた鋼斬りだ。
「そ、それは……デオケルドさんの形見の品を申し訳あえりません」
「いやいや、誤解しないでもらいたい。何もクロ殿を攻めようと思って持ち出したのではない。見てくれ、クロ殿。この剣はまだ生きている。もう一度鍛冶職人に手入れをさせれば、きっと以前と同様に素晴らしい切れ味を発揮してくれるだろう。これは磨かせた後にクロ殿にお渡ししようと思うのだが。使ってくれるか?」
「ありがとうございます。喜んで」
ドラケルドはロロナとシンにも礼を述べ、それぞれにクロに渡したのと同じ織物で作られたローブを差し出す。これは奴隷である彼らにとって有り得ない待遇であった。本来であれば下級奴隷である彼らは、家畜と同等程度の扱いをされても文句の言えない立場にある。それをクロの連れであるということで、集落を上げて手厚く迎え入れてくれたのだ。
クロたちは何度も礼を述べ深々と頭を下げると、ドラケルドの移動式住居を後にした。移動式住居へ戻るとバンガルが家の前の切り株に腰を掛けていた。
「おお、バンガルさん! もう良くなったんですね?」
「クロさん、それはこっちの台詞だぜ」
そう言って2人は固い握手を交わす。
「その腕……オレのせいで悪かったな……」
クロの左腕に視線を落としながらバンガルが声のトーンを落として言った。別にバンガルせいではない。クロ自身これは最初に小指1本を惜しんだ代償だと思っていたし、あそこで手を打たなければ全滅の恐れすらあったための決断だ。むしろ決断が遅すぎたことで、救えるはずだった命を失ってしまったことをクロは後悔していた。
「この借りはかならず返すぜ。とりあえず元気な顔が見れて良かった」
そう言い残すとバンガルは、これなら全快祝いも近そうだなと悪戯な笑みを浮かべ、また来ると言い残して帰って行った。
こうして徘徊魔植物討伐の夜は嵐のように過ぎ去った。あれだけの騒ぎだったにも関わらず昨日と変わらぬ日常が送られているのは、恐らくドラケルドによって緘口令が引かれているのだろう。クロとしてはむしろあれだけ賢いラケルドが、何も知らずにいることの方が不自然に思えたが、そこは敢えて掘り返す必要のないことだ。全てを理解した上でラケルドが騙されたふりをしていると言うのであれば、彼の気持ちを汲んでやるべきだと思ったからだ。
クロたちはドラケルドの言葉に甘えて、このまま暫くこの移動集落の客人として滞在し続けた。勿論、その間は狩りやラケルドの武術の修行の手伝いもきちんと熟し、ロロナもシンも集落の蜥蜴人種たちとはすっかり打ち解け、予定より随分と長く逗留することになった。その後に新たな旅が彼らを待っているのだが、それはまた別のお話で────。
これにて第1章終了です。気が向いたら異世界到着直後のエピソード加筆や途中部分の大幅改稿などしようかと考えています。あくまで気がむけばなんですが……。
改稿後は次章にてお知らせいたしますので、気が向いたらまた読んでいただけると嬉しいです♪
(桜)




