63. 生贄
朝夕が冷え込みますね。
あまり寒いと指先の感覚がおかしくなります……
目の前の円卓にたくさんの中華料理が並べられている。どれも出来立てで湯気が上がっていて、とても美味そうだ。この店の内装には見覚えがある。よくカッチャルバル商会のメンバーで食事に行った千華飯店だ。
ラーメン、餃子、油淋鶏、肉チャーハン、麻婆豆腐、麻婆茄子、焼きそば、春巻き、それと何と言ってこの店の看板メニューの酢豚だ。厚切りの豚肉は噛めばジュワーと肉汁が染み出して、勝手にホロホロと口の中でバラけて旨味と一緒に溶けていく。勿論、キンキンに冷えたビールを忘れるわけがない。
千華飯店は高級中華と呼ぶには程遠い店構えだが、この界隈の地下社会ではちょっと名の知れた、味の割に良心的な価格でコストパフォーマンスの高さで人気の中華店だ。メニューの値上げをしないのは、頑固で愛想が悪いが人情に厚い店主の拘りである。
普段は使われていない奥の個室がクロたちカッチャルバル商会には程良い空間で、クロのお気に入りの場所でもあった。クロはピリッと本格的な辛さの効いた麻婆豆腐を口にしてはビールを呷り、好物で看板メニューの酢豚を頬張ってはビールを呷る。シンのヤツが調子に乗って空のビール瓶をマイク代わりにアカペラで歌い出すと、いつもはクールなナムも酒が入ると陽気になった手拍子をしている。陳も表情こそ変わらないがリズムに合わせて小さく頭を動かしている。
美味い料理と、美味い酒と、最高の仲間。この瞬間がいつまでも続けば良いのになどと考えるのは、少し飲み過ぎたせいなのだろうか、それとも若くなくなったせいなのだろうか。クロはビールを呷り余韻に浸るように目を閉じる。
「────、────ですか!? ────ください!」
遠くで誰かが騒いでいる。大方、シンが料理でもひっくり返したのだろう。あぁ、何だか酔っぱらったみたいだ。少し飲み過ぎたのかも知れない。頭がクラクラする。疲れた。このまま眠ってしまいたい。
「────様、クロ様! しっかりしてください! クロ様!」
「はっ!?」
突然、遠い場所から引き戻されたかのように目を開けると、若い蜥蜴人種が不安気な表情を浮かべて覗き込んでいた。クロは視線だけを動かし辺りの様子を確認する。
「クロ様! 良かった気付かれて」
「オレはいったい……」
「中心的寄生個体の触手で吹き飛ばされて、少しだけ気を失われていたようです」
目の前の若い蜥蜴人種がハキハキと答えた。確か一緒に杙車を押した班員だ。
「えーと、君は……」
「ダリウスです。ダリとお呼びください。どこか痛みますか?」
ダリに抱えられて上体を起こすとクロの脇腹に激痛が走った。どうやら先程の一撃で肋骨を何本かいかれたようだ。頭も少しクラクラしている。どうやら触手で吹き飛ばされた拍子に頭を打ち付けたらしい。幸いにも胞子嚢を受けた様子はなかった。
「ありがとうダリ。お陰で助かったよ。君も額から血が出てるようだが?」
「かすり傷なので大丈夫です」
そう言ってダリは気丈に額の血を手で拭う。だが、その表情はからはかなり消耗しているのが見て取れる。そう言えばヤツはどうなった。クロは慌てて茂みの隙間から中心的寄生個体を覗く。体中から緑色の液体を垂れ流しながらも、確実に集落を目指して前進を続けている。あの場所なら防衛班からもはっきりとその存在が確認できる距離だろう。クロが倒れている間も、中心的寄生個体は本能の赴くままに蜜の匂いに引き寄せられる羽虫のように、ひたすら集落を目指して進んでいたようだ。
ドラケルドとバンガルたちは街道沿いを進み、一定の距離を保ちながらも中心的寄生個体の後を追い攻撃の機会を窺っているいるらしい。だが、決め手もなく闇雲に挑むことも出来ずに、時折、矢を放つに止まっているようだ。
クロもドラケルドたちに合流するべく、中心的寄生個体の後を追い茂みの中を進むことにした。茂みを掻き分けながらクロは考えを巡らす。2本しかない火竜槍も、2台しかない杙車も使い切った。いくら切り付けても中心的寄生個体は悲鳴を上げるばかりで、その歩みを止めようとはしない。正直、あれだけ攻め立てても倒れないのは、完全に想定外だ。最早、妙手は尽きた。恐らく中心的寄生個体が目指すのはラケルドの元だ。この際、先回りしてラケルドを集落から街道とは反対の、峠方面へ脱出させるべきか。
そんなことを考えながら進んでいると、不意に前方の茂みが揺れるのに気付いた。クロは合図だけでダリを制止させると、静かに鋼斬りを鞘から抜いて構える。中心的寄生個体にばかり気を取られて、寄生された豚面人種の残党を見逃したのかも知れないと思ったからだ。
どうやら相手はこちらの存在に気付いていないらしく、茂みを掻き分けながらゆっくりと接近して来た。ダリも手にした木製槍を構えなおし、茂みの向こうから迫る何者かに神経を集中する。ガサガサとクロたち目の前の茂みが大きく揺れ、その隙間から見覚えのある白い顔が現れた。
「ロロナ!?」
「あっ! クロ様ぁー、ご無事だったんですね!」
そう言いながらロロナは、今にも泣き出しそうな顔でクロの胸へと跳び込んだ。心配してくれるのは嬉しいものの、いきなり抱き着かれてクロは目を白黒させる。それにロロナがどうして1人でこんな場所まで来たのか不思議でならなかった。
「あぁ、何とかな。それよりここで何をしてるんだ?」
「あ、あの……シンさんからクロ様が徘徊魔植物にやられたって血相変えて防衛班の元に駆けて来たもので……その、つい……」
慌ててクロから離れたロロナは、今になってクロの言い付けを破って防衛班から抜け出して来た、自分の命令違反を省みて顔を青ざめた。奴隷にとって命令違反は許されない行為だ。とくに下級奴隷であるロロナにとって、主人であるクロの命令は絶対。厳罰は免れない。
「そうだ、ロロナ。ちょうど良かった。ちょっと聞きたいことがあるんだ。お前、どんな魔法が使える?」
てっきり厳しいお咎めがあると思っていたロロナは、あまりにも意外なクロの問い掛けに思わず小首を傾げる。奴隷に身をやつす前、ロロナは屍食族の最後の姫であるヴェロニカ姫つきの侍女だった。侍女として姫の傍に仕える彼女は魔法も使う。だが、クロは彼女がどのような魔法を使うのかを聞いたことがなかった。
「魔法ですか?」
「使えるんだろ?」
「は、はい……一応」
期待するような視線を向けるクロに、ロロナは戸惑いの表情を浮かべながら答えた。ロロナのかつての正式な肩書は、ヴェロニカ姫つき近衛魔導士と言うものだったらしい。魔導士と言うのはいわゆる魔法使いの高尚な呼び方で、ある程度の地位にある者はこう呼ばれるらしい。ロロナはそれなりに由緒正しい家の出だったのであろう。
近衛魔導士は平時には姫の侍女として身の周りのお世話を手伝いながらも、いざという時に魔法で姫を真っ先にお守りするという重要な役割を担っていたようだ。そんなかつての肩書を持ちながらもロロナが”一応”などと答えたのは、彼女の使う魔法の内容にあった。
「私が使うのは”召喚魔法”です」
「召喚魔法?」
クロがオウム返しするとロロナはそのまま説明を続ける。召喚魔法と言うのは文字通り何者かを魔法によって召喚し、自らの下部として使役する魔法だ。綺麗な歌声を聞かせてくれる精霊から、大地を破壊する魔神の如き存在まで召喚する対象は様々だ。”ただし────”とロロナは付け加える。
「召喚には生贄が必要となります」
「生贄か。例えばどんな?」
「そうですね……魔力も十分にありますし、私の片目を捧げれば───」
「片目って!? ちょ、ちょっと待て! 自らの身を生贄に捧げるのか? 例えば野兎とか、子羊とかじゃなくてか?」
申し訳なさそうな表情を浮かべるロロナが説明するには、召喚魔法に使われる生贄はその”物”自体の重要度によって効果が大きく左右されるらしい。例えば髪の毛を捧げるより血を捧げた方がより効果が大きいという具合に。術者の体の一部を差し出すのが最も望ましいが、術者の近親など関わりの深い者の体のでも大きな効果が期待できるらしい。
「ならば、私が生贄となりましょう。私の命で集落が救われるのならば安いものです!」
「いやいや、ダリ気持ちは分からないでもないが、ちょっと待て」
クロは逸るダリを宥めるように彼の二の腕をポンポンと叩いた。それを見たロロナが生贄についての説明を続ける。彼女が申し訳なさそうな表情をしていたのは、クロが言ったように野兎や子羊では仮に魔法が発動したとしても、同等の野兎や子羊を仕留める程度の力しか得られないからだ。
肉好きのロロナにとって、野兎や子羊も彼女に関り無い存在とは言い切れない。ただし、それは食の好みの話であって直接的な関りではない。そのため生贄としてさほどの効果は期待できない。恐らく集落へと押し寄せる巨大な中心的寄生個体に対しては、先程からドラケルドたちが断続的に射掛け続けている、矢の数本ぶんにしかならないだろう、仮にダリがその命を捧げたとしてもその10倍程度に過ぎないだろうとロロナは付け加える。
だからと言ってロロナの片目を生贄にするなど、そんなことを認めるわけにはいかない。そもそも一度は集落に待機していろと諭したにも関わらず、彼女の魔法を頼りにすること自体どうかしているのだ。そんなことはクロも承知していたが、今は手から塩を出すという、戦いには無意味と思われるシンの魔法ですら、何か使い道がないかと考えるほど手詰まりに近い状態だった。
クロは”ロロナ、例えば何だが────”そう切り出す。何を生贄にすることでどれくらいの効果が得られるのか、大体でも良いのでその尺度となるものが知りたい。クロの問い掛けの内容は概ねそんなものだ。
「以前にヴェロニカ姫とご一緒に、近衛兵に内緒で2人だけで森へ出かけたことがありました────」
彼女の話を要約するとこうだ。いつもは安全なその森に黒狼の群れが現れた。黒狼とは通常の灰色狼より、ひと回り以上大きな体に獰猛な性格を併せ持った”森の殺し屋”と恐れられる存在だ。2人はあっと言う間に20匹以上の黒狼に取り囲まれてしまった。
ロロナは咄嗟に自らの左手の小指を生贄にし、中位の闇の精霊を召喚した。現れた闇の精霊の力は凄まじく、瞬く間に黒狼たちを闇へと引きずり込み、気が付くと黒狼たちは1匹残らず彼女たちの前から姿を消していたと言う。
思わず視線がロロナの左手に向かうと、彼女は慌てて5本揃った指を擦りながら、その後に運良く高名な司祭様に魔法で指は治してもらったのだと付け加えた。クロが驚いたのは召喚魔法の威力ではなく、むしろこの世界に治療だけでなく、失った指を治すほどの魔法が存在することの方にだった。
「例えばオレの小指ならどうだ? オレはロロナの主人だろ?」
「そ、そんな。それはできません!」
やはり奴隷とその主人では直接的な関係にはならないかと、肩を落として独りごちると、ロロナがそれを否定するように目の前で両掌を振り続ける。
「いえ、そうではなく……クロ様の体を生贄にするなど、そんなこと……」
「可能なんだな?」
「はい。私の主人にあたるクロ様の肉体の一部であれば、私の肉体と同等の価値とみなされるはずです……」
なるほど。それであれば一か八かに賭ける価値はある。クロは顎に指を当て更に思考を巡らす。彼女が自らの左手の小指を生贄にして召喚した闇の精霊は、その話ぶりからすると恐らく20匹程度の黒狼の相手にはオーバースペックな存在だったに違いない。仮に倍の40匹を相手にしたとしても、難なく殲滅してみせたのではないか。それに高名な司祭などいないこの場では、出来ればクロも小指を失うことは避けたいと考えていた。では、どの程度なら今の状況に見合うギリギリの生贄となるだろうか。
集落へ向けて前進を続けているとは言え、中心的寄生個体も無傷ではない。今の状態を黒狼の群れに例えるとすれば、闇の精霊が旬滅させた40匹とは釣り合わない気がする。50匹程度の大所帯でどうだろうか。群れで獲物を仕留める狼の攻撃は緻密で鋭い。それこそ戦い方を間違えれば蜥蜴人種の集落など、30分足らずで壊滅するだろう。
50匹程度の黒狼の群れ。アレはまさにそういう存在だ。それを仕留めるための生贄とは何か。そこまで考えクロは自らの左手の小指に視線を落とす。やはり捧げるしかないか。人間界で筋者と揉めた際にも落としたことのなかったこの小指を。いつも以上に存在感を放つ小指は、まるでその1本無しで生活することの難しさを雄弁に語り掛けているかのように見えた。
読んでくれてありがとうございます。
第1章終了まであと何話かな??
※用語※
・召喚魔法




