57. 樹皮紙と獣皮紙
微妙に長めです。
字が綺麗な人って3割増しくらいに素敵に見えます♪
この知識はきっとこの先も、この世界で生きていく上で必要となる。実際の薬草学になると更に奥が深く、組み合わせや分量によって効能に大きな変化が起こることもあるようだ。ジャコナの話を聞くクロの中でそんな確信に近い思いが湧き上がる。
やはり帳面と鉛筆が欲しい。クロの物欲が刺激される。いや、この場合は知識欲が刺激されたのが原因だろうか。いずれにしろ、ジャコナの話をメモも取らずに聞き流すことが、自分にとってどれ程の損失となるか想像しただけでクロは寒気を覚える。
そう言えば、以前にジャコナが長い書簡のようなような物を、手にしていたのを見た気がする。あれはきっと紙のような類のものだったはずだ。あれが手に入れば。
「あの、全く話は変わるのですが、これらの貴重な知識を次世代に伝える場合はどのようにされているのでしょうか?」
「貴重な知識などと大層ぶるものではないが、今はラチータが弟子としてここへ通っておる」
そう言えばラチータも薬草学には明るい様子だった。だが、全て口伝だけで伝え切れるものなのだろうか。
「専門書などと言うものは?」
「大きな街へ行けばあるいは有るかも知れんが、そもそもそんな物がこの集落にあったところで、読み漁るような者はおらんじゃろうよ」
ジャコナが鼻で笑い言い捨てる。確かにそうかも知れない。ラケルドならまだしも、バンガルが書物を片手に机に向かう姿などまったく想像できない。大きな街へ行けば専門書も手に入るのか。確かにラインバルトはなかなかのものだった。ジャコナのその言葉は大きな街に住めば、今よりもっと快適な暮らしが出来ることを意味しているとも取れる。
「では書物のように記録しておくことはないのでしょうか?」
「樹皮紙や獣皮紙に書き留めるという意味か? 今ではそれも滅多にせんようになった。ここら辺で見掛ける薬草の類なら、全てここに入っとるからのぉ」
そう言ってジャコナは自分の米神を指で突いた。
「それだ……」
思わず呟いたクロの言葉に”儂の頭がどうかしたのか?”とジャコナは不思議そうに首を傾げる。
やはり紙に相当するものはこの世界でも使われている。闘技場でそれらしき物を目にしたが、あれは紙と言うよりは羊皮紙に近い代物だった。恐らくあれが獣皮紙と言われるものなのだろう。そうなると樹皮紙というのは、その名の通り樹木の皮を用いた紙代わりの品物なのだろうか。
「ちなみにジャコナ様は樹皮紙をお持ちでしょうか?」
何を突然言い出すのか。そんな表情を浮かべながらもジャコナは立ち上がって棚の中を弄ると、紐で束ねられた樹皮紙の束を取り出して見せた。それは繊維の粗い粗悪な和紙のようなものだ。中には何やら図入りで書き込まれている物もある。
「これじゃが? それがどうかしたのか?」
「これは高価な物なのでしょうか?」
ジャコナがその問い掛けに眉を顰める。それはどこにでもある樹皮紙だったが、その中には自分が書き留めた新しい傷薬の製法が記されていたからだ。だが、それは素人に理解できるような代物ではない。
「書くにはどんな道具を使われるのですか?」
ジャコナの答えを待ち切れずにクロが再び問い掛けた。樹皮紙自体のことだったかとジャコナはため息を漏らす。やや茶色みがかった墨のようにも見えるそれは、闘技場で使用した毛先の短い筆で書いた時の色に良く似ていた。
クロの問い掛けの意図が判らず、ジャコナは取り敢えず引き出しから筆を1本取り出して見せた。毛先の短い小筆のようなそれを、一緒に出した携帯用の灰皿のようにも見える小さな容器の蓋を開け、そこに浸けると樹皮紙の端に見たことのない文字を書き、クロをじっと見詰めた。
「それは?」
「クロ殿の名前じゃろ? もしかして、クロ殿は大陸共通言語圏の出身ではなかったか?」
この世界の文字なのだろう。
ラインバルトで見掛けた文字と雰囲気が似ている。
「ええ。この手の文字はちょっと……」
良くわからないが、この世界の言語もいくつか種類があるのだろう。ジャコナがクロのことを、この世界の文字を読み書き出来ないと考えなかったのは意外だった。怪物のような見た目に反して、この世界の識字率は意外と高いのだろうか。ジャコナは勝手に納得すると”使い古しで良ければ”と言って古い筆とインク壺、それに何枚か樹皮紙を分けてくれた。
「あ、ありがとうございます! 助かります!」
思いがけず樹皮紙と筆を手に入れたクロは大層喜んだ。たまに物欲しそうな顔もしてみるものだ、などと思いながら手にした筆とインク壺と樹皮紙を眺める。
「ちなみにこのインクも街で買うのでしょうか?」
「勿論、街でも売ってるが”オストロ”という植物の樹液を煮詰めたものじゃから、自分で作った方が安上がりかも知れんな」
オストロか。今度どんな植物なのかバンガルにでも聞いてみるか。それにしてもジャコナは何でも知っている。聞いたことに対してどんなことでも回答を持つ者。少し苦手に感じていたジャコナのことを、クロはそう認識を改め、一転して好ましくすら思うようになった。
「他に聞きたいことはあるか? いずれにしろ夕刻にまた酋長の家で会うじゃろうがのぅ」
どうやらドラケルドの所へ呼び出されているのは、クロだけではなさそうだ。何か重要な要件。つまりそれは徘徊魔植物に関わることだろう。詳しいことは夕方にドラケルドの移動式住居を訪れた時に聞くしかない。クロとロロナは丁寧に礼を言ってジャコナの移動式住居を後にした。
移動式住居へ戻るとシンが1人で軽弓銃の手入れをしていた。まだ寝ていたら叩き起こして、飯の準備でも手伝わせようかと思っていたがなかなか殊勝な心構えだ。そんなシンを見てクロは少し頼もしいものを感じる。
「あ、アニキ。どこ行ってたダヨ?」
「ジャコナ婆の所だ。大角兎の角を持って行ったらコレをもらったよ」
クロはそう言ってジャコナにもらった、古い筆とインク壺と樹皮紙を見せた。
「何だそれ? 紙ダか?」
「ああ。樹皮紙って言うんだ」
クロが得意気に答える。シンの反応はイマイチだったが、そんなことは今のクロには些細なことだ。早速さっき教えてもらった薬草知識を書き込んでおこう。クロは木の切り株を机代わりにジャコナに習った事を忘れる前に書き込んでいく。
「何を書いてるダか?」
「ジャコナ婆の所で聞いてきた薬草の情報だ。こうして書き留めておけば、採取に行ったときにも役に立つだろ」
薬草だけでなく狩りや魔物に関する情報も書き足していこうとクロは考えた。だが、それにはすぐに樹皮紙が足りなくなるのが目に見えていた。やはり次に大きな街へ行った際に買い足すしかなさそうだ。
「アニキ、その紙それだけしか無いダか?」
「そうなんだ。ジャコナ婆からの貰い物だからな」
「雑貨屋で買ってくれば良かったダな」
「雑貨屋?」
クロはその言葉の意味が理解できずにシンの顔を見る。
「ラインバルトの雑貨屋で売ってたダヨ?」
「なっ……お前、それ本当か!?」
クロも雑貨屋には一緒に入ったし店内を見て周った。どこで見落としたのだろう。まさかあそこで売られていたとは。
「シン、それはこの紙と同じ物だったか? 値段はいくらだったか覚えてるか?」
「同じ物かはわからないダヨ。値段も書いてなかっただよ。でも”樹皮紙ありマス”って書いてあったから同じ物じゃないダか?」
書いてあったとは。店内にそのように張り紙でもしてあったと言うことか。張り紙。クロは目を見開いてシンに向き直る。
「シン、お前まさか字が読めるのか!?」
「読めるダヨ?」
クロは慌ててジャコナが紙の端に書いた文字をシンに見せる。
「シン、これは何て書いてあるかわかるか?」
「クロ」
「ど、どうして……」
驚きのあまり呟いたクロの言葉に笑顔で”オイラだって文字くらい読めるダヨ”と言い掛けて、ようやくシンもそれが人間界の文字と違うことに気が付いたらしく”あれ?”と首を傾げながらその文字を見直した。
「これ日本語じゃないダな。英語でもないダな……何語ダか?」
「大陸共通言語って言うらしい」
「聞いたことない言葉ダヨ?」
その聞いたこともない言葉をどうしてお前は読めるんだ。シンを見詰めるクロの瞳がそう問い掛ける。だが、シンはその問い掛けに、問い掛けで返すような表情を浮かべる。本人も何故なのかわかっていないようだ。
「何かオイラ怖くなってきたダヨ……自分の才能が」
何を言い出すのかとクロとロロナが眉を顰めるが、シンはそんな視線などお構いなしに続ける。
「だって魔法が使えて、軽弓銃が上手くて、習ったこともない言葉まで読めるなんて……オイラ完璧過ぎないダか?」
完璧じゃないし。突っ込むのも面倒なのでクロは心の中でそう呟くも、シンの言葉を完全にスルーしてやった。だが、彼の言うように魔法が使えることと、習ったこともない言葉まで読めるというのは本当に奇妙な話だ。
奇妙と言えばそもそも自分が豚面人種になっていることが、最も奇妙な話の1つと言える。ひょっとするとこれらは全て関係あることなのだろうか。クロは忘れかけていた、人間界からこの世界へやって来た切っ掛けに思いを巡らす。
あの夜、スナック夜舞蝶に押し入った、謎の80年代風ディスコファッションの外国人風の男女。その中にに混じって現れた、奇妙な仮面にローブ姿の輩。あれ程なす術なく一瞬にして拉致られたのは初めてだ。そもそあれが拉致だったのかも疑問なのだが。
あの中に確かにロロナがいた。クロが大金を叩いてまでロロナを奴隷商のチョメスから買い受けたのは、そのことを問い質しこの現状をどうにかするためだ。だが、豚面人種と化したクロを、ロロナは本人だとは認識できていない。
彼女の言うヴェロニカ姫と言うのは、恐らくあの時すぐ隣にいた長身の縦ロール美女のことだろう。あの中でも奇妙な仮面の次に存在感が引き立っていた。自分たちがこの世界いるのは、あの時の出来事が関係しているのは間違いない。だとすればクロがここにいるのは、ロロナたちが彼に何かをしたからなのか。クロは肝心のその場面の記憶だけをどうしても思い出せないでいた。
ロロナはいつの間にかシンではなく、自分にクロの視線が向いていることに気付き、何か失敗でもしたのかと頬を紅潮させ挙動不審になる。
「アニキ、晩飯の前に魚でも捕りに行ってみないダか? さっきバンガルさんに会ったから、良い場所を教えてもらったダヨ」
「ああ」
もうそんな時間か。クロが気のない返事をする。移動式住居にジャコナからもらった筆とインク壺と樹皮紙を片付けると、クロとロロナは妙に張り切るシンに案内されて川原へと向かった。
バンガルに教えてもらった場所へ着くと、シンが河原の石を使って川の端に支流を作り始めた。その先を木の枝でスノコ状に堰き止める。どうやら追い込み漁をする気らしい。シンは茂みから採ってきた葉っぱの付いた枝をクロに手渡すと、2人で水面をバシャバシャと叩きながら造った支流へと魚を追い立てた。支流の行き止まりまで泳いだ魚はその勢いで、枝で作ったスノコの上へと跳ね上がる。ロロナが魚を捕まえる係だ。
そんなことを何度か繰り返し、5匹の魚を捕まえることに成功した。バンガルの話から10匹は軽いと想像していたシンは納得がいかない様子だったが、3人で食べるのに5匹も捕れればまずまずの成果だ。
移動式住居へ戻ると早速、晩飯の準備を始める。魚の内臓を取り除いて洗い流し、串に刺して塩をふり、炙り焼きにする。ロロナのことも配慮して、一緒に干し肉と豆のスープも作った。勿論、ロロナの器には、肉を多めに入れてやるのを忘れない。
焼き上がった魚を1匹だけ、麦と一緒に炊き込んでみる。昨日、バンガルにもらった酒の残りを少し入れ、シンプルに塩で味付けをした。やはりクロとシンには炭水化物も欠かせない。これがシンプルだがなかなか美味く出来た。
食事を終えると3人はドラケルドの移動式住居へと向かった。最初はクロだけで行くつもりだったのだが、食事の後片付けをしながら、近々この集落に徘徊魔植物が現れ、それを討伐することになることをシンとロロナに伝えると、2人も一緒に話を聞いておきたいと言い出したからだ。否応なしに魔物との決戦に駆り出される彼らには知って権利がある。もっともそれは彼らが奴隷でなければの話だが。
3人がドラケルドの移動式住居に着くと、ちょうど辺りは黄昏時。背後に伸びる長い影が、何故か3人の目には不気味な物のように映るのだった。
読んでくれてありがとうございます。
※用語※
・樹皮紙
・獣皮紙
・大陸共通言語
・オストロ




