56. 薬草学
漢方薬って何か神秘的で素敵です♪
あくる日、クロたちはシンとロロナの3人だけで狩りに出た。前日の小人鹿(ピエ二)の収獲で何かをつかんだらしいシンだったが、この日はなかなか肝心の獲物に巡り合えず、せっかく見付けた獲物にも軽弓銃を構える前に逃げられる始末だった。こうなると前日の成果も、バンガルの案内によるところが大きいと思わざる得ない。
手ぶらで帰るのも何なので、クロたちは狩りを諦めて野草や木の実の採取に専念した。だが、相変わらず採取に掛かるシンの態度は不真面目そのものだ。適当にその辺の茂みを枝で掻き分けてみたり、ぼーっと木を眺めたりと絵に描いたようなヤル気の無さだ。そのうちに退屈して茂みの中に見付けた切り株を背もたれにして腰を掛けると、そのままウトウトし始めた。
シンが今にも眠りに落ちそうになって舟を漕いでいると、不意に茂みから体に不似合いな大きさの、羊を思わせる巻き角を生やした兎が飛び出してきた。兎もまさかそんな場所で、人が居眠りしているとは思わなかったのだろう。慌てて逃げ出そうとすると木の根元に脚を取られて躓いた。驚いたシンが傍らに置いたシンの軽弓銃を倒すと、その拍子に矢が放たれ兎の後ろ脚付近を貫いた。
至近距離で後脚を射抜かれた兎は、その反動で転げてその場でピクピクと痙攣している。
「ア、アニキー!」
その叫び声で慌てて駆け付けたクロは、状況を見るとすぐに鉈で兎の首元を掻き切った。後から両手に野草を持って駆けて来たロロナは、仕留められた兎を見て唖然とする。野草の採取をしていたはずなのに何故。ロロナはまた自分だけが役に立てていないのでは、と焦る気持ちを必死で抑える。
「シン、でかしたな!」
「あ、あぁ……ラッキーだったダヨ……」
いつものシンなら調子に乗って、自分の手柄を自慢してもおかしくないのだが。そんなことを思いながら、クロは兎の後ろ脚を持ち運びやすいように蔓で縛った。
3人だけの狩りを追え集落へと戻ると、すぐに兎の解体作業に入る。皮を剥ぎ内臓を取り出し、肉を切り分ける。そこへちょうどラケルドが通り掛かった。
「お、”大角兎”ですね。またシンさんが射止めたんですか?」
「ああ。そうなんだ。どうも調子を掴んだらしい」
クロに聞かれて咄嗟に”調子を掴んだ”と答えたシンだったが、その話題に触れられると顔を背け体を小さくする。まさか居眠りしていて軽弓銃を倒した拍子に誤射した鉄製矢が、偶然当たったとは言えない。次からは絶対に安全装置をかけ忘れませんから、どうかもうこの話題に触れないでください。シンは心の中で手を合わせ、この世界の見たことも聞いたこともない神様に祈った。
「大角兎の角は薬の材料や祈祷術にも使われるので、ジャコナ婆の所へ持っていけば喜ばれると思いますよ」
なるほど。それは良い。ついでに色々と聞いておきたいことがあるし、後で行ってみよう。
「ラケルドも一緒にどうだ?」
「せっかくなんですが……じつはついさっきラチータちゃんと一緒に食事をしたばっかりなんです。彼女の作る木の実のパイが格別なんですよ!」
クロは相変わらずの2人のラブラブっぷりに、微笑ましさを通り越して微かな鬱陶しさを覚えながらも、そこは大人の対応で作り笑顔を浮かべる。
「あ、そう言えば、父上が夕方にでも家に来て欲しいって言ってました」
夕方にお邪魔しますと伝えておいてもらうと、クロは大角兎の肉と内臓を使って料理を始めた。
肉は塩と胡椒で味付けして串焼きにして、内臓は香辛料を効かせて煮込んでみた。焼き上がった串焼きを頬張って初めて気付いたが、これはラインバルトで食べた串焼きの肉と一緒だ。表面がパリッとしていて、中から溢れる肉汁は旨味が濃く、後味にやや野性味があるものの癖になる美味さだ。ただの兎肉かと思っていたがどうやら大角兎の肉だったらしい。
ロロナにはとくに大きめに切り分けた、分厚い串焼き肉を手渡した。肉汁の滴る分厚い串焼き肉を目の前にしたときのロロナのキラキラした瞳を見れば、屍食族の極端に偏った食性など聞かずとも気付けたはずなのにと、クロはこんなに分かり易いロロナの笑顔を見落としていたことを反省した。
自分とシン用に麦と豆に少量の塩を入れて炊いた物を器に盛る。屍食族のロロナと違ってやはり炭水化物は欠かせない。とは言うものの豚面人種となった今でも以前と食性が変わっていないとは言い切れない。現に山奥でサバイバル生活をしていた頃も、あれほど粗末な食事でもまったく健康に支障がなかったのは、普通では考えられないことだ。
この素朴な麦豆飯が大角兎の僅かに野性味の残る、香ばしい肉を引き立てると思うのだが、そんなことを思いながら器の麦豆飯を掻き込んだ。
食後は昼寝するシンを移動式住居に置いて、クロとロロナだけでジャコナの元を訪れることにした。ラケルドに言われたように大角兎の角を差し出すと、ジャコナ婆は2人を快く出迎えた。差し出されたお茶以上にパイプを勧められたのが有難い。その行為は蜥蜴人種が、相手へ敬意と親愛の情を現すものだと以前にラケルドが教えてくれた。だが、クロとしては正直なところそんなことはどうでも良くて、単純にこの水タバコのようなパイプがまた吸いたいと思っていた。
ラインバルトを出る際にバンガルに買い忘れた物がないかと問われ、煙草と答えなかったことをクロは心底悔やんでいた。もっともこの世界に人間界のような煙草が存在するのかは不明なのだが。そう言う意味ではこの水タバコは、金と機会に恵まれれば確実に手に入れておきたい嗜好品でもあった。
「少し見ぬうちにお連れの方も一緒になったか────」
簾のように顔に掛かる装飾品の間から覗かせるジャコナの鋭い視線を受け、ロロナは緊張気味に会釈をする。
「ええ。ちょっと訳ありで」
「そのようじゃな。若いのに随分と複雑なものを背負った瞳をしておる。クロ殿との関わりも浅からずといったところのようじゃな」
相変わらずこの婆は侮れない。ジャコナはクロから受け取ったパイプを深く吸い込み、薄い煙を一杯に吐き出した。
「それでクロ殿がこの老いぼれを訊ねられた目的は何じゃろうのぉ。何か訊ねたい事でもあったのじゃろうな?」
図星だ。クロは思わず口籠る。
本当にこの婆は何でもお見通しなのか。
「はは。そう構えられるな。これでも儂はクロ殿のことは気に入っておる。それに、酋長にもクロ殿には手厚く接するようにと言われておるからのぉ。儂の知る事ならば何なりとお教えしよう」
ジャコナ婆は口元に笑みを浮かべながらそう語る。
「ありがとうございます。それではお言葉に甘えて、幾つか教えていただきたい事があります」
クロは素直にジャコナの言葉に乗ることにした。
「まずは徘徊魔植物と対峙するに当たり、効果的な薬草などがあれば教えていただきたいです」
「なるほど。確かにクロ殿にとって、差し当たって最も必要な知識の1つじゃな────」
ジャコナはクロの問い掛けに納得するように頷きながら、深くパイプを吸い薄い煙を吐き出した。
「”効果的”というのが徘徊魔植物を滅すると言う意味合いであれば、残念ながらそのようなものはない。じゃが”何らかの効果”という意味合いならば話は別じゃ」
ジャコナは徐に立ち上がり棚の奥から壺を取り出し、それをクロの前に差し出す。クロが壺の蓋を開けると中には乾燥した赤褐色の葉っぱが入っている。
「これは────」
「火炎草じゃ。極度に体温が低下した者などに、他の薬草と一緒に爪の先程の量を煎じて処方する。徘徊魔植物は炎の熱を嫌う。薬草とは用は使いようじゃ。その葉を丸ごと飲み込めば一時的に体温が急激に上昇し、徘徊魔植物もその者に寄生することが叶わぬじゃろう。だが、その量の火炎草を口にすれば明らかに毒となろう。何らかの後遺症は免れぬじゃろうな」
クロは乾燥した葉っぱを1枚だけ壺の中から取り出してみた。何の変哲もない枯葉だ。だが、この葉にそれほどの効果があると言うことは、他の薬草も思いも寄らない効果を秘めているに違いない。
「それってジャコナ様の祈祷術で治療できますか?」
「残念ながらそれは無理じゃ。神殿のある大きな街であればあるいは……」
神殿か。流石に祈祷術も万能じゃないってことだな。
「例えば徘徊魔植物にこれを、大量に投与した場合はどうなるのでしょう?」
クロの問い掛けに、簾の隙間から覗くジャコナが眉を顰める。だが、その口元には笑みが浮かぶ。
「儂にもわからぬ。そのような事をした者がおらぬからな。じゃが徘徊魔植物にしてみれば、たまったものではないじゃろうな」
これは何かに使えるかも知れない。クロは火炎草を10枚ほど分けてもらうことにした。探せば他にも使えるものがあるかも知れない。これを機にクロの質問は矢継ぎ早に続く。だが、それほど簡単に徘徊魔植物の弱点となりそうな物は見付からなかった。
それでもジャコナから教わった薬草の知識は、この世界で暮らしていく上で知っておくべきものが多く、特に”見つけ易く使える薬草”としてジャコナが教えてくれた4つは、手頃でいながらとても役に立つものばかりだった。
徐に立ち上がったジャコナが、棚から3つの壺と1つの籠を取り出しクロの前に並べた。まずは3つの壺の蓋をクロの前で開ける。それらは徘徊魔植物との戦闘に限らず、この世界で旅を続けるに当たりクロにとって欠かせない知識の1つでもあった。
最初の壺には乾燥したやや細長い肉厚の葉が入っている。”ゲンタン”と呼ばれる植物の葉だ。消炎と殺菌の効果があり傷薬の材料にもなる。すり潰して傷口に塗ることで化膿するのを防いでくれる。半日陰の水捌けの良い場所に育つ事が多く、星型の小さな花をつける。
2つ目の壺に入っていたのは乾燥した植物の根だ。”オルハカ”と呼ばれる植物の根だ。煎じて飲むことで抗菌と解毒作用が得られる。ただし、毒には様々な種類があるため、あくまでその場しのぎに過ぎず、早めに神殿や薬師の元で治療を受ける必要がある。湿地に自生する背丈の高い丈夫な植物で、その茎から採れる水分も、口にすることで体調を崩した際に効果的だ。
3つ目の壺に入っていた植物の葉はどこかで見たことがある。コウラムという植物の葉で沼地で沼触手に襲われた際に、足を痛めたラチータが口にしていたものだ。煎じて飲むことで沈痛と解熱の効果がある。ジャコナから薬草学を習うラチータは、咄嗟にこれを口にすることで痛みを和らげていたようだ。コウラムは野草ではなく灌木の類だ。茂みの中に紛れ込むと見付けにくい特徴の少ない植物だが、近くに”スズナリソウ”という小さな白色の鼻を鈴なりにつける植物が自生することが多く、これを目印にすると探しやすい。
ジャコナは更に小さな籠を開けた。中には乾燥した植物が、根から葉の先まで丸ごと1本入っている。”ウクル”と呼ばれるその植物は、煎じて飲めば疲労回復や滋養強壮に効果があるらしく、一部の地域では秘薬として高価で取引されているようだ。さしずめ人間界で言うところのマカや朝鮮人参のようなものだろうか。
まだまだ聞きたいことは山ほどある。時間があればジャコナに詳しく薬草学について学びたいとすらクロは感じ始めていた。尚も熱心に質問を続けるクロの隣に腰を掛けるロロナは、今ひとつ彼の関心のツボが掴めずにいた。何度か頭の中にクエスチョンマークを浮かべながらも、今度こそ少しでもクロの役に立とうと熱心に2人の話に聞き入いる。このロロナの集中力が功を奏すのは、まだ少し先の事になる。
気が付くと真上にあったはずの太陽は、ずいぶんと西の方へ傾いていた。
読んでくれてありがとうございます。
※用語※
・大角兎
・火炎草
・神殿
・ゲンタン ── 傷薬
・オルハカ ── 毒消し
・コウラム ── 痛み止め
・ウクル ── 疲労回復




