53. 悲鳴
太陽に照らされた白い肌と、健康的な小麦色の肌。どちらがお好みですか?
ロロナの話はまるで堰き止められていたダムが決壊したかの如く、止まることなく続いた。暖かな灯かりに照らされながらやや視線を落として淡々と語り続けるその様子は、まるで自らの罪を独白する咎人のようにも見えた。
「ライムント卿はヴェロニカ様と王族の方々の前に、イゴルという名の怪しい仮面を着けた魔法使いを引き連れて現れました。ライムント卿はこれ見よがしに希少なロストランド産の錦糸をふんだんに用いたマントを翻すと”異世界にある人間族の世界に渡る方法があります”と自信満々に言い切りました。それは正に渡りに船。王家の方々はライムント卿の話に跳び付きました。でも、私はイゴルのあの悍ましい瞳を見たときから反対だったのです────」
いくらロロナが異を唱えたところで、一族の将来を左右するほどの決断を覆すことなど出来るはずもない。結局、それから3日後、ヴェロニカ姫やライムント卿をはじめとする総勢8名が異世界へ渡ることとなった。異世界、つまりこの場合は人間界のことだ。
勿論、その8名にはロロナやイゴルも含まれていた。
空間を斬り裂くように出現したイゴルとその弟子たちの手によって作り出された”異界の門”を潜ると、そこは見たこともない世界だった。異界の門を制御するには凄まじいほどの魔力と集中力が必要とされる。そのためヴェロニカ姫たちに与えられた時間は、僅か30分間だけだ。
段取りは既にライムント卿の手によって整っていた。人間界へ向かう一行へは既に奇妙な衣装が配られていた。見た目は妙だが作りは驚くほど精巧な衣装だ。それに着替えて待機するようにと上の者からお達しがあった。
ロロナは勿論のこと、ヴェロニカ姫もその衣装を身に着ける。着心地は決して悪くない。むしろとても良いと言えるのだが、妙に肩が部分が強調された原色の上着と同色の、腿に張り付くような丈の短い衣装は、見ようによっては安っぽい娼婦に見えなくもない。ライムント卿の話によればそれが人間界の女性が身に着ける一般的な衣装なのだそうだ。確かに男たちが身に着ける衣服も妙に肩部分が強調されており、色使いなどもどことなく似ているような気がする。”屍食族の王族が何故このような服装を!”としきりに文句を並べていた大臣たちも、兵士たち着こなしを褒められると次第に満更でもない様子になった。それに”王位継承の儀のためです”と言われては誰も返す言葉がない。
人間界のコーディネーターと接触すると、ライムント卿率いる一行は、ただちに目的の人間族の確保に向かった。向かった先は”夜舞蝶”と呼ばれる人間界の飲み屋だ。コーディネーターは目的の人物と親しい関係にあるらしく、既に”VIPルーム”と呼ばれる個室にその者たちを連れ込んでいると言う。隙を見て抜け出して来たらしく、一行を裏口から店の中へと案内してくれた。
ここまで話しロロナは不思議なことに、このコーディネーターの顔を全く思い出せないことに気付いた。男だったか女だったかすら記憶にない。何故か無理に思い出そうとすると頭が割れるように痛い。
「どうした? 大丈夫か?」
ロロナの異変に気付いたクロが心配そうに声を掛ける。
「だ、大丈夫です……ちょっと頭が……」
「無理しない方がいい」
そう。もう無理する必要はない。ロロナの話を聞いているうちに、クロの中にあった記憶の断片は、朧気ではあるが既にその輪郭が把握できるほどに再構築されていた。
あの夜、夜舞蝶のVIPルームを貸し切っていたのは、インドネシア出身のナム、中国出身の陳、インド出身のシン、そして社長であるクロの4人。カッチャルバル商会の面々だ。
この界隈で”蝶ママ”と呼ばれる店のママとクロは長い付き合いだ。店に入った様々な情報をカッチャルバル商会へ流す見返りに、クロは何かと蝶ママの力になった。何度か店の危機を救ったこともある。
「ちょっとアンタら何なのよ!」
突然、廊下で蝶ママの怒号が響く。
足音が多い。筋者の殴り込みか。
「黒ちゃん!」
蝶ママの叫び声と同時に扉が開くより早く、クロはソファーに身を隠そうと動いた。だが、立ち上がったその直後に、何故か指先1つ動かせなくなった。背筋に死がもたらす冷たい空気を感じる。これはマジでまずいヤツだ。何度も死線を潜り抜けて来たクロはそう直感した。
80年代風の肩パットの入った衣服に身を包んだ外国人風の男女に混じって、真っ黒なローブに奇妙な仮面を着けた者が部屋へと雪崩れ込んだ。そして、仮面の者が手にした杖をかざす。クロの記憶はそこで途切れている。
次に気が付いたのは暗闇の中だった。次第に目が慣れてくるとクロの前に姿を現したのは、サイほどの大きさで4本の奇妙な形の牙を生やし、全身がモップのような毛で覆われた奇妙な動物だ。それはクロにとって異世界で初めて目にする生物でもあった。
身の危険を感じたクロは、咄嗟に手にしたスコップを構える。そこへ現れたのが見知らぬおっちょこちょいの豚面人種だ。彼のお陰でクロは外へと出ることが出来たのだが、彼はこのときまだ、自分が異世界へ来てしまったことにも、自分が豚面人種になってしまったことにも気付いていなかった。そんな命の恩人とも言える相手を、スコップで殴り真夜中の山道を逃走した。それから暫くは山奥でのサバイバル生活が続いた。
だが、どうして自分は気付いたときに既にこの世界にいたのか。クロの中で再び疑問が浮かび上がる。原因になったのが、ライムント卿率いるヴェロニカ姫一行であることはほぼ間違いない。あの後、自分や仲間たちの身にいったい何が起こったのか。
今すぐにでも真相が知りたい。もしかしたら自分は人間に戻り、元の世界へと帰れるかもしれない。しかし、具合が悪そうに額に手を当てるロロナをこれ以上、問い詰めるような真似はできない。
「ロロナ、今日はもう休もう」
「はい……申し訳ありません、ご主人様」
「クロでいいよ」
「はい。クロ様」
蝋燭の火を消すと部屋は瞬く間に闇に包まれた。闇の中でシンの寝息だけが、繰り返し規則正しい音を奏でていた。
「クロさん、もう起きましたか?」
移動式住居の外からラケルドが声を掛けると、入口を覆う扉代わりの革製の幕が開き、中から眠そうに目を擦りながらクロが顔を出した。
「おはよう、ラケルド。ついさっき起きたところだ」
「おはようございます。皆さんもう起きてますか?」
クロが入口を大きく開けると中で眠るロロナとシンの姿が見える。その時、ちょうど2人の会話でロロナが寝返りを打って目を覚ました。
「あ、おはようございます。クロ様……」
ロロナは目を擦りながらゆっくりと起き上がるが、奥で大の字になって寝息を立てているシンはまったく起きる兆しがない。
「おはようございます。ロロナさん。朝食前に水浴びでもどうかと思いまして」
「水浴び……」
その言葉にロロナが反応する。
「ロロナ、水浴びは嫌いか?」
「い、いえ、好きです……でも、その……奴隷の私がよろしいのでしょうか?」
数日くらい風呂に入らなくても気にならないクロとは違い、きっとロロナは体を綺麗に洗い流したかったのだろう。だが、奴隷である自分からそんなことを言い出す訳にはいかないと考えているようだった。クロは少しその辺にも配慮してやるべきだったかと内心で反省する。
「なあ、ラケルド。水浴びは女性でも大丈夫か?」
「勿論です。女性用の水浴び場がありますから」
ラケルドのその言葉でクロたちは水浴びへと向かった。ロロナはついでに洗濯もするつもりだったらしい。その手には雑嚢鞄を携えていた。一緒に洗うので着替えを持って欲しいと言われ、数日はこのままでと考えていたクロも仕方なく雑嚢鞄を手にした。
まずはラケルドの家より少し下流へと向う。草が生い茂りちょうど良い遮蔽物となっているその場所は、女性用の水浴び場兼、食器洗いや洗濯場となっていた。ロロナをそこまで送り届けると、クロはその場でパンツまで脱ぐ訳にはいかず、取り敢えず上着を脱いで”お願いします”と言ってロロナに手渡した。
そこよりも更に下流が狩場兼、男性用の水浴び場となっているらしい。驚いたことに、ラケルドの家の周辺は酋長宅専用の水浴び場らしく、他の者は使うことが出来ないらしい。ちなみに、そこから更に上流へ行くと水くみ場となっているようだ。
せっかくなので狩場も見ておこうという事となり、クロとラケルドは下流にある男性用の水浴び場へと向かった。ゴツゴツとした大きな岩がたくさんあり、所々に適度に緑が生い茂っている。いかにも獲物が潜んでいそうな場所だ。
朝の早い時間帯。川の水はまだ少し冷たかったが、寝ぼけた頭がスッキリとする。水の中に仰向けになって寝そべる。空が高い。周囲の緑と相まって、まるで長野あたりの避暑地にでも来たかのような気分だ。異世界に飛ばされて、豚面の怪物になってしまったことなんか忘れてしまいそうだ。
ふとシロのことを思い出す。何故かシロは蜥蜴人種の集落には入ろうとしない。間違えてどこかで狩られたりしてなければ良いのだが。
「あ、ほら。クロさん、魚がいますよ!」
近くで水浴びするラケルドが川の中を指さす。透明度の高い流れの中に、微かに黒っぽい魚影が見える。
「おぉ。ホントだ。あれ捕まえるときはどうしてるんだ?」
「網を使うことが多いです。大きな獲物の場合は、木の枝で作った槍を突き刺して捕まえますけど」
網の存在はかなり大きいが、どうやら獲物の捕まえ方は、クロがサバイバル生活をしていた頃と大差はないようだ。ラインバルトで買い揃えた食料はまだ十分にあるが、捕れるときに自分たちで捕って食うのは、これからの生活を考えると大切なことだ。何より買い揃えてばかりでは、財布の金もすぐに底を突く。後で徘徊魔植物との決戦に備えて、シンの軽弓銃の練習がてらに狩りにでも出掛けてみよう。
「きゃー!」
クロがそんなことを考えていると、上流から女性の悲鳴が聞こえた。複数の女性の声に混じって、ロロナの悲鳴も聞こえた気がする。
「クロさん! 今のは!?」
「行ってみよう!」
クロとラケルドはそのまま大きく右手に曲がる川岸を、上流へ向かって駆け上がる。茂みを越えるた向こうは女性用の水浴び場だ。まさか徘徊魔植物が襲って来たのか。完全に油断していた。武器は全て移動式住居に置いて来た。クロは歯噛みしながら、茂みの中に落ちていた太めの枝を手にする。こんな物でも何もないよりは少しは役に立つかも知れない。
茂みを掻き分けた先に突然、姿を現したのは蜥蜴人種の女性たちとロロナだ。しかも、ロロナを含む何人かは全裸だ。そのつかの間、陽に照らされたロロナの次元の違う真っ白な肌に釘付けになる。
「きゃぁぁああー!!」
先程よりも明らかに大きな悲鳴が上がった。クロとラケルドは大量の水しぶきと同時に、辺りに落ちていた小枝や洗濯途中の布切れなどを投げつけられ、意味もわからずにあられもない姿のままその場から逃げ出した。どこか釈然としないまま、下流にある男性用の水浴び場へと戻ると、ずぶ濡れのシンが所在なさげに佇んでいた。
「あ、アニキ! 急に居なくなってたから探してたら、向こうの川辺で酷い目に合ったダヨ……」
ああ。コイツが原因か。怒るでもなく、呆れるでもなく。クロは”まあ、お前も水浴びしろよ”と言って、自分もそのまま浅瀬に漬かって横たわる。そして、女性たちに悲鳴を上げられて唖然とする自分たちの姿を思い出すと、堪えきれずに笑い声を上げた。
読んでくれてありがとうございます。
※用語※
・ロストランド産




