52. 蝋燭の灯
ちょい長め?
ちょい色っぽめ?
泉の水筒と無限鞄を目の前に、クロの物欲はかつてないほどの刺激を受けていた。この2つがあればこれから迎える徘徊魔植物との決戦は勿論、今後の生活面でもどれだけ便利になることだろ。そう考えると聞かずにはいられない。
「その2つは、おいくらですか?」
「泉の水筒は穴隙金貨2枚。無限鞄は穴隙金貨1枚と小判金貨5枚。これでもかなり勉強した価格だよ?」
シンに持たせる軽弓銃と鉄製矢が小判金貨2枚と小判銀貨1枚。それと合わせれば穴隙金貨3枚と小判金貨7枚と小判銀貨1枚。ぎりぎり買える。欲しい。人間界でヤバい連中の親玉にスカウトされた時にチラつかされた、マセラティの特別使用車よりも、汚い仕事を請け負う見返りにと言われたブレゲのマリーンよりも、遥かに魅力的だ。
だが、これを買ってしまえば、ラケルドに返そうと思っていた金も返さず、注文している馬車の代金も支払わないままにほぼ無一文となる。
「どちらも欲しいのですが……今は持ち合わせにちょっと問題があるので。今回は連装型のハンドル式軽弓銃と鉄製矢50本だけでお願いします……」
よくよく考えれば苦渋の決断でも何でもない。ちょっと頭を冷やせば当然の結論だ。ラケルドに借りた金や馬車の代金だけでなく、馬車を牽く馬や移動式住居の手配もまったく出来ていない今の状況では、衝動買いなど出来るはずもない。
「良い選択ね。お金が出来たらまた来てよ」
クロは小判金貨2枚と小判銀貨1枚を支払い、連装型のハンドル式軽弓銃と鉄製矢50本にサービスの革製の矢筒を受け取り、礼を言って蜘蛛の巣を後にした。
バンガルもレイアとの別れ際は、もう少しゆっくり話していても良いのにと周りが気を使うほど、着たとき以上にあっさりしたものだった。後でよくよく話を聞くと兄妹と言っても血が繋がっているわけではないらしく、スラム街で生きた同世代は皆が兄弟のようなものだったらしい。それじゃあ別れ際にレイアが見せたあの視線はやっぱり。
バンガルは彼女の気持ちに気付いていないのか、気付いていないふりをしているのか判らないが、闇地下街を出てからは一切レイアのことを口にすることはなかった。
「さて、もう本当に買い漏らしたものはないか? クロさん、あの鞄は買っておかないと、すぐに売れちまうんじゃねえか?」
バンガルが揶揄うような視線を向ける。欲しかったのは確かだが、今の自分には不相応な代物だとクロは自らに言い聞かせる。
「大丈夫です。泉の水筒と無限鞄はいつか金に余裕が出来たら買いに行きます。それに馬や移動式住居のことはまたの機会に考えますよ」
「よし。じゃあ北門に向かって馬車を乗り換えようぜ」
一行は帰り際に屋台でロトルージュと串焼肉を買い込み、シロと水棲馬の待つ北門へ向かった。そして、馬車を乗り換えて預かり賃を支払うと、後ろ髪を引かれる思いでラインバルトを後にした。
水棲馬は乗客が増えたことを苦にする様子もなく帰りの道中を駆ける。シロもクロの傍らで満足そうにロトルージュを頬張っていた。何度か野生動物が街道付近に姿を見せる程度で、大きな問題も無いまま一行を乗せた馬車は進み、蜥蜴人種の移動集落が見えた頃には陽が沈み掛けていた。
「クロ殿、目的の買物は出来たましたかな?」
「お陰様で何とか。あの酋長、じつは集落に連れの者を入れたいのですが、よろしいでしょうか?」
出迎えに現れたドラケルドにクロは早速、シンとロロナを紹介する。2人とも自らを”クロ様の奴隷です”と名乗る段取りで集落に入る前に話しを合わせてある。初めにこの集落を訪れた際に1人だったクロが、奴隷を引き連れて帰って来た。本来なら訳を聞いてもおかしくない内容なのだろうが、ドラケルドは徘徊魔植物との決戦に向けた備えの1つと解釈してくれたらしい。シンとロロナを値踏みするように軽く頭の先からつま先までを見回すと、深く問い質すこともなく2人を簡単に受け入れてくれた。
「さあ、長旅で疲れたことだろう、まずは我が家で食事としよう」
ドラケルドに勧められるがままに、クロたちはドラケルドの大きな移動式住居へと向かう。入口を潜ると既に、テナの作った美味しい料理の香りが立ち込めている。帰りの道中で果物と串焼肉を口にしたものの、それはあくまでオヤツ的な位置付けだ。豚面人種になってからと言うもの、どういう訳か常に空腹に苛まれている。
シンとロロナには蜥蜴人種の集落との関係を、ラケルドとラチータを魔物から助けた縁と簡単に説明しただけだ。シンには徘徊魔植物との決戦の件もあるので、今夜にでも詳しい内容を説明するつもりだ。
大広間に案内されたクロたちの目に飛び込んで来たのは、所狭しと並べられたテナの手料理だ。これにはシンも驚いたらしく集落に着いてからずっと静かだったが”うわっ……すごい料理ダヨ”と思わず心の声を漏らした。
そこからは楽しい宴が始まり持て成しの酒が用意され、クロもシンも、道中の警護と御者役として活躍したバンガルや、街の案内役と何といっても闘技場での大博打で活躍したラケルドと”誓約”を交わし感謝と労いの言葉を掛ける。
「クロ殿、この金はどのみち、クロ殿にお渡しするつもりだったものだ。お受け取りください」
そう言ってドラケルドが差し出したのは、集落に入る直前にクロがラケルドに返した穴隙金貨2枚と小判金貨5枚だ。
「いや、ここまでして頂いたうえに、更にそれを受け取ることは────」
「では、ここに滞在の間のラケルドの、稽古費用という名目でお受けできないだろうか? これも少しは武術を身に着けておく必要がある」
それを聞いて目を輝かすラケルドにも”是非お願いします!”と頼まれてしまい、結局その金は再びクロの懐へと戻る事となった。ここへ滞在する間と言っても徘徊魔植物を仕留めるまでの間だ。いったいあと何日で現れるのだろう。
クロがそんなことを考えていると、いつの間にかシンはドラケルドとバンガルと意気投合し3人でやたらと”誓約”を繰り返し何度でも琥珀色の酒を呷り続けていた。ふとロロナに目を向けるとほとんど料理には手を付けておらず、唯一完食したのは鳥肉の腿肉を炙り焼きにした料理だけだった。魚料理が好みではないと言うより、よく考えてみると肉料理以外を口にしたのを見たことがない気がする。ひょっとすると肉女と言うヤツなのか。
そんなことをしながら気が付くと、日が暮れてからかなりの時間が経っていた。当然、街灯の1つもない集落は、既に深い闇に包まれている。ドラケルドがクロのために移動集落を準備しておいてくれていた。まさか3人で戻ってくるとは予想していなかったので、さほど大きなものではないらしいが、星空の下で野宿するよりはよほど良い。
場所を確認したバンガルが案内すると言ってくれたが、既にろれつが回っていない千鳥足の酔っ払いに案内されるのも気が気じゃない。代わりにラケルドが案内役を買って出てくれて助かった。テナに用意してもらった蝋燭の灯かりを頼りに、真新しい移動式住居へと向かう。
場所はラチータの家の近くらしい。もしかするとラケルドが案内を買って出たのは、それが理由なのかも知れない。ラケルドはクロたちを送り届けると、案の定、家とは違う方角へと歩いて行った。こんな夜更けに訪問して良いものなのか。それとも意外と夜這い的な行為が公認されているのだろうか。
若い2人のことは明日にして、とりあえずクロたちはドラケルドが用意してくれた移動式住居へと入った。中へ入るとシンはすぐに寝転がりそのまま寝てしまった。無理もない。あのペースで飲んだら酔い潰れないほうが不思議と言うものだ。
薄暗い部屋にはドラケルドから借りた燭台が1つあるだけだ。オレンジ色の仄かな灯かりが、落ち着かない様子で座っているロロナの白い顔を照らす。ロロナにはいろいろと聞きたいことがある。聞くなら今がチャンスだ。
「ロロナ、ちょっといいか?」
「は、はい!?」
ロロナは話し掛けられビクリと背中を跳ね上げる。ラインバルトで一緒の時間を過ごす中でだいぶ慣れてくれたと思っていたのだが、男2人と少女が1人、同じ屋根の下にいるのだ。警戒するのも当然と言えば当然だろう。
「あ、あの……わ、私ちょっと慣れてなくて……」
確かにそうだろう。どうして奴隷になったのかは知らないが、こんな少女が訳も判らずに蜥蜴人種の集落に連れて来られ、男2人と同じ屋根の下で寝ろと言われてるのだから。泣き出さないだけでも奇跡と言うものだ。
「い、衣服はお脱ぎした方がよろしいのでしょうか?」
「ふぇ?」
あまりに予想外の言葉に思わず可笑しな声が出たクロは、慌てて何度も両手を体の前で交差する。
「ち、違う! 違う! そんなんじゃない!」
「えっ、では、下着だけお脱ぎしたほうがよろしいのでしょうか?」
頼む。思考を脱ぐとか着から切り離してくれ。心の中で声にならない叫び声を上げながらクロが必死に首を振る。
「ち、違う! 何も脱がなくて良い! そのまま、そのままでいいんだ。ちょっと聞きたいことがあるだけだから」
「は、はい? 聞きたいこと……ですか?」
小首を傾げながら金色の目で上目遣いに見詰めるロロナの仕草に、クロは一瞬ドキリとする。直前の勘違い発言と蝋燭の灯かりが相まって、まだ未成熟な少女であるはずの彼女の横顔が妙に艶っぽく映る。考えてみればロロナとこれほど長く言葉を交わしたのは初めてだった。クロは思わず視線を背けながらも強引に話を続けた。
「き、きっと話したくとは思う……でも、どうしても教えて欲しいんだ」
「はい……」
恐らく雌の奴隷からすれば夜に主人と2人きりの場面で声を掛けられれば、自ずとすることは1つなのだろう。夜のお伴だ。クロは自らが迂闊だったと思いながらも、言葉を選びながら話を続ける。
「君が奴隷になる前のことだ。君は誰と一緒にいて、そこで何があったのか教えてほしい」
クロは顔を背けたまま横目でロロナの表情を盗み見た。その質問はまったく予期せぬ内容だったのだろう。ロロナの背筋と一緒に表情が強張り、眉尻が極端に下がり悲痛な表情を浮かべる。今にも泣き出しそうな顔をしながら、ロロナはそのまま俯いてしまった。まずい。そう思いながらもクロは何も出来ないでいた。彼女に酷なことをしているのは判る。でも、これを聞き出さないことには話が前に進まない。
移動式住居の中はシンの寝息しか聞こえない。静かな夜だ。目を閉じて外から聞こえる虫の鳴き声にだけ耳を澄ましていると、ここが異世界であることを忘れてしまうくらいに平穏だ。
「私は屍食族の最後の姫、ヴェロニカ様つきの侍女でした────」
俯いて押し黙ったままだったロロナが唐突に口を開いた。お互いの心音が聞こえそうなほどの狭い空間での静寂に、いたたまれなくなくなったのかも知れない。口をついて出た言葉がいきなり”最後の姫”などと重々しいものなのには、流石にクロも驚きを隠せないでいた。
「成人を迎えられたヴェロニカ様は、晴れて屍食族の宿願である一族再興のため、王位継承の儀を迎えるべく彼の地へと足を踏み入れました。でも、今思えばあの時点で既に私たちは罠に落ちていたのです────」
話の続きを遮ってでも問い質したいことが色々あった。だが、クロはそんな気持ちをグッと堪えてロロナの話に耳を傾ける。
「透明になってやるダヨォォォ……」
シンの突然の寝言と寝返りに、背中をビクリと跳ね上げてロロナが振り返る。お陰でどういう訳か、屍食族の没落までの歴史にまで遡ろうとしていたロロナの話は、軌道が修正され”彼の地”での出来事の件へと引き戻された。
「王位継承の儀にあたって、ヴェロニカ様は王族専属の占い師の占いにより導き出された、ある種族の特定の者の精気を搾取する必要がありました。その種族とは人間族です────」
ロロナの視線が僅かに背中を向けて横たわるシンに向けられる。
「しかし、問題が起きました。ヴェロニカ様に必要とされる精気を持つのはただの人間族ではなく、異世界に住む者だったのです。王家の方々もこれには困り果て、占い師に何度も占いをさせましたが結果は一緒。一時は王位継承の儀は取りやめとなる寸前でした。そこに助力を申し出たのがライムント卿です────」
ここまで聞いてクロはようやく少しだけ話が見えてきた気がした。ロロナが自分の探し求める人物の1人であったことに確信を深め、クロは尚も静かに相槌を打ちながらロロナの話に聞き入った。
読んでくれてありがとうございます。
※用語※
・ヴェロニカ
・ライムント卿




