44. 背信
シンの回想シーンが長過ぎました(汗)
その思いをバンガルさんに代弁してもらいました♪
森の復旧作業は、2手に分かれて早速その日から開始された。
エゼルとゴルドンは整地班を取り仕切る責任者に任命された。切り株を取り除き木を伐り出した箇所を綺麗に整える。これはかなりの重労働で大人の昆虫族の大半がこの班に組み込まれた。
当初、ゴルドンは”御白頭様の近くを離れる訳にはいかない”と整地班に入るのを強く拒んだが、エゼルに”その巨体で植物採集班もなかなか見物だな”と揶揄われると、それを挑発と捉え意地になって切り株の処理を行った。これにより格段に整地作業は進んだのだが、他の昆虫族は皆そろって音を上げていた。
植物採集班のシンとアシヌと御白頭様は、始めに植樹に必要となる幼木のだいたいの本数を割り出すと、女子供を引き連れて森を探索する。魔物や危険な野生動物に遭遇しないように、あまり深い所まで入り込むことはせずに、出来るだけ近場から探すように心掛けた。勿論、これは幼木の運搬作業も考慮してのことだ。
見付けた手頃な大きさの幼木は、掘り返した根の部分を布で包んで整地班の作業場の近くへと運ぶ。取り敢えず50本。森の中には種が落ち、自然に芽吹いた幼木が幾つも見られたが、これらの多くは大木の間では育つことが出来ない。森の復旧作業は、同時に森の手助けにもなっていた。
次に腐葉土を集めて植樹する箇所に鋤き込み、植樹する箇所に適当な穴を掘る。そして、川から汲んで来た水をそこへたっぷりと流し込む。これも意外だったのが彼らは腐葉土から得られる恩恵を、あまり深く考えていないらしい。そもそも”肥料”という概念があるのかも定かではない。最後に幼木を穴に置いて土を被せて終了だ。
その行程を50回繰り返すのに2日掛かった。
これでも予定よりかなり早く終えたのだ。
アシヌが半馬人族の村に連絡をしていてくれたらしく、2日目の朝には20名もの半馬人族の若者たちが手伝いに来てくれた。更には逃げ出した昆虫族の一部も集落へと戻って来たことで、作業員の数が格段に増え予定よりかなり早く全ての作業を終えることが出来た。
その日の夕食は作業の完成を祝し、昆虫族と半馬人族そして人間族のシンが一緒になって細やかな夕食を囲んだ。幼木を採取に出たついでに採っておいた、少しばかりの木の実と山菜が役立った。
御白頭様がゴルドンを従えて、半馬人族の村を訪れたのはそれから3日後のことだ。シンを通じて事前に来訪の知らせを受けていた半馬人族たちの中には、御白頭様とゴルドンを快く思わない者もいたのは事実だ。だが、その後の御白頭様とゴルドンの誠実な対応と、2人に笑顔で接するシンのお陰もあって、場の雰囲気は予想以上に和やかなものとなった。
それから1週間後、半馬人族の村長と昆虫族の御白頭様の間で、正式な盟約が結ばれた。そして、この出来事を機にシンは名誉村民の称号が授与され、正式に半馬人族の村で生涯を送ることを認められた。そんな彼が奴隷へと身をやつすのは、この出来事から僅か2週間後のことだ。
シンは近隣で最も大きな街である”ぺシャコール”へ買い出しに来ていた。大陸東部で3本の指に入る貿易都市で、このところは昆虫族との盟約のための式典などもあり、何かと街へ来る機会が増えていた。何度かエゼルやアシヌと一緒に訪れるうちに、シンもすっかり街に慣れていた。もっとも人間界出身の彼にとっては半馬人族の村での生活より、ぺシャコールを1人で散策する時間のほうがより自然な暮らしの風景に感じたのだが。
途中の店で長居してしまったシンが、足早に待ち合わせ場所へと向かっている時のことだ。どこからともなく”シン”と呼ぶ声が聞こえた。急いでいたのもあり始めは何かの聞き間違いだろうと思っていたのだが、その声は再びはっきりとシンの名を呼んだ。
「シン、ここアルよ!」
声のする路地裏の隅に人影が見えた気がした。どこか不審に思えたがシンはその路地裏へと向かってみる。自分のことを棚に上げて言うのも何だが、その癖のある言葉使いに聞き覚えがあったからだ。
周囲を気にするように路地裏の角から手招きをするその怪しい人影は、シンが路地裏へ入ったのを確認すると、付いて来いと言わんばかりに更に奥へと進んで行く。
「ちょっと、待つダヨ! どこ行くダヨ!?」
シンの声は間違えなく届いているはずなのに、怪しい人影はどんどんと先に進んで行く。やがて一軒の建物の前で立ち止まって手招きすると、そのまま中へと入って行った。建物の作りはからして元々は何かの店だったのだろうが、既に商売はしていないらしくボロボロだ。壊れた看板が掛かってはいるが、酷く痛んでいて文字は読み取れない。
薄暗い裏路地だけに辺りには人気はない。
どうやら扉に鍵は掛かっていないようだ。
「ごめんください……入るダヨォ」
扉を開けて中の様子を窺って見るが、中も外見に負けじと酷いありさまだ。薄暗い室内からは返事がない。人影がこの建物の中へ入ったのは間違いないのだが。
「おーい、オイラダヨ。シンダヨ……」
その時、奥の部屋から物音が聞こえた。シンはゆっくりと音のした方へと進む。どこからともなくカサカサと気味の悪い物音が聞こえる。”ギィッ”と床板が大きく軋む音に驚いたネズミが、目の前を素早く横切ると、シンは”ヒィッ!”と小さく悲鳴を漏らした。
奥の部屋には沢山の大きな木箱が積み重ねられており、その更に奥には机と背もたれの大きな立派な椅子があった。椅子には誰かが座っているようにも見えるが、シンの位置からでは確認できない。
「勝手にお邪魔したけど……怪しい者じゃないダヨ……」
そう誰に話すでもなく呟きながら、シンはゆっくりと進み椅子の正面を覗き込んだ。だが、そこに座っていたのは丸めた布に服を被せただけの案山子だ。
「原諒我アル」
絞り出すようなその声に振り返ろうとした刹那、側頭部に激しい衝撃を受けシンはそのままの勢いで倒れ込んだ。心臓が脈動する度に、打たれた頭に痛みが走る。
シンが薄れる意識の中で見たのは、痩せこけて薄汚れ無精ヒゲが伸びきった陳だ。カッチャルバッチャル商会の仲間で、主にコンピューター関連の仕事を担当していた彼だ。
「何で……ダヨ……」
シンの問い掛けには何も答えずに、陳は中国語で何かを泣き叫びながら手にした棒でシンを何度も殴り付けた。
気が付くとシンは、仄暗い場所で地べたに這いつくばっていた。暗いうえに視界がぼやけて良く見えないが、掌と頬に伝わる硬く冷たい感触は石のようだ。空気に混じる微かなカビ臭さから、洞窟や地下なのかも知れないと予想するが、実際のところどこに連れてこられたのか見当も付かない。ただ、今自分が置かれている状況は、ぼんやりとした意識下でも明確に理解できている。文字通り”絶体絶命”というやつだ。
体中が軋み悲鳴を上げている。とくに背中から後頭部にかけての痛みが酷い。指で触れると、ドロリとした触感と同時に鋭い痛みが走る。どうやら傷口から出血しているようで、首回りにまで垂れた血が凝固しつつある。
頭に傷を負った場合は、その深さや大きさ以上に激しい出血を伴うことが多い。シンはこれまでに何度もクロと一緒に危ない橋を渡って来た経験則から、治療は必要だろうが取り敢えずすぐに命に関わるようなものではないと判断する。だが、それ以上にこの状況はかなり拙い。素直に今の自分には成す術がないと力なく目を閉じた。
「おい! 起きろ!」
次に目を覚ましたのは、野太い怒鳴り声によるモーニングコールを耳にしたときだ。どれくらい気を失っていたのだろうか。気が付くとシンの目の前には刃物を手にした2人の獣人族の姿があった。
シンはこのとき始めて自分がいた場所が、鉄格子で囲われた牢獄のような場所であることに気付いた。どこからも外の光は差し込まず、鉄格子の向こうの壁の掛けられた蝋燭の灯かりだけが、薄っすらと辺りを照らしていた。
「さあ、起きろ。移動だ」
シンは無理やり叩き起こされたが、すぐに足がもつれてその場に倒れ込んだ。手と足に枷が付けられていた。鉄格子の外に出されると、外で待つ別の仲間たちに刃物を突き付けられながら長い階段を上る。そして、やく外へ出たが外は薄暗く、早朝なのか夕暮れ時なの分からない。
そのままシンは縦4メートル、横2メートル、高さ2メートルの、檻の様な物に押し込まれすぐに鍵を掛けられた。既に中には3人の者たちが端の方で小さく蹲っている。やがてシンたちの乗った檻は、他の幾つもの檻の後ろに連結される。そして、先頭の方に見える黒塗りの大きな馬車に牽かれゆっくりと動き出した。
シンはこのまま2日間移送されることとなる。自分が”奴隷”になったのを知ったのは、街を通り掛かったときに子供が”奴隷の移送馬車だ!”と、オレたちの乗った檻を牽く大きな黒塗りの馬車を指さしたときだ。
この世界に来て始めて会えた人間界の仲間に裏切られた。何度思い返しても「シンの頭の中には”何故”という言葉しか浮かばなかった。
「アニキに会ったのはその後ダヨ。捨てる”紙”あれば拾う”紙”ありダヨ」
シンはそう言ってクロに屈託のない笑顔を見せる。
「神な、神様。まあ、オレは神様なんかじゃないけどな」
「神様のことか? オイラ、紙のリサイクルの話と思ったダヨ」
「何でだよ」
クロが笑いながらツッコむと、シンは頭を掻いてペロリと舌を出しお道化て見せた。
「でも、アニキ。本当にありがとうダヨ」
「ああ。お前も辛かったのに、よく頑張ったな」
そう言ってクロはシンの二の腕をポンと叩く。笑顔を浮かべるシンの目元に光るものが見えた気がした。隣で伏し目にシンを見詰めるロロナとクロの目が合うと、彼女は気まずそうに視線を逸らした。
「って言うかよぉ、シン、お前の説明なげーよ! ぺシャコールで昔の仲間に襲われた件からで十分だろ」
御者台から振り返りながら、冗談めかしてバンガルが言う。同じことを思っていたのか、ラケルドも苦笑いを浮かべながらもバンガルの言葉を否定はしない。ロロナは俯いたままだ。シンは昔から説明が下手だ。それを知るクロは、そんな光景ですらどこか愛おしく感じていた。
「それにしても災難でしたね。ぺシャコールと言えばここからずっと東の街ですね。噂では治安の良い街だと聞いたことがありますが、どうやら必ずしも噂通りではなさそうですね……」
なぜ陳はシンを裏切る様な真似をしたのか。引き籠り気味で3次元の女には興味のない変わった奴ではあるが、陳はカッチャルバッチャル商会の仲間だ。一苦楽を共に過ごして来たはずの同僚を、損得で裏切るような事をする奴ではない。だとすれば彼に何があったのか。すぐにでもぺシャコールに向かい、陳を見つけ出して問い質したい。クロの内心はそんな思いで一杯だった。
「南門が見えて来たぜ」
御者台に座るバンガルが皆に声を掛けると、通りの向こうに立派な石造りの門が見えて来た。一行を乗せた馬車は、そのまま南門の近くにある馬車の修理屋へと向かう。
読んでくれてありがとうございます。
※用語※
・ぺシャコール