39. 決断力
決断力って大事だよね。
屍食族の少女はまるで長い眠りから覚めたかのように、目を擦りながらゆっくりとした動きで上体を起こした。これで背伸びをしながら欠伸でもすれば、朝の目覚めの光景そのものだろう。ただ、違っていたのは起きた場所がベッドの上ではなかったことと、周囲で男たちが見守っていたことだ。
一瞬、驚いたようにギョッとした表情を浮かべるが、状況を確認するように辺りをキョロキョロと見回した少女は、男たちの中にクロの顔を見付けると”ご主人様?”と呟いた。僅かに語尾が上がったのは自分でも定かでないためだろう。
頭で理解できないにも関わらず、本能レベルでクロを自らの主人と認識したに違いない。クロは少女のそのひと言に”隷属魔法”の恐ろしさを実感していた。
「お前に聞きたいことが────」
そう言い掛けたとき扉がノックされた。フィレオノがシンを連れてきたのだ。シンは街で見かけた時とは違い、屍食族の少女と同じ白色のローブに着替えていた。恐らく買い手の決まった奴隷は皆、体を洗浄した後に少しでも見栄えがするように、このローブに着替えてから新たな主人の前に出されるのだろう。
「シン!」
「アニキ!」
クロの元へ駆け寄ろうとするシンを全身鎧の護衛が引き留める。
「感動の再会に水を差して申し訳ないのですが、先に手続きを済ませたいのですが?」
「はい……お願いします」
クロの返事を聞くと早速、チョメスは隷属魔法を唱え始める。クロの血はさっき採った分で足りたらしく、チョメスの持つ小さな筒に再び人差し指を差し込む必要はなかった。屍食族の少女のときと同じように紫色に輝く二重の魔法陣が現れ、一連の儀式が速やかに行われると、シンは膝から崩れるようにその場に倒れた。
「なっ!? シン! 大丈夫か!?」
倒れるシンを受け止めようとしなかったチョメスに、クロは不快感を露わにする。少女と違いシンがかなり大柄だったせいかも知れないが、あのまま倒れたら大怪我しかねないことは十分に理解していたはずだ。
数分後に何事も無かったかのようにムクリと起き上がったシンの額には、目立つ青痣が出来て血が滲んでいた。眉を顰めてそれを見たチョメスは”申し訳ありません。力仕事は苦手なもので”と演技掛かった仕草で言い放つと、フィレオノに傷薬を塗るように指示をして自分は房苺酒に高じる。
「ふぇ? アニキ? 社長?」
シンの第一声はそんな間抜けなものだった。それでも”ご主人様”と言わなかっただけマシかとクロは胸を撫で下ろす。いずれにしろその場に長居は無用と考えたクロは、約束の白金貨1枚と大判金貨1枚を支払い足早に立ち去ろうとすると、いつの間にか背後まで迫ったチョメスがクロの耳元で囁く。
「雌の手枷は外さない方がよろしいでしょう。災いの元となりますので……」
クロが振り返るとチョメスは意味深な笑みを浮かべ”またのご利用をお待ちしておりますよ、クロ殿────”と貴族を思わせる流れるような動きで深々と頭を下げた。
奴隷商チョメスの屋敷を後にした一行は、取り敢えずシンと屍食族の少女の衣服を求めて、午前中に訪れた小人族の古着屋へと再び向かった。奴隷商に与えられた新品の純白のローブは悪いものではなかったが、2人は靴を履いていないうえに、何故か下着も着けていなかった。シンに”何か下がスカスカするヨ”と言われて初めて気付いた。
「おや? 何か買い忘れかい?」
古着屋の店主は不思議な顔でラケルドたちを迎えたが、後に続く白色のローブを着た少女の青白く輝く手枷を目にすると、何となく事情を察したようだ。シンは”デザインがいまいちダネ”などと溢しながらも、鼻歌まじりで店内を物色している。つい先程まで明日も知れぬ身だったというのに、コイツの能天気ぶりは筋金入りだな、とクロは半分呆れたように微笑んだ。
「シン、ブーツなら店番台の前に置いてあるぞ」
「おぉ、ブーツもあるダネ!」
バンガルが”サンダルしか無いダネ”と溢すシンに話し掛ける。道中で軽く自己紹介をしただけなのだが、シンの人懐っこい性格のためか既に長旅を共にした仲のように接している。
屍食族の少女は緊張した面持ちで”ロロナ”と名乗った。その名前に聞き覚えはないが、奴隷は主人に対し嘘を付くことを禁止されているため本名であるのは間違いない。
クロが買物中に小声でロロナに見覚えはないかとシンに確認してみたが”ちょっと若過ぎるけど、なかなか可愛いダネ”と見当違いな答えが返って来た。もしかして自分の勘違いだったのだろうか。そんな思いがクロの中に芽生え始めていた。
シンとロロナ用に洋服、下着、ブーツ、サンダル、雑嚢鞄などを買い揃え、その場で着替えを済ませると、小判銀貨5枚を支払ってクロたちは店を後にした。
後回しになっていた罠の材料を仕入れに行く途中で、シンが腹が減ったと嘆くので、通りの屋台で適当に食料を買い漁る。じつは昼食をしっかり食べたはずなのに、クロも既に小腹が空いてきていたところだった。兎肉の串焼と肉まんに良く似た大きな饅頭を幾つかまとめ買いし、果実水を5人分買って皆に配った。
余程腹が減っていたようで、シンは串焼肉2本と饅頭2つをあっと言う間に完食し、果実水を一気に飲み干し”生き返ったダヨ!”と笑顔を見せる。聞くとチョメスの元では1日に1回、最低限の水と食料した与えられておらず、逆らった者はその僅かな食事さえ抜きにされたらしい。
意外だったのがロロナまでも凄い勢いで串焼肉にかぶりついていたことだ。てっきり女の子は饅頭のほうが食べやすいかと気を利かせたつもりだったが、どうやら肉は大好物だったらしい。クロが”もう1本食どうだ?”と串焼肉を差し出すと、ロロナは少し戸惑った表情を見せる。たが、再びクロが”遠慮しなくて良いぞ”と勧めるとロロナはそれを笑顔で受け取った。
「クロさん、罠に必要なのは網とロープと針だけで良いのか?」
「ああ。取り敢えず今思い付くのはその辺だな」
出来ればガソリンも欲しかったが流石に無理だろう。実際のところ徘徊魔植物に寄生された者が、どのような姿をしているのかさえ知らないクロが作戦を考えるのはかなり無理があった。無論それに使用する罠も、どのようなものが適切なのか予測が付かない。
バンガルが案内したのは網屋だ。まさか網だけを売る店があるとは思っていなかったので、これにはクロも少し驚いた。店内には様々な種類の網が売られている。虫取り網のような物から、乾物を作るのに使う糸と籐で編んだ網、ゴルフの練習場やバッティングセンターに設置されているような1センチ四方の網、網戸のような目の細かい網まで。素材も多種多様だ。
「この網は────」
「それは”猟網”じゃよ」
掠れた声が背後から聞こえる。振り返ると獣人族の老店主の姿があった。体毛には白い物が混じり、背中もだいぶ曲がっている。
「猟網……ですか」
「大型の獣を捕らえる際に使う網さ。良く見ると返しの付いた針がたくさん仕込まれとるじゃろ、獲物がもがけばもがくほど針が引っ掛かり、網が体に絡まって身動きが出来なくなるんじゃ」
「なるほど……」
「その大きさの猟網は珍しいじゃろ? 儂が作ったんじゃ」
そう言ってニヤリと笑った老店主は前歯が1本欠けていた。何とも愛嬌のある顔立ちだ。珍しいのかどうかは猟網を今知ったばかりのクロには判断できなかったが、これはなかなか使えそうな物だと思ったのは間違いない。
「ご主人、これと同じサイズの物は他にもありますか?」
「いや、それだけじゃ。あとはもう一回り小さいものならあるが────」
「両方でお幾らになりますか?」
両方同時に購入したいと言われとは思ってもいなかったのか、老店主は少し取り乱した様子で”小判銀貨1枚なんじゃが……”と歯切れの悪い言葉を口にした。しかし、すぐに”じゃが、銅貨1枚と青銅貨3枚……いや、青銅貨2枚でどうじゃ? 銅貨1枚と青銅貨2枚じゃ!”と興奮気味にブレブレな価格提示をする。
クロ的には小判銀貨1枚でも問題なかったのだが、相手が勝手に値下げしていく様が何となく腑に落ちない。そのとき傍らに置かれていた細く丈夫な紐に興味を示した。
「この紐は?」
「網の使われているのと同じ紐じゃよ。網を買ってくれたらサービスするが? よし、その紐を10メートル付けて銅貨1枚と青銅貨1枚じゃ! どうじゃ!?」
クロが返事をする間もなく価格は更にブレる。このままでは終いには”タダで持ってイケ”と言い出しかねない。心配になったクロは銅貨1枚と青銅貨2枚で良いので、紐を20メートルにしてくれるように交渉する。答えは勿論”OK”だ。
帰り際に老店主が”あそこで更に交渉したほうが良かったかのぉ”などと呟いていたが、とりあえず聞かなかったことにして早々に店を後にした。
「よし。とりあえずこれで罠の材料も大丈夫です」
「一遍に揃ったな。すると、あとは何だ?」
「あとは────」
バンガルの問い掛けにクロは考えを巡らす。当初の予定では移動用住居と乗用の使役動物が欲しいと考えていた。しかし、状況が少し変わった。今やクロは2人の奴隷を従えた”ご主人様”だ。ロロナはいずれ用が済めば解放してやっても良いと考えているが、いずれにしろシンと合流した今となっては、移動用住居も大きな物が必要だし、”馬”ではなく”馬車”が必要だ。
ラインバルトに来てからクロの考えは少が変わっていた。これほど大きな街があり多くの種族がひしめき合っているのなら、無理に山奥で野宿する必要はない。つまり優先するべきは乗用の使役動物。
「なあ、馬車ってのは高いのか?」
「馬車?」
バンガルとラケルドが同時に聞き返す。だが、すぐにそれが3人で移動する際に馬が1頭だけでは不便なためと気付き”なるほど────”と腕組みをして、最も安く手に入れる方法を思案する。
ひと言で”馬車”と言っても陸上、水上、氷上、空中とそれぞれの用途によって作りは大きく異なる。ちなみに一般的に陸上で使用される馬車は”貧乏人の馬車”と”金持ちの馬車”の2種類に分類される。
”貧乏人の馬車”とはいわゆる荷台に車輪が4つ着いただけのものだ。これに日除けのための幌を付けたのが幌馬車だ。商人や農民をはじめ一般市民の多くは、この馬車を使用している。そのほとんどが幌さえ付いていない荷馬車だ。ちなみに今クロたちが乗っているのも同じタイプのものだ。乗用から荷物の運搬まで、様々な用途に用いられる実用性に特化した馬車だ。
それに対し”金持ちの馬車”とは車輪が4つあると言う共通点はあるものの、まったくの別物と考えて良い。屋根付きの装飾が施されたいわゆる箱型車輪だ。主に大族や貴族、都部の豪商などが使用する豪華な作りの馬車だ。移動に使用するのは勿論だが、貴族にとっては馬車そのものの芸術性の高さで、自らの美的センスや財力を誇るためのステイタスとも言える。
通常、馬車は職人に注文して作るものだ。出来上がりには1ヵ月以上、細かな装飾が施された馬車なら、そこからさらに細工職人の手が入り、完成までに1年近く掛かる豪華なものもある。だが、クロが探すのは”貧乏人の馬車”の中でも更に手頃な価格の1台だ。
「そう言えば南門の近くに馬車の修理屋があったな」
バンガルがポツリと呟くと、それを聞いたラケルドがポンッと膝を打つ。
「あっ、たしかに! あそこで聞けば何か良い情報があるかも知れませんね?」
「よし。取り敢えず行ってみるか!」
バンガルは手綱を捌き進路を南門へと向けた。
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※用語※
・ロロナ