31. 階段
書いてるうちに自分でも誰が主人公なのかわからなくなる(笑)
重厚感のある門の前には2人の門番の姿があった。揃いの全身鎧に絡み合う棘の紋章が刺繍された真っ赤なマントを羽織っり、小脇には綺麗に磨かれた槍を携えている。名の知れた豪商ならば邸宅の前に粗末な槍を持った程度の門番を立たせることもあるが、クロたちの目の前に立つそれは、上位の爵位を拝した貴族のお屋敷前に立つ門兵を思わせた。
「奴隷商ってのはずいぶんと儲かるみたいだな……」
バンガルが感心するように呟く。
奴隷商チョメスの屋敷を見つけ出したクロたちは、屋敷の正門に向かう前にシンを救出するための作戦を練った。ただし、作戦と言っても公に奴隷制度が認められているこの世界で、シンを強奪すれば罪を問われるのはクロたちなのは言うまでもない。そのため、いかにしてシンを買い取るかが話しの焦点となる。
そもそも奴隷商が扱う奴隷の大半は下級奴隷だ。物と同じように売買される下級奴隷にくらべて、上級奴隷の取り扱いは手間が掛かるわりに、”販売”ではなく”斡旋”という形式となるため利益は薄い。ただし、一流の上級奴隷ともなると王侯貴族などからの需要もあり、その斡旋利益は莫大なものとなった。
そのため下級奴隷の販売のみを行う奴隷商や、上級奴隷の斡旋を専門とする奴隷商など、どちらか一方のみに特化する奴隷商もあるほどだ。
下級奴隷を購入するには奴隷市で競売に参加する他にも、奴隷商の元へ直接足を運ぶ方法があがり、どちらの方法にもメリットとデメリットがあった。
奴隷市で競売に参加する場合は、たくさんの奴隷の中から気に入ったものを選ぶことができ、場合によっては値打ちのある奴隷を安く競り落とせる可能性もある。その場の需要と供給で価格が決まるため、ある意味とても分かりやすく公平と言える販売方法だ。ただし、奴隷が不足すると価格が高騰することもあり、奴隷市の開催が数か月に一度であることから、すぐにでも奴隷を必要とする者には不便と言えた。
一方で奴隷商を直接訪れた場合は、いつでも奴隷を購入することが可能だ。ただし、経験の浅い者には価格の交渉が難しく、奴隷市よりも高い値段で購入させられる事となる。また、一般的に奴隷商は奴隷市の開催に合わせて奴隷の数を増やしていくため、タイミングによっては売れ残りの奴隷を当てがわれる場合も少なくない。
クロは奴隷商との交渉を上手く進める必要があった。
そのためにはまず、どうしてもシンを助け出さなければいけないという事実を、奴隷商に悟られてはいけない。街でクロがあっさりとシンに背中を向けたのはそのためだ。
「奴隷というのは普通はいくらくらいするんだ?」
「うーん、そうだなぁ────」
クロの問い掛けにバンガルは腕組しながら考える。奴隷の相場を知らないわけではない。一瞬だけ御者台の上からし掛けただけの、クロが話し掛けていた人間の奴隷の値踏みが難しかったからだ。
下級奴隷とは言えその相場は幅広く、安いものでは小判銀貨1枚にも満たないものから、高いものでは白金貨10枚以上の価値を有する場合もある。
飼い主の”所有物”となる下級奴隷の価値はその”状態””希少度””能力”が大きく関わる。
状態とは即ち奴隷の年齢、性別、健康状態などを指す。健康状態以外の2つに関しては、更に用途により価値が変化する。例えば”労働力”としての選択と、”身の周りの世話係”としての選択ではまったく違った内容が求められる。一般的に労働力であれば力強く健康な青壮年の男性が好まれ、身の周りの世話係としては比較的若い女性が選ばれることが多い。
希少度とはその奴隷の種族などを指す。文字通り希少度の高い種族であれば、そのぶん高額での取引となる可能性が高い。これには一部の貴族たちの間で流行している、希少種族を奴隷として侍らす行為が寄与している。また、種族によっては男女の比率に極端に差があるものもあり、そうした場合も少ない比率の性別は高額取引の対象となることが多い。ちなみに奴隷は勝手に子を生す権利を認められてはおらず、所有者の許可で生された子の所有権はその親を所有する者に属する。
能力とはその奴隷の有する能力全般を指す。剣の腕や身体能力に優れた者、魔法や薬草などの知識に優れた者は勿論、炊事家事などに優れた者など。有用な能力を持つ奴隷は、その能力の内容によって、ときに驚くほどの高額取引の対象となる場合もある。
バンガルの見立てではシンの健康状態は良好とは言えない。人間族と言う種族は奴隷の中でも比較的人気のある種族ではあるが、彼の能力に関してはまったく評価不能だ。
「クロさん、彼は何か特別な能力は持っているか?」
「能力────」
日本語以外に3ヵ国語を操るシンは語学に明るいと言える。ただ、自分自身もそうだがこの世界に来てからと言うもの、不思議なことにどんな種族を相手にしても今のところ言葉に困ったことがない。それ以外と言えば、もし明るくお調子者なことが能力と呼べるのであれば、シンもかなりの能力を秘める存在ということになるのだろうが。
「とくに能力はない」
「そうか。だとすれば、安ければ小判金貨5枚から6枚、高ければ大判金貨1枚ってとこじゃねえか?」
需要と供給のバランスにより相場が変動するという意味なのだろうが、それにしても小判金貨5枚と大判金貨1枚では10倍もの差がある。
クロは雑嚢鞄から硬貨の入った布袋を取り出して中を覗き込む。穴隙金貨が2枚と何枚かの小判金貨と大判銀貨が見える。始めに比べるとだいぶ減ったが、上手く話を進めればシンを取り返すのも可能な金額のはずだ。
「なあ、クロさんオレに妙案があるんだ。試してみないか?」
バンガルはそう言うとクロとラケルドに内容を説明した。
「よお、チョメスさんはいるかい?」
バンガルは斜に構え門番の1人に語り掛ける。
「失礼ですが、どういったご用向きでらっしゃいますか?」
「いや、チョメスさんがいねえなら別の者でもいいんだ。ちょっと安い下級奴隷を買い受けたくってな」
「少々お待ちください」
1人の門番が脇門の小窓から内部で待機する者に、下級奴隷を買いたいと言う者が来ていると連絡をすた。すぐに入館の許可が下りると、正門が重厚な音を立てながらゆっくりと開かれ、バンガルを先頭にクロとラケルドは中へと案内される。
館の扉が開くと中から、薄灰色の装束に身を包んだ魚顔の獣人が姿を現し3人を出迎える。
「いらっしゃいませ。私はチョメス様の執事を務めるフィレオノと申します。本日は奴隷をお探しとお聞きいたしましたが、上級奴隷と下級奴隷、どちらをお求めでらっしゃいますでしょうか?」
「下級奴隷だ」
「畏まりました。では、ご案内いたします。こちらへどうぞ」
そう言うとフィレオノは館の中ではなく、そのまま正面を素通りして屋敷の裏手へと向かう。バンガルたちが不思議に思いながらも後をついて行くと、やがて小綺麗な白色の小屋が見えてきた。客を待たせるためのゲストハウスのようなものなのだろうか。そんなことを考えながら建物へと入ると、中には地下へと続く大きな階段の入口が見える。
「明かりを点けますので少しお待ちください」
フィレオノは燭台に刺された太い蝋燭に、手際良く火を点けて手にすると、ゆっくりとした足取りで真夜中を思わせる真っ暗な階段を先へと進む。やがて階段の中程まで降りると、壁面に設置されたランプに火を灯した。じんわりと橙色の明かりが広がり、バンガルたちの眼下に下階への長く急な階段が姿を現した。
「足元にお気を付けになってお進み下さい」
その言葉通り3人はゆっくりと踏面に足を下ろす。手摺がないため、壁に手を付きながら慎重に進むと。下手に踏み外せば3人纏めて下まで転がり落ちそうな急峻な階段だ。階段を降りると間もなく小部屋があり、正面には鉄板で補強された頑丈そうな扉が1つ見える。フィレオノはその扉の前に立つと、ガチンッと鈍い音を立てて鍵を開けた。
「どうどこちらへ」
天井に見える2つの空気孔らしき小さな穴から差し込む明かりが、真っ暗な部屋の奥行きを感じさせる。それでも十分に空気が循環していないためか、籠った空気には僅かに糞尿の臭いが混じる。薄暗い部屋の奥からは、薄気味の悪い呻き声やすすり泣きが聞こえる。
フィレオノが感情を感じさせない動作で明かりを灯すと、その部屋の全貌が3人の瞳に映し出された。両端に3メートルほどの間隔で仕切られた、小部屋が奥行きのある部屋の突き当たりまで幾つも続く。1部屋に7人ほどの奴隷たちが入れられており、性別だけで区別されているらしく、種族や年齢や身長はバラバラに見える。
ほとんどの奴隷たちは部屋の隅で小さくなっているが、中には立ち尽くしたまま中空を眺める者や、鉄格子の隙間から何かを訴えかけるように呻き声を上げながら手を伸ばす者も見える。
「お客様方は実に運がよろしいようです。ちょうど2日後に奴隷市が予定されているので、今なら調教の行き届いたお買い得な奴隷が豊富にご用意できます」
フィレオノがわざとらしく抑揚をつけた口調で、何度も使い古されたセールストークを展開する。ただ、その言葉で通りざっと見ただけでも150人近い奴隷が収容されているようだ。
「ご予算や、お求めの種族や性別などございましたら、お気軽にお申しつけください。よろしければこちらで条件に合う者をご紹介させていただきます。また、購入手続きがお済みになりましたら、お引渡しの前に全身洗浄後にある程度身なりを整えてからお引渡しとなります。少々お時間をいただきますのでご了承くださいますよう」
再びフィレオノがマニュアル通りの長台詞を一本調子で説明する。
「少し見せてもらってもいいか?」
「勿論でございます」
そう答えるとフィレオノが準備した別の燭台をバンガルに差し出した。バンガルは”さあ、クロさん”と受け取った燭台をそのままクロに手渡す。この中からシンを見付けるのはクロの役目だ。
「お前たち、立ち上がって一列に整列しなさい」
メリハリのない平坦なフィレオノの言葉に、背中を跳ね上げて奴隷たちが立ち上がる。それほど驚くような内容ではなかったはずだ。恐らく従わなかった場合には彼の言う”調教”が待っているのだろう。
クロは部屋ごとに立ち上がって一列に並ぶ奴隷の顔を確認していく。獣人族が多いようだが、それ以外にも様々な種族の老人から子供までが収容されている。中には豚面の怪物と化したクロですら可愛く見える悍ましい様相の者や、腕が4本ある大型の昆虫を彷彿とさせる者までいる。
目が合った瞬間に子供の奴隷が今にも泣き出しそうになる。どの奴隷も生気を失った瞳をしているが、中には怪我のせいなのか、それとも病に侵されているのか、立っているのもやっとといった様子の者までいる。とんでもない場所だ。早くシンを助け出さなければ。
クロは内心で焦りを感じ始めていた。
読んでくれてありがとうございます。
※用語※
・フィレオノ