27. ブルクハットの防具屋
ようやく街に入ります。
焦らしちゃってごめんなさい。
ラインバルトの北門前に到着したクロたちは馬車を厩舎に預けて、代わりに借りた小さな馬車へと乗り換える。自分が一緒に行くべきでないことを悟ったのか、シロは水棲馬の繋がれた厩舎の屋根の上で首を傾げながら一行を見送っている。初めて会ったときからそうだが、シロは本当に頭の良いヤツだ。厩舎の主が顔見知りなためか、とくに面倒な手続きがあるわけでもなく、軽い挨拶をして日帰りであることを告げるとそのまま北門へと向かった。
遠くから見ても門の巨大さには驚いたが、近くで見ると更に立派な造りであることが理解できる。これを重機もなしにいったいどうやって造ったのか不思議でならない。
門前にある詰所前には数人の鎧姿の衛兵が見える。手には長槍を携えはいるものの、厳しい検査があるわけでもなさそうだ。入街料として銅貨を1人につき1枚支払い許可書を発行してもらう。許可書には滞在可能期限が記入されており、それを過ぎる前に街を出るか滞在の延長手続きが必要らしい。
重厚な門構えに圧倒されるクロは、余程厳しい入街手続きなどがあるのかと身構えていただけに少し拍子抜けした。ちなみに延長手続きをしないとどうなるのかとラケルドに訊ねると、見付かった場合は罰金か支払いが出来ない場合には拘留され、3日以内に支払い手続きがなされない場合は奴隷にされるらしい。
ラケルドが何食わぬ顔で説明する”奴隷”の言葉にクロは耳を疑ったが、この世界では奴隷自体はまったく珍しいものではなく、奴隷も大別すると”契約奴隷”と”強制奴隷”の2種類に分けられる。
契約奴隷とはその名の通り奴隷として奉仕することで何らかの報酬を得ることが出来る奴隷のことで、別名”上級奴隷”とも呼ばれる。多くの場合、男性は貴族や豪商の労働力や護衛として、女性は身の周りの世話係として雇われることが多い。傭兵や冒険者との違いは、契約が切れるまで奴隷には仕事の拒否権はなく、報酬の内容も雇い主によって様々だが、往々にして不当に安い賃金での労働を強いられることが多い。
契約が満了となった上級奴隷は晴れて解放され、一般人として同じ主人に雇われるも良し、別の街で新たな人生を送るも良し、選択の自由が与えられる。ただし、こうして解放された奴隷は、その後も”解放奴隷”と呼ばれ一般人との婚姻は許されておらず、別の街で新たな人生を送るためには、かなり離れた街にでも移住しない限り差別の対象となることが多かった。
強制奴隷とは犯罪を犯し奴隷に身をやつした者や、上級奴隷から格下げとなった奴隷のことで、別名”下級奴隷”とも呼ばれる。ラケルドの言う入街の延長手続きを行わずに拘留された者の成れの果てがこの下級奴隷だ。同じ”奴隷”ではあるが上級奴隷との差はかなり大きい。下級奴隷に与えられる権利は限りなく無に等しく、一般的に家畜などと同等の扱いとなる。上級奴隷に対し辛うじて”契約”という言葉が使われるのに対し、下級奴隷の場合は”所有”という表現に変わることからもその差は顕著だ。
クロは何気なく手渡されたその許可証のあまりの軽さに、不気味な恐怖感を覚えた。
「おお、これは────」
馬車で北門を潜った先に広がる光景を目にしたクロは思わず呟いた。街の中には中世ヨーロッパを彷彿とさせる石畳が敷き詰められ、通りに面して建ち並ぶ建物の多さには近代国家を思わせる文明の香りが感じられる。行きかう馬車や忙しそうに通りを歩く人の波に感じる活気は、この世界に来て初めて覚えるものだ。
「ここがラインバルトの北側地区です。どうですかクロさん?」
「凄いな」
ラケルドの問い掛けに、月並みな感想がクロに口を突いて出る。それは紛れもない本心であり”凄い”のひと言に、今の彼の思いが全て込められているのは、その表情を見れば容易に察することが出来た。
「ラケルド坊ちゃん、まずは防具屋へ向かっていいんだよな? てことはブルクハットの店でいいのか?」
「はい。そうしましょう。あそこなら防具の質も安心できますし、隣接する古着屋で衣服も手に入ります」
どうやらそこはバンガルも知っている店のようだ。馬車は中央通りを右へ入り、防具屋の建ち並ぶエリアへと向かう。
通りのいたる場所に屋台が立ち並んでいる。見ようによっては縁日の出店のようで、それが中世ヨーロッパ風の景観と相まって、どこか多国籍な雰囲気を漂わせている。串に刺した焼肉を売る店や、木の器に入った汁物を売る店、クレープによく似た薄手の生地に味噌のようなタレを塗って提供する店、揚げ菓子や飴細工のようなものを並べる甘味屋など、食の豊かさは”塩虫”を見付けるまで味気ない肉を空腹を満たすためだけに頬張っていたサバイバル生活とは雲泥の差だ。
途中の屋台の前でラケルドが馬車を止めるようにバンガルに頼んだ。馬車を飛び降りて駆け足で屋台に向かうと、ラケルドは短い棒のようなものを3本手にして足早に戻って来た。そして、クロとバンガルに1本ずつそれを手渡す。
「こ、これって、もしかして────」
手渡された串の刺さった円筒状の物体を見つめながら、クロは驚きのあまり言葉を失う。そんなクロのリアクションを見て喜ぶ2人は、既にその円筒状の物体を舌先でチロチロと舐めながら独特な冷たさを楽しんでいた。
「アイスなのか?」
「はい。アイススティックです。あれ、クロさんもしかして食べたことありました?」
躊躇なく口にしながら言うクロの反応に意外なものを感じながらも、ラケルドとバンガルは嬉しそうにアイススティックを舐める。街並みを見て勝手にその生活水準も、中世ヨーロッパ並みだろうと予想していただけにアイスを作る技術を持つことには驚いた。クロにしてみれば嬉しい誤算である。ラケルドがアイスを舐めるのはまだしも、バンガルが目を細めながらチロチロと舌先でアイスを舐める姿は何ともシュールだ。
「防具屋の多いエリアが見えて来たぞ」
御者台に座るバンガルが指さす通りの先に、毛皮や革製品、金属部品の使われた胸当てや籠手などが所狭しと並べられる店が軒を連ねる。
「少し先の左手に大きな赤色の屋根で、両端に巨角牛の角が着いた看板の店があります。そこがブルクハットさんの店です」
ラケルドが説明すると間もなく、話通り巨大な角の着いた特徴的な看板が見えてきた。先に馬車から飛び降りたラケルドが店頭で品物の整理をしている体格の良い髭の男の元へ駆けて行く。暫くすると2人一緒に馬車の方へと歩み寄って来た。
「やあ、バンガル。久しぶりだな」
「おお。爺さん元気そうだな」
体格の良い髭の男が話し掛けると、バンガルも気心の知れた仲のように答える。どうやら彼がブルクハットらしい。
「はじめまして。オレはそこの汚い店の主人のブルクハットだ。まずは遠慮せずに品物を見て行ってくれ」
髭を撫でつけながらそう言うと、ブルクハットは気さくな笑みを浮かべながらクロたちを店へ誘った。クロはラケルドの顔色を窺うが、問題なさそうなのでそのままブルクハットの後に着いて革鎧や籠手が並ぶ店へと入った。
店内は狭いながらにも2部屋に分かれており、手前の部屋には主に革製や一部に金属を使用した防具が並び、奥の部屋には鎖帷子や金属製の全身鎧などが並べられていた。その他の小物類は店の隅にある店番台の横に並べられており、建物自体も古いながらも手入れが行き届いているのがわかる。
「ラケルドの話だとかなりの使い手らしいな。バンガルを負かすなんて大したもんだ」
「いや、そんなことは────」
突然ブルクハットにそう言われてクロは返答に困り、思わずラケルドに視線を送る。
「そうさ爺さん。このオレを負かしたんだからクロさんの強さは本物さ!」
何故か誇らしげにバンガルがクロの肩に手を掛けて答える。それ以上話をややこしくしないでくれと言わんばかりにクロは”品物を見せていただきます”とだけ答えると、そそくさと逃げるように鎧を物色する。
店内をぐるりと見て周ったクロは、最初から金属製の全身鎧などの重厚な鎧には興味を示さず、革製の鎧の物色を始めた。
磨き上げられ飴色に鈍い輝きを放つものや、革そのままそ素材感が引き立つ黄土色の艶のないもの。金属製の板が張り付けてあったり、全体にまんべんなく金属製の鋲が打ち込まれたものなど。革製の防具と言ってもその材質や加工技術でずいぶんと種類があるものだ。手にしてみると思った以上に重い物もあり驚いた。これほど種類があると流石に迷う。クロはそんなことを思いながら所狭しと並べられる鎧に目をやる。
ふとラケルドに目をやると、厳つい突起部分が武器の役目をしそうな金属製の籠手に見入っている。思い起こすと集落にいた蜥蜴人種の多くは革製の防具を身に着けていた。バンガルも簡素な革製の胸当てを着けているだけだ。彼らの頑丈な皮膚はそれ自体が革鎧に相当する強度を持つだろう。武器に比べて防具が粗末な印象を受けたのはそのためか。
「革鎧がお望みかい?」
「そういう訳ではないんですが、あまり重くて動きにくそうな物はちょっと────」
「ちょうど良い物がある。あれなら豚面人種のお前さんにもちょうど良いかも知れん。ちょっと待っててくれ」
そう言ってブルクハットは店の奥にある棚から、薄っすらと埃の被った大きな箱を2つ取り出すと、バンガルに手伝ってくれるように頼み2人がかりでそれをクロの前まで運んだ。彼の話ではもともとどちらも注文を受けて作った物なのだが、注文主が亡くなったり行方知れずになったりで、そのまま仕舞いっぱなしになっていた品物らしい。
1つ目の箱に入っていたのはこげ茶色の胸当てだ。革の表面が薄っすらと濡れたような感触なのは巨大蟇蛙という魔物の皮を使用しているためで、水に強く表面の湿り気が虫刺されの予防になると言う。
確かに森でサバイバル生活をしていたときに”激痒蚊”に刺されて大変な目に合ったことがある。しかし、全身スーツならまだしも胸当てでは、胴体以外は普通に虫に刺されるのではないのだろうか。その疑問を投げ掛けるとブルクハットは”確かにそうだ”と神妙な表情で頷く。そもそもご丁寧に足ヒレ付きのブーツまで入っているが、注文主はどこで戦うことを想定して注文したのだろうか。
気を取り直して2つ目の箱を開ける。入っていたのは特徴的な紫色がかった茶色の革鎧だ。胸と肩口に鉄製の鋲が打ち込まれており、見るからに頑丈そうな作りになっている。しかし、手に取ると予想外の柔靱で軽量なその鎧にクロも思わず驚きを露わにした。
「翼竜の皮で作った革鎧さ」
それを見たブルクハットが得意気に説明をする。翼竜。その単語に一瞬目の前が眩むほどの衝撃を受けながらも、クロの目は鎧に釘付けになっていた。
ブルクハットによると軽くて丈夫な翼竜の皮の中でも、最高級と言われるロストランド産の翼竜の皮で作られた革鎧らしい。以前に注文を受けて作った物なのだが、手付金だけ貰って出来上がる直前に冒険者だった注文主が事故で亡くなってしまったらしい。ある意味曰く付きの品ではあるが、品物の良さはクロにでもひと目でわかった。試着してみるとサイズもちょうど良さそうだ。
「本来なら穴隙金貨を3枚貰っても安い品物だが、既に手付で穴隙金貨を1枚貰ってもいるし、内容が内容だ。穴隙金貨を1枚でどうだ?」
「小判金貨8枚で……どうでしょう?」
すかさず答えたクロの言葉にブルクハットが厳しい表情を浮かべる。だが、すぐに納得したように大きく頷くと”よし、売った!”と威勢良く声を張り上げた。斯くしてクロの最初の買い出しはこの革鎧となった。
読んでくれてありがとうございます。
※用語※
・契約奴隷(上級奴隷)
・強制奴隷(下級奴隷)
・解放奴隷
・ブルクハット
・巨角牛
・翼竜