23. 食人鬼
気が付けば8月。
セミうるさいネ♪
「鉱抗人族ってのは何でこうも無鉄砲なの? それとも混じってる巨人族の血がそうさせるのかしら?」
「ウングラ、仲間内でお互いの種族のことは言いっこ無しだろ?」
「がっはっは。すまんなウングラ、先程はお陰で助かったぞ」
麻痺吐息を喰らいまだ動きがぎこちないバルザックに毒突くウングラをたしなめるような口調でオッホスが言うが、当のバルザック自身は気にした様子もなく高笑いを上げる。戦闘の緊張から解き放たれたせいか、傭兵たちは既に詰所で出会った今朝のリラックスした雰囲気に戻っていた。
「でも、ウングラさんの言うことも一理ありますよ。いくら頑丈なバルザックさんでも不死身ではないんですから。無茶してもらっては困ります」
アネモスが身を案じて忠告するが、当のバルザックは”大丈夫さ、問題ない”と再び大きく高笑いを響かせる。それを見たオッホスは苦笑いを浮かべ、ウングラは”一度命を失って神殿にでも放置されなきゃダメみたいね”と冷たい視線を投げ掛けると、嫌気が差したかのように会話の輪から距離を置いた。
ムンドは独り捕らえた巨大な魔植塊を見詰めながら考えていた。村から距離があるとは言え、よくもここまで成長した個体が潜んでいられたものだ。ひょっとするとこの山中にはまだ自分の知らない恐るべき魔物が潜んでいるのかも知れない。そう思い辺りを見回すと、木の陰や草むらの向こうから、新たな魔物が姿を現しそうな気がしてくる。
この魔植塊にしてもいずれ街道を通る者や、村外れで畑を造る者に甚大な被害が出たに違いない。そう思えばここで討伐できたのは本当に幸いだ。グランツたちが詰所に報告に来てくれた功績は大きいし、バルブがアネモスたちのような腕利きの傭兵を準備してくれたお陰だ。
それだと言うのに。
ムンドは自分の不甲斐なさを恥じる。
自分はただ自らに降り掛かる火の粉を必死で払っていただけだ。魔植塊を捕らえることが出来たのは全てアネモスたちのお陰だ。自分がここに居なくても何の支障もなく完遂したことだろう。
あぁ、私はまたバルブ大僧正の顔に泥を塗ってしまったのか。そう思うと胸が締め付けられるように苦しい。ムンドの呼吸は次第に荒くなっていった。ダメだ。耐えろ。ムンドは心の中で自らに言い聞かせるように叫ぶ。幼い頃に寺院の門前でバルブ大僧正に拾われ、ジャガパンタの教えに帰依すると同時に与えられた衣食住と、バルブに読み書きや武芸の手ほどきを受けることで同世代の中でもいち早く頭角を現した。その甲斐あって希望する衛僧の役にも着任し、駆け足で副衛僧長となった後に、衛僧長へと任命された。
この若さで衛僧長の任に着くのは稀なことだった。痛み、悲しみ、寂しさ、精神的にも肉体的にも多くの辛さに耐えこれまでやってきた。それもこれもバルブに褒められたい、認められたいという一心によるものだ。
どこからともなくどす黒い霞が立ち込める。ムンドは脊髄反射的にそれを振り払おうとするが、それは瞬く間に辺りを漆黒に染め上げて彼女自身を飲み込んだ。呼吸が苦しい。まるで全身を真っ黒な薄い膜で覆われているかのようだ。ムンドは必死に空気を取り込もうと大きく口を開けて足掻く。しかし、無情にも意識が薄れ遠のいていく。
この感覚は何度か味わったことがある。
「衛僧長殿、顔色が優れないようですが?」
「うん? まさかオレの麻痺が治まってきたと思ったら、今頃になって衛僧長殿に効き目が現れたわけじゃないだろうな? がっはっは────」
心配そうに問い掛けるアネモスをよそに、バルザックが冗談めかした口調で話し大笑いする。”ギリィィィーン!!”直後にバルザックの笑い声を遮るかのようにカンパネッロの警笛が鳴り響いた。
「おいおい、今度は何だ!?」
「リ、リーダー……こりゃもしかして!?」
バルザックが何事かと言った様子で辺りを見回し、その背後でうずくまり小刻みに震えるムンドの姿を見てオッホスが叫んだ。
「包囲網を展開してください!」
即座に反応したウングラが腰の鞄から取り出した投網を放ったが、野獣のような身のこなしでそれをかわしたそれは、凄まじい跳躍で包囲網を飛び越えてアネモスたちの眼前に立ちはだかった。
全身にどす黒い霞を纏い、美しかった褐色の肌は霞で染まったかのように黒い。四つん這い姿で紅く爛々と輝く瞳で周囲を見回すその姿には、最早あの凛とした佇まいの衛僧長の面影はまったく残っていない。額の中央から突き出る螺旋状の角が彼女が何者であるかを雄弁に語っていた。
「対象確認! 食人鬼ですぜ!」
「まさかこのタイミングで現れるとは……かなり素早いです。オッホスさん、ウングラさん、まずは足止めを! バルザックさん、くれぐれも討伐は厳禁ですよ!」
オッホスが変わり果てたムンドの姿を見て”食人鬼”であることを確認すると、続いてアネモスが声を張り上げる。
「そんなことは、わかってる……よ────っと!」
そう言いながらもバルザックは、食人鬼と化したムンド目掛けて勢い良く戦斧を振り下ろした。しかし、後方へと跳んで楽々それをかわしたムンドは、四つん這いのまま顎まで届く紫色の舌でベロリと舌なめずりし、バルザックたちを見据えて笑うように喉を鳴らした。
「バ、バルザックさん! 何をしてるんですか!? 討伐厳禁って言ったじゃないですか!」
「何だよリーダー、討伐なんかしてないだろ? リーダーが素早いって言うからどの程度なのか、ちょっとした小手調べさ。それにしても本当にすばしっこいヤツだな」
アネモスが慌てて忠告するも、バルザックは新しい玩具を与えられた子供のように嬉々として答える。オッホスとウングラは両翼からクロスボウと手投げナイフで、ムンドへとけん制攻撃を仕掛ける。この十字砲火さながらの攻撃で対象との距離を作り、更にバルザックが正面からの攻撃を防ぎ、その隙にアネモスが魔法を発動させるのが”疾強風”の必勝パターンの1つだ。この方法でこれまでに討伐も捕獲も数多く成功させてきた。
だが、ムンドはけん制の両翼からの攻撃を軽々とかわすと、ふわりと跳躍してバルザックを飛び越えアネモスの目の前へと降り立った。狂気に満ちた笑みを浮かべるムンドと、虚ろな表情を浮かべたまま詠唱を続けるアネモス。2人を取り囲むバルザックたちの背中に冷たい汗が流れる。魔法の詠唱に集中しているアネモスはまるっきりの無防備状態で、ナイフを手にすれば幼児ですら彼の息の根を止めることができた。
黒い霞を纏った野獣のようなムンドの長く鋭い爪が、目の前に佇むアネモスの胴体を縦断する。今やムンドの爪は、並の刃物など足元にも及ばないほどの切れ味となっていた。
オッホスのクロスボウとウングラの手投げナイフが放たれたのは、アネモスが真っ赤な血しぶきを上げる寸前のことだった。バルザックの戦斧が振り下ろされたのは更にその後だ。ひらりと身を翻して全ての攻撃をかわしたムンドは、バルザックたちの追撃を警戒してアネモスから距離を置いて、自らの爪に残る新鮮な血の味を楽しみ歪に顔を綻ばせる。
これまでに味わったどの血の味より格別だ。ムンドは満足気に目を細めると、今度は素早く蛇行を繰り返し、放たれた矢と手投げナイフをかわしつつオッホスへと迫る。そして、次の矢が放たれるより早く、漆黒の爪が構える弓ごとオッホスの左手を掻き上げる。
弓を手放したオッホスも咄嗟に腰のナイフに手を掛けるが、ムンドは空中で前転しながら長剣のような鋭い尾で斬り付けた。たまらず後退するオッホスの左腕から血が滴る。その間にウングラが両手にナイフを構えてムンドに肉薄するが、2本のナイフは虚しく空回りするばかりだ。焦ったウングラが必殺の一撃を叩きこもうと大振りになったところで、ムンドはクルリと身を翻し黒く鋭い尾でウングラの胴を真一文字に切り裂いた。
激高したしたバルザックは大盾を投げ捨てて、戦斧を構えてムンド目掛けて捨て身の突進をする。だが、食人鬼と化したムンドにしてみれば鈍重な彼の動きは、まるでスロー再生の動画でも見るかのようなものだ。振り回す戦斧を危な気なくかわすと両腕と首筋に素早く斬り付ける。血だらけになり戦斧を握ることが叶わないバルザックは、それでも岩のように大きく硬い拳を振るいムンドへと立ち向かう。その大振りな攻撃を易々とかわしつつ、あざ笑うかのようにムンドは幾度もバルザック目掛けて鋭い爪を叩き込んだ。
ちょうど10度目にムンドの鋭い爪がバルザックの首筋を深々と斬り裂くと、流石に強靭な彼も糸の切れた人形のようにその場に膝から崩れ落ちた。
一面が血で染まる山中に静寂が訪れた。
返り血を全身に浴びたムンドは独り悦に浸る。
”リーン、リリィーン”至福の時に水を差す耳障りな鐘の音。それは次第に大きくなり辺り一面に広がっていく。見えない無数の鈴が自分の周囲を飛び回っているかのようだ。食人鬼と化したムンドですら、その異様な雰囲気に警戒心を露わにする。
「ムンド衛僧長、いやムンド────」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこには師と親と仰ぐバルブの姿があった。何故ここにバルブが。食人鬼と化したムンドの中の僅かな理性が、彼女を狼狽え後退りさせる。
不意にムンドの背中が何かにぶつかった。振り向きざまに鋭い爪を向けようとすると、そこにバルブの姿が。何も言わずにムンドを見詰めるその瞳は、まるで”その爪で儂をどうする気じゃ?”と問い掛けるかのようだ。先程まで目の前にいたはずのバルブが一瞬にして背後に現れたこと以上に、事故とは言えそのバルブに一瞬でも爪を立てようとしたことへの動揺の方が遥かに大きかった。
違う。そんなつもりでは。ムンドは内心で叫ぶ。
「何が違うものか。自らの姿を見てみよ」
黒く禍々しい霞に覆われ血に濡れた体。本当にこれは私なのか────。我に返ったムンドは血の海と化した周囲の惨劇を見回す。その時、血みどろのアネモスがムクリと起き上がる。ゆっくりとした足取りで俯きながら全身から血を滴らせ、一歩また一歩とムンドへ歩み寄る。アネモスは既に懐深くまで肉薄していたが、屍と化した彼からその息遣いが聞こえることはない。
「捕獲完了です」
気が付くとムンドは縄で縛られ、”疾強風”の面々に取り囲まれていた。
読んでくれてありがとうございます。
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※用語※
・巨人族