11. 慮外
ちょっと長めです。
少しずつ初期のイメージとずれてきてますが…。
とりあえず更新。
目の前には強者と形容するのにピッタリな、蜥蜴と言うよりは鰐を思わせる屈強な蜥蜴人種が立っていた。黒緑色の皮膚はあまりにも頑丈で、それだけでも大抵の攻撃を防いでしまうであろう存在感を放つ。黒緑色の蜥蜴人種はオレよりも30センチ以上は高い視点から、狂気に満ちた熱い視線を投げかけていた。
何故こんなことになった。オレは掴み掛けた幸運が指の間からサラサラと音を立てて流れ落ちるのを感じながらも、理由もわからないまま自らに降り掛かる火の粉を必死に振り払っていた。
ラチ―タを家まで送り届けひと仕切り”ごめんねボクのせいで””いいえ、ラケルドさんのせいなんかじゃないわ””でも────”と、イチャイチャな展開を背中がムズ痒くなるような思いで静観した後に、オレはラケルドの家へと案内された。
「クロさん、ご馳走を準備しますから、たくさん召し上がってくださいね!」
蜥蜴人種の生活ぶりを見る限り、ラケルドの言葉に過剰な期待を寄せるのは無意味だと思っていたのだが、父親が集落の酋長であるというラケルドの家を前に、その思いがただの杞憂でしかないことを確信した。
オレたちの目の前には、一般的な移動式住居とは一線を画す建築物がそびえ立っていた。それはとても移動式の住居とは考え難い巨大かつ重厚な作りで、骨格となる支柱の太さや材質自体が特別製であろうことが素人目にも見て取れる。
「凄い建物だな────」
「これでもだいぶ小さくなったんです。昔の酋長の家はこの倍以上あったらしいですよ」
オレの言葉にラケルドは平然とそう答える。
「お帰りなさいませラケルド坊様」
「ただいま、テナさん。お客様を連れて来たからご馳走の用意をお願いします」
「畏まりました」
ラケルドは出迎えてくれた”テナ”と呼ばれる、明らかに自分より年上に見えるメスの蜥蜴人種にそう命じた。彼女はこの家に仕えるメイド的な存在らしい。どうやらラケルドは正真正銘の”お坊ちゃま”のようだ。
蜥蜴人種のオスとメスの見分け方は簡単だ。オスはメスに比べて体が大きく筋肉質で、牙や爪、背ビレなどが発達しており、顔つきもゴツゴツしている。とくにオスは成人すると顎の下から喉の辺りの皮膚に独特の弛みができて、白色から黄色の特徴的な輪紋が浮かび上がる。ラケルドの場合は弛みはほとんどなく、輪紋も薄らとしか浮かび上がっていない。恐らく人間に例えると中高生あたりの年代なのではないかと思う。
「父上は?」
「先程、見張り役の者が慌てて駆け込んで参りまして、行先も告げずに一緒に出掛けてしまいました」
「ラングさんだね。きっと峠の向こうの沼地でへ行ったんだ」
「沼地へでございますか?」
不思議そうに尋ね返すテナに、ラケルドは沼地であった出来事をかいつまんで説明する。それを聞いたテナは凍り付いたような表情を浮かべながら”沼触手が────”とだけ震える声で呟いた。
「クロさんのお陰で命拾いしたんだ。クロさんは凄い強いんだよ。ボク、沼触手を素手で引き千切るとこ初めて見たよ」
そう言ってラケルドは屈託のない笑顔をオレに向ける。嘘ではないのだが表現が些か大袈裟だったようだ。お陰で興奮気味に話すラケルドの言葉を耳にしたテナは、僅かに後退りしながら羨望と恐怖が入り混じった表情をオレに投げ掛け、その後はまったく視線を合わせてくれなかった。
「水浴びするから着替えをお願い。あ、クロさんのぶんもね」
「か、畏まりました」
オレは微かに震えながら深々と頭を下げるテナの前を、気まずさを感じながら横切り建物の奥へと進むラケルドに続いた。建物の内部は他の移動式住居と同様に薄暗かったが、その他の全ての面において特別製と言える作りになっていた。
建物の内部は”大広間”と呼ばれる、広いリビングのような作りの部屋を中心に5つに分かれ、各部屋が一般的な移動式住居よりも広く精巧な作りとなっている。天井の高さは一般的な移動式住居の倍以上あり、大広間だけで通常の移動式住居の5倍以上の広さがあった。随所に煌びやかな装飾がなされ、これ見よがしに飾られる高価な調度品が目につく。
ラケルドは建物の内部を軽く案内すると、そのまま裏口から外へと通り抜けた。建物の裏手に流れる支流の畔には綺麗な花が咲き乱れる。そのすぐ横には板で組まれた足場もあり、短く刈り込まれた草原には御座のようなものが敷かれ、傍らにはちゃぶ台のような低いテーブルが備え付けられていた。さながらプライベート河川敷と言ったところだろうか。
「クロさん、食事の前にここで体を洗いましょう」
そう言うとラケルドはその場に衣服を脱ぎ捨て川へと飛び込んだ。
改めて自分の服装に目をやる。怪物になってからと言うもの、外見など気にも留めない生活をしていたが、流石にこれは酷すぎる。森での暮らしでだいぶボロボロになったジーンズとシャツは、もう何日も洗濯をしていない。そのうえに沼触手の体液で緑色に染まり、不快な臭いまで放っていた。
見知らぬ場所で丸腰になるのは少しばかり躊躇われたが、川の中で無邪気にはしゃぎながらオレの名を呼ぶラケルドを見ていたら、そんな考えが馬鹿馬鹿しく感じてきた。オレもその場に荷物を置き、衣服を脱ぎ捨てると勢い良く駆け出し、大きな水しぶきを上げて川へと飛び込んだ。陽に照らされた川の水は適度に温まり、水浴びには最適の状態だった。
「クロさん、これどうぞ」
水面から上半身を出して掌でゴシゴシと体を洗い流していると、ラケルドに太い植物の茎のようなものを手渡された。食料なのかと思い口にしてみるが苦くて不味い。ラケルドは驚いたようにオレを見つめると大笑いしたが、オレのリアクションを見て訝しげな表情を浮かべる。
「もしかしてクロさん、サボングラス知らないんですか?」
そう言うとラケルドは左手に持ったその茎の断面を、反対の腕に押し当てながらゴシゴシと擦る。茎の周りが次第に泡立ちはじめ、辺りには仄かに爽やかな香りが漂う。まるで石鹸だ。
「これ凄いな。サボングラスか。初めて見たよ」
「水辺に自生する植物です。ここらではそれほど珍しくないんですけど……」
オレの言葉を聞いたラケルドは、不思議そうにオレを見つめるとまた弾けるように笑い声を上げる。良く笑う明るい青年だ。きっと沼地では突然の惨事に気が動転していたに違いない。こちらが本来の彼なのだろう。
「クロさんて────」
唐突にラケルドは真面目な表情になった。
「ん?」
「クロさんは旅人だって言ってましたよね。旅人というのは傭兵や冒険者とは違うのですか?」
その問い掛けが”旅人”というのを職業として捉えたものなのは理解できたが、”傭兵”はともかく”冒険者”とは探検家のようなものを指しているのだろうか。そうだとすれば旅をするのと探検をするのでは、本質的には同じとは言えないが、近親のような存在とも言えなくもない。
「旅人はたぶん冒険者の下級職のようなものかもな」
「そうなんですか」
あくまで勝手な解釈だ。
オレはそう内心で補足する。
「ところでラケルド、サボングラスの他にも役に立つ植物を知ってるか?」
「役に立つ植物ですか。そうですね、薬草の類はどれも生活に欠かせないものばかりですけど────」
薬草に関する知識は今後のためにもぜひ知りたい。
「それだ。良かったら薬草のことをもっと詳しく教えてもらえないか?」
「ええ、もちろん。でも、薬草だったらボクよりもラチ―タの方が詳しいので、明日にでもお見舞いがてらに行ってみましょう」
明日にでも。オレはその言葉が意味するところを考える。
もしかして宿泊を勧めてくれているのか。
「もしかしてすぐに旅を続けないといけなかったですか?」
オレの表情から何かを感じ取ったのか、ラケルドが寂しそうな表情を浮かべながら問い掛けた。やはり宿泊を勧めてくれているらしい。窮地を救ったとは言えずいぶんと好かれたものだ。正直どう接して良いのか迷う気持ちもあったが、彼の目を見ているとどこか人間界で弟分のように可愛がっていた社員のシンを思い出す。そう言えばカッチャルバッチャル商会の皆は今頃どうしているのだろうか。不意にそんなことが脳裏を過った。
「ゆっくりさせてもらって良いのか?」
笑顔で答えたオレの言葉に、水しぶきを上げて喜ぶラケルドの姿を見ると自然に頬が緩んだ。人間だったころは決して爬虫類は得意ではなかったのだが、これだけ慕われると正直悪い気はしない。それに薬草やこの世界のことについて知るにも良い機会だ。
川から上がるといつの間にか岸に籠が2つ置かれており、その中には新しい衣服が綺麗に畳まれて入っていた。テナが準備してくれたものだ。植物を編み込んだ生地の要所を、革で補強したしっかりとした作りの衣服だ。半袖のシャツと膝丈のズボン。オレの籠にだけ上から羽織る薄い外套のようなものが入っている。ラケルドの説明ではこの種族特有の準正装らしい。試しに羽織ってみる。どことなく南米の民族衣装にも似ている。そう言えば似たようなものを祈祷師のジャコナが身に着けていた。
ラケルドの後に続き大広間へと向かうと、既にいくつかの大皿料理が準備されていた。見たところ魚料理が多そうだ。ラケルドの話では蜥蜴人種の食性は肉食という訳ではないのだが、魚を中心に獣肉や鳥肉を多く食すらしい。その他には果実を食べることもあるが、野菜類は香辛料のような風味付けとして使用されることが多く、野菜自体を好んで食べる習慣はないらしい。並べられた料理はシンプルなものが多いが、どれも”ご馳走”と呼ぶに相応しい出来栄えだった。問題は味だ。
「テナさんの料理は美味しいですよ」
蜥蜴人種の”美味しい”とオレの”美味しい”が同じものを指すと信じたい。ラケルドの言葉に思わず唾を飲み込みテナに目を向ける。一瞬だけ目が合うとテナは小さく悲鳴を上げて”お料理のほうは出来次第お運びいたします”とだけ言い残し足早に奥の部屋へと姿を消した。何か大きな誤解をされている。
「さあ、食べましょう」
そう促され気を取り直してご馳走に向かった。まずは魚と野草を煮込んだ料理に手を付けようとした刹那、建物の入口の方からガヤガヤと賑やかな声が聞こえてきた。
「あ、きっと父上たちが帰ってきたんだ」
その言葉で大盛りに取り分けた魚料理を、口に運ぼうとするオレの手が止まる。ラケルドの父親。即ちこの集落の酋長であり、この家の家長が帰宅したのだ。集落に入る際に聞いた話では、本来は集落を訪れたよそ者は、まず酋長に目通りする必要があるとのことだった。順序は変わってしまったが今からでも挨拶をしなければ。オレは名残惜しい気持ちを振り切って皿と匙をその場に置き、ラケルドと共に彼の父親を出迎えた。
他の蜥蜴人種よりひと回りは大きい。隆起した筋肉を覆う艶のない黒緑色の肌、対照的に黒光りする鋭い牙と爪。他のその佇まいからはわかり易い威圧感が放れている。静かな輝きを放つ血走った瞳がゆっくりとこちらに向けられる。
「お前が沼触手を素手で引き千切ったという豚面人種か?」
低音の響く静かな声に答える間もなく、突然それは獣の如く襲い掛かってきた。何かの勘違いか。一瞬そんな思いが脳裏を過るが、その攻撃はオレから考える余裕を奪い去った。左右から振り回される漆黒の爪は予備動作が大きかったので避けれたが、その後に体を回転させると鞭のようにしなる太い尻尾がわき腹を掠める。まともに喰らえば、一撃で肉が爆ぜ肋骨を持っていかれるだろう攻撃だ。
怯んだ隙に胸倉を左手で胸倉を掴まれた。
掴んだ拍子に漆黒の爪先が浅く皮膚を抉り取る。
「クロさん!」
どうやら状況が把握できていないのはラケルドも一緒のようだ。涙目で悲鳴にも近い声を上げる彼に非はない。酋長の息子だからと言ってまだ若い彼の話を鵜呑みにし、油断しきっていたオレの落ち度だ。
迫り来る攻撃をかわすだけで精一杯だ。
オレは状況が掴めず完全に後手に回っていた。
読んでくれてありがとうございます。
※用語※
・テナ
・サボングラス