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転生オークの流離譚  作者: 桜
転生編
1/66

1. 闇の中

転生オークの流離譚≪テンセイオークノリュウリタン≫を覗いてくれてありがとうございます。


話の進みはわりとゆっくりになると思います。本題に入るまでの数話は特にじれったいかと思いますが、気長にお付き合いいただけると嬉しいです。


 ここはどこだ。気が付くとオレは闇の中にいた。

 何が起こったのだろう。意識が朦朧として記憶も曖昧だ。

 

 手に伝わる地面の感触。辺りを漂うカビ臭さには、僅かに糞尿の香りが混じる。普通なら尋常ではないほどのパニックに陥るであろう状態にも関わらず、不思議とオレはそこまで追い詰められてはいなかった。


 手足は縛られていない。

 それどころか目隠しも口を覆うテープもない。

 ただ、何故かオレは全裸だった。


 何者かに拉致られたのか。瞬時にそんな考えが脳裏を過る。


 天井の亀裂から洩れる一筋の青白い明りを頼りに、手探りですぐ近くに落ちていたTシャツとジーンズを手繰り寄せ、衣服の中に落ち葉や枯れ草を巻き込みながらも急いで身に纏った。


 どちらも解れたり破れたりしていて、酷くボロボロなうえにサイズも小さい。すぐ傍に落ちていたのでてっきり自分のTシャツとジーンズだと思ったのだが、どうやらオレの勘違いだったようだ。


 部屋の壁は冷たい岩肌で覆われ、正面には木で作られた格子が見える。格子の隙間から通路に掲げられた松明らしき明かりが見え、更に通路を挟んだ斜め向かい側にも、似たような造りの部屋がいくつか見える。


 いや。それは部屋などと呼べるような上品なものではない。格子で囲われていなければ採掘場の坑道かとも思ったのだが、これはひょっとして洞窟の中に作られた牢獄ではあるまいか。


 意識を失っているうちに、とんでもない場所へ連れて来られたようだ。上体を起こして立ち上がろうとした拍子に、酷い目眩と暗闇で平衡感覚を失いオレはその場に倒れ込んだ。


 足腰に力が入らない。


 オレは這いつくばって格子にしがみ付き、やっとの思いで柱にもたれ掛かるように地面に座った。朦朧としていた記憶は少しずつ戻りつつあった。脳震盪と言うよりは、薬でも盛られたのだろうか。


 ここが何処なのか、何故オレがここにいるのか。何ひとつ解らないが、1つだけ言えることがある。こんな状況で冷静に自分が拉致された理由を指折り数えられるオレは『普通の社会人』ではない。いわゆる『社会のクズ』ってやつだ。




 オレの名は霧山コウスケ。職業、会社社長。会社と言ってもインチキな登記で興した会社だし、社長と言っても社員は不法滞在の外国人3名だけで、オレは営業と実務全般とその他諸々を兼業している。


 オレの経営する“カッチャルバッチャル商会”は、表向きは健康食品の輸入販売会社だが、その実態は簡単な雑用から違法すれすれのグレーゾーンまで何でも請け負う”地下社会の便利屋”だ。


 社員は3名。インドネシア出身の事務員のナム、中国出身でコンピューター全般に詳しい陳、そして社名を考えたインド出身でお調子者の実働班のシン。ヒンディー語で“ごちゃ混ぜ”を意味する社名の通り、多国籍なスタッフで構成されている。


 3人とも不法滞在就労者だ。ナムと陳には事務所の近くにオレの名義で部屋を借り与え、シンは事務所として使っているオレ名義のマンションに寝泊まりしている。もちろんいずれも地下社会に繋がりのある物件だ。


 日本の外国人労働者数は100万人と言われているが、これは正式な労働者としての数だ。不当労働をする出稼ぎ留学生や不法滞在者を入れれば、既に150万人を超えているとも言われている。


 彼らは皮肉の意味を込めて自らを”WAYウェイ”と呼ぶ。これは移民を蔑視するスラング”What are you?《お前は何だ?》”の頭文字を繋げたものだ。この国の地下社会には、様々な事情を抱えたありとあらゆるWAYウェイが潜伏している。


 両親が健在な日本人なら引き籠りでも、それなりに不自由のない生活が期待できるだろうが、不法滞在者である彼らにとってそれは容易なことではない。そんな彼らと一般社会を繋ぐ懸け橋となるのが、オレたちカッチャルバッチャル商会だ。こんないい加減な会社だが、設立して9年目を迎えようとしていた。




 職業柄いろいろな方面に“貸し”も“借り”も少なくない。地下社会は繊細だ。その微妙なバランスが崩れると、予期せぬ恨みを買って命を狙われることもある。


 だから拉致されて半殺しの目に遭ったり、下手を打てばドラム缶にコンクリート詰めにされて海の底なんて可能性も十分に考えられる。ところが拉致しておきながら、こんな意味のわからない場所で放置プレーとは何だ。


 奥の暗闇の中に何かの気配を感じる。

 微かな息遣いと体毛が壁に擦れるような音が聞こえる。

 気配から察すると動物のようだが。


 「ズモォォオオ!」


 近くに立て掛けてあった木製のスコップを杖代わりにして立ち上がろうとした矢先に、厩舎に重低音の鳴き声が響き渡った。オレはよろけて咄嗟に柱にしがみ付いた。馬や牛の鳴き声を生で耳にしたことはないが、間違いなくそのどちらでもない。 


 それは闇の中から重量感のある足取りでゆっくりと近付いてきた。


 天井の亀裂から差し込める明かりが、一瞬だけ奇妙な角のようなものを照らし出した。ヘラジカの枝角を思わせる巨大な角だ。ただ、それは大きく弧を描きおかしな方向に折れ曲がっているように見えた。


「ブモォ、ズモォォ」


 獣が自分の存在を誇示するかのように鳴き声を上げる。すぐそこまで荒い鼻息が近付くと、その姿が松明に照らされ闇の中に異形が浮かび上がった。サイを思わせる巨体を薄汚れたモップのような長い毛足の体毛に包まれ、4本の大きな角を生やす奇妙な姿の獣だ。


 何だコイツは。オレの背中は一気に粟立った。獣は体毛の隙間から覗く青白く輝く瞳で、オレを品定めするかのように見つめる。


 その獣は異様な牙と全体のアンバランスさが相まって、何とも言えない不気味さを醸し出していた。4本の奇妙な形の枝角は、よく見ると頭部からではなく下顎から突き出している。角ではなく牙だ。それは、大きく弧を描きながら自らに向かうと、分岐した鋭い先端の一部がそのまま額や鼻先に突き刺さっていた。そのうちの1本などは鼻先にあまりにも深く食い込み過ぎて、肉と骨を突き破って上顎に大きな穴を穿っていた。


 背中の中央部分がまるでラクダのコブのように大きく隆起し、耳なのか体毛の塊なのか判別できないものが、頭部から地面すれすれまで垂れ下がっており、幅の広いやや長めの特徴的な鼻はクネクネと別の生物のように動き象のそれを彷彿とさせる。


 一見して離れた目の位置や実用的とは思えない牙の形、鈍重な動きから考えても肉食動物には見えないが、だからと言ってオレの身の安全が約束されるという訳ではない。象やカバに代表されるように、興奮状態にある草食動物の凶暴性は、飢えを満たすために獲物を捕える肉食動物に勝るとも劣らない。


 オレは無意識のうちに、杖代わりにしていたスコップを身構えていた。謎の生物は警戒心を露わにするように鼻息を荒げ、前足でガツガツと地面を掻いた。いつの間にか後ずさっていたオレの背中が格子にぶつかる。格子には錆び付いた閂が通されている。


 時間を掛ければこのスコップを使って格子を壊すことも出来る。だが、、今は状況が悪すぎる。スコップを握る手に力を込めてみる。まだ普段通りの力には及ばないが、いくらか感覚が戻ってきているのを感じる。アイツをひるませるには眉間に先制攻撃を喰らわし、相手が怯んだ隙にテコの原理で閂と格子の接合部を破壊するしかない。


 唾を飲み込む喉が大きく音を立てる。

 チャンスは1度きりだ。




 「何しでんだぁ?」


 突然の声に驚いて振り向くと、薄暗い通路に豚面の怪物が立っていた。比喩的な話などではない。その顔は薄暗い中でも、明らかに人間とかけ離れた存在であることを容易に認識できるものだった。下膨れの体型で、僅かに開いた口元からは細かい牙が覗き、額には角と呼ぶにはあまりに小さな出っ張り2本。それと目立つ十字の傷跡が。粗末な作りではあるが人間のような衣服を身に着け、バケツのようなものを手にして、白濁した瞳でオレをみつめている。


 「今日はオラがコイツの世話する番だど思っだんだげどな」

 「…………」

 「つーが、お前、中に入っでんのに鍵まで閉めてどうする気だ。ドジな野郎だなぁ」


 そう言うと豚面の怪物はブヒブヒと笑いながら閂を抜いて扉を開けた。まったく意味はわからないが、この機を逃せばオレは助からない。


 「とごろで、お前、誰の班だぁ?」


 怪物が振りかえった瞬間に、オレは手にしたスコップを振り回した。鈍い音を立てて怪物が仰向けに倒れると、すぐさま足を牽いて牢屋に施錠する。スコップをその場に投げ捨てて、オレはすぐさま駆け出した。

 

 言葉を発した。まさか人間だったのか。いや、あのリアルさは本物だ。それ以前にあの得体の知れない獣だって本物だ。あの手応えは殺したかも知れない。少なくとも相手が人間なら間違いなく死んでいたはずだ。カッチャルバッチャル商会でいろいろと汚れ仕事もしてきたが、これまで殺しにだけは関与したことがない。初めての殺しが怪物だなんて。何てシュールな話だ。だが、とにかく今は逃げるしかない。


 無我夢中で洞窟の中を進む。途中で何匹もの怪物が雑魚寝する部屋を通り過ぎ、話し声の聞こえる方向と逆に進み、その都度なんとかやり過ごしてひたすら進んだ。洞窟の中は迷路のような造りになっており、何度か同じ場所を通り掛かったが、やがて通りの向こうに薄明かりが見えてきた。出口だ。静かに様子を窺うと、見張りらしき豚面の怪物が1人岩にもたれ掛かって居眠りをしている。


 起こさないように、細心の注意を払って慎重に外へ出る。


 「肉だぁ────」

 

 その声に驚いて背中を跳ね上げ恐る恐る振り向く。だが、怪物は先程と変わらぬ様子で、涎を垂らしながら眠っている。どうやら寝言だったようだ。




 洞窟を抜けるとそこは夜の森。月明かりが辺りを照らし、時折、遠くの方から動物の鳴き声が聞こえる。振り返ると岩場を跨ぐようにして上半分が無くなった巨木がそびえ立つ。その太い根っこの間に洞窟の入口はあった。薄暗い中で見るその姿は巨大な化物のようにも見え、背筋が冷たくなるのを感じる。


 ここがどこなのか、まったく見当もつかない。

 オレはとりあえず森を駆け抜けた。


 混濁気味の頭の中を必死に整理しようと試みるが、記憶の糸を辿ろうとすると激しい頭痛に見舞われた。くそ。いったい誰の仕業なんだ。とにかく今は出来るだけ遠くへ逃げるしかない。

 

 この数年で10キロ太った。身長176センチ、体重82キロ。今や自他共に認めるポッチャリ系オッサン。これでも学生の頃は、プロスポーツ選手並みの運動神経と言われたものだ。


 30代半ばでその体型はヤバイと、日頃からナムやシンに指摘されていたものの「オレは動けるデブだから大丈夫」とか「基本的に頭脳派だから」などと言い訳を繰り返していたが、このときばかりは自分の怠惰な体を恨んだ。


 森を抜け小川を越えて藪を掻き分け走りに走った。途中で何度か茂みに足を取られて転んだが、すぐに立ち上がってひたすら走った。既に鼓動は胸を破って飛び出しそうなくらいに強く早く打ち続けている。


 草原を越え別の森に入り、更に峠を越えようとしたときだ。激しい目眩に襲われて足を滑らせたオレは、そのまま斜面から転がり落ちた。何度か木に体を打ち付けられながら転がり続け、ようやく止まるとそのまま意識を失い、オレは再び深い闇の中へと沈んでいった。

読んでくれてありがとうございました。


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