2話:前半 招待
「思ったよりも普通の部屋か」
「…………そうね」
広さは拡張される前の館長室程度、壁は褐色だ。一つ一つは粗末な物では決してないが調度は最低限に見える。帝国皇女の私室に身構えていた俺は少し拍子抜けしていた。アルフィーナが倒れた時に見舞いのため入った、彼女の私室とは比べものにならない。王国の王族ではあれが最低だろうからなおさらだ。
いや、ここが本当に私室とは限らないという可能性も……。流石に考えすぎか。
リーザベルトにとっては半年だけの仮の宿だ。それに、ここが帝国”公館”扱いになったのはつい最近。それまでは商館と言った方が良かったらしい。部屋に来るまでの玄関や廊下も特別豪華ではなかった。
「二人とも落ち着いてよ」
きょろきょろと周りを見ていた俺にリルカが言った。招かれた平民三人組みの中で、唯一冷静なのが彼女だ。物怖じしない性格がこういう時に頼もしい。
「分ってるさ。ここはいわば敵地だからな」
「……リーザベルト様に羊羹を勧めたのはリルカなのに。ヴィンダー君と違って私は一般人なのに。本物の平民なのに」
「俺は偽物じゃない。それを言うならシェリーのほうがずっとお嬢様だろ」
そう、俺たちは羊羹の礼と称して帝国公館に召喚、いや招待されたのだ。
「……もうそろそろ商売の規模でも抜かれてるんじゃないかな」
「話がずれてるよシェリー」
リルカが友人に言った。丁度そのときドアが開いた。
「お待たせいたしました」
自らトレイを持ったリーザベルトが、二人の侍女らしき服装の女性と入ってきた。紫色の髪を束ねて前に垂らしている。少しゆったり目のブラウスとスカート。学院の制服よりもずっと砕けた印象だ。
こういう普段の私を見せますって言うの、一つの手なんだっけ。分っていても美少女にやられるとちょっとぐっとくる。悲しい男心だ。
「ヨウカンの返礼というには恥ずかしいですけれど。私の故郷のお菓子です」
リーザベルトが俺たちの前に皿を置く。侍女の一人がカップにお茶を注いでくれる。もう一人は手ぶらで感情の読めない目で俺たちを見ている。護衛役だろうか。何しろ、俺たちは他国の平民だからな。
褐色の生地に柑橘が盛り付けられ、蜜が掛かっている。言うとおり素朴な感じだ。羊羹はもっと地味な見た目だけれど。そういえば羊羹もある意味俺の故郷のお菓子か。……絶対に知られてはいけないな。
俺は恐る恐る菓子を手に取った。少し固めの歯ごたえ、素朴で粒の粗い舌触りだ。
「あれ、この甘さは……」
上に掛かっている甘い蜜は、蜂蜜じゃない。ガレットにメイプルシロップだろうか。帝国は山地が多いというから納得か。チョコレートが出てくるよりずっとらしい。
「蜂蜜は食べ慣れていると思いまして」
リーザベルトがいたずらっぽい笑顔で俺に言った。反対に俺は背筋が凍る。気をつけろ、俺はこれが樹液を煮詰めた物だなんて知らないぞ。
予言が出た数日後に招待だ。できすぎているタイミングだ。とにかく余計な情報を与えないようにしないと。むしろ情報を引き出さねば。「近々帝国軍がベルトルドを訪問するご予定は?」とでも聞くか。ばかばかしすぎる。
次の問題は、あの馬車が帝国にとってどれほど希少かだ。軍事機密なんか尋ねた日には、生きてここを出られない。
「しっとりとした甘さが生地と合うんですね」
「す、すてきな甘さだと思います」
リルカとシェリーが言った。俺は、シロップよりもこれを産出する木が欲しい。
「お茶会のクリームの氷菓には本当に驚きました。王国の豊かさを象徴するようなお菓子でしたね。アルフィーナ様は聖堂で過ごされることが多いと聞いておりましたから、ご負担をお掛けしたのではないかと心配です。ドリスディア殿下もそのようにおっしゃられていました」
ああなるほど、そういう負け惜しみを言ってるわけだ。帝国にアルフィーナの財力を誇示しても一利もないのでよくやってくれた。
「それに、私はヨウカンにもびっくりしました。とても優しい甘さと舌触りのお菓子で、王国でも珍しいのですよね。取り寄せようかと思って、プルラ商会に値段を聞いて驚いてしまいました」
皇女は少しおどけた表情でいった。皇女が庶民派アピールしても無駄だと思う。というか、王国ではそんなことをやろうものなら、逆に評判を落としかねないんだが。帝国とは感覚が違うのか。
それに、羊羹を評価するとはなかなか見所がある。帝国といえば黒だからな。色に対する忌避感がないのかもしれない……。いやいや、社交辞令を真に受けている場合か。
故郷(前世)のお菓子を褒められた位で油断するほどチョロくない。絶対に無茶をしないようにと、昨日の学院でアルフィーナに、家でミーアに、ここに来る前に学院の廊下ですれ違ったプルラとヴィナルディアにまでさんざん言われたんだ。
ダルガンに至っては「帝国に宣戦布告とかやめろよ」なんてきわどい冗談を言った。リルカとシェリーには受けなかったみたいだったな。
「は、はい、こちらでも豆は山の近くで麦にはむかない地域で……」
リーザベルトに水を向けられ、シェリーはヨウカンの原料のことを話している。流石に商売のことならきちんとした応対をしている。リーザベルトはホストらしく聞き手に徹している。
「まあ、学院のお祭りでそのようなことが……」
「はい、それでヴィンダーが私たちを集めたのが始まりで……」
リルカは聞かれるがままに紹賢祭でのセントラルガーデンの設立まで話している。学生の遊びだと思われたら好都合だからいいか。
いや、あの黒い皇子がアルフィーナに接触しようとしたのも紹賢祭だ。何か意図があるのかもしれない。
「リカルド殿の活躍というのは聞いていて気持ちが良いですね。クラウンハイト王国はとても安定したお国柄だと聞いていましたから、なおさらです」
いつの間にか俺の話になっていた。リーザベルトは黙っていた俺にほほえみかける。
「そうなんです、いつも普通と違うことを突然始めるから、私たちなんか引っ張り回されて。ねえシェリー」
「そ、そうなんです。ヨウカンを作る時も突拍子もないことを次々と言い出して」
シェリーの言葉に実感がこもっている。
「ということは、あのお菓子はリカルド殿の発案と言うことでしょうか」
「人の縁に恵まれまして」
俺はリルカとシェリーを見ながら即答した。嘘を言う必要が無いのは楽だ。
「まあ。確かにお二人の話を聞いていると、とても信頼されているように見えます。それに、アルフィーナ殿下もヴィンダー殿を頼りにされているようすでした。予言の力で幾多の国難を退けたアルフィーナ殿下の懐刀と言ったところでしょうか」
「とんでもない。私もアルフィーナ様に助けられた民の一人に過ぎません」
話題がやばい方向に転がり出した。やっぱり目当てはアルフィーナの予言か。
「そういえば、リーザベルト殿下の故郷というのはどのような場所なのでしょうか」
俺は話題を変えた。こちらばかり情報を引き出されてたまるか。
「実は王都とは近いのです。そうですね、これが望みの大河だとすると……」
リーザベルトはテーブルの上に指で線を引いた。
「望みの大河ですか?」
「はい、王国との間の川を帝国ではそう呼ぶのです……。それで、私がいる方を帝国としたら、私の故郷は……」
事実上の国境線の話だが、リーザベルトに緊張の色は見えない。皇女が指を置いたのは王都の北方、大河の中流付近だ。
「えっ、そこですか」
俺は思わず言った。血の山脈の近く。俺が国際貿易都市に最高の立地だと思ったあの場所に近い。俺の反応に、皇女だけでなくリルカとシェリーもきょとんとした。
「魔の山脈の近くですか」
なんとか取り繕おうと、俺は言った。隣と言っても、魔獣の縄張りだし、皇女が情報を持っているとは限らない。
第一、貴方の故郷の隣接地が欲しいなんて言えるわけがない。ダルガンの冗談が本当になりかねない。
「……はい。王国で先に討ち果たされたような凶悪なドラゴンの襲来など。故郷の民は魔獣におびえて暮らしています」
リーザベルトが顔を曇らせた。俺の足が左右から踏まれた。しまった、端から見たらわざわざ地雷な話題を振ってるようなものだ。
リルカかシェリーに任せて間接的に聞き出すべきだった。
「ですから、竜討伐に貢献したというヴィンダー殿は素晴らしいと思います」
表情を明るくして、リーザベルトは俺に言った。
「とんでもない。竜討伐の功績はクレイグ殿下の武勇のたまものです」
リーザベルトは俺の言葉に一瞬沈黙した。思い詰めたような顔になっている。
「ヴィンダー殿。一つお願いがあるのです」
「……私ごときに何でしょうか」
俺は最大限の警戒をもって尋ねた。
「騎士団長のクレイグ殿下のことです。ヴィンダー殿はクレイグ殿下ともお親しい間柄と聞きます。私がお会いしたいとお伝えいただけないでしょうか」
なるほど。やたらと持ち上げてくると思ったら、知り合いのお金持ちのイケメンが目当てでしたってやつか。よしよし、これならわかりやすいぞ。前世でも経験がある展開だ。
というのは半分は冗談として、やっぱりクレイグと貪竜討伐がターゲットか。
「……ご多忙であるということで、断られてしまっているのです」
クレイグはやはり断っているらしい。皇女の世話役は大まかに言えば第二王子閥のドリスディアだ。あまり熱心には動かないだろうな。藁にもすがるような視線で俺を見ている。
「申し訳ありません、皇女殿下と王子殿下の仲介など、私ごときの到底力及ばぬことでございます」
クレイグに会ったら皇女が狙ってますよと教えないと。花粉のことを知られたら事だからな。
「ごめんなさい。お礼を言うために来て頂いたのに、無理を言ってしまって」
「お役に立てずに申し訳ないです」
「そういえば、王都で評判のフレンチトーストというお菓子も……」
リーザベルトは本当に済まなそうな顔になると、すぐに話題を変えた。
「リーザベルト様。そろそろお時間では」
当たり障りのない話が続いている中、後ろで控えていた侍女、多分護衛役、が言った。新しいお茶を注ごうとしていたもう一人の侍女の動きが止まった。リーザベルトは残念そうに俺たちを見た。
「残念です。もっとお話を聞きたかったのに」
「い、いえ、お忙しい殿下にこのようにお時間を取って頂いただけで光栄の極みです」
正直、魔の山脈についてはもう少し聞きたかったが、向こうだって肝心なところはしゃべるわけがない。後は第三皇女の故郷というキーワードでジェイコブ達に探らせよう。これは収穫と言えば収穫だったな。
「今更ですが、学院ではよろしくお願いしますね」
リーザベルトはわざわざ入り口まで付いてくると、俺たちに言った。
◇◇
「……優しそうな人だったね」
「そうだな……」
公館を出たところで、シェリーがしみじみと言った。
俺は思わず同意した。ただ、その人間が優しいかどうかと敵味方の立場とは何の関係もない。言ってみれば、優しいオオカミと酷いオオカミだ。食われるウサギにとって何の違いもない。オオカミであることが一番重要な属性で、他のことは些事に過ぎない。
ましてや、俺にはどう考えても演技には見えない演技が出来る人間だ。
「途中ちょっとひやっとしたけど、ヴィンダーにしては大人しかったね。プルラ先輩の店に一緒に行く約束しちゃったシェリーと違って」
「……リルカ。付いてきてくれるよね」
シェリーは絶望的な顔でリルカにすがりついた。うかつだな、最近保身力が上がってきた俺を見習うと良い。




