8話:後半 ソフトパワー
「ほら言ったでしょ」
「……これだけはリルカの冗談だって思っていたかったのに」
「ど、どうした、頭を抱えて」
俺はシェリーに声を掛けた。ちょっとばつが悪い。豆の需要を皮算用させてしまった。
「……ううん、何でもない。最近ちょっとだけヴィンダー君のこと理解できるようになってきたかもって思ってたけど、勘違いだった」
リルカの視線の先にはウチの従業員の格好をしたアルフィーナがいる。いや、滅多にないんだぞ。それなりにレアな光景で……。無理だな。ベルミニ邸に行った時の光景を思い出して、俺は言い訳をあきらめた。
「えっと、何だったっけリルカ」
フリーズしたシェリーではなく、リルカに話を振った。
「私はプルラ先輩からの届け物を頼まれたの。ほら、黄砂糖を使って作ったチェリモヤだって。後はこれ……」
リルカは壺を二つ俺の前に出した。
「これは?」
「ウチの自慢のクリームとバターよ。……ほら、アンコの菓子に必要じゃないかって思って。もしかして、余計だった?」
「い、いや。丁度良かったよ、ありがとう」
さっきまであきらめかけていて、アルフィーナのおかげで復活したばかりだけど。
「えっと、シェリーはヴィンダーから頼まれてた物を持って行くって言ってたけど」
「……そ、そうだ、言われてたコレはどうするの?」
シェリーが俺の前に、三つの小さな壺を出した。壺からは複雑な香りが漏れている。
「前にヴィンダーが、渋いハーブティーがないかって言ってたでしょ。羊羹に合わせるためじゃなかったの。あっ、一番左のはあんまり期待しないでね。なんて言うか、ハーブと言うよりも薬に近いから」
思い出した。ハーブは野菜という話を聞いた時にそんな話をした。漉し餡に夢中になって忘れてたけど。
◇◇
「美味しいですね」
「ああ、ほんと、アイスクリームみたいだ」
俺たちはプルラからのチェリモヤを口にしていた。砂糖のおかげで甘さがすっきりしたせいで、前世のに近づいた感じだ。季節のせいで冷えているのもポイントが高い。
もっとも、蜂蜜は蜂蜜の風味があるので、劇的に旨くなったかどうかは微妙かな。
「アイスクリームですか?」
アルフィーナが目を瞬かせた。おっと、アイスクリームなんてこちらにはないものな。
「いや、そうかアイスクリーム…………」
俺は異世界の菓子の名前をもう一度つぶやいた。そうだ、土台といっても粉物とは限らないんだ。アイスクリームならインパクトも十分だし、クリーム主体だからこちらの人間にも合うだろう。
氷さえ用意出来れば作り方も簡単だ。白くて綺麗だし、餡子の黒とのコントラストなら、こっちの美意識にも合うんじゃないか……。
「いや、ダメだな」
白いアイスに餡子を載せた物を想像して、俺は首を振った。アイスだけの方が旨いと言われるのが関の山だ。アイスのインパクトに乗せるという手もあるが、それでは劣化品だ。
「……こっちもちゃんと評価してよ」
シェリーがティーポットから緑色の液体を注いだ。玄米茶に近いのと、麦茶に近いのに続いて三種類目。期待するなと言われた物だ。だが、その色と香りに俺は驚いた。緑茶じゃないか。
「ああ、これが一番羊羹の甘さに合いそうですね」
アルフィーナが言った。あのときは餡子の味で連想が刺激されて思わず口走っただけだ。餡子よりもハードルが高いと思ってたんだから。
「……まあ、羊羹のためだけに、新しいお茶って訳には行かないから、問題解決にはならないけど。値段も安くないのよ。初夏のごく限られた季節にしか採れないハーブで、産地では粉末にして薬にするくらいなのよ」
そういえばお茶は日本には薬として伝わったんだっけ。お茶も餡も元々は外から入ってきた物だ。日本人はそれを洗練させて茶道と和菓子になった。
「洗練されて和菓子に、でも…………」
「リカルドくん?」「どうしたのヴィンダー」
日本人は外から入ってきた物を独自に発展させて、和風としか言えない域にまで洗練した。羊羹はその最たる物だ。だけど、俺が知っている現代日本の食文化はそれにとどまらなかった。
「シェリー。この茶葉、ハーブだけど今言った薬の状態で手に入らないか」
「……ウチは野菜屋よ。ま、まあ、少量ならなんとかなるけど」
「頼む。リルカにも用意してもらいたい物がある。クリームだけじゃなくて……」
俺は二人に新しいレシピのための材料を頼んだ。
よし、和のベンチャーのリベンジだ。日本のソフトパワーの真価をみせてやる。
◇◇
アイス作りは小学校の理科でやったことがある。塩と氷で温度を下げる実験。アイスキャンデーを作るところを、アイスクリームにしたのは先生の頑張りだったんだろう。申し訳ないが正直あまりおいしかった記憶がない。やたらと卵の味が強い乱暴な味だった。バニラエッセンス辺りが足りなかったんだろう。
ただし作り方は簡単だ。ケーキを焼けと言われたら困るがアイスなら何とかなる。
材料は生クリームと牛乳と砂糖と卵黄を混ぜるだけ。生クリームと牛乳の割合が一番問題だったが、配分を変えて試したところ、生クリームを増やした方が軟らかくなると分った。水分の割合の問題だろうな。
こういう時、卸値で仕入れれるリルカの存在がありがたい。生クリームの扱いや牛乳の保存など、彼女がいなかったら大変だっただろう。
「さあ、食べてみてくれ。溶けやすいから急いでな」
俺はスプーンで掻き取った白いアイスをちょこんと皿に盛った。リルカは言われたとおりに急いで口の中に入れ、冷たさのあまり顔をしかめた。だが、その頬がすぐに下がった。
「うわあ、乳製品を扱う商会の娘として、この味を知らなかったのはちょっと屈辱。最初、氷に塩を入れた時は気でも狂ったかと思ったのに」
よし、これでアイスのレシピはいいな。
「ヴィンダーが言ったとおりに、一番細かく挽いてもらったわよ」
丁度良いタイミングでシェリーが緑色の粉を持ってきた。抹茶の作り方はおぼろげながら覚えていた。修学旅行で行った京都の土産物屋で展示されていた。蒸した後で石臼で挽くという工程だ。シェリーが入手してくれた物も、同じように作られているらしい。
「よし、じゃあ本命を試作するぞ」
俺は器にさっき決まった割合で牛乳と生クリームを入れた。砂糖は控えめ、どうせ色を付けるから黒砂糖も混ぜる。
「……薬をお菓子に入れるなんて、本当に大丈夫?」
シェリーが俺を半信半疑の目で見た。
「”ハーブ”をお菓子の香りと色づけに使うだけ、普通だろ」
俺はにやりと笑った。これで餡子菓子の土台の完成だ。
◇◇
「ヴィンダー。僕は黄砂糖の方で忙しいんだ。試食が終わったらすぐに戻らせてもらうよ」
プルラが心ここにあらずという顔で言った。
「今日は後悔させませんから」
そう言いながら、俺は岩塩氷から金属の缶を引き出した。ふたを開いて中身を白い皿に盛り付ける。俺の好みからすると薄めの緑だ。リルカ達の意見を聞いて決めた結果だ。あまり入れると薬の匂いに感じられるらしい。
「どうぞヴィンダーさん」
ナタリーが粒の残った餡子を持ってきた。それをアイスの横に装う。量的にはアイスの三分の一くらい。抹茶の明るいグリーンに餡子の黒。これだけでは暗いので、生クリームを添える。生クリームの上には、黄砂糖を作った時に出た糖蜜を垂らした。
「氷菓とはね。それにしても美しいね……」
プルラの目が真剣さを増した。『抹茶アイスの餡子のせ生クリームを添えて』といったところか。羊羹のような純粋な和菓子ではない。だが、日本のソフトパワーを表す物としては、これほどふさわしい物はない。
「では…………。ふむ、ふ……、ぐっ。こ、これは!」
プルラは冷静さを装おうとして失敗した。口の中の物を飲み込むや天を仰いだ。その後で、冷えた口の中を暖めるように、紅茶を口に含む。そして、額を押さえて腕を机についた。
「…………この緑色の氷菓、これは一体何だい」
「何の変哲もないものですよ。生クリームと牛乳と砂糖を氷で固めて、ハーブで香り付したものです」
「なるほど、クリームとアンコが渋みのあるハーブでつながっているのか。以前、ワンプレートランチをヤイルの香りで整えたことがあったね。同じ発想というわけか……」
三色の色合い、冷たい食感、抹茶の香り。様々な感覚を駆使してインパクトを与える。そして、抹茶がつないだ洋の東西の奇跡の組み合わせ。つまり、アイスと餡子のコラボを楽しんでもらう。そういう趣向だ。
本来なら、抹茶の香りだって馴染みはない。量が少なめなことに加え、抹茶の香りがアイスのくどさを適度に抑えてくれる。本物のバニラやチョコレートがあったら負けたかもしれないけど。
「な、何よの美味しさ。おかしいんじゃないの。アンコとクリームが混ざって……」「アンコの風味とこんなにぴったりの味になるなんて」
ヴィナルディアとナタリーが歓声を上げた。
「何というか、あきれたよ。こんな物があるなら最初から出したまえ」
「はは、皆の助けを借りるまで気がつかなかったんですよ」
「日本のもう一つの特徴も」俺は心の中で付け加えた。
羊羹の語源は羊の煮こごりだそうだ。日本に渡ってきた後、肉食を嫌う日本の事情に合せて今の形になったらしい。肉食を避けるのは仏教の影響だが、日本に元々あった死生観も関わっているのだと思う。
羊羹や餡は中国、仏教はインドが源流だ。それが日本で禅に源流を持つ茶道とそれに合わせて発展した和菓子になったと言っても良いかもしれない。
外から入ってきた物を、独自と言って良い領域まで変化させさらに『洗練』することが日本の文化の一つの特徴といって良いだろう。経済的に言えば、自動車や家電で世界を席巻した力とも言える。
もちろん、羊羹や餡そして仏教を作り出した中国やインドの古代人に敬意を払うが、これほどの洗練を生み出したご先祖様を誇っても罰は当たらない。というか、そうしないと罰が当たりそうだ。俺にとっては前世のご先祖様だけど。
もちろん、極東の島国という地理的条件も大きかっただろう。もう少し中国に近かったら中華文明に飲まれていたかもしれないのだから。
そしてもう一つの力は、近代と現代の境目で起こった。東洋と西洋の文化の日本における融合だ。あんパンが有名だが、抹茶アイスこそ最たる物だと俺は思っている。
東洋文化を和風へと洗練させていたからこそ、西洋に飲まれることなく融合させえたのではないだろうか。よその物とよその物を組み合わせて上手くいくわけがないのだから。
東西の文化が絶妙に混じり合ったのが東の端って言うのは面白いよな。
「コストはどうするんだい。氷まで使ってるよね」
「氷に関しては、例の馬車のおかげで少しは値段を下げれるかもしれませんが、この品は餡子の魅力に触れてもらうための宣伝用ですよ。そうですね、実際に提供を開始する夏までに黄砂糖の生産効率を上げてください。一応アイデアはあります」
蜂蜜、クリーム、砂糖。全て遠心分離で生産効率は上がる。養蜂に使っている風車の仕組みを共通化して、ベアリングで効率を上げることを考えている。ノエルの頑張りに期待だ。
「クリームと牛乳、卵はウチをごひいきに」
「……ハーブと豆は任せて」
リルカとシェリーが自分の家の商品をアピールする。
「これで餡子の評判が高まれば、いずれは羊羹を売ることだって出来るかもしれない」
俺はナタリーとヴィナルディアに言った。アイスクリームというきっかけがあれば、ギャップを乗り越える人間も増えると願いたい。
「宣伝か。今が夏なら大公閣下のご所望の菓子はこれで決まりだったのにね」
元の世界じゃ真冬でも食ってたけど。こっちでは嫌がらせになりかねない。
「そうですね。最高の宣伝になったでしょうけど。まあ、そちらは任せますよ」
なんやかんやで先人の知識に頼りっきりなのは変わりないが、エンジェル投資家としてなんとか役割は果たせたかな。




