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8話:前半 思考の複利効果

「ほう、これがヨウカンか。…………うむうむ、悪くはないではないか。年に数回なら食べても良いな」


 試食会が終わってすぐ、俺はエウフィリアに呼び出されていた。出資者に新事業の状況を説明しろと言われたら断れない。何の理由もなく呼び出されても断れないけど。


 いつもの小さめの応接室、俺が持参した羊羹を食べたエウフィリアは、ある意味一番へこむ事を言ってくれた。


「今日のご用件は何でしょうか大公閣下」


 俺は羊羹から目を逸らしつつ言った。


「いや、アルフィーから珍しくそなたが気落ちしていると聞いてな。それは一度見ておかねばと」

「それはなかなか。その珍味はそういった暇をもてあました大貴族様にはぴったりですよ」


 半ばやけくそ気味にいった。別にエウフィリアには負い目はない。プルラへの黄砂糖のライセンス販売で損失どころか利益が出るんだから。


 豆の需要を高めるという目論見を外させたシェリーには悪いことをしたけど。


「冗談じゃ。実はコレとも関係があるのじゃ」


 エウフィリアは羊羹をフォークで指した。俺は再び目をそらした。


「帝国皇女の歓迎のお茶会ですか」「じゃな」


 俺とエウフィリアは不機嫌な顔をつきあわせた。皇女が正式に学院に通う前に、王女が揃って皇女歓迎のお茶会を開くということになったらしい。普段なら呼ばれなくてもおかしくないアルフィーナも、学院の同級生になるのだから参加しないわけにはいかない。


 会場は、第一王女が嫁いだ王都近郊の公爵邸らしい。なんだその敵地っぽい場所は。


「基本的な準備は上の二人。年の近い第三王女ドリスディア、そしてアルフィーナが菓子を持ち寄るという趣向じゃ。というわけで、なにか珍しい一品が要るのじゃ」

「プルラ商会にご用命ください。専門外の私ではそのような大任は勤めかねます」


 俺は言った。黄砂糖を手に入れたプルラなら美しく美味しい菓子が作れるはずだ、俺と違って。


「むっ、知恵は貸せんというのか」

「私の知識はともかく、知恵などしれた物です」


 プルラに任せればアルフィーナが恥をかくような品は出ない。いや、向こうが何を出そうが楽勝じゃないか?


 俺が下手に手を出せば。王宮のお茶会に紅茶と羊羹を出して場を台無しにする、なんてことをしかねない。


「二つ問題があるからなるべく万全を期したいのじゃ。一つは例の木材の件じゃな。現在帝国から輸入される木材の一部、厳密に言えば増量分のさらに一部じゃな。それをベルトルドに回させるための交渉中じゃ。”中立”の宰相ではそれが限界らしい。実は向こうが乗り気になっていてな。王都を経由せずに、直接こちらに運んでも良いと。其方、なるべく来歴がわかりやすい方が良いと言ったであろう。このタイミングでこちらが皇女を歓迎していないというのはちと不味い」

「ベルトルドの工房拡張のための木材は実験条件が整ってからの予定では」

「改良馬車の評判が高まりすぎた。工房が今の規模では到底追いつかぬ。宿屋に取引所など他にも建てねばならぬ物が沢山ある。なのに、クルトハイトは文句を言ってくる。自分たちが王都に追いやった職人、それもほんの数人なのに、妾が奪ったなどとな」


 木材も帝国の情報も喉から手が出るほど欲しい。ストレートに入ってくる方が、実験サンプルとしては優れている。どこで伐採されたかを探らなければいけないのだ。


 ただ、向こうがこちらの木材を流すことに乗り気というのも不思議だ。単に商売相手を広げてリスクの分散ではないだろう、解せない?


「もう一つ、この手の社交界の評判というのは存外馬鹿にならん。向こうは何か仕掛けてくると考えておくべきじゃろう。武器はいるのじゃ」


 お菓子が武器か。まあ、そういう世界なんだろう。地球だって、戦国時代に茶会は大きな政治的意味を持ったみたいだしな。


「事情は分りました。……何か思いついたら、ということで」


 それでもない袖は振れない。俺はそう言って話を切り上げた。


◇◇


「新しい菓子って言われてもなあ」


 ヴィンダー商会に戻った俺はつぶやいた。開いている帳簿の数字もろくに目に入らない。良くない傾向だ。


「あの、リカルドくん。一つ教えて欲しいことがあるのです」


 大公邸から付いてきたアルフィーナが話しかけてきた。彼女に対しても気まずい。彼女は俺がプレゼントしたボールペンを片手に、もう一つの手には一枚の紙を持っている。


 彼女の中での俺が過大評価されているのは分っている。今回はずいぶん失望させただろう。なにしろ、あの講義の後だ。


 内心焦る俺の前に。アルフィーナは紙を広げた。俺よりもずっと綺麗な字で、いくつもの文章が並んでいる。


「リカルドくんから習った方法を使って、試食会のことを整理しようと思ったのです」


 そこには、この前の試食会のメンバーの意見が書かれていた。俺が耳にしていなかった物もある。アルフィーナが自分で聞いて回ったのだろうか。


「私なりに考えようと思ったのですけど。やってみると思ったよりも難しいのですね。リカルドくんがペンが大事だって言った理由だけは分りました」


 アルフィーナはボールペンを指で撫でていった。情報収集の後には、アルフィーナが立てようとした仮説が並んでいる。書いては消され、書いては消されが繰り返されている。彼女の真面目さと、俺が教えたことに対する信頼がそこには刻まれていた。


 そして、何度も同じ失敗をしたことのある俺には、アルフィーナの苦戦の理由がはっきり分る。


「参ったな。こんな簡単なことすら忘れていたか」


 俺は自分に呆れていた。


「実は、空雨傘の流れというのは一方通行ではないのです……」

「一方通行ではない?」


 決まった手順さえ踏めば正解が得られるなら、それは”問題”ではない。そもそも凡人が一発で正解を引けるなら、技術じゃなくて魔法だ。


 俺は最初に自分か書いた餡子プロジェクトの空雨傘を取り出した。これを机の奥にしまっていた時点で、おかしかったのだ。


「新しいことをする時は、成功する可能性よりも失敗する可能性の方が遙かに高いですよね」

「あっ、はい。だから失敗しないようにこういった方法を取るのではないのですか?」


 アルフィーナは首をかしげた。


「そうですね。でも、仮にこの方法で成功する可能性を十に一つから二つに出来たとしても、失敗の方がずっと多いでしょう。ですから、この方法の真価は失敗した後にあるのです。成功を目指して作った計画ですが。失敗した場合、失敗の原因を分析するための資料になるのです。せっかくですから今回の私の失敗を反面教師にしましょう」


 俺は自分のペンを抜いた。自分とアルフィーナの紙を縦に並べた。アルフィーナが集めてくれた情報は、今回の俺の計画に対する評価だ。それを使ってフィードバックを掛ける。空雨傘は回転させることで成長する。


 俺のペン先が紙の上を上下するのをアルフィーナはじっと見ている。どの段階で間違ったのか、答えはあっけなく見つかった。


「どうやら私は解く問題を取り違えていたようです」


 俺のペンが一番上で止まった。そこには(餡子を王国に広めるには)と書かれている。


「あの、どこかおかしいのでしょうか?」


 アルフィーナは首をかしげた。いや、おかしくない。俺は文章を二重線で引いて、その横に新しい文章を書いた。


「笑ってください。私が解いていた問題はこれでした」


(自分が食べたい餡子菓子を作り出す)


 正確には自分が食べたい日本の餡子を再現するだ。失敗するわけだ。


 俺はもう一枚紙を取り出すと、新しいタイトルを書く。


(餡子という新しい甘味を王国に広める)


 失敗を前提とする。混乱している頭を整理して、失敗を分析するのための原則だ。それによって、失敗からの学習効率をわずかに上昇させる。魔法の方法ではないが、その効果はどんどん蓄積される。


「この方法は循環させることで、失敗した時にそこから学ぶ効率を高めるのです。失敗の方がずっと多い新しい計画に挑む場合は、こちらがより重要です」


 前世では俺は思考の複利効果と呼んでいた。


「そういえば最初の予言の時……、リカルドくんは魔獣氾濫が間違っていたら、次の仮説を検討するって言ってましたね」


 アルフィーナが頷いた。なるほど、あのときはまだまっとうな考えが残っていたわけだ。黒歴史ならぬ、白歴史だな。


「ありがとうございます。おかげで思い出しましたよ」


「ふわっ! リカルドくん?」


 俺はアルフィーナの手を握った。ひんやりとしたすべすべの指の感触が、俺の手に伝わってくる。


「……す、すいません」

「あ、いえ、そのリカルドくんがやる気を取り戻してくれて良かったです」


 俺は慌てて手を離した。アルフィーナは頬を両手で押さえてしまった。


「で、では、これを元に新しい方針を立てます。情報収集はアルフィーナがすでにしてくれてますから、方針の決定からですね」


 餡子が受け入れられなかった理由は色か、豆の風味か、調理法か。あるいはコストか。


 白あんを作るには、豆の種類から変えなければならない。いろいろな種類の豆が流通していた現代日本と違って難しい。餡子の風味は捨てたらおしまい。黄砂糖食わせとけで話が終わる。


 俺はペンで思考を文章にしていく。


・王国に受け入れられてしかも餡子と融合した味の菓子を作るために味覚以外の感覚も駆使する。


 俺は新しい方針を立てた。カルチャーギャップを超えるためには味覚だけで勝負してはいけない。前回は全く逆をやったわけだ。


 方針が決まれば、次は具体的にどんな調理法レシピかだ。


「普通に考えたら小麦粉を使った土台で、バターやクリームと合せるだけど……」


 当たり前に見えて簡単じゃない。例えばあんまん、例えばどら焼き。今川焼きというのもあったか。だが、見た目が地味すぎる。食感も別に新しくない。


 クレープならどうか? 生クリームと餡子を挟んだクレープ。果物も添えれば見た目も悪くない。


 ダメだ。今回の場合、ただ餡子に置き換えるだけじゃ駄目なんだ。値段を正当化しない上、下手したら劣化洋菓子になる。大体、方針である感覚の駆使にも繋がらない。


 新しい方針を前に俺は考え込んだ。ペン先が紙の上でさまよう。うーん難しい。


 その時、部屋のドアが開いてミーアが顔を出した。


「先輩。シェリーとリルカが来ました。頼まれていた物が見つかったって」

「頼んでいた物?」


 近づいてくるぱたぱたという二つの足音を聞きながら、俺は首をかしげた。

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