7話:後半 天使失格
「そ、それは……。だけど、俺だって最初から貴族をターゲットにして」
反射的にプルラの言葉を拒絶しようとした。
「君の言うターゲットがこの地味、いや不気味なお菓子を食べると思うかい。豆のジャムを漉したんだってね。舌触りの素晴らしさは分るけど、デメリットがある。以前の物なら豆を煮たものだということは見れば分ったからね。……まあ、甘味を扱う者としては興味深いけど。だけど、そういうことじゃないんだ」
プルラは俺を宥めるように言った。俺は皿の上の黒い塊を見た。俺にとっては涙が出るほど懐かしい姿だ。一種わびさび的な美しさ。
だが、王国の美的感覚からしたらどうか。プルラはムースの白さにこだわっていた。ワンプレートランチの野菜のゼリー寄せはカラフルだった。
これはあまりにもこちらの美意識に合わない。ただでさえ高級品である菓子、その何倍もの値段の超高級品。だけど見た目はゲテモノ。豆の形を消したことで、未知の不気味さが増すなんて考えたこともなかった。俺にとっては当たり前の物なんだから。
そして、仮に食べてくれたとしても味だって地味だ。
あるいはシェリーのようにたまたま好みに刺さった人間。いや、シェリーだって野菜の専門家だからこそ、豆の風味と甘さのコラボを感じ取ることが出来たのかもしれない。
「これを買うことが出来る貴族層は中級以上だろうね。その中で、好みに合うごく少数だけが客だ。しかも、人に自慢もしにくい」
欧米で和菓子が人気といっても、現代の欧米人はこちらの世界の貴族以上に、お菓子など慣れきっている。クリームやバターに飽きた口に、和菓子の優しい甘さを新鮮と感じる。だからこそ、カルチャーギャップを乗り越えられる人間が出てくるのだ。
そもそも、日本人ですら若い層はケーキやチョコレートの方が人気なのだから。
「…………」
俺が懐かしさのあまり目指した世界は、お菓子を買う人間の数すら少ないこの世界とは全く違う環境だ。お菓子を味わう経験値を積んだ人間の母数からして違いすぎる。
「材料の構成も問題だ。従来よりも四倍高価な、君たちの言う黄砂糖を使った餡子、その餡子の割合がほとんどだろう」
経済的には大量生産される小麦粉は比較的安価だ。その小麦粉で水増し出来るからこそ、粉物と言われる食品の原価率は下げれると聞いたことがある。羊羹は餡子以外は水だ。水で水増ししているから安く出来るはずだが、その水を固めているゼラチンは小麦粉よりも高価。
超高価な餡子をたっぷり使って、希少なゼラチンで固めたこの菓子は原価を下げる方法がない。
いや実際には和菓子は洋菓子より少量で満足出来るのだが、ぱっと見は小さくて物足りなく見えるだろう。
「さらにもう一つ付け加えると」
プルラは自分の前にあるカップを見た。
「この菓子は紅茶と合わない。これではお茶会に出すことが出来ない」
「……っ!」
気がつかなかったわけではない。紅茶と和菓子は基本合わないのだ。だが、羊羹の出来に有頂天になっていた俺は些細なことと無視した。この旨さの前では些細な問題だと思ったのだ。重大なカルチャーギャップをことごとく無視した自分に愕然とした。
これまでの作業が頭をよぎる。まるで市場が存在しない方向に方向にと引きずっていったみたいだ。
「じゃ、じゃあ、ナタリーの餡子は、お店はどうなるのよ」
青くなったナタリーを支えながら、ヴィナルディアが言った。プルラはナタリーを見た。変わらず冷静な商人の目だ。ナタリーがびくっと肩を震わせた。
「少なくとも、君の商売としては何の問題もないだろう。黄砂糖は本当に素晴らしい。ヴィンダーから聞いたけどこの砂糖の製法は君が一番詳しいんだってね」
プルラは真剣な顔でナタリーに言った。
「……あ、は、はい」
「是非とも、そのノウハウをプルラに提供して欲しい。もちろん、対価は支払う」
「で、でも、さっきの話だと砂糖が一番高くて……」
「もちろん、超高級品にしか使えないし、使うポイントも絞らねばならないだろう。それでも、アンコとは違って従来の砂糖を置き換えればいいだけだ。保存も利く。工夫すればさらに収量を上げられる見込みがあるらしいじゃないか。ウチが使うなら量が多いからね。それだけでも多少の原価は下げられるだろう。最近の評判でウチの顧客はますます上層に広がっていてね。いや、本当にうってつけの物を作ってくれたよ」
「あの、でもこの砂糖はもともとヴィンダーさんの……」
「ああ、そこらへんのことはある程度話はしてるんだ、具体的な業務の形は……」
プルラはナタリーと砂糖の話を始めた。俺が事前に話していたことだ。……餡子のついでにくらいの気持ちだった。
考えてみれば当たり前だ。餡子よりもあの砂糖の方が商品価値は遙かに高い。俺の思った通りに餡子が成功したとしても、比べ物にならないくらいの市場だ。
「あ、あの、でも、私はアンコを売る店が作りたくて……」
「そうよ。ナタリーは餡子のためにあれを……」
餡子ではなく砂糖の開発者にされたナタリーが困惑の表情で俺を見た。彼女が一から作り出した餡子を、前世の知識で歪めた俺は答えるすべがない。
「君の店は元々屋台、銅商会にも満たないのだろう。十分な収入になると約束するよ。ヴィンダーから引き抜けないのは残念だけどね」
「あ、そうなの。で、でもそういうことじゃなくて……」
それでもヴィナルディアは明らかに安堵の表情になった。友人の生活の心配を優先するのは当たり前だ。ナタリーもうつむいた。彼女にとっても夢であっても、道楽じゃないんだから当然だ。
でも、俺はまるで道楽のように。プルラと開発者のやりとりが右の耳から左の耳に抜けていく。
何がエンジェル投資家だ。一番最初のプルラの言葉は正鵠を得ている。ベンチャーの出資者である俺が、開発者と一緒になって商品だけを見てるなんて、怠慢以外の何物でもない。
ベンチャーに関して、投資家の役目は新商品に金を出すだけじゃない。市場に合うように、あるいは市場を作るように商品開発の誘導をすること。言わばマーケティング戦略も担当する。そして、その商品が経済的に成り立つようにすることじゃないか。
蜂蜜で顧客層の薄さを把握しているはずの俺が、何で需要が存在しないところに誘導してるんだ。
餡子の開発はアイデアだけ渡して、俺はその間に売り方を考えるべきだったんだ。
「ヴィンダー、そのごめんね。もうちょっとちゃんと私が意見を言うべきだった」
黙っていたリルカが俺にいった。そう、それも俺の間違えだ。
あの場では、彼女がマイノリティーだったけど、世間的には彼女の意見こそがマジョリティーだ。とんでもなく偏ったサンプル相手に有頂天になっていた。統計的思考の初歩の初歩すら忘れていたわけだ。
最初は、貴重な否定派だと認識していたのに。
「――ヴィンダー」
「……えっ! あ、はいプルラ先輩、な、何ですか」
「聞いていなかったのかい。以前、君が提案していたとおり、黒砂糖から黄砂糖を作る工房を作りたい。冬の間が作業に適していると言っていたよね。なるべく急ぎたいんだ。君の考えた株式で出資比率を決めて。ああ、ベルミニにも権利があるか。とにかく、ナタリーさんをそこの技術責任者として……」
そういえばそんな相談もしていたか。餡子のついでにだけど。はは、こりゃ大儲けだ。
考えてみれば、和三盆も和の味と言えば和の味か。結局、俺の前世の知識の勝利という訳だ。
すごいぞ現代知識。俺自身の知恵とは大違いだな。
ここに来る前に、どや顔でロジカルシンキングを披露したことを思い出す。心配そうな顔でこちらを見ているアルフィーナから俺は目をそらした。




