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7話:前半 通の判断

 ああ、そりゃこうなるか。


 玄関前に勢揃いしたベルミニ商会一同を見て俺は思った。特に中央の当主、シェリーの父親は冬なのに額の汗を隠せていない。


「アルフィーナ王女殿下の御来訪を仰ぐこと、当商会始まって以来の名誉でございます」


「私も楽しみにしていました。今日はお邪魔いたします。ただ、私は今日はヴィンダー商会の株主として参りました。シェリーさんとはお仕事の仲間でもあるのですから。どうかお気遣いなく」


 馬車を降りたアルフィーナはにこやかに会釈した。


 ベルミニ商会の当主はますます恐縮した。一方、シェリーの母親と弟は誇らしげな顔になっている。


「なんという奥ゆかしいお言葉だ」「まさしく聖女殿下とお呼びするに相応しい」


 玄関前に控えている使用人達から感嘆の声が上がった。アルフィーナは本音を言っているだけだと思うが。なるほど、これが人徳というものか。


「大変だっただろう」


 アルフィーナをクラウディアとルィーツアに任せて、シェリーをねぎらった。


「……そうね、苦労したわ。この程度に父さんを抑えるのにね」


 シェリーはふっと遠い目になった。ああなるほど、そういうことになるのか。いやいや、それでもまともだぞ。家にアルフィーナが来た時なんか親父は逃げ出したからな。


◇◇


「ほ、本当に連れてきた」


 試食会場である会議室で控えていた開発者二人は、続々と入ってくるメンバーに驚きを隠せない。


 いつも強気なヴィナルディアも最後に入場してきた三人の令嬢に口をぱくぱくさせている。


 アルフィーナを中心に左右にクラウディアとルィーツア。王女が伯爵令嬢と子爵令嬢をつれてやってきたわけだ。平民にとっては地獄絵図だな。


 いやだって想定客層を考えれば、この三人を外すわけにはいかないからな。ちゃんと事前に伝えてるし。ミーアから聞いたことだけど、ぶっつけ本番でリルカは平気だったらしいぞ。


「王女様にわ、私が作った……」


 ナタリーは仕方がないか。でも見本市の時にすでに食べさせてるんだよ。


「プルラ先輩も忙しいところすいません」


 俺は今日の主役に挨拶をした。彼がいないと始まらない。


「あの砂糖を使ったこれまでにない菓子と言われてはね。それに……」


 プルラはナタリーを見た。ナタリーは王都一と言われる菓子商会の御曹司にばっと頭を下げた。


「あ、あの、きょ、今日はよろしくお願いします」


 いつもよりもさらに緊張してるな、大丈夫か。


「なあ」

「何よ」

「いや、アルフィーナ様相手よりも緊張してるように見えるぞ」

「そりゃまあ。ナタリーにとってはあこがれでしょ。王都に店を出すのが目標なんだから」


 そういえば、試作の合間に聞いた気がした。この場合は店と言っても屋台ではない、言ってみれば目指せ銅商会ということだ。王都に餡子菓子を売る店が出来る、わくわくするような話だ。


 それにしても……。俺は会議室の空気を片手で煽いだ。


「ちょっと暖房効き過ぎじゃないか」


 暖炉に燃える薪を見て言った。前世の暖房並とは言わないがかなり暖かい。


「父さん達が、万が一お風邪でも召されたらって。ほら貴族のお屋敷って私らの家よりだいぶ暖かいでしょ。到着予定のずっと前から暖炉に薪をどんどん入れて。……やり過ぎなんだけど。今年は薪が高いから、これが一番大変だったかも」


 なるほど、大公邸なんか狭い部屋にも立派な暖炉だったからな。それですら、今の季節なら寒く感じるだろう。石造りの建物は暖まるのが遅い。


 木材が貴重だから薪は高い。農村なんか冬の燃料は泥炭が主流だ。アレは煙がきついんだ。


◇◇


「では、発表します。豆の餡子で作ったゼリー。羊羹です」


 全員が席に着いたので、俺は試食会の開始の合図をした。ナタリーが羊羹を切り分け、ヴィナルディアが一人一人の前に運んでいく。運んでる時にプルプルと揺れる羊羹、正確に言えば水羊羹だな。煉羊羹に比べれば味は薄いが、その分餡子の風味が素直に出る。


 皿は小さな白だ。綺麗な円形なのが少し物足りない。羊羹をのせるなら、もうちょっとわびさびの効いた形が良いんだけどな。


「「…………」」


 皿の上を見た参加者の反応は微妙だ。小さな黒いゼリーを恐る恐るといった目で見ている。アルフィーナだけは期待に満ちた目だけど。


 ふっ、食べておどろいて欲しい。俺の故郷の自慢の味だからな。


 責任者として俺は先陣を切ることにした。フォークで羊羹を食べるというのは抵抗があるが、仕方がない。餡のせいでゼリーよりもねっとりした感触にフォークを突き刺す。うん、また旨くなってる。


 俺はシェリーと目配せをする。シェリーもコクコクと頷いた。


 俺たちを見て、他の試食者達も試食を始めた。


「ああ、これは本当にやさしい甘さですね。この前食べた時と全く違います」


 アルフィーナが一口をじっくり味わうと言った。その表情から、お世辞でないことが分る。値段的に想定顧客の代表が彼女だ。俺はほっとした。そして期待を込めて、アルフィーナの左右に目を移す。


 ルィーツアとクラウディア。アルフィーナに次いで上流階級のご令嬢だ。二人はほぼ同時に、フォークを下ろして互いを見た。


「面白い味……かしら。そこまで悪くはないと思うけれど……」「…………う、うむ。珍しい味だな」


 あ、あれ? なんか微妙な反応だ。ルィーツアは紅茶に手を伸ばし、クラウディアは口をもごもごさせて少し困った顔になっている。


「……この前とは雲泥の差だというのはわかるけどな」


 ダルガンが言った。えっ、なんだそのマシになった程度の評価は。


「………………確かに、食べたことがない味、ではあるわね」


 マリアが言った。彼女は初めて食べる味のはずだ。もうちょっとちゃんと味わってくれれば……。


「でも。これってとんでもなく高価な砂糖を使ってるのよね。ちょっと厳しくないかしら」


 食料ギルド長の娘の言葉に会場の空気が重くなった。ナタリーが表情を曇らせ、ヴィナルディアが拳を握った。


 お、おかしいな。なんか皆揃って評価が微妙だぞ。慌てて皿の羊羹をもう一口食べた。うん、最高の味だ。俺の舌ではもはや前世にすら匹敵している気がする。これでダメなんてことはないはずなのだが……。


 俺は最後の一人、菓子に関しては一番の専門家の感想を待った。プルラのいつものきざっぽい仕草でフォークを置いた。冷静な表情からは全く反応が読めない。俺は固唾をのんで判定を待った。


「驚いたことが二つある、一つは――」


 プルラはナタリーを見た。


「こんな新しい美味しさを作り上げたことだね。前回とは比較にならない。こうまで洗練されては脱帽だ」


 プルラの言葉に、ナタリーがホッと胸をなで下ろした。ヴィナルディアがよろけた彼女を後ろから支えた。俺も大きく息を吐いた。


 よし、プルラのお墨付きだ。これで、王国への餡子普及は待ったなしだぞ。


「もう一つの驚きは――」


 プルラは心の中でガッツポーズを決めた俺を見た。


「君が付いていながら、これが商品になると判断したことだね」

「えっ!?」

「やることは無茶なのに、判断は怖いほど冷静で打算にまみれているヴィンダーとは思えない」

「そ、それはどういう……」


 プルラの視線は先ほどとは打って変わった厳しさだ。俺は何を言われているのか分らない。さっき、最高に近い評価、いや最高の評価をしてくれたじゃないか。お菓子商人にとって最高の菓子が商品にならないなんて、意味が分らない。


「いいかい、このヨウカンを美味と評価した人間を見てみたまえ。開発者である君たち以外だよ」


 それは、アルフィーナとプルラだ。ここにいるのは開発者組を除けば六人。そのうちたった二人。お菓子だからターゲットは女性と考えればアルフィーナ一人。


 そしてアルフィーナは……。いやいや、彼女に限ってお世辞なんて言わないだろ。


「いいかい、アルフィーナ様が君をかばっていると言ってるんじゃない。実際、僕もこのヨウカンを美味だと言っただろ」


 プルラは人差し指をくるくると回した。


「アルフィーナ様は、お立場に比べれば慎ましくも、菓子を食べる機会は多いだろう。しかも、その場合は王宮や大公閣下のお屋敷で贅を尽くした物になる、ですね」


 プルラの言葉にアルフィーナは頷いた。


「そんなアルフィーナ様にとって、このヨウカンの味は新鮮で新しく見えた。色の不気味さや、形の地味も開発者が君……、見知った人間であることから問題にはならない」


 プルラはアルフィーナの立場の特殊さを強調する。


「そして職業柄飽きるほど食べている僕だ。ちなみに今日もここにくる前に、さんざん店の試作品を食べていてね。僕がこれを美味しいといった理由は、文字通り従来のお菓子と違うからだ。君は言っていたじゃないか。この優しい甘さが分らないのかと。なるほどだよ。前回これの可能性を見抜けなかったのは僕の不覚だった。これまでにない美味しさだ。そうだね、僕なら飛びつくだろう。ただし、従来の物を同じ値段水準ならだけど」


 プルラの口から語られる理由。その内容を脳が理解して行くにつれて、背中に冷や汗が流れ始めた。

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― 新着の感想 ―
あの砂糖を作ったこれまでにない菓子と言われてはね。 作った→使った では
[良い点] 和菓子を手放しで称賛して導入するのではなく現地の人に合うようローカライズする展開はさすがだと思いました [一言] 日本人はよく和菓子をやさしい甘み、海外製の洋菓子を甘すぎると表現します。 …
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