6話:後半 異世界生態系
「つまり、気候とは関係なく収穫量を左右する要因が東部にだけ存在するということです。そして、その要因は魔獣氾濫の可能性が高い」
俺はミーアの計算式を未練がましく見るフルシーに言った。
「予兆が出れば騎士団によって潰される魔獣氾濫が、収穫量を増す効果があると。…………理由とはなんじゃ?」
フルシーは忌々しそうな顔で俺の方に向き直った。相手にされるだけ、マシになったな。
「魔物の領域である赤い森と平地の耕作地は、間に林を挟んで繋がっています。赤い森の生態系の変化は林の生態系に、そして林の生態系の変化は平原の生態系の変化に影響するはずだ。一番可能性があるのが害獣の存在です。夜間に林から現れ、畑を荒らす大ネズミの害は馬鹿にできない。低級の魔物は普通の動物も餌にします。個体数が増加して魔力が減った状態、つまり飢餓になればなおさらだ。森から林に漏れ出した魔物、具体的には魔狼あたりかな。これが畑にとっては害獣である林の動物を減らした。俺はそう考えています。さてでは、今年西方が豊作になる理由は何でしょう」
「西方で魔獣氾濫が起こる、そういいたいのだな。…………忌々しいが一理ある。予言である災厄を予言の豊作で裏付けるのは半分インチキじゃがな」
やっぱり気がつくか。
「なにより、肝心な部分がまだじゃ。魔脈の魔力が変動しないかぎり、そもそも魔獣氾濫は起こらん。違うか」
フルシーは鋭く論理的弱点をついてきた。その通りである。状況証拠がいくつか揃えば、人間は簡単に因果関係を創りだす。小説家ならずとも、人間は物語が大好きなのだ。
だが、歩行者がどれだけ信号無視しても、車が通ってない道路では自動車事故は起きない。いくらもっともらしくても根本原因がなければ起こらないものは起こらないのだ。
ちなみに統計はこの逆、偶然を基本に置くことにある。が、それは今はいい。
「そこで、検証可能の問題です。西方でも魔脈の魔力量が変動している可能性はある。ちなみに、東方で魔獣氾濫の予測はどういう方法で行われているのですか」
「魔脈から湧き出す魔力は乱雑じゃ。一方、資質をもった人間が使う魔具の魔力は整っている。つまり、魔具に魔力を流し、それがどの程度乱されるかを魔力に反応する紙に写しとるのじゃ。きちんと基準を決めて、しっかりと数値化したデータとしてな」
老人は胸を張った。やはりこの爺さんはやる。期待以上に厳密な方法だ。
「では、西方でも同じ測定を行えば、魔獣氾濫が起こることを示せるのですね」
アルフィーナが興奮気味に言った。だが、俺は首を振った。
「そうはいかないでしょう。魔力の変動と魔獣氾濫の間には時間の差があるでしょうね」
俺は理科の資料集にあった、天敵と捕食者の個体数の変動のグラフを思い出していた。この二つはズレて連動する。
「そのとおりじゃ。魔獣氾濫の予兆とは単年の魔力量ではなく、魔力のピークとその後の減少という相対的なパターンに基づく。これは数年を要する。東方ではこれまでの四十年以上の魔力量の測定をしておる。じゃが、これまで魔獣氾濫が起こっていない西方には記録が存在しない。仮に今から西方の魔力量を測定しても、今年の魔獣氾濫は予測できぬということじゃ」
「そんな……」
アルフィーナは絶望的な顔になった。ここまで可能性が高まった魔獣氾濫の証拠を出せないのだ。だが、もちろん、俺には当てはあった。
この世界にも四季がある以上、年ごとのデータは蓄積されるはずだ。純粋にデータの質だけなら、西方の山脈の氷河だろうが、生命がいくらあっても足りない。となると考えられるのは…………。
そう、あの村の周囲には特徴的な色の樹木が生えている。
だが問題はいくらでもある。その記録の経年劣化、そもそも間接的な測定になるのだから精度が確保できるのか。それでも可能性はある。
「測定はどれくらいの誤差を含みますか?」
「一割前後じゃな、それがどうした」
「考案者である館長が直々に実験すれば?」
「儂の知識だけがいるんじゃなかったのか?」
「若者に失敗はつきものです」
同級生たちには使いづらい言葉だが、累積年齢の倍は生きている老人相手なら問題ない。
「ふん、儂が方法を確立して四十年近く。後任の者達はやり方を全く変えず測定を繰り返すだけじゃ。それで何が面白いのか。王宮はこれ以上の精度など必要ないと、研究費を打ち切りよった。じゃが、儂は改良を続けている」
「つまり」
「儂なら更に一桁下の精度で判断できるわい」
フルシーは引き出しから一枚の黒い紙を取り出した。
「ではその過去のデータを取りにいきます。戻り次第、館長にはサンプルの測定をお願いしたい」
「過去を知る方法が本当に有るというのか……」
「確証はありません。でも、うまく行けば過去数十年くらいの記録は取れるでしょう。あとは比較のため、東方でも同種のサンプルが必要なのですが――」
採取に必要なのは細い円筒形の金属。王都付近の普通の木をネガティブコントロール。東方の樹をポジティブコントロールにする。俺は博物学の図鑑を開いた。秋の紅葉のような真っ赤な木が描かれている。だが、この木は季節を問わずこの色だ。
赤葉樹、赤い森とその周辺の限られた範囲にしか生えない、生存に魔力を必要とする樹木なのだ。
「ふん、まあ儂も一応は教育者ということになっておるからな。学生の戯言に付き合うのも一興じゃろう。……姫の頼みでもあるからな」
そう言いながら、フルシーは唇を釣り上げた。
◇◇
講義が終わって、俺は書庫側から館長室を出た。ミーアは先程の計算式の話でフルシーに捕まったままだ。
それは仕方がない。だが、何故かアルフィーナがついてきた。
「リカルドくんは本当にすごいですね」
薄暗い書庫の中でも輝く美少女は、尊敬の目で俺を見た。あまり無邪気に期待しないで欲しい。原理的にはうまくいくと思うが、綱渡りもいいとこだ。失敗した時の反応を考えただけで胃が痛くなる。
「リカルドくんがレイリア村まで出向くのですよね」
「ええ、直接目で見たいですし。あそこはヴィンダーの商売相手で、村長とも知り合いですから」
「そうなのですね……」
アルフィーナは足を止めた。そして、意を決したように顔を上げ、真っ直ぐな瞳で俺を見た。嫌な予感がした、この同級生が自分の意志を示した時、高確率で俺の保身が揺らぐのだ。その相関たるや、計算するまでもないくらいだ。
「私も連れて行ってください」
「えっ?」
「リカルドくんばかりに苦労をかけさせるわけにはいきませんから」
「お、お心遣いはありがたいのですが、家業のついでですのでお気になさるには及びません」
とんでもないことを言い出した。俺がまた別の異世界に転生したらどうする。
「でも……。予言で見たのがその村か私なら確認できます。実際に見ればもっと詳細なイメージを思い出せるかもしれません。一次情報、ですか。大事なのですよね」
「それは……」
痛いところを突かれた。仮説の大前提、もっとも重要な確認事項だ。そして、それができるのは彼女だけなのだ。
「し、しかし、ご自身が遠出は難しいとおっしゃっていたではありませんか」
「簡単ではありませんけど、叔母上にお願いしてみます」
俺達は書庫の出口まで来ていた。アルフィーナは意志を込めた瞳で俺をじっと見る。穏やかな彼女の明確な意思表示だ。その目の光に、俺の足が止まっていた。
その時、いきなりドアが開いた。黒い影が、書庫に入ってきた。俺は反射的にアルフィーナの前に立った。閲覧室からの光がシルエットを映した。ポニーテイルの女性だ。その手に細長い光の反射が見えた。
「なぜ貴様が姫様と一緒にいる!」
声より先に抜きやがった。そういえばさっき背後でノックの音がした気がする。迎えに来たら書庫だと言われたのか。ミーアの姿は見られたのだろうか。だとしたら偶然書庫であったが通用しない。
「クラウ。リカルドくんは私のお願いに応えてくれただけです」
「なっ。そ、そんな……。き、貴様……」
クラウディアは真っ赤になった。一体何を想像したのか抜身の刃がプルプルと震えている。未婚の主が男と密室で二人っきりの状況、それを見た護衛。これはまずい。むしゃくしゃしてやっても無罪になりかねない身分差付きなのだ。
「落ち着いてくださいクラウディア殿。アルフィーナ様、その言い方では誤解を招くかと」
「…………あっ! ええっと、その……、そうです、リカルド君はご実家の商売で西方の土地に明るいのです。それで、予言のことについて助言してもらったのです。フルシー先生に聞いてもらえばわかりますから」
俺よりも腹芸が出来ない唯一の同級生かもしれないアルフィーナの言葉はしどろもどろだ。だが、それを聞いたクラウディアは俺を押しのける。
「姫さま。予言のことはもう口に出してはなりません」
「クラウ。でも……。リカルド君、私は……」
主に対するには強すぎる当たり。さっきの俺に対する警戒心よりも強い不安が宿っているようだ。それでも、アルフィーナは俺の方に近づこうとした。
「リカルド。姫様が予言を気にしておられるなど、決して口外するな」
「約束する。アルフィーナ様、今回はご一緒できて光栄でした」
クラウディアの視線に押されるように、俺は書庫から出た。二人は出てこない。おそらく、館長室に戻って廊下に出るのだろう。
何故か唇を噛んでいた。話が有耶無耶になったことにほっとしていいはずだ。すでに俺の保身ゲージはゼロ、いやマイナスまで行っているのだから。
そもそも、お姫様を村に連れ出すなんて無理がありすぎる。アルフィーナの叔母はベルトルド大公、大貴族だ。きっとまっとうな判断をするだろう。