6話:後半 ボン・キュ・ボン
ブレインストーミングではアイデアを出す段階では否定してはいけないと言われる。アイデアを数多く出すための工夫だ。それはその通り。そして、紙に書き出すことで沢山のアイデアを保持することが出来る。
だが、広げたアイデアは絞らなければいけない。
少し話がずれるが、「みんなちがって、みんないい」という金子みすゞの詩があった。よい言葉だが、この場合はそのまま適応できない。
「みんな違う」のは良いことだ。なぜなら「誰かが良い」からだ。
答えが分らない状況で判断を下す時の原則だ。次のポイントは、じゃあその『誰か』を誰がどうやって決めるのかだ。答えが分らないのだから誰にも決められないが答えだ。
実際に、生物の進化はこの方法でなされている。馬鹿みたいにコストが掛かる有性生殖が採用された理由でもある。経済学で言えば市場経済の利点の一つだ。
生態系は遺伝子の市場。市場である以上は商品の生存競争に任せる。自分も他人も含めた世界そのものがジャッジを下す。もちろん、これも一種の理想論に過ぎないが。
さて、この場合は俺が決めるしかない。そこで、アイデアを絞る上での注意点は本能との戦いだ。
人間は失うことを恐れる。一度手の中に入れた物を手放すことは恐怖だ。だから、出したアイデアを捨てたがらない。
だからこそあえてやるのだ。それをやらなければブレインストーミングは逆に足を引っ張る。多くのアイデアは害悪にしかならない。最終的な目的の為の行動を妨げる。十個の優れたアイデアよりも、その中からランダムに選んだ三つの優れたアイデアの方が良いといってもいいくらいだ。
そして、目指すは10個のアイデアの中からもっとも適した一個を選び出すこと。
そのために必要な過程が『雨』方針あるいは仮説の決定。
「次の『雨』の過程では、アイデアを元に方針を練り上げていきます」
俺はそう言うと文章を連ねていく。
――――――――――――――――――――――――――
・ジャムや蜂蜜に勝てない餡子に価値があるのか?
↓
・餡子にはジャムや蜂蜜にはない別の魅力がある
↓
・餡子の魅力を引き出すことで見た目や味の不慣れさ、ジャムや蜂蜜との比較を解決する!
――――――――――――――――――――――――――
「これで『雨』方針が決まりました」
俺は最後の一文を強調した。
「餡子そのものの質が高まれば良い。当たり前ですが……」
「ええ、とても整理されています」
蜂蜜の方が良いとか、ジャムの方が良いとかいうのは、餡子の味が向上すれば自ずと解決するのだ。勝つ必要はない、蜂蜜やジャムと競えるだけのレベルに持って行けば、問題は解決する。なぜなら、餡子にはジャムや蜂蜜とは違う魅力があるからだ。むしろ、蜂蜜とジャムに勝とうとしたら破綻する。
見た目も味もそれが出来れば逆にアピールポイントになると考えるのだ。
いわば正面突破だ。何しろ和の味の普及が目的だからな。
「最後の傘です。この『方針』を実現するためにはどうすれば良いのか具体的な方法を考えます」
俺はそう言って、複数の文章を書く。
――――――――――――――――――――――――――
□ 餡子にもっと沢山の砂糖を入れて、豆の風味と甘さを両立させる。
□ 餡子の舌触りを改善する為に皮を漉し取る。
□ 餡子の味を強調するパン以外の食べ方を考える。
――――――――――――――――――――――――――
俺は思考を終えた。もちろん、今回のは漉し餡から羊羹まで成功した後でありフェアではないが、思考の流れとしては良い例だと思う。
広げた思考は一つの方針へと絞らなければならない。抽象化して絞った一つの方針は、具体的な行動へと展開しなければならない。
「まとめると、私の思考はこうなります」
俺は書き上げたノートを皆にみせた。
――――――――――――――――――――――――――
(餡子を王国に広めるには)
『雨』
・ジャムや蜂蜜があるのに餡子が要るのか?
↓
・餡子にはジャムや蜂蜜にはない別の魅力がある
↓
・餡子の魅力を引き出すことで見た目や味の不慣れさ、ジャムや蜂蜜との比較を解決する!
『傘』
□ 餡子にもっと沢山の砂糖を入れて、豆の風味と甘さを両立させる。
□ 餡子の舌触りを改善する為に皮を漉し取る。
□ 餡子の味を強調するパン以外の食べ方を考える。
――――――――――――――――――――――――――
「……整理されるのは良いことですね」「窮屈すぎてむしろ頭が固くなりそうじゃ」
ミーアとフルシーは微妙な顔だ。やはり凡才の悩みとは無縁か。知ってた。
「ま、まあ私にも無用かしら」
二人に続かんと、ノエルがそう言って胸を張る。だが、俺は言った。
「ノエル。ローブを開けてみろ」
「な、なに、嫌らしいことを言ってるのよ」
「リカルドくん」「先輩」
「いや、下は制服だろ」
ノエルは渋々前を開いた。二つの大きなクッションの間に紐につながれたボールペンが挟まっていた。わざわざボディーに穴を開けて紐を通してある。
「……錬金術の図面を下書きする時に役に立つのよ。1単位で何本も作れるんだし、加工費は取ってないんだからいいでしょ」
「わかってるよ。ただし、次はインクの改良にも付き合ってもらうからな」
「分ったわよ」
飛躍的に使いやすいが俺はこれで満足するつもりはない。もうちょっと粘度が低いインクが欲しいし、三色ボールペンとは言わなくとも、せめて赤が欲しいからな。
「当たり前のことを言ってるだけに見えたのに。いえ、だからこそですね。ずいぶん頭がすっきりしてきました」
アルフィーナが目を輝かせた。
「ええ、この方法は複雑な問題を簡単なステップに分けるのです。高い崖の上にある、綺麗な花が欲しいとします。超人的な運動能力がなければいくら飛び上がっても、崖にしがみついても無駄です。でも、はしごさえ用意すれば誰でも上れる。問題と答えまでの手順がその梯子です」
空雨傘はきわめて汎用性の高い情報処理のフレームワークだ。
「そうです、リカルドくんの最初の予言の解析も今のような感じでした」
「そこまで理解してくれれば満点です。あの場合は、アルフィーナ様の予言のイメージから情報を引き出すのが『空』、広げるステップで。災厄の地がレイリア村だと絞ったのが『雨』。レイリア村であることをスタートに、起こりうる災厄の可能性を考えたのが『雨』の中で広げるステップで、魔獣氾濫と決定したのが絞るステップ。そして、魔獣氾濫の証拠を掴むために年輪の採取から魔脈の測定までが『傘』ということになります」
複雑な問題の場合、空雨傘が入れ子状になったり、短冊状に並ぶ。
「ポイントは先ほど言ったように、広げて絞る、絞って広げるですね。思考のボン・キュ・ボンとでも言いますか」
アルフィーナが首をかしげた。俺の目が思わずノエルに向かった。
「なるほど旨いこと――」
フルシーがそう言いかけて自分で口をふさいだ。俺は失態を悟った。いや、どちらかと言えば控えめくらいが好きなんだけど、視線誘導効果は質量に比例するというか。
ノエルがローブを開いているのがいけないんだ。……開かせたの俺だけどさ。
「リカルドくん……」「……最低です先輩」「へ、変態!」
女性陣の視線が雨のように降り注ぐ。アルフィーナが悲しそうに目を伏せ、ミーアがジト目で睨み。ノエルはキッとした目でローブの前をぎゅっと閉じた。突然のにわか雨に、傘の用意などあるはずもない。
「コホン。つまり、其方のめんどくさい方法のためには、細かい文字が早く書ける、しかも途切れないそのペンが必要だと言うことか」
館長が空気を変えるように言った。フォローみたいな形になってるけど、さっき俺の例えに頷いたよな。
「そ、そうなんです。というわけでアルフィーナ様。良かったらこれを差し上げます」
俺はペンを一本取り出すと、アルフィーナに渡した。別にさっきの失言をごまかそうとかそういうつもりじゃなくて、ちゃんと理解してくれたことのご褒美だ。
「良いのですか。でもリカルドくんにとって大事なお仕事の……」
「ストックがありますから」
俺が箱の中に一本残っているのを見せると、アルフィーナの顔がぱっと輝いた。
「おそろい……、大切にしますね」
ペンをぎゅっと胸に抱いて、アルフィーナは言った。
「そういうつもりなら、リボンくらい用意しなさいよ。仮にも女の子へのプレゼントでしょう」
「いや、ははは……」
考えてみれば、栞だったりペンだったり机周りばかりだな。女の子、ましてや姫様へのプレゼントじゃないか。姪に贈る物としたらしっくりくるけどさ。
それに、このプレゼントはペンと空雨傘のセットだ。概念にリボンは巻けないのだ。
「ごまかすための策だとしたら、ちょっとお粗末ですね」
ぼそっとミーアが言った。
「っと、思ったよりも時間が掛かったな。そろそろ出ないと」
俺はミーアから目をそらしながら言った。秘書殿の怒りはまだ収まってないらしい。ストックをアルフィーナにあげてしまったから追加で一本作らないといけないのだが。
ナタリーに頼んで羊羹を厚めにしてもらえば大丈夫だろうか。




