6話:前半 史上最高の発明品
「あっ、そういえば頼まれていたの出来たわよ」
俺とアルフィーナが引き上げようとしたら、ノエルが錬金術士のローブの前を開いた。隠されていた体のラインが露出する。
ちなみにローブの下は学院の制服だから問題ない。俺の視線が一瞬引き寄せられたのも含めて。
「はいこれ。苦労したのよ」
二人の同性の少し恨めしげな視線に気がつかず、ノエルは俺に箱を押しつけた。長方形の箱を開くと、貴金属のきらめきが目に入った。釘の先ほどの魔導金の輝き。そしてそれを包む木の棒。
「流石ノエル博士。いや、Dr.ノエル」
「ハカセ? ドクター?? いい、こんな個人的な作業をさせるなんて普通出来ないんだから。予備分まで作らせて。いくら魔導金がほんのちょびっとしか要らないって言っても、細かい造形はそれで大変なんだからね。」
「ああ、感謝してるよ。本当に」
人類最高の発明は何か? 形ある物に限定するなら、俺は筆記用具と答える。理由は簡単だ、ペンと紙があれば他の全ては発明できるのだから。
錬金術で作ったといっても、ノエルに頼んだのはレフィル部分だけ。直径1ミリのボールとそれを保持する部分からなるチップ。そしてインクを入れる筒だ。
他の部品は俺が用意した。ボディーと口金は一体で木製。おかげでどちらかと言えば鉛筆に見える。グリップに皮を巻いてあるのがこだわりだ。もちろんキャップ式。
要するにこちらの技術では加工出来ないものは魔導金で作ったわけだ。だから量産はあきらめた。チップ部分が細かすぎるので、金型を作ってという訳にはいかないのだ。
おかげで値段は一つ金貨一枚。一本10万円の超高級ボールペンだ。ミーアに経費として申請したとき、新しいゴルフクラブを買うことを妻に説得する夫のような気分を味わった。
ちなみに前世では、お医者さんみたいな名前のボールペンを愛用していた。重心が前にあるのが使い心地がよく、適度な低粘度を謳うインクは書き心地抜群だった。
ちなみに、ボールペンは日本の隠れた名産品で世界的に人気が高いという話を聞いたことがある。
径としては0.5ミリが好みだったがそこは妥協だ。こっちでは高級紙でも目が荒くてボールがうまく回転しないだろう。インクの粘度や発色など文句を付ければキリがない。
「早速試させてもらうよ」
懐からメモ用の紙を取り出すと、先端を軽く押しつけた。黒い線がすっと引ける。感動ものだ。
羽ペンとは雲泥の書き心地だ。何しろアレと来たらやたらと引っかかるのだ。何より、インク切れを気にせずに書き続けることが出来るのが大きい。
インクの入れ替えは手間だが、この量なら一ヶ月くらいは持つだろう。俺の前世でのボールペン一本の寿命がそれくらいだった。
「これはペンなのでしょうか? 随分と細い字が書けるのですね」
アルフィーナが覗き込んできた。俺の汚い字に、きらきらとした好奇心の視線が注がれる。
「これはインクを付けずに書き続けることが出来るのです。筒の中にインクが入っているのですよ」
「なんじゃ、ベアリングを考えたお主じゃから期待したが、ペンはペンか」
「……金貨一枚」
フルシーががっかりしたように言った。ミーア視線も厳しい。ほんのちょっと優れているだけのペンを、わざわざ錬金術まで使って、大金を掛けて作ったことが納得出来ないのだろう。
その違いが、どれほど決定的か整然とした頭脳の持ち主であるミーアには分らないだろう。フルシーも天才のたぐいだ。頭の中に自前の広くて自由自在にかき消し出来るノートを持ってるんだろう。それに多分、思考に枠をはめることを嫌うタイプだ。
「考えたことを紙に書く人間には、俺の気持ちは分らないんだよ。俺は書いて考えるんだ」
俺にとってはベアリング以上に大事な物だ。いや、ある意味ベアリングだ。回転させるのは車輪じゃなくて脳だけど。
「私は興味があります。リカルドくんの考えにはいつも感心させられますから」
二人と対照的にアルフィーナは期待を込めた目で俺を見る。聡明と言って良い彼女だが、天才でも鬼才でもない。彼女なら……。
「じゃあ、少し時間もあるし…………」
そこまで言って俺は口を閉じた。紙に付けたペン先から、黒いシミが大きくなる。慌ててペン先を持ち上げた。
「リカルドくん? あっ、もしかしたら聞いてはいけないことでしたか?」
アルフィーナが済まなそうな顔になった。俺は自分の躊躇の理由に気がついた。年輪、フレンチトースト、ベアリング、そして餡子。元の世界で他人が考えた結果である現代知識や概念。
地球の巨人の肩の上に乗っている俺は、これまで必要とされれば気軽にそれを開示してきた。たまたま知っていただけの知識なら気楽に安売りしてきたのだ。
だが、この方法は前世で千枚を超えるノートを書き続けて、自分なりに習得した技術だ。だから惜しいと思ったのだろう。勝手な話だ。厳密には自分で考えた方法じゃないのに。
「いえ、秘密にするようなことじゃないですから」
俺は首を振った。新しい紙を取り出した。リカルド流思考術……などという大げさな物ではない。基本中の基本、いわゆる空雨傘だ。
「”問題”を思考するには”決まった過程”があるんです」
地球のコンサルタント用語ならロジカルシンキング。これから説明するのは、その一番単純で汎用性が高いフレームワークだ。俺は実際やって見せることにした。
「私たちはこれから、出かけなければいけませんよね」
そう言うと、俺は館長室の分厚いカーテンを開けて窓を開いた。空を見上げる。唐突な俺の行動に、アルフィーナは首をかしげながら、頷いた。実際、この後試食会のために学院を出るのだ。
「私はまず『空』を見ます。そして、曇っているという『情報』を得る」
「次に、曇っているという情報を元に、『雨』が降るかもしれないという『仮説』を考えます」
「最後に『傘』を持っていこうという『行動』を決める。これが思考の過程です」
情報の入力、思考、答えの流れと言ってもいい。情報処理の基本だ。
俺の説明に全員がきょとんとした。アルフィーナに至っては自分で傘を用意という発想自体が怪しい。ただ、手伝いに来た時に雨の日に庭の倉庫に行ってもらったことがある。雨の中を行かせたことに後で気づいて青くなったので明白に覚えている。
「普通じゃな。誰でもやっておろう」
「入力される数値、計算式、答え。数術の基本ですね」
フルシーとミーアが言った。予想通りの反応。だが、騙されてはいけない。天才のフルシーや、突出した数学の才能を持ったミーアは簡単に言う。そして、実際に簡単にできる。
もちろん、天気を見て傘を用意するなら俺でも頭の中で一瞬で終わる。だが、このフレームワークの効果は難しい状況でこそ発揮されるのだ。
「じゃあもっと複雑な問題に今の流れを適応しましょう。今回の餡子プロジェクトを題材にします」
餡子プロジェクトをアルフィーナに説明することにもなる。俺はペンをインクにつけて、紙の一番上に一文を書いた。
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(餡子を王国に広めるには)
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書き終わった文章を丸で囲んだ。これが問題の定義。何を考えるのかのスタートだ。
「じゃあ最初は『空』。情報収集です」
俺はそう言うと文字を書き連ねていく。
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甘さが足りない、舌触りが悪い、食べ慣れない、
普通のジャムの方が旨い、蜂蜜の方が旨い、
見た目が悪い、パンが固い、パンが酸っぱい
…………。
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あの見本市の時に、ナタリーの餡子パンを食べたセントラルガーデンのメンバーの感想と、俺の感想を書き連ねていく。沢山の単語が、どんどんと並んでいく。俺がよくやるぼっち技術、一人ブレストと違ってセントラルガーデンメンバーとの本当の”ブレインストーミング”なので数が多い。
おかげでより効果的な例になる。
人間が一度に脳内に置いておくことが出来る意味の単位は5プラスマイナス2と言われている。沢山のことを一度に覚えておくことはとても難しい。二つの手で、三つのお手玉を扱うような物だ。
だが、紙とペンのおかげで、情報が多くてもパニックにもならない。むしろ、紙に書き出すことで脳内を広く使える。パソコンで考えて見ればわかる。大量のデータをメモリーに読み込むと、肝心の計算をするメモリーが足りなくなる。この世界では使えない例えだけど。
「次が『雨』ですね。この場合は餡子に対する感想から、問題を解決するための方法を導き出すことです。言い換えれば「こうすれば解決するかも」と言う仮説を立てることと言えますね」
俺はそう言うとアルフィーナを見た。フルシーは餡子を食べていないし。ミーアには詳細を報告してある。
「アルフィーナ様ならどうしますか?」
俺が促すと、アルフィーナは考え込んだ。
「ええっと、甘さが足りないのは、お砂糖を足して。舌触りが悪いのは……、よくつぶすのはどうでしょうか。ジャムの方が美味しいと言われても……、うう困りました」
案の定、アルフィーナがダメな方法を始めた。せっかく沢山の情報が得られたので、それを全部使おうとしているのだ。
これが『空』あるいはブレインストーミングから先に進む時の一番の落とし穴だ。だから、俺は戒めのため、空雨傘に別名を付けている。それは……。
「どうして私を見るの?」
俺の視線に気がついたノエルが首をかしげた。
ははは、言えるわけないだろ。




