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5話:前半 留学生

「まあ、それではアンコの方は順調なのですね」

「ええ、楽しみにしていてください」


 俺はアルフィーナに言った。図書館に向かう道も久しぶりだ。 


「それで、水晶はどうでしょうか」


 俺は最大の懸念を尋ねた。もしも災厄が訪れるとなれば、お菓子を作ってる余裕など吹き飛んでしまう。


「やはり変わりはありません。この状態が続く限り様子見がつづきますね。ただ、変わらないことが分ったので少し時間がとれるようになりました」

「そうですか、何もないのが一番です。……無理はされていませんよね」

「大丈夫です。ただ……」


 アルフィーナは一旦口を閉じて周囲をうかがった。そう言えば、今日も何だか学生達が騒がしいな。


「もしかしてまたあの王女が……」

「いえ、多分あのお話が伝わっているのだと思います。いずれ叔母上様からお話があると思いますけど。……帝国からの留学生が来るのです」


 アルフィーナは俺に耳打ちした。別の噂がリアルタイムで発生しそうな行為だが、そんなことを言っていられない。


「留学生ですか。もしかして、この前の第三王女の視察というのは」


 いやな予感がした。王女が下見に来たのだ、となればやってくるのはそれに相応するクラスの人間だ。黒い皇子の姿が脳裏をよぎる。いや、流石に年が違うか。帝国の皇族の構成ってどうなってるんだっけ。


「帝国の第四皇女であるリーザベルト殿下という話です」


 皇女、そして四番目か……。


「実際にはもう王国に着いているのです。ただ、学院に通うのは十日ほど後からのはずです」


 スパイか外交か? そんな問いは意味がない。その二つに基本的に区別はないからだ。強いて言えばスパイ寄りの外交か、外交寄りのスパイかといった程度だろう。ならば最大の懸念は……。


「第二王子閥との関係はどうなっているのでしょうか」


 ただの敵ならそれほどでもない、問題はこちらの人間と結びついた敵だ。言うまでもなくそちらがスタンダードだ。これだから人間相手はいやなんだ。


 そして、女だからこそ油断できない。穿った見方をすれば、アルフィーナに近づくために女性を送り込んだ可能性もある。


「……第二王子殿下が皇女の接待役にドリスディア殿下を推薦したようです」


 やっぱり絡んでいるのか、第四皇女を第三王女が担当する。外交儀礼上普通に見えるが、第二王子の推薦となれば当然裏があるだろう。


 アルフィーナばかりが活躍している現状に、第三王女が焦っている。それに第二王子閥がつけ込む。そんな構図が浮かぶ。


「ドリスディア殿下が相手をしているのならそれに任せて、なるべく近づかないようにというのが、叔母上様の方針です」

「そうですね。アルフィーナ様はそうした方が良いと思います」


 その間に向こうの情報を集めておかなければならないか。


「…………リカルドくんもですよ」


 確かに、知られてはならない情報を山と抱えているからな。俺はうなずいた。だが、アルフィーナは顔を曇らせたままだ。


「ミーアともよく相談しなくてはなりません……」


 アルフィーナはつぶやくように言った。うん? 「ミーアともよく相談してください」じゃないのか。


「餡子がめどが立っていて良かったですよ」

「今日は賢者様とのお話し合いの後で味わうことが出来るのですよね。先ほどのリカルドくんの言葉でますます期待が膨らみます」

「はい、期待していてください」


 空気を変えようと、俺は力強く請け負った。あの完成度なら堂々と布教を始めれる。


「リカルドくんがそこまで言うのはとても楽しみですね」

「まあ、私はほとんど手を出していませんけど。あの二人と、シェリーが頑張ってくれて」

「……シェリーですか?」

「え、ええ。あっ。ベルミニ商会の彼女のことです」


 俺は慌てて付け加えた。


「……いえ、誰かは分っているのです」

「そうですか、私は先日初めて名前を覚えましたから、ははは」


 そりゃそうだ。俺じゃあるまいし、普通は知り合いのフルネームくらい覚えているよな。


「リカルドくんらしいと言えばリカルドくんらしいですけど。リカルドくんらしいと言えばリカルドくんらしいです……」

「よく分りませんが。まあ、餡子のことは魔脈関係のややこしい話が終わってのお楽しみです」


 俺は館長室のドアを見た。ミーアとノエルは先に行っているはずだ。留学生という新しい要素で、こっちはさらに複雑になった。せめて、実物がやってくる前に情報の整理と優先順位の決定をしないと。


 俺はメモ用の紙を確認した。大きな文字でいくつかの課題が書いてある。この世界のペンの使いにくさは未だになれない。


 ガチャッ


 俺が今日の話し合いの計画を思い浮かべていると、目の前で館長室のドアが開いた。中から見知らぬ女生徒が出てきた。


 誰だこんなところに? とはもう言えないんだった。何しろ大賢者様の執務室だ。元の世界なら、ノー○ル賞受賞の教授室みたいな物だからな。本人は煩わしさを嘆いていたが。


 女生徒は濃い紫色のロングヘアの卵形の顔をした美人だ。見たことがない顔だ。ファーストネームもラストネームも知らない。反射的に、彼女の袖口を確認した。刺繍も何もない。


 ただ、黒曜石のような黒い光沢の腕輪をしている。


 俺は道を譲ろうとした。だが、女生徒は俺たちの前で立ち止まった。正確にはアルフィーナの前だ。


「もしかしたら、アルフィーナ殿下ではございませんか?」


 女生徒は手のひらを胸の前で合わせて言った。


 もしかしても何もないだろう。アルフィーナの顔を知らない生徒など居るはずがない。いや……。


「はい。あの……」

「初めまして。私はリーザベルト。今度王立学院で学ばせて頂くことになりました」


 リーザベルトと名乗った女生徒はアルフィーナに向けて顔をほころばせた。俺は反射的に半歩前に出た。


「これは失礼いたしましたリーザベルト殿下。ご登校されるのはもう少し先と聞いていましたので」

「そうなのですけれど。王国に名高い大賢者殿にご挨拶をと考えまして。くすっ、この制服に早く袖を通してみたかったというのもありますけれど」


 帝国皇女は綺麗な顔をほころばした。あの第三王女などよりも遙かに親しみやすい態度だ。実際に学院に通う前に、名声著しいフルシーに挨拶。なるほど一種の表敬訪問というやつか。


 いやー、いい人そうでよかった……。なわけがない!


 館長室のドアを見て、俺は背中に冷や汗を感じた。いったいあの中でどんな話をした。何を見た。


「アルフィーナ殿下にまでお会い出来るなど、本当に来た甲斐がありました。その素晴らしいお力で王国の危機を何度も救われた予言の聖女。名声は帝国にも届いております。本当にご立派だと尊敬申し上げておりました」


 リーザベルトはまるであこがれのアイドルに会ったファンの様な顔で言った。アルフィーナがぎょっとしたのが分る。いささか大げさだが評価に間違いはない。だが、褒められ慣れていないんだよなアルフィーナは。


 困った顔になったアルフィーナが、ちらちらと俺の方を見た。おい、待て……。


「……実際には騎士団長でもあるクレイグ殿下の武功なのですよ。私のことは大げさに言われているだけです」


 小さく唇を噛むとアルフィーナは言った。俺はほっとした。だが、リーザベルトは視線を俺に向けた。


「そういえば、この殿方はアルフィーナ様の……」

「申し遅れました。私は殿下の化粧料で商いをさせて頂いております商人。リカルド・ヴィンダーと申します」


 これが一番通りが良い。俺がアルフィーナと親しいことは学院中に知れ渡っている、だが人は見たい物を見て聞きたいことを聞くのでそれで納得される。


「そうなのですか。とても親しそうに見えたので、てっきり……恋人かと」

「そ、そんな……」


 アルフィーナが頬を染めた。外交特権?がなければ不敬罪で引っ張られかねない言葉だぞ。いや、俺とアルフィーナの関係を測ろうと鎌を掛けたのだ。


 向こうの関心が予言の巫女姫なのは分っているんだ。その近くに居る俺は二次的にターゲットになる。要注意だ。俺の目的である総合商社はまだ遠いが、疑惑ならぬ機密の総合商社になって久しいからな。


「慣れない学院でお一人で歩かれているのですか?」


 俺は驚きをよそおった。とち狂った平民にサクッとかされたら国際問題だ。


「帝国と王国は五十年間も平和な関係なのですから、私は何も心配しておりません」


 いやいや、百年兵を養うは一戦の為というだろ。その心構えあってこそ、百一年目の平和も保たれるのだ。


「遠路はるばる王都までお疲れではありませんか。職業柄私も馬車の旅は避けられませんが、ほんの数日でも疲れますから」


 俺は話題を変えた。こうなったらこちらも鎌を掛けてやろう。


「いいえ。王国の道は快適で驚きました」


 屈託のない顔でリーザベルトは言った。全く動揺の色は見られない。その分、意図が全く読めない。


「まあ、もう戻らないと侍女達が騒いでしまいます。アルフィーナ殿下、今日はとても幸運でした。半年の間ですが仲良くして頂けますか」


 リーザベルトはアルフィーナに手を差し出した。アルフィーナはそれを握る。


「こちらこそよろしくお願いします。リーザベルト殿下」


 アルフィーナが笑顔で答える。まあ、他に言い様がないよな。いや、アルフィーナの場合は半ば本気で言っている可能性があるが。


「リカルド・ヴィンダー殿でしたね」


 リーザベルトは俺の方にも手を差し出してきた。例外があるが、王国ならあり得ない話である。俺は仕方なくその手を押し頂くように取ろうとして……。


「っ!」


 逆に両手で握りしめられた。コンビニ店員か!?


「リカルド殿もよろしくお願いしますね。私、学院にはまだ慣れませんから」


 にこやかな顔で言われた。美人がやると効果抜群だ。一瞬警戒心が解けそうになる。


「こ、光栄でございます。リーザベルト殿下」


 俺はなんとか答えた。リーザベルトはすっと手を離すと、もはや俺の方を見ず、驚いた顔のアルフィーナにもう一度会釈をした。アルフィーナがぎこちなく会釈で返した。


 リーザベルトは未練なく身を翻すと、廊下の向こうに歩いて行った。


 くそ、何度驚かされた。第一ラウンドは完敗じゃないか。

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