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予言の経済学 ~巫女姫と転生商人の異世界災害対策~  作者: のらふくろう
五章『和のベンチャー』

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4話:後半 魅惑の黒

「色は相変わらずだけど、ずいぶん様変わりしたわね」


 完成した餡を見てリルカがいった。


「予想以上だよ、実際」


 俺達の前に出されたのは、絞った布の形が残る餡子だ。波の模様がついたきめ細やかな黒い肌。色が良くないだって? このマットなブラックが良いんだが。


「方法を教えてくれたのはヴィンダーさんですし。あんな良い道具も。それに、ヴィナのおかげで仕上がりもかなり良くなったと思うんです」

「ふん、私達がその気になればこんなものよ」


 伝統的製糖法と違って、漉し餡の製作は基本難しいことはない。まずは漉し器で粒あんの皮を除く。


 ただし、現代なら百均で手に入る細かい網を張った漉し器はない。プルラから借りたが調理器具の仲でも相当高価な物らしい。黄色砂糖を試食させたら何も言わずに貸してくれたけど。


 餡子について語ろうとした俺を無視して、プルラは厨房に飛び込んでいった。チェリモヤのパイにどうのこうのって声がきこえた。


 煮た豆を漉し器の上でをつぶし皮を取り除く。布で漉して水分を抜く。この布がまたくせ者だ。適切な布の目はこれくらいという解説がネットに載っているわけではない。あったとしても、この世界の布のどれが相当するか判断出来ない。


 活躍したのは、もちろんヴィナルディアだ。餅は餅屋ならぬ布は布屋だ。衣服ではなく、物を漉すための布など専門外だろうから苦労したに違いない。黄砂糖の蜜を抜いた時よりも、少し粗いくらいの布が丁度良かったらしい。


 ちなみにその間、俺は調理についての無知をさらけ出しただけだ。てっきり砂糖を入れて粒あんにした後で漉すのだと思ったのだが、漉した後で砂糖なのだ。


 考えてみれば当たり前だ。水と一緒に貴重な砂糖が流れていくではないか。浸透圧とかの問題もありそうだ。知識だけの弊害だな。


 とにかくその成果が、今俺の舌の上で溶けていく。


 水分をしっかり抜いたおかげで、舌触りがなめらかできめ細かいのに、味が濃いという素晴らしい塩梅になっている。


「…………餅を、餅をくれ。後生だから!」


 元の世界のやんごとなき御用達みたいな超高級和菓子を食べたことはない俺にしてみれば、この餡は前世と遜色のないレベルに達していた。


「豆のおいしさが凝縮されて、増やした砂糖に押し負けてない。なんて優しい甘さなの……」


 シェリーもうっとりとしている。


「どうだリルカ。これで舌触りもばっちりだろ」


 慎重な顔で、ゆっくりと味わっているリルカに俺は言った。


「そうね、甘さが不足なのも、皮が気持ち悪かったのも、欠点は全部なくなったわ。流石だと思う」


 リルカは感心したように言った。よし、リルカも陥落したぞ。


「皮を除くだけじゃなくて、あんな高い布で漉せって言われた時はどうしようかと思いましたけど。舌触りって味を本当に変えるんですね」


 味というのは味覚、嗅覚、触覚、そして視覚や温度感覚の全てが総合される。だからこそ、加工の為の工夫は多岐にわたり、そのほとんどが手間が馬鹿みたいに高いこちらでは不可能だ。


「サンプル扱いで布を用意出来るヴィナルディアさんが居なければ、このレベルには到達しなかっただろうな。大満足だよ」


 多品種少量生産がないだけではない、この世界の加工のレベルというのは少品種で少量生産。しかも、少品種なのに質がばらばらなのだ。仮に適切な目の布があったとしても、一部でも粗いとそこから崩れる。


「ふん、分ってるじゃない。ま、まあ、あんたのアドバイスの確かさだけは認めないでもないけど」


 ヴィナルディアがそっぽを向きながら言った。


「くすっ、ヴィナ悔しがってたんですよ。布屋なのにヴィンダーさんに言われるまでこんな協力のしかたに気がつかなかった、って」

「じゃあ、パン持ってくるわね」

「待ってくれ。これなら餡の味そのもので勝負出来る」


 立ち上がったシェリーを俺は止めた。想像以上のこし餡の出来が、俺の野望を大きくしていた。


「確かに美味しいけど、これだけはきついわよ。蜂蜜だってジャムだって、そのまま食べないでしょ」

「分ってる。シェリーにはパンじゃなくて用意してもらいたい物があるんだ。紹賢祭の時の……」


 ここまで日本の餡子に迫ったんだ、もう行くところまで行ってやる。本当の和菓子まで突き進む。


◇◇


 三日後、俺は期待に胸を膨らませてベルミニ商会を訪れた。


「もう出来たのか」

「ええ、試食してびっくりした。ヴィンダーくんは本当にどうかしてるわ……」

「このスピードはシェリーが協力してくれたんだろ」


 紹賢祭のワンプレートランチのできばえを考えれば、彼女の協力が大きな力になったことは想像に難くない。ちなみにゼラチンはシェリーがダルガンから最高級品を手に入れた。そういえば、ゼラチンって動物から作るんだよな。


「そうね、授業中も眠そうだったもの。おおかた夜遅くまで付き合ってたんでしょ」

「……別に良いでしょ。ここまで巻き込まれたんだから、もう一緒だもの。後、そういう評価は食べた後にして。結果が全てのヴィンダー君」


◇◇


 木枠から光沢のある黒い四角が押し出された。ナタリーが包丁で薄く切っていく。歯ごたえ的には物足りないだろうが、量を考えれば仕方がない。


 切り分けられた透明感のある黒を、俺は期待と共に口に含む。柔らかな弾力の中に、餡子のきめ細かい歯触りが一体化している。餡子その物の味が、食べやすいぎりぎりの濃さに調整されて、舌の上を通り抜ける。


 もう二度と味わうことがないと思っていた正真正銘の和菓子、羊羹だった。


「ああ、もう。降参よ。あんたいったい何者なのよ。でも、一番すごいのは餡子を作ったナタリーなんだからね」

「分ってるよ。0から1を作り上げた彼女が一番すごい」


 俺は知っていただけ、彼女は何もないところから作り上げた。その差はきわめて大きい。


「これが豆で作った菓子なんて誰も信じないけど、間違いなく豆じゃないと作れない味。最初食べたアレがここまで化けるなんて。これは父さんにいって、豆の仕入れを増やさなくっちゃ。ううん、作付けそのものの規模を見直さないといけないかも」


 ほうとため息をつくと、シェリーはそろばんをはじき始めた。


「確かに美味しいけど。これ誰に売るの? 一ついくらになるのよ」


 リルカが言った。ナタリーがびくっと肩をふるわせた。


「……材料費だけで銀貨一枚です」

「でしょ。四分の一になった砂糖を三倍使ってるんだよね。それだけで砂糖代が十二倍、手間を考えたらそれ以上でしょ。餡子だって漉して。ゼラチンも最高級の物を使ってる。銀貨五枚で売らないといけないじゃない」


 シェリーとは違うそろばんに、場が静まった。確かにちょっと暴走したかもしれない。前世の味への懐かしさのあまり、費用は度外視した。だが……。


「それなら心配ない。試食会のメンバーの舌に適えば、顧客は貴族が見込めるから」


 屋台で売るわけじゃない。というか売れないことは最初の段階から分っている。


 ターゲットは新しい味に飢えている貴族達だ。何しろ他にはない味だ。評判にさえなれば、この黒い見た目すら逆に武器になるんじゃないか。


「それこそ、俺のコネの出番だな」

「うるさいわね。もうそれだけじゃないって分ってるわよ」


 ヴィナルディアが決まり悪そうにそっぽを向いた。


「そ、そうですよね。あのプルラ商会に味を見てもらえるんですから。緊張してきました」

「だ、大丈夫よ。この味だったらどこのお姫様でもうっとりするわよ」


 ナタリーは両手を祈るように握った。その手を上から握ってヴィナルディアが励ます。うん、良い励ましだ。


「…………まあ、そうだね」


 さっきまでうきうきだったシェリーが少し遠い目になった。


「でも、私はパンとバターの最初の食べ方が好きかな。何って言うか、やっぱり慣れない感じがするのよね。舌に引っかかるって言うか……」


 ぼそっとリルカが言った。


「舌に引っかかる。……これでもか?」


 俺はもう一切れ食べて首をかしげた。これ以上ないくらいなめらか、そして餡子の味が生きていると思うのだが……。


 リルカのことは信用している、自分が最初に否定していたことにこだわるとは思えないけど。


「まあ、みんな絶賛だし、私の好みの問題なんでしょ」

「そうか、まあそういう意見もあるだろうな」


 万人に好かれる味なんてない。この世界に和菓子は新しい味だし、五人中四人が旨いと言っているのは十分と言えるか。


 元の世界で生物学を専攻していた友人に聞いたことがある、「生ものを扱う実験で全ての個体で思い通りの結果が出たらむしろ不安になるよ」だったかな。

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