2話 薔薇のドレス
一週間ぶりの学院の廊下を俺は歩いていた。
窓の外はすっかり冬になっている。雪が降るのは年に数日という王国の冬は日本なら四国くらい、比較的過ごしやすいといえる。エアコンはおろか炬燵すら無いのが厳しいところだが。
さらに言えば、まだ銅商会の時のままのヴィンダー商会より学院は暖かい。中庭のお茶会などは開かれなくなって久しいが、図書館にすらちらほらと人がいるくらいだ。そういえば最近行ってないな。
餡子ベンチャーの為に資料を集めるか、といっても米はここに入ってすぐ調べたしな。いや、やっぱりあんパンで攻めるべきか。だけど、こっちのパンであんパンが作れるだろうか。
「……くん」
何しろ日本のパンは柔らかさが違うし。いやいや、やはり餡子は餡子として攻めるべきだ。となるとあのときのベルミニの……。
「リカルド。姫様がお呼びだ」
「えっ! あ、はい。すいません」
クラウディアにつつかれて、俺は慌てて隣を見た。少し困った顔のアルフィーナがいる。彼女も学院は久しぶりらしい。
「もしかして、またあの女の子、、、ではなくてあのジャムのことでしょうか。リカルドくんはアンと言っていましたけど。あのアンの娘のアンの……」
アルフィーナはどうも歯切れが悪い。おかげでクラウディアが俺を睨む。
「そうですね。明日はその話し合いをする予定ですから」
初めてのお宅に訪問である。緊張する。同じ銀商会だし。親父なんかは交流があるらしいけど。
「残念です。私は聖堂に居なければいけません……」
アルフィーナが顔を伏せた。俺は一気に現実に引き戻された。
餡子は俺の個人的欲求も大きいし、予言とは比べられないのだ。この前は事前には防げなかった。しかも、アルフィーナが無理をして倒れたのだ。
「また水晶ですか」
俺は声を潜めた。
「それが分らないのです。イメージはもちろん予兆と言うにも反応が薄くて……。だからしばらく見守るしかないのです」
「そうですか……」
今のところ、東西両方で魔獣氾濫の予兆は無い。
だが油断出来ない要素がもう一つあるのだ。ベルトルドへの測定旅行の結果、西方一帯にごく薄く存在する魔脈反応が見つかったのだ。ちなみに、薄すぎてとても魔脈とは言えないというのがフルシーの判断だ。おかげで目的だった測定上のノイズは片付いたのだ。
もちろん、フルシーの工夫の結果での測定感度上昇で見つかったとも言えるので、これまでもそういった変動があったかもしれない。薄すぎて年輪の記録も通用しないのが悩ましい。
だが、近年の魔脈の変化を考えると不気味なのは確かだ。ちなみに、ミーアはそのことでフルシーに呼ばれている。地点毎の測定数値の差に有意性があるかの計算だ。
そういえば、やっと木材が着いたらしい。帝国との交易がやっと動き出したのだ。王都に着き次第、解析しなければ。
「もし予言が出たら、どうか無理せずに私にも手伝わせてください。約束ですよ」
俺は譲れないとばかりにアルフィーナを見た。アルフィーナは突如顔を赤くした。
「……そうですね。私達は友人同士なのですから。でもそれならばなおさら、私もリカルドくんの役に立ちたいです。リカルドくんに助けられてばかりですから」
「とんでもない。この前は工房のことから、宰相の説得まで大活躍だったじゃないですか」
「そうでしょうか。リカルドくんならきっともっと……」
「それこそ違いますよ。誓って言いますが、私には出来ないことです」
エウフィリアが言うには、アルフィーナのベアリング事業への理解の詳細さと、なにより人柄が宰相を説得したらしい。人徳というやつだろう。俺には存在しない属性だ。
宰相は数字が通用するようだが、あの状況で俺がいくら数字を並べても無理だったと思う。
「分りました。でも、私にも商会の方はお手伝いさせてくださいね」
「ええ。甘味のことですし。頼りにさせていただきます」
俺の言葉にアルフィーナは笑顔になった。考えてみれば株主というより、ビジネスパートナーと言った方がしっくりくるくらいだ。最初はちょっと知識を提供するだけだったはずなのに。いつの間にこんなに……。
「そういえば廊下が騒がしいですね」
姪の成長に気がついた様な気分だろうか。焦った俺は話題を変えた。
「それはそうだろう」
クラウディアは当たり前のように言った。何かあるらしい。聞いていないか、聞いていても忘れたか。頼りない記憶を探っていると向こうから人の群れがやってきた。
中心にいるのは、ピンク色のドレスを着た派手な少女だ。数名の侍女を連れている。侍女の服装すら、普通の学院生より上質そうな生地だ。ブルネットの巻き上げた髪が仰々しい。同い年くらいか。見たことがないな。
以前見た時の髪型が違っていて俺が判別出来ていない可能性があるが。
近づいてくるとドレスの豪華さが分る。上半身はシンプルだけどスカートに布で立体的な薔薇を作っている。学生じゃないとしても、学院に着てくるようなものじゃない。薔薇の模様……ね。
「あら、アルフィーナじゃない」
アルフィーナのことを知っているらしい。というか、彼女を呼び捨て出来る人間は王国に何人いるだろうか。ちなみに、その人数に俺は入ってない。特殊な状況が成立した時だけだから。
「ドリスディア殿下。お久しぶりですね」
アルフィーナは穏やかに答えた。やっぱり王族だったよ。ドリスディアというと何番目だったか。第三王子閥に組み込まれてから少しは勉強した。変化した環境に適応して学習しないと生命の危険があるのだ。
確か第三王女だ。新春祭でちらっと見たことがあるだけだ。確かアルフィーナと同い年だった。
王都近隣の公爵家に嫁に行った第一王女はともかく。第二王女と第三王女は特に派閥の色はなかったはずだが。
「まあ、学院には平民が混じっているという話は本当だったのね」
長い時候の挨拶でも始まるのかと思ったら、王女はアルフィーナの横にいる俺を見た。
「確かアデル伯の娘だったわね。貴方が着いていながら得体の知れない平民男を、仮にとはいえ王族の一員であるアルフィーナと並んで歩かせるのかしら」
仮にか……。まあ、アルフィーナの価値は王族であることなどではないから別に良いけど。それに、俺をモブ扱いしてくれるのは王族として見込みがある。
「その、この者はアルフィーナ様の化粧料の商いに関わっているのです。ベルトルド大公閣下の許可も有り、決してあやしい者ではありません」
「まあ。そう言えば小さな村らしいですからね。平民との距離が近いのでしょうね」
ドリスディアは嘲笑を浮かべた。これはヒルダのパターンか。アルフィーナを妬んでいるって感じか。なら現状なら、このままがベストか。
そうだ、レイリアは小さな取るに足らない村だ。実際は蜂蜜だけでかなりの収入になるし、チェリモヤの苗も植える予定だけど。
第三王女がどれだけの化粧料を持ってるか知らないけど、経済力はすぐに逆転する。だから、こうやって油断しておいてくれなければ困る。
侮られて油断されて、相手が気がついた時にはすでに詰んでいる。それが俺の理想の戦い方だからな。
俺が第三王女の美点を評価していると、アルフィーナが自分の手の甲に爪をめりこませているのに気がついた。
「ドリスディア殿下。リカルドくんは私の大切なパートナーなのです」
アルフィーナが言った。ビジネスが抜けている。途端、第三王女の眉根にしわが寄った。
「ヴィンダー……。クレイグ兄様のおこぼれで身の程知らずの褒美を得た平民が居たわね。ああ、なるほど。アルフィーナにしっぽを振るために。そういえばデルニウス兄様も何か言っていた気がするわ」
「違います。リカルドくんは、、、」
アルフィーナが前に出ようとした。やばいと思った俺が右の袖を引いた。同時にクラウディアが左の袖を引いていた。アルフィーナは完全にシンクロした俺達を見て、半歩踏み出した足を下げた。第二王子の名前が出てきたな。
「ド、ドリスディア殿下はどうして学院まで?」
取り繕うようにクラウディアが聞いた。
「そうね。……視察といったところかしら。本来なら学院に通う貴方の主の役割だけど、養女のアルフィーナでは失礼に当たるかもしれないから。わざわざ私が足を運んだのよ」
クラウディアの笑顔がこわばった。俺はむかつくと同時に疑問を覚えた。この特権意識の塊が”平民なんかが通う学院”に視察というのが引っかかる。
「殿下。手続きは終わりました」
侍女らしき中年女性がドリスディアに傅くと言った。ドリスディアは「では。ごきげんよう」と裾を翻した。ちょっと油断したら踏んづけて転びそうな長いスカートを着こなしているのは流石だな。
ぜひこれからも時間や気力という貴重なリソースをそういうことに消費していて欲しい。
「ごめんなさい。ドリスディア殿下が失礼なことばかり言って」
「私が侮られるのは何でもありません。第二王子の名前も出ていましたし。目立つよりは良いのですから」
むしろウエルカムだ。本格的にアルフィーナや俺たちヴィンダー商会の害になるなら、その時はあの油断にしっかり乗じさせてもらう。
「……そうですね。リカルドくんはとても目立ちますから」
アルフィーナが心配そうに俺を見た。なんかちょっとミーアを思わせる視線だ。状況が勝手に俺の保身能力を上回ってるのだから、俺のせいではないと思うのだが。
「それでアンのことですけど。次は参加出来るように頑張りますから。是非とも声をかけてくださいね」
別れ際に、アルフィーナが念を押してきた。
「もちろんです。試食の時は頼りにさせてもらいます」
俺はお世辞でも何でも無くそう言った。パートナーか……。まあ、もう役員といっても全然おかしくないもんな。
予言と餡子なら予言の方が優先順位が高いが、あの王女の優先順位は餡子以下、比べものにもならない。今後もそうあってくれることを祈ろう。




