1話 カルチャーギャップ
舌の上から伝わった味が脳を素通りしてさらにその奥に到達する、そんな錯覚を覚えた。なるほど、魂に刻み込まれた記憶という物はあるのだ。
前世では和菓子が好きだった。
波形のたっぷりの餡に包まれた白く軟らかい餅、伊勢の銘菓であるアレ、など幾つでも食えるくらい好きだった。俺の葬式にはきっと供えられただろうと思うくらいだ。
軟らかい求肥の生地に包まれた穏やかな白あんは見ただけで顔が緩んだ。粒あんなら一番合うのは最中だ。どちらかと言えば漉し餡派だった俺だが、最中は粒あんに限るというのが持論だった。
転生後、物心ついてから十年以上だ。和菓子への渇望はとっくに忘れたと思っていた。だが、この餡子で完全によみがえらされてしまった。
「ミーアよ。このリカルドはどうやったら戻ってくるのじゃ?」
「申し訳ありません大公閣下。私もこれほどチョロ……反応はちょっと。策士を装うことすら出来ていません」
「分った。では、代りに其方に説明してもらおう。其方も共同所有者じゃしな」
「……かしこまりました」
後ろでそこはかとなく失礼なことを言われている気がするが気にならない。
「ちょっと、ナタリーから離れなさいよ。ナタリーもなんでその、同じ物を食べ合ったり」
俺を現実に引き戻したのは目の前で舞った金の尾だった。
「えっ、あっ、ごめん」
「えっ、あ、あっ! ち、違うのその私のジャムにおかしな物入れたりしないって証明したくて」
俺は餡子の娘に付属していた娘に引き離された。
「リカルドくん」
「は、はは、えっとその、あまりにおいしかったからつい」
心配そうな顔のアルフィーナが俺を覗き込んだ。アルフィーナの目の奥に、彼女には似つかわしくない何かを感じた。俺は痴漢冤罪を疑われたサラリーマンみたいに両手を挙げた。
「これがそんなに優れた甘味なのかい」
プルラが首をかしげながら言った。砂糖を使っていることから興味を持ったのだろう。
「そうだな。見た目はアレだがヴィンダーがここまで言うくらいだからな」
「そうね」「……豆をジャムにするなんて信じられないけど、ヴィンダーだもんね……」
俺の周囲にセントラルガーデンのメンバーが集まってきた。
「そうだ、食べてみてくれよ。えっと、ナタリーさん。お金は払うので、皆にも食べさせてやってくれないか」
俺は言った。見た目は良くないが、食べれば価値が分るはずだ。プルラなんかきっと飛びつくに違いない。
俺が財布から金貨を出すと、ぎょっとしたような顔でナタリーが首を振った。
「一つ銅貨四枚です」
一つ四百円程度。庶民が気楽に食える値段じゃない。日本だったら高級和菓子の値段だな。ただし、砂糖が使われていることを考えると原価率はかなり厳しいのではないか。
ナタリーがバスケットから新たに餡を塗ったパンを取り出す間に、俺は銀貨に取り替えた。
「さあ、食ってくれ」
セントラルガーデンのメンバーの反応を待った。アルフィーナが一番に口を付けると、プルラが続いた。それを見て、他のメンバーも口を開いた。そして……。
「…………」「…………」「…………」「…………」「…………」
五人は揃って首をかしげたり、顔をしかめた。あれ、期待していた反応じゃ無いぞ。
「何というか歯触りがな。この豆の皮が口の中に張り付くのが、ちょっと気持ち悪いな」
「うーん。ヴィンダーが絶賛するくらいだからどれほどって思ったけど、果物のジャムの方がおいしいよね」
「そうですね。私はフレンチ……蜂蜜の方が好きです……。その、ごめんなさい」
アルフィーナも申し訳なさそうに言った。
「菓子を扱う者として率直に言わせてもらうけど。甘さが足りない。豆の癖みたいなのがせっかくの砂糖を台無しにしているし。土台ともけんかをしている」
「……あっ、プルラ商会」
王都にとどろくプルラ商会のマークを見たナタリーが顔をこわばらせた。
「いや、その穏やかな甘さが良いんじゃないか」
俺の反論にも、誰も答えてくれない。あれ、あれ?
「……私は、そこまで嫌いじゃ無いかも。けど。やっぱり豆は普通に食べた方が」
大人しい野菜屋の娘、ベルミニも微妙な反応だった。
「やっぱり罠だったのよ。そりゃ、最初はちょっと取っつきにくいかもしれないけど。慣れたら果物とは違う風味が良いのに。他にはない味なの」
ヴィナルディアの言葉に、俺は思い出した。和菓子スキーの俺も、子供の頃はアイスとかケーキとか洋菓子の方が好きだった。そもそも、パンに代表されるようにこの世界は西洋的だし。カルチャーギャップもあるのか。
「……食べてもらって、ありがとうございました」
俺が米が存在しないことを呪っている間に、ナタリーは暗い顔で去って行こうとする。
「いや、まだあきらめるには早い」
俺は必死で彼女を呼び止めた。俺以外にもナタリーと、このヴィナルディアの二人が餡子のうまさを理解している。可能性はあるはずだ。
「ほ、本当ですか?」
「あ、ああ、絶対もっと美味しく出来る。餡子、、、豆を甘くするのは正義なんだ」
「せ、正義? そうですよね。私もそう思って作ってきました」
「俺が力を貸す、だから……」
「私は反対。こんなやつを頼ったらどんな目に遭わされるか」
ヴィナルディアが慌てて俺とナタリーの間に入った。ナタリーは俺と友人の顔を見比べた。
「ありがとうヴィナ。でも、私のジャムを食べてくれた時のこの人の顔を信じたいの。ほら……」
ナタリーは人差し指で、自分の唇の横を指す。
「ジャムが付いたままですよ」
「あっ、うわ。ははは」
俺は慌てて唇をぬぐった。そして、改めてナタリーに向き直った。
「ん、んん。えっと、俺はリカルド・ヴィンダーだ。これからよろしく」
新しいプロジェクトの開始だ。エンジェル投資家として餡子ベンチャーを成功させてみせる。和の味を王国に広めるんだ。
「ヴィンダーの判断はそれとして、ちゃんとミーアには説明しないとダメだよ」
リルカが言った。その横でベルミニがコクコクと頷いた。
「え、あ、ああ。そりゃ、業務の一環になるし」
「えっと、リカルドくん。あくまで、このジャムと……商売の話なのですよね」
アルフィーナが俺の袖を引いた。
「あっ、はい、そうですけど……」
「…………分りました。私も株主として協力しますから」
ぎゅっと俺の袖を掴んでアルフィーナは言った。
「ほら、こいつやっぱり……」
ヴィナルディアの目が鋭さを増した。さっきまでとは違う警戒心が、目に宿っているような気がする。
「……また被害者が増えるのね」
ぼそっとベルミニが言った。被害者? 何の話だ。
そうだ、唯一餡子の可能性を否定しなかったベルミニは見込みがある。相応の役割をお願いしないと。
 




