6話:前半 専門家の活用方法
「西方では魔獣氾濫は起こらぬ」
懸命に説明するアルフィーナを見守っていた老人。だが、俺に向き直った後のセリフはにべもなかった。長い白ヒゲを撫でていた好々爺はどこに行ったのか。
書庫での仮説検討会から三日後。図書館長の部屋に俺、ミーア、そしてアルフィーナが居た。俺達の向かいには部屋の主である老人が座っている。年齢は七十くらい。男爵家の四男という出自を考えれば異例の出世らしい。
もっとも、魔獣氾濫の予測手段を考案したという功績を考えれば話にならない閑職だ。そう同情していた自分を呪いたい。
この三日間で調べた限りでは面白い人物だと思っていたが、向こうは王女の横にいる平民男子が面白く無いらしい。ちなみに、この場には平民は二人いるが、ミーアは茶菓子を勧められたりした。
最初にアルフィーナが俺を友人と紹介した時、一気に態度が硬化した。かわいい孫娘についた悪い虫ってところか? 友人と言われて驚いたのは同じなので勘弁して欲しい。だが、それ以外に説明しようとすると、扇動者とか君側の奸とかのタグが付きそうだ。
というか、こいつの頭のなかではもう付いてるんだろうな。
ああ睨まなくていいから。心配はいらないから。住む世界が違うなんてわかってる。そもそも、俺は彼女の住む世界に対する憧れその他は持っていない。王女なんていう地雷物件じゃなければ一目惚れ必至の美少女なのは確かだけど、こうなったのは偶然の産物だ。
むしろ距離を置こう距離を置こうと頑張った結果、何故かこういう状況になったんだ。
口に出せない言い訳を思い浮かべながら、仏頂面を仏の顔にしようと努力していた。ちなみに仏の顔も三度までというが、この世界では平民が三度も貴族に”怒らされたら”高確率で本物の仏になる。
「状況から考えられる、最も高い可能性が魔獣氾濫です。ですから館長のお知恵を是非とも……」
「机上の空論などいくらでも考えられる。災厄が起こるとして、それが魔獣氾濫である可能性はいかほどと思っているのだ?」
俺が言葉を足すと、机に付いた手の上に顎を乗せめんどくさそうに言った。
「そうですね、十に三つあれば御の字でしょうか」
「えっ!?」「…………」
驚いたのはアルフィーナだ。まあそうだろう、最も高い可能性が三分の一にも満たないのはあまりに頼りない。だが、そんなものだ。俺はまっすぐフルシーを見た。さっきのこの爺さんの言葉の選択。態度とは裏腹に、こちらの流儀の通じる相手であることを示している。
「その程度の仮説を検討する理由は?」
「先ほど言ったように、それでも最大の可能性であること。そして、魔獣氾濫は予防可能。つまりその背景にあるメカニズムがある程度わかっていることです。つまり、この仮説は検証可能だ」
「ある程度、な」
「い、言い換えれば。あなたの知恵を借りれば、仮説は百パーセントか零パーセントにすることが出来る。魔獣氾濫が起こるとわかればそれでよし。そうでなければ、次の仮説を検討できるわけです」
俺は目をそらさずに答えた。
「そのためにここに来たと。なるほどなるほど、、、、」
フルシーはやっと顎を上げた。片目を釣り上げてにやりと笑う。
「姫からは我が知恵を借りたいと聞いていたが。お前は儂の知恵も、判断も必要ない。知識だけよこせと。実はそう言っておるわけじゃな」
「そんなことはありません。リカルドくんは……」
「正解です。それが専門家の活用方法ですから」
「リカルドくん!? あのですから……」
アルフィーナはぎょっとした顔になる。フルシーは俺を睨むと黙って席を立った。引きとめようとアルフィーナが腰を浮かす。
「魔脈である山脈とその周囲の赤い森はモンスターの領域じゃ。普段、魔物どもはそこから出ることはない。魔獣氾濫とは魔物が突如群れをなして平地、つまり人間の領域に襲いかかることじゃ。二百年前、東部の赤い森から起こった大規模な魔獣氾濫が旧王朝の滅亡を引き起こした、そう言われているのは歴史で習ったじゃろう」
老学者は壁にしつらえた石板の前で止まると、いきなり講義を始めた。隣には王国全土を描いた地図が貼られており、東方の山脈に多くの印がつけられている。
「そこまで大規模なものはその後発生していないが、今でも東方では平均して六年に一度の小規模の魔獣氾濫、十年に一度の中規模な魔獣氾濫が起こっておる。そして、その原因は……」
フルシーは東方山脈を指差した。
「魔脈の変動だ。魔物のエネルギーの半分を担う瘴気、つまり乱雑な魔力は地の底から湧いてくる。従って、山脈の構造はそのまま魔力の流れと言って良い。見ての通り、東方の山脈は複雑に入り組んでおる」
東方の山脈に何本もの赤い線と、それが交わる場所に丸が付けられている。なるほど、山を魔力が流れる川と考えればいいのか。
「その結果、魔力の流れが打ち消し合って穏やかな時期と、重なって荒れる時期が出来る。魔力に依存するモンスターの生態系に影響を与えるわけじゃ。簡単にいえば魔力が増えれば魔物も増える。その後で魔力が減れば魔物は飢える。その結果が魔獣氾濫じゃ」
人間を始めとした普通の生き物は太陽の光のエネルギーを基盤としている。だが、魔物はそれだけではなく地から湧いてくる魔力も取り込むことによって生きている。地球にも太陽光に依存せず、深海熱水鉱床からエネルギーを得る生態系が存在した。
「一方、西方山脈は単純じゃ。東部の様な魔力の大きな変動は起こりえない。そなたらが知りたいことはこういうことじゃろう」
さあどうする、フルシーは目で俺に聞いてくる。なるほど、大きさは東方に匹敵するが、西方山脈は南から北へまっすぐ延びている。この説明は理にかなっている。災厄が西方からくる以上、それが魔獣氾濫である可能性は高くない。
自分のアイデアへの拘りを捨て、水害や火山の噴火を否定したのと同じ基準で考えれば、そう判断すべきだ。
アルフィーナは困った顔を俺に向ける。可能性が修正されれば仮説は撤回する。その言葉に嘘はない。だが……
「石板をお借りしていいですか。ミーア、あのデータを説明してくれ」
俺とミーアも三日間遊んでいたのではない。ミーアはフルシーと入れ替わるように石板の前に立った。
「王国の天候は安定しており、気温は東西でほぼ変わりません。ある程度違いがあるのは降雨量だけで、収穫量は降雨量とよく一致します。相関係数は0.86」
ミーアは説明を始めた。フルシーは何が始まるのかと首をひねった。打ち合わせにない話に、アルフィーナも困惑している。
「相関係数とは?」
「簡単にいえば、二つの量が関連する強さを数値化したものです。例えば、収穫量と高級嗜好品の売れ行きの関係などですね。このような簡単な計算で示されます」
ミーアは石板に計算式を示した。
「面白い計算方法じゃな。理にかなっておる。じゃが、肝心の収穫量が信用できるのか? 間違ったデータをどれだけ見事に計算しても、間違いが増幅するだけじゃぞ」
収穫量は税と密接に関係する。つまり、貴族たちはごまかそうとする。ちなみにこのフルシーの言葉はわりとヤバメだ。脱税が横行しているという、誰でも知っているが誰も口にする訳にはいかない事実だからだ。ミーアが俺を見た。踏み込んでいいかの確認だ。俺は頷いた。
「貴族領に関しては信用できません。ですが、貴族領を牽制する意味でも、役人により管理されている直轄領の収穫量はある程度信用できます。それは、収穫量の分散からも明らかです」
ミーアは石板に紙を貼り付けた。貴族領と直轄領の収穫量が点で示されている。貴族領の収穫は正規分布していない、何らかの要因、いや都合か、で歪んでいますと言ってるようなものだ。
「貴族領の収穫量はその分散が不自然です。一方直轄領はそれよりは自然に近い。その結果はこの計算式で示され、明白に差があります。今回のデータとしては直轄領を用いています」
このデータは爆弾だ。貴族の脱税調査の効率化につながるからだ。だが、今回はこの老人の関心を買うことを優先する。数字で話ができる、そう思った直感を信じるしか無い。
「面白いな。平均との差を表現するのに、掛けあわせてその後。いやまて、あるべき偶然という概念の数式化じゃと…………」
案の定、フルシーはすっかり計算に引きこまれている。
「本題に戻ります。東方と西方で分けると、西端が相関係数0.9。ほぼ降雨量と収穫量が一致するのに対して、東端は0.7まで下がります。理由は一致しない”豊作”の年が存在するからです。直近では、王国歴324年、314年、309年ですね。これらの年では収穫量が降雨量から予測されるよりも”高く”なっています」
フルシーは髭に手をやった。
「東方で魔獣氾濫が起こった年か」
「アルフィーナ様の予言によれば、今年は西方は豊作とのことです。一方、東方はそうではない。つまり、災厄の予言だけでなく豊作の予言も奇妙なのです」
ミーアの言葉に二人は驚く。俺達だって調べてみて驚いた。魔獣氾濫という災害と豊作に関係があるとは。一次情報を大事にと言いながら盲点だった。
この後は俺の役目。俺は立ち上がって地図を指差した。