12話:前半 ゴール
遙か西から砂塵を巻き上げて近づいてくる四角い点。城壁に集まっていた観衆の目が一点に集まる。
彼らの目が、馬車にはためく黒い旗を確認した。
「クレイグ王子だ!」「英雄王子が一位だぞ!」
「おおーー!!」
三角形に並んだ三台の馬車。その先頭にきらめく白銀の騎士に歓声が上がる。建前上はあくまで演習なのだが、一般市民にはそんな意識は無い。騎士団同士の競争という近年まれに見る娯楽だ。
威張り腐った第一騎士団が功績著しい第三騎士団に面白くない感情を抱いているだろうことは、王都の人間なら誰でも察している。
ましてや、主役は二度も魔獣を討った王子である。彼らにとっては自ら辺境まで赴き魔獣を討ち、さらに巨大なドラゴンすら倒した英雄が人気があるに決まっている。
「すげえな。本当に三日で帰ってきたぜ」
篭を背負った男が感心したように言った。
「そういや、お前はベルトルドまで行くことがあるんだよな。うーん、考えてみれば確かに早いな。あの噂、本当なのか……」
行商人の隣にいた、手ぬぐいを首に巻いた男が答えた。腕にはやけどの跡がある。
「噂って何だ?」
「鍛冶屋の間じゃちょっと噂になってるんだよ。ベルトルドで新しい馬車の部品が作られてるって。出所は、今日からフォルムで開かれる見本市とかいうのに関わっているプルラの丁稚だ」
「ベルトルドでどうして馬車の部品が作られるんだよ。あそこには鉄なんて無いぞ。それに、なんで菓子屋が馬車のことを知ってるんだ」
「さあな。まあ、騎士団の使う馬車なんて俺たちには関係ねえ話だろうけどな。おっ、あの模様は何だ? 騎士団のマークじゃねーよな」
そうしている間にも、馬車はどんどん近づいてくる。スタートも見守った彼には、そこに出た時には無かった物を見た。確か、改良された馬車の印だったか、白い布が広げられ、そこには黒の二重円が描かれていたのだ。
「マークの周りを囲んでるのって、ベルトルドの紋に似てるな……」
行商人が言った。
「おっと、次が来たぜ。第一騎士団か。新車なのに情けない。王都暮らしでなまってるんじゃ……」
彼は目をこらした。ところが、走ってくるのは騎士団のよりも小さく華奢な馬車だった。
「そういや商人も参加してるんだよな。騎士団の馬車について行くなんてどこのだ」
「そりゃ、馬車ギルド長の店が参加してるんだからさ。本命じゃねーか。畜生、ガルドのやつ儲けやがったな」
職人は闇賭博で賭けていた同僚を思い出した。
「いや、違うぞ。ありゃケンウェルの馬車だ。食料ギルドの親玉だよ」
「はっ、そりゃ大番狂わせだな。ガルドのやつ悔しがるぜ」
「なんだ、後ろには誰もいねえぞ」
「お前、フォルムを見てないのか。半日くらい差がついてるんだぞ。下手したら今日中に帰ってこないかもしれないって話だ」
「なんだよ、騎士団も商人も一位は決まりかよ。第一騎士団も馬車ギルドも情けねえな」
「ゴールはフォルムだったよな」
男は腰を浮かした。
「ああ、なんか食ったことも無いうめえ飯が売ってるらしいぞ。貴族が食うような飯だって」
「なんだそりゃ。話半分にしても大げさすぎるだろ」
「ところが、話の元はダルガンの丁稚なんだよ」
「そういえばえらく大仰な準備が進んでたっけか、どなた様が仕切ってるんだアレ」
「ああ、確かヴィンダーって銀商会だ。ちょっと前までは銅だったらしい」
「へえ、そりゃ面白いじぇねーか」
二人は話しながら、階段へ向かった。他の観衆達もぞろぞろと城壁を降りていく。
◇◇
長方形のフォルムを取り囲むように、多くの席が設置されている。その席の一つに、整った身なりの男が座っていた。彼は篭から取り出したサンドイッチを手に会場を見た。突然のように現れた催しでは考えられないような騒ぎだ。
見本市と言う耳慣れない催しに彼が興味を持ったのは、騎士団が馬車の性能を競うという聞いたことも無い試みを聞いたのがきっかけだった。大規模な隊商を運用する彼にとっては聞き逃せない話だ。
調べてみると、第二王子派閥と第三王子派閥の対立が背景にあると分かり、馬車ギルド長が第二王子に荷担した時点で彼は半ば興味を失った。
だが、見本市の主催者が最近王都で名を知られるようになったヴィンダー商会。見本市の日付は明らかに騎士団のレースに合わせて設定されている。
西の大公が新興の銀商会に資金を出したという話は聞いていた。救国の聖女とまで呼ばれるようになった第四王女がひいきにしているという噂まである。さらにこの見本市は王の勅許を受けている。
その後、食料ギルド長のケンウェル、銀商会ながら最近王都で広く名前が知られているダルガンだのプルラだのが関わっていることも知った。彼が興味を取り戻すのに十分な事態だった。
そして、発表された予選順位である。彼にとっては大番狂わせだ。彼は自らレース結果を確かめることに決めた。
そして来てみれば『マツ』という聞き慣れない名前の食事である。
「どうせ情報を集めるならと奮発した甲斐があった。なるほど、食料ギルドが力を入れるわけだ。となると、本当の黒幕はやはりケンウェルあたり……」
そのとき、中央通りからフォルムに三台の馬車が飛び込んできた。石畳の周囲に群がり、黒いパンを頬ばる庶民達が一斉に歓声を上げた。
「あれが改良された馬車か、見た目は変わらないが……」
雨がほとんど降らず、乾燥した冬場の気候は馬車には悪くない。だが、それにしても早い。信じがたいことに、馬車に乗せられている荷物も従来よりも多いというのだ。
彼の目なら、馬車の出来は走っている姿を見れば分る。
王子の名前を連呼する歓声に飲まれず、彼は冷静に観察した。三日間の旅をしているというのに、御者台の上の王子達にも馬にも大きな疲れは見られない。いくら騎士団の馬車が予算を潤沢に使えるとは言え考えられない。
何より、馬車ギルドから新車を提供された第一騎士団との差が、新しい馬車の性能を明白に証明している。
「この技術はどこから降ってきたというのか」
男が困惑する。クレイグの鞭がしなる。それに答えて馬が速度を増した。しかも、少し遅れてフォルムに入ってきた後続の馬車は商人の物。彼の目はその二つに同じ二重円のマークを見た。マークを囲む模様は、ベルトルドの紋章を簡略化した意匠だ。
「そして、同じ物があそこにも……」
フォルムの奥、野外舞台に同じく二重円のマークを付けた天幕がある。その横に、申し訳のように壺に入った蜂のマークが小さく書かれている。主催者なのに目立たない、ヴィンダー商会の物だ。
「本当にあそこが本命と言うことか……」
歓声の中で商人は首をかしげた。
もしそうだとしたら、騎士団のレースをまるで客引きのように用いていることになる。ここで起こっていることが予想以上に大きく、そして複雑であることに彼は改めて気がついた。
大歓声に迎えられて、ゴールテープをクレイグの馬車が切った。後に続く二台の馬車もほぼ同時に飛び込んだ。
フォルムに掲げられた掲示板に、魔獣騎士団の山猫の紋章が三つ並んだ。王子と騎士団を称える観衆の声が広いフォルムを覆い尽くす。
再びの歓声。騎士団の掲示板の横に、ケンウェルの商号が表示された。
四台の馬車は、余裕を見せつけるようにフォルムを周回する。凱旋走行とでも言うべき状況の中、後続の馬車は少なくとも半日遅れることがアナウンスされる。
◇◇
俺たちが中央通りを移動していると、フォルムから大歓声が聞こえた。クレイグを称える観衆の声が聞こえた。ケンウェルという声も小さく聞こえた。
「上手くいったみたいね」
「そうだな。まったく、チート馬車には苦労させられたよ」
俺はほっとした。今頃、フォルムでクレイグが締めの演説してる頃か。
「途中で魔力が切れた後もかなり粘られたからな」
馬車の発していた魔力が不意に消えた。それでも、なんとか街道に戻ろうとしたところで完全に反応が止まった。
俺たちはレーダーを切ると、アデル伯と連絡を取って”救難”のために駆けつけた。どうやら馬の方が力尽きたらしい。
レースを管理する騎士団が見守る中、職人二人が親切にも手伝いを申し出たのだ。もちろん、断られたがアデル伯の押しのおかげで、”足回り”は見ることが出来た。
馬と違ってちなみに馬車の方はびくともしていなかった。いや、もし何らかの故障があっても、彼らには手が出せなかっただろう。
……万が一アレが帝国の標準の馬車だって言うなら、帝国の軍事技術を見直さなければならない。
フォルムの入り口についた俺たちは馬車から降りた。
リルカとミーアがこちらに走ってきた。その後ろにはエウフィリアとアルフィーナもいる。
「ふむ。魔力を使う異常な性能の馬車か。帝国の物じゃといいたいのじゃな」
「はい。足回りだけ入れ替えてたみたいです。他に考えがたいですよね」
俺は道中の顛末を説明した。
「分った。宰相に声をかけてみよう」
「宰相閣下ですか……。ノエルのことで文句を付けてきたんじゃ」
「アルフィーが頑張ってな。なんとか中立に引き戻した。相手が帝国なれば共闘の余地はある」
「はい」
アルフィーナは俺に満面の笑みを向けた。
「す、すごいじゃないですか」
俺は、役に立ったらお礼を受け取ってもらうというアルフィーナの言葉を思い出した。
「ノエルはおるか」
「は、はい大公閣下」
「其方は再来月から見習いの宮廷魔術師扱いじゃ。無任所じゃがフルシーの助手という立場じゃな。準備を急げ」
「宮廷魔術師……」
「あっ、おい」
ノエルがふらついた。俺にすがりつくように崩れる。俺は慌てて彼女を支えた。
「大げさだな。見習いなんだろ」
「大違いじゃ。第三棟で宮廷魔術師扱いなど、トップの二人しかおらんからな。見習いでも第三棟なら本来は”上がり”じゃよ」
フルシーが同情するように言った。こちらにとっては、魔術寮の見習いじゃ自由がきかないってことだったんだけど。そもそも、すでに歩く国家機密なんだから。それに比べれば些細と言って良いくらいだ。
言うのはやめておこう。
「先輩。ずいぶんとノエルと仲良くなったみたいですね」
俺たちの姿を見てミーアが言った。
「そうですね。一週間近くもずっと一緒だったわけですよね」
アルフィーナもミーアに同調した。
「いや、これは違うだろ」
俺は慌ててノエルを馬車の軒に座らせた。
「それは分ったけど。向こうの準備もお願いよ。私たちはショウ・チク・バイ売る方で大変なんだから。ちなみにすごい人が集まってるよ。ほとんどが商人。かなり上の方もいる。ちらほらとだけど職人の姿もあるわ」
リルカが言った。
「ベルトルドの方も片がついたみたいじゃ。思いっきりやってかまわんぞ」
黙ってしまったアルフィーナの横で、エウフィリアが言った。仕事が早いな。
「分った、こっちはこっちで盛り上げる。天幕の周りでは竹を売りまくってくれ」
「もうこれ以上盛り上げなくて良いから! 足りないから!!」
リルカが悲鳴を上げた。こういうのをうれしい悲鳴って言うんだろうな、確か。




