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10話 王女の交渉

 執務室の壁は冬の空の様なくぐもった青色だった。塵一つ見えない床は、清潔さよりも氷の上を歩くような危うさを感じさせる。応接用のテーブルに置かれたカップから立ち昇る湯気さえも、逆に部屋の空気の寒々しさを示した。


 テーブルの向いに座る初老の男。紫紺の襟章は文官の頂点であるただ一人の為の物だ。彼が代表する王国の秩序を象徴するように、法服の着こなしに一分の隙も無い。


 正面から対峙するのは二度目だが、アルフィーナにとって身構える相手であることは変わりが無かった。


 もっとも、友好的とは言えない態度はテーブルのこちら側も変わらないかもしれない。アルフィーナの横に座る彼女の叔母にして後見人は、政治的な笑顔とでも言うべきものを浮かべたまま、カップに口も付けない。


 アルフィーナは緊張のため強張りそうな頬を必死に和らげる。彼女にとってこの場は自分に与えられた大事な仕事である。


「それで、妾を呼び出した要件は何じゃ。グリニシアス公爵」


 宰相が形だけ口を付けたカップを置いたのを確認して、エウフィリアが口火を切った。


「先にお伝えしたとおり魔術寮のことです。王国の機関である魔術寮がベルトルド大公の私的な興味のために利用されているという噂がありましてな」


 宰相は感情が見えない表情で淡々とノエルのことをつげる。アルフィーナの緊張は増した。大公邸で行われたベアリングの説明会、アルフィーナも同行したベルトルド行き。ベアリングの金型に用いた魔導金の大まかな量。宰相の把握している情報は正確だった。


「ふむ。最も小規模な第三棟のそれも見習いの一人のこと。大袈裟であろう」


 エウフィリアが言った。


「見習いといえど魔術寮の一人であることに変りはありますまい。今も、寮を離れてベルトルドまで二度目の出張とか。丁度、第三……いえ新生騎士団の演習に合わせているようですな」


 リカルドと一緒だろう少女にアルフィーナは少し心がざわめく。


「西方観測所の問題解決のため、正式に要請されたと聞いておるが?」

「賢者である男爵も最近は大公やクレイグ王子と親しいようですが」

「そうじゃな、先のドラゴンを倒すため協力した縁かな」


 事実と皮肉を混ぜたエウフィリアの言葉。宰相は顔色一つ変えなかった。彼女は口一つ挟めない自分にふがいなさを感じながらも、手元の箱と紙をしっかりと握り締めた。


「魔術寮はあくまで王宮の管轄、そもそも騎士団の装備を……」

「馬車も騎士団の装備であろう……」

「魔導金も魔結晶も供給が絞られている今……」

「使われている量はしれたもの。しかも、魔結晶は先の討伐の戦利品として……」

「ならば、魔獣騎士団だけが……」

「見習一人、騎士団に張り付くことがどれほどの問題……」

「その見習の立場を、騎士団いや実際には大公の私物化……」


 宰相と叔母の会話は見事に平行線をたどっていた。一人沈黙を守るアルフィーナだが、宰相の次の言葉で一気に緊張を増した。


「では、王都のフォルムで開かれるという見本市ですな。騎士団の訓練と日程を合わせて開かれるようですが」


 グリニシアスはちらっとアルフィーナを見た。


「王の勅許を受けているのだ。何の問題がある。宰相府の許可も出ておるではないか」

「いやいや、調べてみて驚きました。一介の銀商会が新しい商品の宣伝に使うとばかり思っていたら。食料ギルド長とその傘下の複数の商会。さらに騎士団の訓練が連動しているのですから。しかも、展示されるのは食料だけでは無い。食料ギルドの銀商会が馬車の販売をするというのは、ギルドの規律を無視した行為ではないか」

「ほう。妾もあの場におったが、リカルド・ヴィンダーは紹賢祭のまねごとと言ったぞ。つまり、ギルドの枠に囚われぬ活動と言うことでは無いか」

「それは、既存の商習慣の否定であるという懸念が商業ギルドから上がっているのですよ」

「だからこそ、たったの三日間ではないか。何を大げさな」

「大公が商習慣を無視した取引をしたという情報も入っているのですが」

「妾の馬車をどういじろうと妾の自由じゃ。そもそも、修理に関しては商人は職人を紹介するだけであろう」

「修理ですか。クレイグ殿下の騎士団の馬車。今回の訓練に参加している馬車の修理もベルトルドで行われたそうですな。しかも、大公家の敷地の一角で」


 事実を並べていくグリニシアスに、アルフィーナはなぜかリカルドのやり方を思い出していた。だが、そんなことに感心している場合では無い。


「ヴィンダー商会でしたか。何を企んでいるのですかな。リカルド・ヴィンダーという少年が言っていたことだが、少なくとも、紹賢祭を模したなどと言う規模ではありませんな。件の商会には大公も姫も出資者として名を連ねておられる」


 ついに、グリニシアスの口からその名前が出た。


「…………」


 エウフィリアの口が初めて止まった。


「大公はこの商会を使って、王国の東西のバランスに何らかの影響を与えようとしてる。例えば、クルトハイト大公などはそう懸念しているようですが」


 グリニシアスは言葉を重ねた。アルフィーナは初めてベテラン官僚の間違いを見つけ出した。彼女にとって一番大切な友人の目的はそんな小さな物では無いのだ。


「エウフィリア。ここからは私が説明します」


 アルフィーナはテーブルの下で拳を握った。


「ほう、アルフィーナ殿下がですか」


 宰相は虚を突かれたような表情になった。


「はい、私もリカルド……、ヴィンダー商会の出資者なのですから、その資格はあるはずです」

「……なるほど。では、どうぞ」


 宰相はカップに口を付けた。


「我らがヴィンダー商会の目的は王国全体の商業の活性化なのです」


 アルフィーナは同時に箱を開いて、あの試作品の小さな鉛のベアリングを取り出した。きょとんとするグリニシアスに、彼女が理解している限りのこの部品の意味を説明する。彼女が彼と一緒に行っている事業。この数ヶ月、彼女は時間が許す限りそれに付き添ってきたのだ。


「この絡繰りが、馬車による輸送効率を高めると……」


 アルフィーナのたおやかな手から渡された無骨な金属を宰相はいぶかしげに見た。


「実際の効果は、このレースで証明されるでしょう。これまで騎士団との試験で出た結果はここにまとめてあります」


 アルフィーナはミーアがまとめた数値が羅列された紙を広げた。


「まずは、この数値です。ベアリングを用いる前と後の、重量と走行速度の比較で……」


 自分がミーアに聞いた半分のスピードで、アルフィーナはゆっくりと指を動かしていく。最初は困った顔をしていたグリニシアスだが、王都を挟む二大都市の間で事実上の距離が縮まるという言葉に、にわかに顔色を変えた。節くれ立った指がわずかにベアリングを回した。


「輸送が効率化されることは、商人や騎士団だけの利益ではありません。王国全体の統治を預かる公爵にとっても喜ばしいことのはずです。例えば、何らかの災害によってある地方の食糧が不足したとしても、迅速に他の地域から運ぶことで被害を最小限に出来ます」


 アルフィーナは説明した。


「さらに、物と人の移動が活発になることは、宿屋を初めとして多くの人々の営みを栄えさせます」

「…………」


 官僚の顔になった宰相の頭の中で、数値が行き交う。その視線はいつの間にかアルフィーナの指先を追い越していた。


「さらに、農村の人々にとっても福音となります……」

「お待ちあれ。王都に流れ込む農村の人間のことなどどうして……」

「情けない話じゃが、多くが西方からの食い詰め者じゃからな。王都の治安は後者にとっても懸念事であろう。特に、第一騎士団の積極的な協力も得られない状況では」


 エウフィリアが補足した。


「しかし、魔術寮の錬金術士を馬車作りに貼り付けては……」

「その必要はありません。錬金術士が作るのは最初の型と、ごくわずかな保守だけです」


 アルフィーナは自分が見た工房の様子を身振りまで交えて説明する。細い指で金型を合わせてみせる。発する炉の熱の暑さをまで説明するアルフィーナにグリニシアスの顔がついほころんだ。


「そして、いくら丈夫な魔導金の型でも型同士がぶつかればすり減っていきます。ノエルが、公爵が問題にした錬金術士見習いが言うには、おおよそ一年ごとに保守が必要だということです」


 アルフィーナはノエルから聞いた保守の方法を説明した。


「つまり、騎士団の装備のように一定の期間ごとに修復が必要になると言うことですな。しかも、その修復だけなら効率が悪すぎて使えない小さな魔結晶でまかなえる。そして、金型を使う者はその修復毎に費用を支払うと」

「はい。金型一つでは微々たる金額ですが、金型の数や種類が増えれば……」


 アルフィーナは説明を続ける。


「魔術寮の収入増加に加えて、技術の根幹部分は究極的には王宮で管理可能だと」


 グリニシアスがテーブルの上で両手を組んだ。


「そうですね。もちろん、法に則った契約を結ぶことになります。そうでなければ職人達は安心して生産に励めませんから」


 アルフィーナは微笑んだ。グリニシアスはエウフィリアを見た。


「まだ年若い王女殿下をよくも、ここまで教育したものですな」

「それは誤解じゃ。今の説明に関しては、妾よりもアルフィーナの方がずっと詳しい」

「ならばおたずねしましょう」


 グリニシアスは次々と既存の商習慣が崩れた時の影響を並べていく。商人の失業。これまで最低限商人が保護していた職人の生活。職人の間の技術格差の拡大による失業。職人同士の収入の差の拡大による諍い。供給される商品が不均一になる弊害を誰が吸収するのか。王国の統治機構の蜘蛛糸をたぐるように、次々に提起される問題。


 グリニシアスは遠慮を捨てて王女を睨んだ。だが、アルフィーナは微笑んだ。


「一番最初の予言の時、言われた言葉を思い出しました」


 アルフィーナは自分の甘い考えを次々と切り捨てられた思い出を楽しそうに話した。


「商人が果たしている役割自体は残ります。長期的には、むしろ職人と商人の協力を促進するように調整するのです。それこそ、公爵達の腕の見せ所ではないですか」

「結局は王国の構造そのものを組み替えるような話では無いか。正直に言えば、私が想定した範囲を遙かに上回っている」


 当然それくらい出来ますよね、という無邪気なアルフィーナの視線。グリニシアスはため息をついた。


「一種のテストと思えば良いのでは無いか。この試みは、今はまだごく一部の範囲にとどまっておる。当面は我が敷地の一角から出さぬ。ベルトルドで行うのは既存の馬車の改造……修理のみじゃ。殿下が説明したように、一から新しい馬車を作るような体制は、ベルトルドには無い。それは宰相も知っておろう」


 エウフィリアが妥協するように言った。アルフィーナは特区設立というリカルドの言葉を思い出した。


 グリニシアスは沈黙した。王国宰相の天秤がどちらに傾くか、彼女は緊張して待った。


「…………王国にとって利のあることなのは確かですな。少なくとも現状、つまりたった一人の見習が男爵や王子の要請を受けるという程度なら許容しましょう。大公が自領で行うことに関しても、しばらくは見守らせて頂く」

「理解してもらってありがとうございます。公爵」

「理解というよりも……。ちなみに、まだ時間が掛かるということですが、殿下はいかほどとお考えかな。参考までにお聞かせ願いたい」


 宰相は毒気を抜かれたような顔でアルフィーナに尋ねた。アルフィーナは少しだけ首をかしげた後で答える。


「少なくとも数年は掛かると思いますが」

「数年ですか!?」


 アルフィーナの答えに、緩みかけていたグリニシアスがぎょっとした。


「そうじゃった。妾たちの時間の感覚も少しおかしくなっておるようじゃ。対応不可能な速度にならぬよう、妾も気をつけよう」


 エウフィリアが笑った。


「一つ確認せねばなりませんな」


 グリニシアスはベアリングを手に取った。


「これを含めて、この絵を描いたのは誰ですかな」

「誰じゃと思う?」


 エウフィリアは面白そうに言った。


「それが分らぬから聞いておるのです。失礼ながら大公では無い。クレイグ殿下とも考えられない。まさか、あの少年などとは言わないでしょうな」


 グリニシアスは本気で困惑している様に見えた。


「それは秘密じゃそうじゃ。まあ、夢のお告げにでも出たと思えば良い」


 エウフィリアは笑った。答えにもならない答えに、宰相は真意を探るようにじっと大公を見た。エウフィリアは人を食ったような笑みを崩さない。アルフィーナは心の中で口を押さえた。


◇◇


「なかなか頑張ったでは無いかアルフィー。宰相を中立に戻したことは大きいぞ」

「そうですか。リカルドくんは褒めてくれるでしょうか」


 アルフィーナはぱっと笑顔になった。先ほどの堂々たる態度とのギャップが、後見人をつんのめらせそうになったことに彼女は気がつかない。


「…………アレは今頃はベルトルドについたくらいか」

「どうか無事で……」


 アルフィーナは胸の前で両手を握った。


「こちらもこちらでいろいろと考えねばな」


 窓の外に意識を向けたアルフィーナには後見人のつぶやきは届かなかった。

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