9話:後半 出前用馬車
「確かに儂らは、馬車レースなんぞにかまっておれんな。準備には金が掛かったからのう。男爵の俸給がいくら飛んだか……」
フルシーが言った。流石に領地では無く相応の俸給という形だったか。賢者の年金と加算だからかなりの額だったはずだが。
「これはある意味、王国最高の馬車ですからね」
俺は言った。馬車の中央に大きな台が釣り下がっている。台に乗っているのは、フルシー自慢の魔力アンテナ。そのアンテナを三つの輪が入れ子状に取り囲んでいる。地球ならジンバル付き羅針盤が近い。現代的に言えば、ジャイロスコープの構造だ。
その最先端っぽい名前とは裏腹に割と古くから有り、伊能忠敬の地図作りにも貢献した仕組みだ。
さらに台と馬車の天井の間には大が一つ小が二つのバネが取り付けられている。
無骨な構造だが、地球の基準で言えばこちらの方が新しい。蕎麦屋が出前のオートバイに付けているあれだからだ。板バネでは無く、伸縮する普通のバネだ。螺旋の式を使って、魔導金を細く加工して作ってある。フルシーが愚痴った費用の多くはこれだ。
細くて均一な金属の線を作る方法がそれしか無かった。それでも、元の世界で使われていた空気バネのような柔らかい収縮は無理だったのだ。蕎麦を乗せたら零れるかもしれない。それどころか、細すぎて数日走ればバネに変形が生じて性能が落ちる。
屋根から吊るした上に、出前機の仕組みで馬車の振動を吸収。ジンバルで常に角度を一定に保つ。走る測定所だ。もちろん悪路では限界があるし、走り始めたら精度は落ちる。
ちなみに、この馬車はベルトルドで改良したあの試作一号。一号と言っても足回りは騎士団の馬車より念入りに調整してある。一台目はとにかくベアリングに伝わる振動に気を遣ったからな。プロトタイプ故の過剰性能だ。
「出発前にアンテナの試運転するぞ」
フルシーの指輪が光った。水平に保たれたアンテナが薄っすらと光り、少し離れたところに置かれた水晶玉に、小さな光点がでた。
「ふむ。よしよし、この方向は魔術寮じゃな。…………うん?」
「どうしました。賢者様」
ノエルが不安そうに聞いた。
「近くに、わずかじゃが影がある」
病院の診察室で言われたら肝が縮むようなことをフルシーは言った。
「騎士団の装備ですか?」
このレースでは魔力の使用は禁止であるが、騎士団の装備は錬金術関連だ。反応してもおかしくないのでは無いだろうか。
「いや、方向が騎士団ではない。こっちじゃ」
フルシーはジンバルを回転させていく。ぴたりと角度が決まった。俺は馬車の窓からフルシーの指先を見た。
「……例の馬車か」
丁度その方向には、足回りを覆ったギルド長の馬車がある。第一騎士団以外には要警戒対象の相手だ。警戒対象が増えなかったことを喜ぶべきか。
「魔力を吸収する何かを積んでおるな」
「魔力を発してるんじゃ無くてか……」
俺は首をかしげた。
「それだったら反応として出るでしょ」
フルシーの実験室の黒壁のような成分だろうか。
「この距離でこうはっきり陰を作るとなると、儂らが使っているものより性能が高いのかもしれん」
フルシーが俺を押しのけて馬車を見た。測定に並々ならぬ興味を持つフルシーなら当然だ。
「胡散臭さが増したな。そんな物どこから……」
フルシーも知らないとなれば、国外? 第二王子閥は親帝国と言うこと関係があるかもしれない。
「騎士団に言って、調べさせる?」
レミが言った。
「情報だけ王子に伝える、後は向こうの判断だな」
ルールを守るためのルールは整備してある。見えている以外にも、魔獣騎士団やベルトルド大公家の手の者は沢山参加している。向こうにそれだけの用意が出来たとは思えない。実際に、ルールを聞いて出場辞退した馬車が数台ある。
仮に騎士団の演習に帝国の目を混じらせるなどとなれば、立派な外患誘致だ。だが、帝国に関しては、西方への演習である以上、どちらにしろ帝国の目は引くという判断だった。貴重な情報源として泳がせるかもしれない。
俺が合図をすると、山猫の紋章をつけた騎士が一人近づいてきた。王子への伝言を頼む。
「始まるわ。こっちも出発するわよ」
そう言うと、レミは鞭を上げた。
「わっ、っとと……」
突然動き出した車体に、俺は蹈鞴を踏んだ。肩が何か柔らかいものにぶつかった。
「ちょ、ちょっと。気をつけてよ」
「ご、ごめん」
俺はノエルに支えられた、勢いを殺しきれずに作動したエアバックの厚さとか感じてないよ。
「アンテナが壊れたらどうするの」
「そっちですか」
「そっちじゃ無きゃ……。ちょっと」
ノエルは俺の肩を突き飛ばすと、こちらを睨んだ。振り返ったレミの視線が冷たい。
「いや、ははは……」
俺は慌てて配置についた。こちらはベルトルドまで地面からの魔力を測る旅だ。フルシーの抱えた問題、西方のノイズの正体を確かめるためである。
窓の外を見ると上空に矢が放たれた。草原に並んだ馬車が一斉に街道に向かい始める。街道の幅が足りないので、どうしても不公平になるのでこの配置だ。
最初に道に乗ってしまおうというのは当然の戦略だろう。
「さてと、最初は本気出さないって話だったけど……」
騎士団の馬車が左右から商人の馬車を包み込むように追い越していく。商人の馬車は遅れている。平原とは言え道と違って凹凸もある。揺れてる揺れてる。
クレイグを先頭に山猫の旗の馬車は二つのグループに分離していく。先を行くのは当然、白い布を巻き付けた三台だ。第一騎士団はクレイグの馬車と同じくらいの位置か。これを見ると互角だ。
ベルトルド側を譲っているので、このままでは第一騎士団が先に街道に入るかもしれない。俺は少し心配になった。
「鞭の入れ具合が全然違いますよ」
レミが言った。なるほど、クレイグと違って向こうは無理をしているわけか。
クレイグの馬車と、第一騎士団の馬車はほぼ同時に、街道に入った。
城壁の上から歓声が上がった。おそらく、観客は中古車が健闘していると思っているだろう。実際には無理をしているのは新車の方なのだが。
「さて、一般組は……」
俺は騎士団に追い抜かれた商人達の馬車を見た。予想通り、ケンウェルのマークをつけた馬車が先頭を走っている。そして……。
「普通だな」
問題の馬車は丁度中間少し前にいる。おそらく馬車ギルドの息が掛かっている新しい馬車の方が先にいる。
「レースの方はほぼ想定通りだな。測定の方はどうですか」
揺れが少ない、と言っても元の世界の自動車なんかより遙かに揺れるのだ。そもそも、道がアスファルトではない。賢者はアンテナを王都の方に向けた。
「このスピードでも、感度の低下は想定内じゃな。街道に入ってからなら十分じゃろう」
フルシーは重りでアンテナの重心を変えると、地面に向けた。
「ふむ、やはり地面からの反応はなしじゃな」
「平地から魔脈の反応なんて本当なの?」
「それを確かめるんだよ。違ったら、別のことを考えるさ」
西方観測所を悩ませるノイズ。その正体は平地に発生した薄い魔脈ではないかというのが、仮説だ。ノエルが首をかしげた通り、魔脈は山脈に沿っているから常識外れ。だが、仮に魔脈が地球のマグマのような流れだとしたら、平地に火山が出来たっておかしくない。日本なら昭和新山が有名だった。火山島、ハワイなんかだってそうやって出来たわけだし。
昨今の魔脈変動を考えれば、例えわずかな可能性でも捨て置けない。王都からベルトルドまで地面の魔脈反応を測定するために作り上げたのがこの馬車だ。もちろん、将来的にはいろいろな応用が考えられる。
場合によっては、フルシー達には赤い森近くまで行ってもらわなければならない。
俺は見本市のことがある以上、王都に戻らなければならない。今の間にも、見本市準備は進んでいる。マリア先輩を中心にセントラルガーデンのメンバーが頑張っているだろう。あちらにも干渉が考えられるが、商人関係ならギルド長であるケンウェルが牽制出来る。ギルド長の中で唯一名誉爵位が無かったという状況は改善されているしな。
もっと上から来ているものについては……。
「後は、アルフィーナと大公が上手くやってくれるといいけど……」
俺は遠ざかってく王都を見た。
「ノエルの立場も掛かっていることじゃしな」
「……賢者様。忘れようとしてたんですよ」
ノエルが久しぶりにフードを引き下げ、体育座りの膝に顔を埋めた。




