8話:前半 魔獣の記録
「ほほ、これは旨いのう」
実験室ではフルシーが『松』の中身を肴に、ワインを飲んだ。第三騎士団、いや新生魔獣騎士団駐屯地、からようやく戻ってきたのだ。弁当は会議室としての使用料だ。
部屋には俺の他にはノエルとミーアも呼ばれている。魔術関係者というわけだ。
「ほう、こちらも珍しい味じゃな。悪くないぞ」
「その果実は結構貴重なんでそんなばくばく食べられると……」
俺がフルシーに言った。横で、器に指を伸ばしていたノエルがびくっとなった。そんなに気に入ったのか。まあ、疑似とはいえアイスクリームなんてこちらには無いからな。酒飲みのフルシーの方は好奇心だろうけど。
「それで、このメンバーを集めた理由は?」
「コホン。其方を呼び出したのは、もちろん魔脈と魔獣の件じゃ」
「魔獣については、旧第二騎士団の蓄えていた記録ですか。まあ、興味はあります」
「そうじゃろ。まったく、あれだけの記録がろくに活用されていないとは……」
フルシーは愚痴った。旧第二騎士団の倉庫には、赤い森に踏み込んだ時の記録が多数残っていたらしい。魔獣の専門家としてフルシーが呼ばれてた理由だ。
ただし、例によって質がばらばらで整理もされていないらしい。角の生えた熊の続きに、夜になると赤く光るキノコの記述といった具合だ。
「面白いのが魔の絨毯と名前をつけられた魔獣でな。普段は土の下にいるが、夜になると地面を這うらしい。騎士団のテントをすっぽり包み込んで捕食しようとした記録があった。紫色にぼんやりと光る平べったい体で、切っても二つにちぎれたまま逃げていったというのじゃ。粘液状魔獣の一種じゃろうな。脅威としては弱いし。旨みはないようじゃな。芥子粒ほどの魔結晶が体中に点在しているらしい」
「それじゃ、効率が悪すぎて使えないですね」
粘液状魔獣……スライムみたいなのが居るのか。
気味の悪い話だが、ミーアは一瞬眉根を寄せた程度。ノエルの方は賢者の話に興味津々である。錬金術的には魔獣の素材に興味があるらしい。
「そう言うんじゃ無くて、もっと小型の、ええっと、これくらいの魔獣っていないんですか」
俺は弁当にたかろうとした小バエを指差した。
「きゃ、気持ち悪い。私のお菓子……」
ノエルが慌てて皿をずらした。魔獣は大丈夫なのに、ハエはダメらしい。
「ドラゴンまで見たお主が、そんな小さな魔獣に興味を持つのか」
まだ根に持っているらしいフルシーが言った。
「大きいと実験に使いにくいでしょ。小さくて、世代交代が早くて、簡単に飼えるのが理想です」
俺の注文はいわゆる『モデル生物』だ。現代地球なら、ショウジョウバエは有名だった。ほ乳類ならマウス、魚ならゼブラフィッシュという熱帯魚が代表例だったか。
ノー○ル”医学”生理学賞という名前でも分るとおり、生物学の研究は医学と密接に関わる。どうして人間では無く動物を使うかと言えば、生物として共通性があるからだ。例えば、遺伝子の仕組みの基本など、大腸菌から人間まで共通性が高い。
変わり種では粘菌も研究は盛んだったか。そういえば、さっきの動く絨毯というのは変形菌っぽい。変形菌がキノコを溶かして捕食する動画を前世で見たことがある。
この用途で考えるとドラゴンは考えられる限り最悪である。一匹飼うのに山一つ要りそうだ。餌だけでいくら掛かるか。細胞培養でも出来れば話は別だが。
「言わんとすることは、なんとなく分ったが、お前は相変わらず神をも恐れんことを言うの」
フルシーは頭を振った。
「今回のこの発言についてはちょっとは自覚がありますよ」
人間の目を作る遺伝子を入れられ、体のあちこちに目が出来たハエの姿とか、小さくなければ一種のホラーだった。ちなみに出来るのは当然ハエの目だ。目を作れって指令を出すだけの貴族みたいな遺伝子で、実際に目を作る部下遺伝子は全てハエのだからな。
そういえば、本来羽毛が生えるべき腕に鱗を、鱗が生えるべき足に羽毛を生やした鶏とかもあったか。
「できれば、この箱の中で何百匹って飼えるくらいの大きさがベストですよ。例えば、さっきの変形菌……。じゃなかった魔の絨毯か。魔結晶は錬金術には使えないだろうけど、魔結晶そのものの性質を調べる目的なら。数の多さが利点でしょ」
「なるほどな。普通の大きさの魔獣なら一度に一匹を解剖するのも大変だが、虫の大きさなら何十という実験を同時に出来るわけじゃな」
「そういうことです。合理的でしょ」
本当なら大腸菌のように、バクテリアクラスがいい。もちろん、この世界の設備では扱えない上に、バイオハザードを引き起こすわけにはいかないので却下だが。
後、少量で実験するためには、それだけ精密な定量が必要になるという点も、見逃せない。
「合理的じゃからこそ恐ろしいわ。じゃが、そこまで魔獣について知りたがる理由は何じゃ。其方の興味はどちらかと言えば魔脈じゃろう」
「私知っています。こいつはアルフィーナ殿下のため、、、痛いミーア、どうして抓るの」
「なるほどのう……」
「……えっと、説明するとだけど。この土地が欲しいんだ」
俺は大地図の一点を指差した。大陸中央の山地と大河に挟まれた小さな平地だ。
「前にも聞いたが、血の山脈の麓では無いか」
「俺にはこの土地が必要なんだよ」
大陸の三国の中心にある大河の向こうの土地。ここに都市を造れたら。三国の物流の中心として繁栄は約束されている。出来ればシンガポールみたいな都市国家が理想だが、保身家の俺はそんなことは口にしない。
「また地図を書き換える話か。儂らは良いが、あまり人に言うなよ」
フルシーはあきれた様に言った。ノエルは頭を押さえた。ちゃんと自重したのにすっかりアレな人扱いである。元の世界では割と普通の話だったんだけどな。経済活動のために地図の形を変えるなんて。
「生きた魔獣を使った実験は興味深いが。もう一つの問題の方も重要じゃ、西方観測所のノイズじゃ」
「まだ、解決してなかったんですか?」
確か、高精度の感魔紙を魔術士達が扱い馴れてないんじゃなかったか。
「わしが指導した後も、明らかにおかしな反応が残るのだ。従来の精度くらいは確保出来ておるから、魔獣氾濫の予測には問題ないがな。それでじゃ。この前のノエルの話を思い出したわけじゃ」
「賢者様が私にご用件とは…………光栄です」
ノエルは言った。一瞬詰まったのは、この前フルシーから俺たちを押しつけられた後のことを思い出したのだろう。
「そうじゃ、其方のπ《パイ》で、細かい細工が出来るのじゃよな。それを使って……」
フルシーはノエルとミーアに話を始めた。どうやら金型とベアリングを使ったアンテナの改良ということらしい。おかしな話では無いか。超高精度の日本地図を江戸時代に作った伊能忠敬も、方位磁針の安定を保つために軸受けに工夫したって話があった。
「えっと、そういう目的なら、回転する円を一つじゃ無くて三つ用意して……」
俺はアンテナの方向と角度を一定に保つ方法を思い出した。三人が俺を見た後、なぜかため息をついた。
「これじゃな。ノエルの錬金術でできるか」
「この重さを乗せてスムーズな回転は……。ああベアリングね。ミーア、ちょっと手を貸して」
賢者の落書きを見たノエルがミーアを呼んだ。
「ふむふむ、二人の協力があれば儂の予算で出来そうだな」
フルシーは満足そうに言った。落書きには、いくつもの修正と試案が書かれている。ミーアとノエルは必要な魔導金と魔結晶の量を計算しているところだ。
「あんまり気楽に使うなよ。ノエルはもう歩く国家機密みたいなものだ」
「それ、ここにいる全員に言えることじゃろ」
「あ、あんたが言うな」
「先輩は策士ですが、観測点である自分は見えないんですね」
全員の突っ込みを食らった。
「……そういえばミーア。帝国の木材の件はどうなってた」
一段落ついたところで、俺は気になっていたことを聞いた。
「リルカが言うには、ケンウェルが一本手に入れる当てがついたそうです。樹齢については確かなことは分りませんが」
ミーアが答えた。一本ではなんとも言えないが、サンプルとして使い倒そう。
「ミーアは本当に大変よね。こいつの世話なんて」
「魔術も、工業じゃったか。それに加え商売もじゃろ。ミーアは本当に優秀じゃな」
「最後のが本業な」
俺はミーアを見る二人を牽制するように言った。間違ってはいない。元の世界には『数学は科学の女王にして奴隷』という言葉があった。
「後は花粉か……」
「次の竜が来たわけでも無いのにか。騎士団で保存の方法などは調べておるのじゃろ」
「あ、ああ。そうだけど……」
有効期限? については鳥を使えばある程度判断出来る。冷蔵庫などどこでも一定の条件で保存出来るわけでは無い以上、騎士団の環境で試すのが一番だ。こちらが手を出す必要は無い。ただ……。
「次は戦う前に終わらせないと……」
俺はつぶやいた。
「花粉と言えば、王子がお前と話したがっとった。あの馬車の件じゃろう」
フルシーがついでの様に言った。そろそろ行かなくちゃと思ってたけど、向こうから来たか。




