7話 冷えた酒杯
ガシャン!
「酒がぬるい」
ランプに照らされた上座で、豪奢な服の男がテーブルにグラスを叩き付けた。細髭を振るわせる主に、待女が慌てて氷を足した。ワインを蒸留した高価な酒に曇りのないクリスタルの酒杯。さらに氷である。
王宮の東に邸宅を構えるこの男が高山を領有するとはいえ、王都に運ばせ屋敷の氷室に保管すると考えると、費用は目をむくようなものになる。
ましてや、彼の領土の現状を考えると。
「クレイグめがなにを企んでいると言う話だったな」
クラウンハイト王国第二王子デルニウスが忌々しげに言った。彼は、明かりが届くギリギリ、下座に控えた三人の男を見下すように見ている。
「た、企みなどと。私めはただ、新騎士団の馬車の整備の受注が減っていると。予定の半分の数の注文しか頂いておりませんで」
三人の中では最も身なりの良い男が答えた。裾からのぞくシャツの刺繍は、彼が仮にとはいえ貴族の階位を与えられていることを示す。馬車ギルド長としての特権だ。もちろん、この場でそれが何の役にも立たないことは、彼自身もよく知っている。
「ふん。あれだけの予算を要求しながらか」
「騎士団に使う金があるなら我が領土のために使えば良いものを。クルトハイトはベルトルドなどと違って替りがきかんのだぞ」
「お言葉誠にごもっともでございます。大公閣下のご領地は王国の要。ただ、ベルトルドにも、その、おかしな動きがあるようなのです」
ギルド長は傘下の銀商会であるペガッタから仕入れた話を告げる。大公家の馬車の整備が直接職人に任されたという話である。手続き上はペガッタに仲介料が支払われているが、騎士団のことと重なっては気にせざるを得ない。
圧倒的なシェアで馬車市場を支配する彼にとって、金額そのものは大きくない。ベルトルドの件にいたっては、傘下の銀商会の取引に過ぎない。だが、貴族と職人の間を仲介することが力の源泉である彼は、貴族社会の力関係には敏感にならざるを得なかった。
「女狐は職人ごときに何のようだ」
「わ、わかりません。ただ、商いはあくまで我々商人を通して頂くのが習わしでございます。このようなことが積み重なれば秩序を乱し。ひいてはクルトハイトに収める税にも……」
ギルド長はかしこまった態度で言った。もちろん誇張が入っている。だが、彼の商会が東の大公に収める税金は決して少なくはない。実際、税という言葉に大公が顔をしかめた。
カレストが大打撃を受けて、クルトハイト復興のために巨額の費用が発生している。贅沢を愛する権力者にとって看過できないはずだ。
「ぐ、偶然でしょうか。王都においても、食料ギルド長傘下の商会どもが良からぬ動きをしております」
馬車ギルド長の右にいた男が暗い目で答えた。元は豪華だった服装は所々よれている。ドレファノ、カレストとギルドの有力者に取り入って勢力を得た彼の過去の栄光だ。
「新しいギルド長は女狐に尻尾を振っておったな」
「王都のフォルムで何かしようとしているという噂です」
「フォルム……。そう言えばクレイグの犬がそんなことをいっていたな。グリニシアスを怒らせていた」
王子の頬が引き攣った。弟の晴れ舞台を思い出したらしい。
「そう言えば宰相閣下は今日はいらっしゃいませんな……」
「グリニシアスは仕事が忙しいらしい。あれも、第三王子の増長には頭を悩ませておる。新しい騎士団の設立における雑事に忙殺されているらしい」
「新しい騎士団と言えば、竜討伐のことは大変な話題ですな」
ギルド長の左で、闇がうごめいた様に見えた。黒いフードをまとった男が、初めて声を上げたのだ。木材の取引で馬車ギルド長の伝を得た異国の商人だ。
「ほう、帝国の商人は魔獣に関心があるか」
「それはもちろん、無関心ではおれませんとも。魔脈が縦横に走る帝国では魔獣は大きな脅威でございます。恐れながら大公閣下には、ご理解いただけるかと」
「そうだな、領内の村がいくつも潰された。あれが数年毎に来るなら、さぞかし大変であろうな」
寛大な言葉を装うが、ザングリッチの言葉には苛立ちがある。
「市井における第三王子の人気たるや凄まじいもののようですな。その名は帝国でも……」
「ふん。大方第二騎士団との戦いで消耗していたのであろう。クレイグめは単に幸運だったにすぎん。それを英雄などと持ち上げて」
黒い商人の言葉は、王子に遮られた。
「なるほど。王国では巨大な魔獣に十分な魔脈が無いのでしたな。うらやましいことでございます」
「元々第三騎士団など、家を継げぬ三男四男の掃溜めだったのだ。増長ぶりには、眉をひそめる者も多いだろう」
「そうだ。だが、分らぬものも多い。ロワンが地位を追われたばかりか、アデルまでクレイグに寝返りよったからな。旧第二騎士団は元々はこちらよりだったものを……」
「アデルと言えば、クレイグめは討伐前にわざわざ一週間もマルレにとどまったらしいな」
「ほうそれは……」
黒い男が小さく息を飲んだ。
「テンベルクがいぶかしがっておったな。そういえば、輜重部隊の訓練を計画しているらしい」
「はっ、王族でありながら、兵卒に混じるのが好きとはな」
「テンベルク侯爵と言えば第一騎士団長ですな。いやいや、帝国の軍では訓練を通じて部隊をまとめると聞いたことがございます」
「つまり、新しい騎士団を私物化すると言うことか!」
あざけりの笑みを浮かべていた王子が顔色を変えた。
「第一騎士団の取り込みは急がねばならんな。王都を守る第一騎士団さえ押さえておけば、クレイグが力をつけようと何とでもなる」
「その訓練とやらの情報を集めねばならん。何か聞いておらぬか」
ザングリッチは商人達をにらみつけた。
「い、いえ。おかしいですな。訓練なら我らに事前に声が掛かるはずです。輜重部隊の馬車は我らが納入と整備を受け持っているのですから」
馬車ギルド長は額に脂汗を浮かべた。利益率が高く、業界の揺るがぬ首位という象徴的意味も強い騎士団の商いがもし他に渡る。今度こそ彼を焦らせるに十分だ。
食料ギルドでは軍需を巡ってドレファノとケンウェルが争ったことは彼の記憶にも新しい。
「そういえば。ベルトルド大公閣下が帝国の木材に興味を持っているという話を貴方から聞きましたな」
ギルド長は帝国商人を見た。
「木材だと。ばかばかしい。麦畑しかない田舎に木を運んでどうする」
「…………ベルトルドでは馬車の修理は出来ても、新しい馬車を作るには……、何もかもが足りないはずですが」
馬車ギルド長は追随しながら冷や汗を垂らした。馬車一台を作るのに、どれだけの職人が必要か、彼はよく知っている。だが、もう一人の商人が口を開いた。
「油断は出来ませんよ。カレストとドレファノをつぶし、食料ギルドを手中に収めたなら、次に狙うは……」
「クレイグ殿下、ベルトルド大公閣下、そして見本市の商人ですか。何か大規模な企みの存在が考えられますな。フォルムには出来たばかりの像があるのですよね」
像という言葉にデルニウスが目をむいた。
「弟ごときにこれ以上大きな顔をさせてなるものか。奴が何を企んでいるにせよ潰すのだ。旧第二騎士団の不満を持った者を懐柔して情報を得ねば。其方らは商人の伝で、見本市とやらのことを調べよ。ええい、このような時にグリニシアスめはどうしておらぬのだ」
騒然となる第二王子閥の面々。王国商人二人は不安そうな顔を見合わせた。
「馬車が何かを握っているようですな」
黒ローブの男はフードの下に隠していた表情を持ち上げた。
「平地の輸送の要ですから。帝国は馬車の利用はあまりされないのでしたな」
「王国のように多くの馬車が行き交う光景はほとんどありませんよ。地形はいかんともしがたいですからな」
「しかし、貴殿の乗ってこられた馬車はなかなか立派では」
「はは、そういう地理だからこそ工夫がありまして。特別な素材を使った車両があります。王都と帝都を行き来する関係上、用いることを許されておるのです。まあ、王国に入れば我らが通行を許される大道や王都の石畳は平坦そのもの。取り柄の丈夫さも宝の持ち腐れです。扱い方も癖があって。王国一の馬車商人である貴殿は優れた馬車などいくらでも用意出来ましょう」
帝国商人は両手を振って謙遜してみせた。
「ははは、そこまで簡単ではありませんぞ。多少性能が上がっても、儲けが減っては話になりませんからな」
ギルド長は言った。代々の東の大公と結びつき、木材や金属の供給で優遇されている彼にとって、それが商売の要項だ。
「何にせよ、とにかく女狐や第三王子の好きにさせてはならぬ。……むっ!」
忌々しげに酒杯をあおったザングリッチの手首が翻った。
「ひっ!」
ガシャーーン。侍女のすぐ横の壁で、高価なグラスが砕け散った。
「ぬるい。不味くてならんわ」
主の言葉に、使用人達は慌てて新しいグラスと氷を取りに走った。




