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3話:後半 転がりはじめる

 ボールベアリングを渡されたメンバーの反応は二つに分かれた。クレイグを筆頭に、ダルガンとプルラはベアリングをくるくるとひっくり返している。一方、リルカやベルミニは机に置いたままのベアリングに恐る恐る指で触れる程度。大公はそばに控えた執事に渡して検分させている。男女差がでるな。


 女性陣の例外はアルフィーナで、両手で持ち上げたベアリングを真剣な目で見つめている。


「さて、物を運ぶとはどういうことでしょうか。もっと言えば、物を運ぶために必要な力はどうやって決まるでしょう」


 俺は会場の全員を見渡しながら言った。


「そりゃ、重さだろ」


 ダルガンが答えた。

「正解です。ですが、重さだけではありません。実際には重さと、地面との摩擦を掛けた合わせたものです」


 正確には垂直荷重×摩擦係数だ。俺は用意してきた二つの金属を取り出した。一つは長方形、もう一つは球型だ。その二つを机の上で動かしてみせる。


「同じ重さのものでも、長方形のように接する面が大きいとすぐに止まり、玉のように地面と接する点が少なく、しかも回転すると転がり続けます」


 球は理論上は地面との接触が点、実際にはめりこむから面だけど、長方形よりも小さい。さらに重要なのが回転することだ。


「そりゃそうだよ。同じ重さの荷物でも手で押すのと、荷車を使うんじゃ全然大変さが違うもの」


 リルカが言う。ベルミニも隣でコクコクと頷く。さっきの計算式で言えば、同じ重さの荷物でも、摩擦係数が十分の一になれば、動かすのに必要な力は十分の一になる。空気抵抗などがあるから計算通りには行かないけど、誰でも日常感覚として知っていることだ。


 もしかしたら知らないかもしれない人間が数名混じってるけど。


「そう、車輪は摩擦を減らすためにあるんだ。だけど、物を運ぶのを邪魔する摩擦は地面との間だけじゃない」


 俺は馬車の車軸の模型を取り出した。車軸を金属の筒が囲んでいる。俺は車軸を回転させる。回転はすぐに止まった。


「このように、車軸と軸受けの間にも摩擦が生じている。馬車の場合は馬の力を無駄に使ってしまうと言えば分かるでしょうか。しかも、この形式の場合、軸受けの上側ばかりに車軸が接触することで変形や破損の原因になります。なめらかに回転させ、破損を防ぐには潤滑油が欠かせないけどその無駄も大きい」


 俺の言葉に商人勢とクレイグが頷いた。エウフィリアとアルフィーナは困った顔になっている。いつも馬車に乗っているとは言え、そういうことは気にしないのだろう。


 何よりも、乗り物に対するこだわりは男のロマンだ。


「では、皆さんに配った新しい軸受け、ボールベアリングの場合はどうでしょうか」


 俺は同じ太さの車軸を取り出すとボールベアリングに差した。俺が実演するまでもなく、男性陣が車軸を回す。


「すげえな、いつまで回り続けるんだ」

「こ、これはすごいね」

「ほうほう、なるほど。二つの輪の中にあるこの玉がポイントじゃな。球が回転することで、お前がさっき言った摩擦を軽減しておるわけじゃ」

「その通りです。この軸受けを使えば、車軸と軸受けの間の摩擦を十分の一、いや百分の一に軽減出来ます」


 「回転を制するものは工業を制する」俺のいた大学の教授の言葉だ。自動車など動く物だけでは無い。クーラー、冷蔵庫、ありとあらゆるものに回転が組み込まれている、その全てで軸受けが活躍しているのが現代社会だった。


 第二次大戦中、アメリカがドイツの軸受け工場が集まるシュバインフルトを爆撃のターゲットにしたのは有名な逸話だ。軸受けが作れなければ、ほとんどの工業製品が作れなくなるのだから。


 そして、軸受けの中でボールベアリング、玉軸受けは画期的な発明だ。車軸と一緒に回転する内輪と、馬車に設置する外輪の間に、球を組み込む。そうすることで回転を点で受け、かつ球自体が回転することで摩擦係数を減らす。しかも、球が回転することで負荷の掛かる部分が分散する。


「こりゃすげえ、っていうか面白えな」


 男性陣は、すっかりメカニカルなおもちゃに夢中になっている。女性陣のどこか引いた視線に気がつかず、指に突っ込んだベアリングを回して楽しむ。


 気持ちは分かるぞ、俺も試作品を渡された時やったから。


「――待ってくれ。この中に入っている玉も、外側の円もとんでもない精度で作られているようだけど」


 どこまでも冷静なロストンが言う。ただし、その指は外輪を回しているが。


 そう、玉軸受けを成り立たせるためには金属を正確に球型に加工し、さらに大きさを厳密にそろえる必要がある。地球でも産業革命以降にやっと実現した技術だ。だが……。

「それが、ノエルに参加してもらっている理由です」

「なるほど、錬金術で作ったならこの精度もうなずける」

「待て待て。もしも、これが魔導金で出来ておるなら、材料と加工費だけで馬車が何台も買えるじゃろう」

「そんなにか。……いかに軍用とは言えそれは流石に手が出ないぞ」


 フルシーとクレイグという魔術に素養がある二人が問題に気がついた。軍用品は費用が桁一つ違う。騎士団の輸送用馬車の需要はこの計画の要だ。


「そうだね。いくらケンウェルでも、そんな高価な馬車はとても買えない」


 その次に重要なのは穀物の輸送などで大量の馬車を使うケンウェルのような大商人だ。メカに夢中になっていた男子も、コストの話に表情を引き締めた。


「そうですね、もしもそれが魔導金と錬金術で作られたものならその通りです。王国中の魔導金と錬金術士をかき集めても足りない、これを作った彼女の分析です」


 俺はベアリングの製作者を見た。全員の視線がノエルに誘導された。


「ですが、今皆さんが持っている試作品は魔導金も錬金術も使われていません。さあ、錬金術士ノエル殿、続きをお願いします」

「は、はい」


 ノエル針金のように直立したが、なんとか俺に答えた。


「これ自体には、魔導金も魔力も使われていません。私が作らされた…………作ったのは、これです」


 ノエルはゴトっという音と共に、プラチナの輝きを放つ長方形の金属を講義壇に置いた。大きさはレンガの三分の一くらい。二つに分かれたそれを開いてみせた。二つの輪と六つの球の型が刻まれ、四方には正確に上下を合わせるための溝が掘ってある。


「……なるほど、錬金術で型だけを作り、それで普通の金属を整形したのか」


 フルシーがいち早く理解にたどり着いた。いわゆる金型だ。もちろん、この世界にも型はある。だが、錬金術を使って作ることで利点が二つある。一つは加工精度。精度の高い球を型で作るのは超難易度だ。だが、人間CAD兼精密加工機械である錬金術士なら可能だ。


 一旦型が出来れば、それを使ってベアリングを製造するのは普通の鍛冶屋に出来る。しかも、型は魔導金で出来ているので摩耗や熱に強い。そして、それが第二の利点を生む。


「ちなみに試作品は柔らかく、融点……低い温度で溶ける鉛で作っています。プルラ先輩。確か普通じゃ加工が難しい鉄があるんですよね」

「ああ、加工するのに力と高温が必要って話だ。型をもっと薄く出来ないかって依頼した時に聞いただけで、僕も詳しいことは知らないけど」

「この錬金金型なら多分、その金属も加工出来ます」


 鋼のたぐいだろうか。錬金金型なら、高温にも強い衝撃にも耐えれる。つまり、魔力を使わずにできあがったベアリングも、通常のものよりも遙かに丈夫で壊れにくいと言うことだ。


「型だけを錬金術で作り、実際の物は普通の金属でか……、なるほど」

「――実際にいくらになるんだい?」

「この型は実際の三分の一の大きさですが。金額に換算すると金貨20枚以上が掛かっています。実際に馬車の軸受けに使うものを作るなら、5倍以上、おそらく金貨100枚程度の費用が掛かります。これでも、ノエルとミーアが工夫の限りをこらした結果ですね。本来ならさらにその5倍以上です」


 俺の言葉に会場が静まった。


「ですが、この型で10個のベアリングを作れば一つ当たりの型の費用は、金貨十枚。100個作れば金貨一枚。1000個なら銀貨一枚です。実際には精巧な作りなのに丈夫で、潤滑油も効率的に使われ、破損も少ない。おそらく通常の軸受けの倍以上は持つでしょう」

「寿命もそうだが、何十台もの馬車を運用する騎士団にとっては故障が減ることが大きいな。一台が止まれば、最悪軍全体が止まるのだからな」


 クレイグが言った。流石王子なのに現場の人である。


「商人にとっても同じですね。はっきり言って喉から手が出るほど欲しい馬車になる」

「ひっ!」


 王子とジャン、いや男性陣の射るような視線を受けて、ノエルがおびえた。


「盛り上がってるところ悪いが」


 メカに大興奮の男性陣に引き気味の目でエウフィリアが言った。


「それほどのものを、ベルトルドで本当に作れるのか。さっき言ったとおり、ベルトルドの職人の基盤は小さいぞ」

「ベルトルドでしか作れないようにするんです。ポイントが二つあります。この型が錬金術でしか作れないのが一つ。型の管理さえすれば技術を独占出来る。もう一つは、このベアリングの精密であるが故の欠点です」

「欠点じゃと」

「はい、加工精度から分かるように、普通の軸受けよりもずっと正確に馬車に取り付ける必要があります。中に異物が入るのを防ぐ仕組みも必要です。振動を拾いやすいので、それを押さえる工夫が無ければ、先ほどの耐久性も発揮出来ません」


 普通に使われる滑り軸受けより遙かに遊びが少ない。ここの工作精度で扱うことが困難なほどだ。だが、それだけに絞れば技術革新は不可能ではないはずだ。例えば取り付けのための治具の開発などだ。


「また、いくら精度の良い型といえども、打ち出したベアリングにはバリも出るし、ボールの研磨の必要もあります。そう言ったノウハウが全てベルトルドに蓄積される。これが大きいんです」


 ただ工場が沢山あるのが工業化ではない、そこに積み上がる有形無形のノウハウが大きいのだ。工場を他に移しても実現出来ない競争優位が出来る。


 情報伝達の遅い世界で、しかも加工のコツは全て手作業だ。いったん確立した優位は、立地の不利を覆す。


「料理もある程度同じだから、話は解るな」

「ああ、菓子職人を育てるには多くの時間が必要だよ」


 ダルガンとプルラが言った。


「次の課題は、そのノウハウの蓄積を促すための需要です。最初は高い費用をかけられる軍用馬車の置き換えを狙います」


 俺はクレイグを見た。王子は不敵に笑った。


「騎士団にばばを引けというのか」

「割に合いませんか? 魔獣氾濫で東西に駆け回らなければならない騎士団は……」


 初期のトランジスタの多くが軍向けだったと言う話がある。費用よりも性能を求めるのは軍事の特徴だ。もちろん信頼性が保証されていての話だが。


「分かっている。だがいくら何でも一気にとは行かんぞ」


 クレイグは予想通りの答えを出した。良い燃費の車が出来るたびに買い換えれば、かえって資源と費用の無駄になる。


「はい。まずは、既存の馬車の車軸周辺だけを交換することから始めます。さっき言ったように、このベアリングは取り付けにノウハウが必要。その部分だけを集中的に職人が学ぶことにつながります。さらに、評判が広がればベルトルドには新しい軸受けへの交換を求める馬車が集まります。馬車は当然荷を運んでくる。ベルトルドに足りない金属や木材を王都やクルトハイトから運ぶことも可能になる」


 俺はやっと名目上の目的にたどり着く。


「見本市はその評判を作るための場です。そして、技術が蓄積し、新しい馬車を作れる様になればこちらのものです。なぜなら、作った馬車を別の場所に輸送するのに馬車は要らないからです」


 話を終えた。全員が身を乗り出して俺を見ている。


「なるべく早く馬車の実物を見たい。活動範囲も人数も大きくなった我が騎士団は、輸送能力の拡大は急務だ」


 クレイグが言った。


「少しでも早く、置き換えを進めたいね。実現されれば商売の全てが変わる。穀物の大量輸送は一番影響が大きいよ」

「果物の鮮度を保ったまま運べれば、ウチの菓子の魅力はさらに上がる」

「そうだよ。バターやチーズだけじゃなくて、ミルクも運べるようになればウチの商売の可能性は広がるわ」

「野菜だってそうだわ、王都に運べる量も種類も増える」


 全員が輸送革命、と言うには少し大げさだが、の意味を理解してくれたようだ。


「ついでに言えば、輸送能力の拡大は周辺の農村に依存する都市の規模のタガも外します。ベルトルドなどの都市はもっと大きくなれる」


 俺は大都市の主を見た。エウフィリアは執事から受け取ったベアリングを手に頷いた。


「画期的な技術とその独占方法、職人の育成と新型馬車の製作のノウハウの蓄積。原材料の確保。さらに買い手と、作ったものの輸送。全てが其方の策に含まれておるわけか。これ一つでベルトルドのみならず、国の形が変わるというわけじゃな……」


 あきれたような大公の言葉に全員が苦笑いになった。その中にノエルが含まれているのが少しおかしい。プレゼンが終わったことにほっとしているようだが、この国の歴史に名を残しかねないことに気がついてないな。


 ミーアはちゃんと理解してくれたぞ。「魔術に手を出す”程度”のことに警戒していた自分は甘かった」と言うのが秘書の言葉である。

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