2話:前編 魔術寮
フルシーと一緒に俺とミーアがやってきたのは、尖塔を三棟の建物が囲む特徴的な施設だった。『王国魔術寮』という名前に恥じぬ表の二棟に対して、フルシーが手招きをしたのは一番小さな裏の棟だった。
石造りの廊下は。どこか学院の館長室を思わせる雰囲気だ。だが……。
「冷たっ!? 大丈夫か、ここ」
天井の隙間から落ちてきた水滴がつむじに染みこんだ。石の建物は確かに通気性は良くなく、場所によっては湿気が溜りやすい。だが、今のは水漏れじゃなかろうか。
「仕方あるまい。第三棟は僻地じゃからな」
「館長、いや大賢者様。貴方の宮廷における肩書きは?」
「魔術寮特別名誉相談役じゃ」
「特別に名誉だけは形だけ尊重してやるから相談されるまで絶対に出しゃばるな、ってことか」
「まあそうじゃ。ちなみに西方の魔獣氾濫が起こる前には、特別も名誉もついておらんかった」
フルシーはあっけらかんと言った。まあこういう人柄だからこそつきあいやすいんだが……。
「で、今回は珍しく相談を求められたと」
「そうじゃ。西方に開設された観測所が、ノイズに苦しんでおるらしい。どうせ儂の開発した測定紙の精度の高さを扱えきれんのじゃ。精度が高くなればなるだけ運用は繊細さを求められるのだからな。……儂が気に食わんなら、大公とか姫様とか、あと第三王子のコネを使えば良かろう。今なら第一棟の扉は開くじゃろ。開いた後は知らんが」
「それじゃ目立ちすぎるし。館長くらいがちょうど良いんだよ。分かったから。えっと、ここの説明の途中だったな。魔術寮はめちゃめちゃ秘密主義で、外からはほとんど情報得られないんだよ。賢者様だけが頼りだから」
「持ち上げるのか落とすのか統一しろ。まったく、ミーア君がいなかったらたたき出しているところじゃ。……良いか、魔術の需要が騎士団にほぼ限定されているのは知っておるな」
「実際に見たから分かってる」
俺は、騎士団の光る鎧や武器を思い出した。硬い鱗を貫く光を帯びた剣。触れただけで腕くらい切断されそうだ。そして、全身を覆う鎧を着て軽々と動く騎士。竜の攻撃すら耐える盾。何よりも、その工作精度がこの世界のものとは思えないレベルだったのだ。
「あんな便利な物が、騎士団に独占はもったいないって思ったんだけど、理由があるんだよな」
「そうじゃ、魔術の使用が限定的である理由は、大きく分けて二つじゃ。一つは使用者の資質。これは知っておろう」
それは何度も聞いた。魔力を扱える人間が少ない上に、素質を持つ者もそれぞれ得意分野に偏っている。アルフィーナと予言の水晶が最たる物だ。フルシーも測定に特化している。
ついでに言えば、有資格者は貴族出身者に大きく偏っている。その秘密もそのうち暴かないとな。
「もう一つは、魔力に反応する素材と魔力源の希少性じゃ。観測にはそこまで魔力を使わんが。剣や鎧となると大量の素材と魔力を使う。逆に言えば魔力が無ければダメということじゃがな」
「それも半分は実感した」
王子が片手でぶん回していた剣を渡されて、俺の手が地面にめり込みそうになった。資質者でも魔結晶で魔力を流さない状態だと重さは倍、資格のないものだとさらに2,3倍になるらしい。つまり、彼らがペットボトルくらいの気持ちで振り回せる剣が、俺には十キロの重りというわけだ。
「そんな特別なものを、どうして扱いたがる」
「それがさ、ドラゴンの魔力運用を見てると、ちょっと思うところがあって」
ポイントだけ魔術を使うことで工業応用出来れば膨大な価値を生むはずだ……。
「儂もドラゴン見たかったのに……」
「いやいや、そこは違うだろ。死地に赴いた教え子を心配するところだぞ。それよりも、まず素材だ。あのバカみたいに丈夫な剣を作ってる金属について教えて欲しい」
恨めしげに俺を見るフルシーに俺はあきれた。
「……言っておくが王子の剣を基準にしてるなら失望するぞ。まあ、それは今から紹介する錬金術士に説明させた方が良かろう」
「錬金術士っていうと?」
元の世界ではうさんくささナンバーワンの職業について尋ねようとした時、廊下の向こうから、パタパタという足音がした。
「大賢者様!!」
薄茶色のローブを着た女の子が、フードを跳ね上げながらこっちに走ってくる。
同い年くらいか。青髪の先端が鎌みたいになったボブカットだ。小柄で体の線が見えにくいローブなのに、走るといろいろ刺激的なのは何なんだろう。
「おおノエル。今ちょうど其方のことを話してたところじゃ」
「大賢者様の名指しで手伝いを頼まれるなど、光栄です」
ノエルと呼ばれた魔術士? は尊敬の目でフルシーを見た。そして、俺たちに向き直った。
「それで、この平民は何なのでしょうか。荷物持ちなら、言ってくだされば……」
まるで物でも見るような視線だった。口調の温度まで下がっている。まさか紹介するのってこいつじゃないだろうな。
「これこれ、儂の大事な弟子と助手になんと言うことを」
「弟子……。助手……」
フルシーがたしなめると、ノエルが固まった。そして震え始めた。
「平民ではありませんか。それに、全く資質を感じません。恐れながら、大賢者様はもう少し御身の重さを考えるべきです。魔獣氾濫の理論の確立のみならず理論の改良を続け。前回、前前回の国難を防いだ魔術士の星、王国の知恵なのですから」
「聞いたかリカルドよ。これが正しい評価じゃ。お前みたいに「儂は知識だけ出しとけ」とか、普通はいわんのだぞ」
賢者は自慢げに髭を梳いた。フルシーの評価に文句はないが、改良に知恵を貸したのは俺とミーアだぞ。
「そ、そのような暴言を吐いたのですか。ドラゴンの討伐で男爵位を授与された大賢者様に、平民が」
「なあ館長。魔術寮って要するに国家が管理する魔術士のギルドみたいなもので、魔術士は騎士と同じで多くが貴族出身なんだよな。男爵程度がそんなに偉いのか」
「例によって、常識も空気も知らぬ発言をしよって。お前、いくら後ろ盾が固くてもいつか死ぬぞ」
フルシーはため息をついた。いや、それは環境に問題があるんだよ。最近そこら辺の感覚が怪しくなってきて、保身的に悩みなんだけど。
「騎士団でも、第一騎士団と第二、第三騎士団は序列が違うじゃろ。そして、ここは第三棟。後は言わせるな。まあ、お前がかき回したおかげでさらにいろいろと問題が出ているのじゃがな」
どうやら魔術寮もいろいろと政治があるらしい。となるとフルシーには期待出来ない分野だ。
「……とにかく。こいつ、この娘が紹介してくれる錬金術士なんだな」
純粋に技能を見る目だけを期待するしかない。俺はフルシーに確認した。
「そうじゃ、ノエルはちょっと変わり者じゃが。才能はある。儂のことをちゃんと理解する良い娘じゃしな」
何と学院も籍だけはあって、フルシーの現役時代の研究を調べて質問に来た唯一の学生らしい。魔術寮に引きこもってる同級生と言うわけだ。まあ、それなら少しは期待出来るか。
「えっと、俺たちは……」
「先輩の力も知らないくせに好き勝手いわないで」
「何よ貴方は……。そこの男よりはマシそうだけど……。って貴方も平民じゃない」
俺がここに来た目的を説明しようとしたら、ミーアがノエルにくってかかった。二人の少女が睨みあう。ミーアにしては珍しいな。まさか、胸部の格差を気にしてるとかじゃないだろうし。
「待て待て、えっと君が騎士団の装備の製作や保守。えっと、要するに騎士団専用の鍛冶屋みたいなものだよな」
「か、鍛冶屋……。あんな野蛮な職業と一緒にしないで!!」
俺はなるべく友好的な口調で話しかけた。だが、俺の言葉にノエルは目をむいた。例によってファーストコンタクト失敗。
しかし、野蛮な職業か。貴族出身者なら標準的な言い方かもしれないが、今回の目的を考えると最悪だな。
「館長」
「何じゃ」
「チェンジで」
「あきらめろ。これでもお主に一番合いそうなのを選んだ。とにかく、儂は忙しい。後はノエルに聞け」
何とフルシーは入り口に向かって振り返った。
「まて、この状況を放置していなくなる気か」
「言ったじゃろ。西方の観測所のことで第二棟の連中に知恵を貸してやらねばならぬのじゃ。そうじゃ無かったらこんな面白そうなこと見逃したくないわい。ミーアよ。今日の話の内容は後でちゃんと儂に教えるのじゃぞ」
「まるで被害者みたいなことを。俺が急ごうって言ったのに、実験があと一寸とか言ってたじゃないか。じゃなくて、この状況では話し合いなんて成り立たないだろ」
「うーむ、それは困るな。分かった分かった。ノエル」
「はい」
フルシーの声に、ノエルが直立不動になった。本当にわかりやすい。
「この二人は儂の代理人と思って接するように。それにな、ミーア君はともかく、こやつは見た目や立場から考えられんほど恐ろしいぞ。敵対した者は次々と表舞台から消され……。まあ、それはともかく頼んだぞ」
「なんでわざわざそんな物騒な紹介を付け加えた。おい、待て……」
フルシーは軽く片手を上げると、足早に場を離れた。
「平民が賢者様の代理人……」
残されたのは仏頂面のミーアと。そして、超難易度のコミュニュケーションイベントを前に頭を抱える俺だった。




