11話 下見
修復中の石版の周りは布で覆われていた。
中央近くにあった空白には、下絵が描かれ浮き彫りも始まっている。作業はスムーズに進んでいる。
あの後、王宮の倉庫にしまわれていた原画を宰相から渡されたおかげだ。修復自体も王家の御用達の職人が紹介されている。それでも、除幕までは一ヶ月かかる。
除幕は大げさだな。これはあくまでレリーフの修復だ。除幕というのはフォルムの中央に作られる『竜を討つ英雄』の像のことをいう。レリーフはそれに合わせて、ついでのように、さりげなく姿を現す。おそらく、見た人間は何か変わったかと首をかしげるだろう。
同級生の女の子と彼女の数人の友人以外にとっては、そんな物だ。その彼女はじっと下絵を見ている。なかなかの横顔イケメンである。もちろん、神話の神々という設定上、本人に忠実とは限らないが、横に描かれている男の兄、つまり現王は面影が残っているからそう外れていないんだろう。
何よりも、彼女の顔を見れば、まあ両親が美形だったことは想像に難くない。ちなみに、もう一つのレリーフの方は、ベルトルド大公がやはり保管していた原画を元に修復中だ。
「…………リカルドくん」
「はい」
アルフィーナは俺から二歩離れた距離で言った。俺がトゥヴィレ山に行く前のあの行動で、叔母にしかられたらしい。
「皆さんと一緒にここに来た時の思い出は、私にとって大切な物です。でも、それを思い出すたびに、このレリーフが一緒に頭に浮かびました。それが少しだけ、悔しかったんです」
アルフィーナは俺の方に手を伸ばそうとして、慌てて引っ込めた。
「クラウから聞きました。とても危険だったと」
「ははは……」
それってアレか、勇戦する騎士団の後ろで女の子にかばわれながら逃げ回っていたのを知られたってことか。
「私はどうお礼をすれば良いのでしょうね」
「その言葉を聞けば、クラウディア殿も喜ばれるでしょう」
「クラウにはもちろんお礼を言いました。あのときの私は……。私の無理で、クラウまでも討伐に参加させてしまったのですから……」
アルフィーナはそう言って顔を伏せた。いくらクラウディアが自ら志願したとは言え、そりゃ反省するか。だが、顔を上げたアルフィーナは今度は少し困った顔になった。
「ただ、クラウはリカルドくんから父の名誉を守ってもらった恩返しだと言っていましたけど」
あれ、聞いたのと違うな。俺には確か、アルフィーナの頼みだから気にするな的なことを言ってたような。
「いえ、そうでは無くて……。そんな危険な目に遭ってまでリカルドくんは……」
アルフィーナはレリーフの下書きを見た。
「私の個人的事情ですので。残念ながらアルフィーナ様からお礼を言われる理由はございません」
俺は用意していた言葉を使った。アルフィーナは唇を噛んだ。
「そ、それにですね。ちゃんとリスクに見合った物は勝ち取りましたから。ここで開く見本市には、セントラルガーデンのメンバーに気持ちよく協力してもらわないと」
ミーアが言うにはレリーフの意味を知った後、リルカはずいぶん落ち込んだらしい。王族の接待を間違えたとか、トラウマ物だからな。
「…………」
無言でかわいい頬を膨らませる同級生。謎の迫力が俺を襲う。
「それに、紹賢祭と同様に見本市にはアルフィーナ様にも参加していただきたいですから。人寄せパンダの笑顔が曇っていては、台無しですから」
俺は言った。商業ギルドの各ギルド間、いや商人ギルドと職人ギルドの間に風穴を開けようって言うんだ。保身を全うするためには、王家のお墨付きが必要だ。フォルムで開くのもそのためなのだから。
「そのパンダというのが何か分かりませんが、私に出来ることは何でもします。でも、それはヴィンダー商会の株主として当然の協力ですね」
株主という立場を逆手にとるだと。
「…………私の目的がレリーフの修理だと思われれば、ヴィンダーが見本市を使ってやろうとしている目的が隠れます。食料以外の商業ギルド長にはこちらの意図を悟らせてはなりませんので」
俺はもう一つの目的を口にした。同級生の両親への思いまで商業上の利益のために使うなんて、商人の鏡だろ。ミーアには「先輩は策士ですね、本当に!」と褒められたのだ。
「……リカルドくんはとてもずるいですね」
「今頃気づかれるというのは、いささかプライドが傷つきます」
「くすっ、ミーアならなんというでしょう。リカルドくんはどうして……。いえ、私は私で考えるしか無いようです……」
そう言うとアルフィーナは俺の腕を引いた。耳元にきれいな顔が近づいてくる。
「ア、アルフィーナ様。その、大公は幕の向こうにいますが――」
「足はちゃんと二歩離れています」
「いや、それ言い訳にしても……」
「あきらめませんから。私がちゃんとリカルドくんの役に立てたら、お礼を受け取ってもらいますよ」
アルフィーナは耳元でささやくように言った。
「何かおかしいような……」
「そうでしょうか? リカルドくんほどじゃないと思います。とにかく約束ですから」
柔らかく暖かい両手の感触を腕に感じながら、俺は設定上の姪におそるおそる聞く。
「……ちなみに、お礼というと?」
「ルィーツアが言うには、枕を…………。ダメです。これは秘密でした」
アルフィーナは顔を赤らめてぱっと俺から離れた。不穏な名前が出てきたな。枕だと、あのご令嬢は何を吹き込んでいるんだ。
◇◇
「其方から、アルフィーと同じ匂いがするな」
「な、何のお話でしょうか……」
幕の外に出た俺は大公の言葉に、思わず右手をかばった。
「借りが出来たな」
「それも、何のことでしょうか」
「妾にとっても兄じゃ。……まったく、あの場で直訴とは」
大公はいつもの羽扇で口元を隠した。
「……ちなみに、やりようによっては名誉爵位くらいは手に入ったぞ」
「それじゃ、情報の秘匿に支障を来します。そもそも、爵位なんて邪魔にしかなりません。セントラルガーデンで浮いたらどうしてくれるんですか」
ただでさえコミュニケーション能力に難があるのに。一人貴族とかぼっちまっしぐらだ。そもそも俺の夢を叶えるには、商人という立場は失えない。
「政治上のことはそちらの管轄です。もし万が一その手の話が出たら、つぶしてください」
「……其方の言った見本市とやらの話、じっくり聞かせてもらった方が良さそうじゃな。クルトハイトが復興するまでの間に、職人や商人の目をベルトルドにも引きつけるのだったな」
エウフィリアは表情を改めた。
「はい、ベルトルドは農業に偏重しています。クルトハイトが復興している間に、経済の多角化を進行すべきです」
王国はこの二十年安定と平和の中にあった。それでは農村はどうなるか。レイリアのように内乱のあおりで冷遇されていたわけで無い限り。じわじわと人口が増えていく。もちろん、地球の人口増加程では無い。十年で一パーセントとかそんな程度だ。
しかも、あの資料を見る限り農業の生産性もじわじわと上がっている。だが、耕地を広げようにも簡単にはいかない。農業に適した場所はすでに畑になっているのだ。無理に広げれば痩せて、輸送コストが掛かる生産性の低い畑が出来るだけ。むしろ、何かあった時の脆弱性が増しかねない。
実は少なからずあぶれた人間が出始めているのだ。逆に言えば、農業以外のことを出来る人間が増えている。
「確かに村の人間の数は増えているな。それで……?」
「限定とは言え、ギルドの枠を取り払う商売の場を得ました。見本市をテコに畑違いの商会同士、あるいは商人と職人の協力と競争を促す仕組みを作ります。そうすれば新商品が生まれる。なるべく裾野の広い産業、それをベルトルドに作るのです」
日本の中世で言えば織田信長の楽市楽座に近い。地域限定の規制緩和。いわゆる特区である。実は、やってみたいことがある。あのドラゴンの有り様から、一つヒントを得たのだ。
「ほう。見本市の三日間はただのきっかけと申すか」
「はい、本体はそこで展示する物、いえ、それを作る体制ですね。それに、そうしないとベルトルドにとって面白くないことが起こる可能性があるのです」
「面白いことを言うではないか」
「あふれた人間は王都と、クルトハイトに集まり始めています。これは鉱夫達から直接聞きましたから確かです。そして、クルトハイトには流入する人口を吸収する産業があるのです。食料に関しては、グリニシアス公爵など隣領の供給で持ちます。つまり、放っておけば十年後二十年後に東西のバランスは崩れます」
この二十年の平和の果実をクルトハイトに独占されてはたまらない。と言うかそんなことをしたら腐らされかねない。
そもそも、宰相や王とは違ってあの二人は敵だと考える必要がある。敵が力をつけるのを黙って見ているわけにはいかない。
「……放っておけば、今回領土も守れなかったあの阿呆大公がいらん力をつけるか。では、其方の予言通りに進んだらどうなる」
「予言じゃ無くて…………。極端な話ですが、クルトハイトは単なる原料供給源になります。まあ、それでも全体のパイが増える分、今よりは豊かになると思いますよ。って。何するんですか」
俺の頭を羽扇が叩いた。
「一瞬でも其方が無欲だと勘違いした妾が恥ずかしいわ」
「お褒めにあずかり光栄でございます」
アルフィーナに言ったことは嘘では無い。今回ヴィンダーが得た報酬は決して小さくは無い。これまでの二十年で蓄積された果実が腐らぬうちに、今後の二十年のための種をまく。そのための場が、見本市だ。
まずは、全ての制限となるアレの改良だ。
「それに、帝国のことを考えても西方の不安要素は除かないと」
「帝国か、今回のことを考えても到底油断出来んな」
根本的な問題として魔脈の変動の観測もある。全く、いつになったら商売に集中出来るのやら。




