10話:前半 人質
予言の災厄への対策会議が開かれた大会議室から謁見の間を挟んだ反対側には、広さは三分の一も無いがその分装飾が凝縮された部屋がある。壁一面を薔薇のレリーフで覆われたそこでは、明暗二種の装いの人間がテーブルを挟んでいた。
「しかし、あまりに過大な要求では。いかに我が国が豊かでも、輸出の増加に加えて、これだけの量の食料を譲渡というのは困難と言わざるを得ないですな」
テーブルの左、明るい側の五人の中心に座る老人が、今日だけで何度目か分からない言葉を口にした。
「しかしですな。日々魔獣の脅威に晒されている我が国が、貴重な部隊を派遣するわけですからな」
右側で柔和な笑顔を浮かべた壮年の男。帝国使節長バイラル伯爵が緩み気味のあごを撫でながら返した。これも、繰り返された言葉だ。
狐と狸か。宰相の左に座った紅一点、ベルトルド大公エウフィリアは心中で毒づいた。
交易条件の譲歩に加え、援軍派遣の対価として三割の上乗せ。友好どころか足下を見ているとしか思えない。実際時間が経てば経つほど、王国側が不利になっていくのだ。
エウフィリアは宰相を挟んで座る細髭の四十男を見た。特に、自らの領土が危機に陥っているこの男が、いつまで我慢出来るか。実際のタイムリミットと精神的タイムリミットの差は、人間の器と反比例するというのが彼女の持論だった。
「バイラルよ。あくまで王国との友好のための派兵であろう。食料で戦力を売っているのでは無い」
発言者は部屋の中でもひときわ若い、二十歳にも達していない青年だ。その傲岸な口調と態度は黒ずくめの服装と相まって禍々しさすら感じさせる。だが、これまで一度も口を開かなかった彼の言葉は注目に値する。帝国側が口にした初めての妥協らしき物だからだ。
「ダゴバード殿下、それでは本国の納得が得られません。こう言っては何ですが、心情のしれぬ王国に貴重な部隊を派遣することへの反対も根強いのです。我が軍が敬意を持って扱われると”形で”示していただかなければ、反対を抑えられません」
使節長が皇子の言葉をたしなめる。だが、ダゴバードは足を組み直すと、顎を反らした。
「我が部隊への敬意と保証の証は、別の形で示してもらえば良いでは無いか」
「別の証とは」
宰相は警戒を解かずに訪ねる。
「我が部隊の安全の証として、しかるべき王族の同行だな。そうだな……」
皇子の目がこの場で一番派手な服装の男に向いた。第二王子はその視線に、慌てて目をそらした。エウフィリアは内心ため息をついた。
「今回の災厄を予言したという巫女姫アルフィーナ殿下など相応しいのではないか」
「ふむ。王国にそういった配慮があれば、本国を説得しやすくなりますな」
突然出た姪の名前に、エウフィリアは平静を維持するのに苦労する。隣の老人を横目で確認する。その表情は全く変わらない。だが、そのさらに隣は……。
「お、おお! そんなことな……。ん、んっ。年若い王女にはご苦労を掛けるが。民の命には代えられないのでは無いか」
案の定、細い髭を振るわせてクルトハイト大公ザングリッチが食いついた。そのさらに向こうで、第二王子が安堵したようにうなずいている。エウフィリアの顔が軋んだ。「民では無く自分の財産だろう。義理とはいえ、妹を自分の代わりに戦いに出すのか」そう言いたいのを押さえる。
「待たれよ。それではまるで人質では無いか」
「人聞きが悪い。魔獣討伐部隊は私自ら率いるのだから、王国から王族が同行してもおかしくはあるまい。もちろん、我が部隊が守るのだ竜相手とはいえ危険は無い」
ダゴバードは言った。他国の皇族が自ら援軍を率いる、思惑はともかくその事実は重い。だが、問題は帝国がそう言ったカードを切ってまで、彼女の姪に目をつける理由だ。
エウフィリアはごく最近知り合った一人の少年の言葉を思い出す。少年が彼女に警告してたのは、大陸規模の魔脈の変動だ。年齢にも立場にも、身分にもそぐわぬ大胆な発想。だが、西方の魔獣氾濫と今回のトゥヴィレ山の魔脈の発生。もう二度も、少年の懸念は裏付けられている。
しかも、それが巫女姫の予言と関わっていると言うのが、少年の判断だ。親族の情を無視しても、決して他国に預けれるような物では無い。
「しかし、巫女姫はまだ学生、魔獣討伐の場に伴うのはあまりにも困難が大きかろう。そもそも、二度も国難を予測した姫の予言は王国の宝。他国に預けることなど出来ぬ」
エウフィリアは言葉を重ねた。同時に、場合によっては自分が身代わりになる覚悟を決める。
「ベルトルド大公はクルトハイトの民を見捨てると言うのか」
だが、彼女の覚悟を邪魔するのは同国人だ。
「クルトハイト大公、そもそもそちらが巫女姫の予言をちゃんと聞いておれば、より時間の余裕があったのだぞ」
東西の両大公が外国使節の前でにらみ合う。交渉相手の前で対立。あり得ないことだが、譲るわけにはいかない。彼女はどんなことをしても、時間を稼がなければならない。少なくとも、あの少年が戻ってくるまでは。
「ふむ、問題はその時間ですな。決断が遅れれば遅れるほど、王国の被害は拡大するのでは」
使節長が宰相を見ながら言った。全員の視線が、老人に集中した。
「……いささか問題があるとは言え、帝国の要求ももっと――」
宰相が表情を保ったまま、答えを出そうとした。エウフィリアが恐れていた結論を遮ろうとした時、
コン、コン。
ドアがノックされた。
「この会議を邪魔することは何人も許さぬと言ったはずだ」
「申し訳ありません宰相閣下。第三騎士団が帰還しましたので、陛下がそれを伝えよとお命じになられました」
開いたドアの向こうで、エウフィリアもよく知る侍従が告げた。
「ほお、ずいぶんと早いですな。クルトハイトヘの食料の輸送というなら、もっと時間が掛かると思っておりました」
使節長が何食わぬ顔で言った。心なしか、その頬肉が下がった様に見える。
「騎士団の結果を聞かず、これ以上の交渉を続けることは意味が無い」
一度だけぎゅっと目をつぶった後、エウフィリアは言った。
◇◇
クレイグが傷だらけの鎧のまま謁見の間に入った。汚れた鎧を着た二人の副官が続いた。少し間を開けて、クラウディアと俺が荷物持ちとして従う。ちなみに、俺の頭とクラウディアの右手には包帯が撒かれている。
そして、俺とクラウディアが引くのは布に包まれた荷物だ。
謁見の間には、役者がそろっていた。紹賢祭で見た黒い服装の皇子までいる。確かダゴバードとか言ったか。また王国に来ているのか。
「陛下。第三騎士団ただいま戻りました」
「先の西方山脈に続き、トゥヴィレ山への遠征ご苦労であった」
玉座の主が威厳に満ちた声で言った。あの新春の祭り以来だな。アルフィーナの義理の父で、実の叔父。エウフィリアの兄。そして、第三騎士団長の父親でもある。いつの間に王族関係の知り合いがこんなに増えた?
それはともかく、表情にも声音にも実の息子を心配したり労ったりの色が無い。流石と言うべきなのだろう。
「では、……任務について報告を」
宰相が促す。
「……」
クレイグは沈黙で回答を保留した。なかなかの役者だ。何しろ食料輸送の護衛などしていない。必要なくなったんだからな。
「ふむ。王国が先の条件を認めれば、帝国は早急に行動しますぞ」
黒い皇子の横にいる、皇子ほど黒くない壮年男が言った。舌なめずりをするような声だ。先の条件ってなんだ?
俺はベルトルド大公を見た。エウフィリアは感情を押し殺した表情だ。つまり、かなりまずいことになってるってことだ。
「ああ、予言の巫女の同行という形で部隊の安全を保証するなら、我が竜を撃退して見せよう」
皇子が言った。なるほど、あっちにも自ら部隊を率いる王族がいる訳か。だから、アルフィーナを人質として差し出せって。ふざけるな。
「ああ皇子。それはもういいのだ」
クレイグは笑顔でいうと、俺たちを振り返った。それを合図に、俺とクラウディアが運んできた布に手をかける。
ビリっという音が広間に響いた。
荷台に引っかかった布の一部がちぎれてしまった。少し力が入ったのはご愛敬だよな。俺もクラウディアも。
それに、場の人間達はそんなことを気にしている余裕はなさそうだ。布の下に隠されていた鱗が、光を反射した。全員が一斉に息をのんだのが分かる。
謁見の間に突如現れたのは、優雅な雰囲気には到底そぐわない物体だ。口を大きく開いたまま時間を止めた凶悪な怪物が、目を見開いて虚空をにらんでる。
「トゥヴィレ山に巣くい、クルトハイトを脅かした貪竜ヘイレイト、第三騎士団がこの通り討ち果たしました!」
謁見の間を沈黙が覆った。あまりに巨大で凶悪な首に、廷臣達の認識が付いていかないのだろう。だが、いち早く怪物を認識出来る人間もいる。
「竜を討った……だと。アレは生半可な戦力で倒せるわけが……」
あのくそ皇子の言葉だ。さっきまでの自信満々の表情が崩れている。後ろにいる同じ服装の護衛達にも明らかな動揺が見えた。
「なんと」「おお、これで王国は救われた」「さすがはクレイグ殿下だ」「まさしく王国の剣」
遅ればせながら、廷臣達が次々に歓声を上げる。
「というわけだダゴバード殿下。我が国は危機を脱した。帝国の魔獣討伐に負担をかけることも無く済み、互いのために重畳なことだと思っている」
「…………クレイグ殿下の名は帝国にまで鳴り響くだろう。是非ともその武勇談を聞きたいものだ」
どうやら立ち直ったらしい。負け惜しみにも、王国の将来に不和を撒く種を仕込んでくる。
「まあ、何はともあれこれ以上の交渉は無用になったようじゃな。我らも肩の荷が下りた」
「はは、これは……、めでたいことです……な」
エウフィリアの言葉に、呆然としていた帝国使節は頬と言葉を震わせて答えた。
「この度の協力の申し出、王国としては忘れぬであろう」
王が声をかけた。帝国の使節団は、王に一礼する。そして、一斉に引き上げ始めた。めんどくさい社交辞令の言い合いとかは無いのか。
だが、黒い皇子はまっすぐ出口に向かわず、貪竜の首に近づいてくる。
「ほう、これはまた大物ではないか……」
切り離された首を無遠慮に眺めた。ちなみに首から上はほぼ無傷だ。どんな戦闘が行われたか、これからだけでは解らないだろう。
軍人同士、非友好的な視線を交わし合った後、ダゴバードが何故か俺のそばで立ち止まった。
「……お前、どこかで見たな。……そうだ、あの下らん祭りで巫女姫を……」
俺は恐縮したように顔を伏せた。冷や汗が垂れる。平民の顔なんか覚えなくて良いよ。
皇子は追いついてきた護衛の一人を見た。男が俺を見て、首を振った。
「ふっ、能なしか」
何をしたのか解らないが、ありがたいことに興味を失ったらしい。皇子は足早に広間を出て行った。
まあ、こっちは完全にお前の顔は覚えたけど。要警戒対象だからな。




