9話 反省
目を覚ました俺の顔を、端正な女性が見ていた。彼女は俺の頬をペチペチと叩いた。俺は目を瞬かせた。
「目を覚ましました」
声を聞いて、やっとそれがクラウディアであることを認識した。まだ、頭がグラグラする。どうなったんだっけ。
「よし、立役者が目覚めたところで、改めて勝ちどきを上げるぞ」
「……えっ」
ざっと言う音がして、周囲で沢山の人間が立ち上がった。自分が寝ていたのが、円陣を組んだ男達の中心であることにやっと気がついた。俺は慌てて立ち上がろうとするが、身を起こすのがやっとだった。
クラウディアが俺を後ろから支える。
「この度の魔獣討伐、我らが第三騎士団の勝利である」
「「「「我らの勝利だ。うぉーーーーー!!!!」」」」
俺も、クラウディアに腕を引っ張られる形でなんとか合わせた。勝ちどきが終わると、騎士達は互いの拳をぶつけ合う。何人もの騎士が俺の元に来て、拳を突き出した。
「俺は後ろで震えてただけなんだけど……」
命がけで戦った彼らに、仲間扱いされるのはとても気が引ける。俺は彼らの背後でさらにクラウディアに守られていたのだ。
「誰もが認めざるをえん功績だろう。……アデルの家名を救うのみならず、兄の敵を討てたのは、リカルドのおかげだ」
「いやいや、むしろ命の恩人でしょ。クラウディア殿」
あの最後の瞬間、クラウディアが俺を突き飛ばして一緒に坂道ごろごろしてくれなかったらどうなっていたか。彼女の手足には多くの擦り傷が付いている。
「ふん、それは姫様から授かった任務だ」
クラウディアは顔を背けた。
「クラウディア殿」
「なんだ」
「頬に煤が付いてますよ」
俺の頭は板の上に落とされた。
へっぴり腰が抜けない俺は王子の前に歩み出た。三人の部隊長がぱっと道を空けた。二人の副官がこちらを見る目が怖い。
クレイグの前には団旗に包まれた三つの体があった。
「戦死者は以上の三名。負傷者は十二名です」
クレイグに報告する副官の声で、それが戦いの犠牲者であることに気がつき、一瞬で血の気が引いた。王子が三人の戦死者に向けて剣を掲げた。
頭の中がぐるぐると回転した。もっと沢山の花粉を集めれていれば、いや有効成分の精製抽出まで出来ていれば、犠牲者を出すこと無く……。
「何という顔をしているのだ、討伐の立役者が」
「あっ、いや、すいません。立役者ですか……?」
「第二騎士団に200を超える死傷者を出したドラゴンを、こうも簡単に討たせたのはお前だ。出兵前の訓練方法から、竜の最大の武器である飛行能力とブレスの対処まで。全て其方の策の通り進んだではないか」
王子は俺に言った。
「まるで戦死者に驚いているようだな。我らの戦いは其方にとってはまだまだと言ったところか」
「いえ、そんなんじゃ」
違う、この期に及んで犠牲者という存在そのものを実感出来ない、平和ぼけを引きずったアホの顔だ。
俺は一度目をつぶり、呼吸を整えた。
「貪竜の正面に立った騎士団の力ですから」
そしてこの王子だ。飾り物とか、王族なのに頑張って前線に出るとか、そんな話じゃ無かった。実際に見たから解る。カリスマ、いや英雄なのだろう。少なくとも、前世も含めてこれまで一度も見たことが無いタイプの人間だ。
「やれやれ。空を飛び火を吐く巨大な魔獣と、その魔獣を容易に討たせる其方と、本当に恐ろしいのはどちらかな。特に……」
王子は笑顔だが内心が見えない、二人の副官は改めて畏怖の目を向けてきた。
俺にとって今一番恐ろしいのは、そんなこと言ってくれる貴方なんだけどな。
「いえ、賢者様の部屋で説明したように。アレを見つけたのは偶然ですから。こっちは商売なんで。代金がいただければそれでいいです」
俺は声を潜めた。
毒の開発はフルシー。俺はその毒を届けに来ただけの商人というのがいいんだけどな。そうも行かないのが残念だ。まあ、毒のことは表には出せないし。竜を討伐した英雄王子という名声に頑張ってもらおう。
「……仮に偶然アレを見つけた者がいたとして、それで竜を討てると考える者が他にいるとは思えんな。賢者の話ではアレが呼吸を止めると暴いた方法も、尋常では無かったということだが」
クレイグも同じように声を抑えた。
頭が痛い。貴族領の効率的脱税調査方法、年輪を用いた魔力記録測定方法、ドラゴンの討伐方法。一つ漏れただけで俺の命なんて吹き飛ぶ情報はいくつ目だ。知識は弱者の身を守る唯一の力のはずなのに、積み重ねるごとに俺の命が軽くなっていく気がする。
それはともかく、帝国に対する情報の秘匿は課題だ。
俺は三人の遺体を見た。仮にこの何十倍の死者が帝国で出ていたとしても。少なくとも今はだめだ。魔物の存在込みで保たれているパワーバランスが崩れれば、数万単位で人が死ぬ可能性、戦争につながるかもしれない。
帝国は帝国が守るべきで、王国は王国が守るのが基本だ。帝国だって真っ当にそう考えているはずだ。
「ドラゴンは魔脈の薄さで力を使い果たしていたので、容易に討てたくらいがお勧めなんですが。無理ですからね」
命がけで戦った騎士団の功績を低く演出など出来るわけが無い。それは下手な情報の秘匿と天秤にかけてはいけない。実感したのは今日が初めてだけど。
「まあ、それはそれとしてお前の話だ。リカルド・ヴィンダー」
「いえ、だから私は商売だとさっき結論づけませんでしたか……」
「其方の立場は関係ない。リカルドは今回騎士団の勝利に最大の貢献をしたのみならず」
王子はそう言うと周りを見渡した。
「我らと共に矢石を冒した」
王子の指先にはドラゴンの火球が炸裂した跡がある。まあ、そりゃ死にかけたけど……。
「従って、其方は我ら第三騎士団の戦友である」
クレイグはそう宣言して、俺の肩を叩いた。周囲の騎士達が一斉に剣の柄を鳴らした。
「は、はは、こ、光栄です」
「君を味方にしたアルフィーナはいかなる望みも叶うだろうな。まあ、今回の討伐でリカルドのことは少し見せてもらった、あまり警戒しないでやろう」
面白そうにそういった王子の言葉で、副官二人の視線が緩んだ。
それはともかく、貴方こそどこに行くつもりですかと聞きたい。今回のことで、クレイグは正真正銘の英雄だ。国民の人気で言えば、王などぶっちぎるだろう。少なくとも、何もしなかった第一王子や第二王子など問題にもならない。だが、長子相続は絶対のはず。
王子自体に王位というか、権力への野心は感じない。だが、俺に野心を悟られるような間抜けならそもそも問題ないし。なにより、権力云々では無くこの王子は自分の力で自分のやりたいことをやろうとする。
どんな好待遇を受けても企業から飛び出し、自分がトップになるまで満足しない。俺が読んだカリスマ経営者の多くと共通する気質に見える。となると、行き着く先など決まっているのではないか。この硬直化した国家に、この男の居場所はあるのかという問題は時間と共に大きくなるのでは無いか。
それでも、これまでのように安定が続けば良い。だが、魔脈の変動がこの手の事態を頻発させたら? 国民の期待が誰に集中するか、そんなことは言うまでも無い。
「うん。やっと策士らしい顔にもどったな。今度は何をターゲットにしているのやら」
まさか貴方の対処方法を考えていたなんて言えないですよ。
「まあ良い。凱旋にはつきあってもらうぞ。我が戦友よ」
「……仕方ないですね」
俺が個人的に感謝しているアルフィーナの両親のこともある。目立ちたくないと言っていられないのだ。それに、この討伐の過程で鉱夫達から聞いた話が本当なら、クルトハイトは放ってはおけない。
それにしても、今回は反省点が多い。アルフィーナに無理をさせ、自分が戦場に駆り出された、今回の綱渡りは保身的に完全に赤点だ。王子にはあきれられたが、今回あの花粉が手元にあったのは完全に偶然の産物だ。
下山の指示を出す王子の背中を見ながら俺はため息をついた。
「どうしたリカルド。まだどこか痛むのか」
クラウディアが俺の顔をのぞき込む。
「あっ、いや、次こんなことがあったら、運に頼っちゃいけないなって思って」
クラウディアはふるふると頭を振った。
「……さっきまで震えていた人間が、もう次の戦の心配か。あきれたものだな、本当に」
「い、いえ、そういう話では無くてですね」
クラウディアは首を振った。俺が言いたいのは、次はもっと確実に対処して保身を全うするという話なんだけど。




