7話:中編 ドラゴンの脅威
「父は決して怯懦な振る舞いなどしておりません」
クラウディアは王子に対して真剣な目で訴える。父親に付いていた郎党達の言葉によると、アデル伯は逃げたどころか、突如後方に飛びかかってきたドラゴンに立ち向かい負傷したという。だが、それって身内の証言だよな。
「ふむ、伯の武人としての姿勢には私も疑いは持っていなかったが……」
「はい、ですから。敗北の責を父は押しつけられたのです」
「だが、結果として伯の監理していた人足は撤退命令が下ってからでは間に合わぬスピードで逃げ出し。そして、多くの騎士が戦死するなか、伯自身はその人足に助けられて戦場を脱した。この事実に変わる物はないと言わざるを得ない」
「そ、そんな……」
クラウディアは黙ってしまった。えっ、それで終わり? クラウディアが言ったのは極端に言えば、身内である自分たちは父親を信じているということだけだ。それは事実なのだろう。敗北をごまかすためのスケープゴートにされた可能性はあり得る話だ。
だが、彼女たちが彼女の父親を知っているようには他人は彼女の父親を知らないのだ。父親を信じているクラウディア達と、アデル伯を悪意を持って陥れようとしている敵がいたとする。その中間には大量のどちらでもない人間がいる。
彼女には悪意を持った敵と、自分を信じる味方しか見えていない。その中間の大多数の人間は、味方であるクラウディアほどアデル伯を知らない。そして、敵と違ってことさら悪意を持って伯を疑っているわけではない。
その状態で、信じてくれと言うのは効果がない。どちらでもない人間を動かすには、明白な事実がいるのだ。実際、王子はともかく、隣に控える二人の副官のクラウディアに対する視線は厳しい。
「言ったように第二騎士団の損害は大きすぎた。損耗率は三割を超える。立て直しには時間がかかる」
王子は話は終わったとばかりに俺に向き直った。第二騎士団と言えば戦闘員だけで500人。魔力で強化出来る武器と鎧を装備している。一匹で軍団一つを壊滅させるとか、この世界のドラゴンって、マジもんのドラゴンじゃ無いか。
第三王子は貪竜と名付けられたドラゴンについて説明する。トゥヴィレ山に近づこうとした騎士団は、まず貪竜の急襲を受けたらしい。遙か上空から急降下してきたドラゴンは完全に騎士団の不意を突いた。両腕から魔力で編まれた翼を伸ばし、しかもそれを自由自在に変形させることで、緩急自在に飛び回るドラゴンの機動力は航空戦力がないこの世界で対応出来る物では無い。
さらに、急降下と同時に高温のブレスを吐いたというのだ。実際、この一撃で十人を超える犠牲者を出した。地面に降り立った貪竜は軍用の馬車3から4台分の大きさだという。
軍用の馬車って、さっきの広場に並んでたやつだよな。ワゴン車並みの大きさがあったぞ。つまり、まんまティラノサウルス、いやギガノトサウルス並みの大きさじゃないか。
巨体に似合わぬスピードで繰り出される尾と牙にさらに犠牲者が増えた。第二騎士団長は平地での戦いが不可能であると決断。すぐさま撤退に移ったらしい。
幸いドラゴンは追ってこなかった。魔脈を離れて活動出来る限界があるというのは本当なのだろう。ちなみに、焼け焦げた遺体は回収されていない。貪竜という名はそうやって付いたのだという。
平地での戦いをあきらめ、貪竜が巣くう山中に攻め込んだ後はさらに悲惨だったらしい。魔具としての鎧は魔力を充填すれば皮よりも軽く、金属よりも丈夫だと言うが、馬は使えない。岩陰や木々に隠れることで、相手の機動力を半減させたが、平地では一度だけだったブレスを何度も吐かれ、何十人もの騎士が燃えさしのようになった。魔力を帯びた鎧でも防げないのだから悲惨だ。
「以上が第二騎士団の敗北、いや勇戦の記録だ」
一般には伏せられるわけだ。平民の俺には重すぎる情報だ。むしろ知りたくなかったと反射的に思った。
矢も届かない上空から急降下してブレスを吐くとか反則だ。しかも、高速飛行、急旋回、ホバリングまでこなす。話を聞いているだけで、勝てない相手であると解る。銃すらないこの世界で、戦闘機を相手にするような物だ。しかも、ホバリング出来るってことは戦闘ヘリとしての機能も持つ。
飛行能力とブレスという到底人間に対処出来ない能力を持つ、巨大な怪物が王国第二の都市とその周辺を荒らし回っている。しかも、平地ではその飛行機動力の前に歯が立たず、高地でのゲリラ戦を挑もうにも魔脈という相手のホームでの戦闘。
ヘイレイトが俺の予想通りの生物、恐竜の末裔、である可能性は高いな。今の話に出た素早さやスタミナはそれを裏付けている。魔脈が濃い高地に住むのだし、呼吸器官は特別製だと予測出来る。
「これほどの敗北となれば王宮の勢力バランスも揺さぶる。騎士団は面目を保つために必死だ。アデル伯だけではない。山の案内と人足をつとめた鉱夫達に罪ありということにまでなっている」
「なんですか、それ?」
俺は思わず顔をしかめた。
「トゥヴィレ山の戦いには岩塩鉱山の鉱夫達が動員されていた。騎士団が多くの犠牲を出しているのに、鉱夫達は多くが逃げおおせた。これはおかしいというわけだ」
「戦闘員じゃないんだから当然では」
「先ほど言ったとおり、逃げ出せたのは撤退命令が出される前に、すでに逃げていたからだというわけだ。アデル伯を背負ったのはその人足達だ。つまり、伯は己の身かわいさに騎士団を見捨て人足達と逃げ出したという疑いだな。騎士達は後ろで逃げ出す人間が出たことに動揺、それが戦線が崩れたきっかけだということだ」
確かにおかしいと言えばおかしいが、先ほどの話を聞く限り、仮に真っ先に逃げ出したとしても責める気にはならないな。軍幹部であるアデル伯は結果として責任を押しつけられても仕方ないが、かり出された鉱夫達にそれはひどいだろう。非戦闘員が戦場で平静を保つことを期待してはいけない。俺なんてその場にいたらちびる自信があるぞ。
それに、高地での作業に慣れた鉱夫なら……。
「まってく――」
「それで、これからどうするんですか?」
俺はクラウディアの言葉を制した。彼女は同じことを繰り返すだけだ。それに、俺がここに呼ばれた理由がまだわからない。何かを主張するタイミングではない。
この騎士団長殿下はこんな重い情報を与えて、俺にどうしろというのか。
「もちろん、俺が出ることになる。第一騎士団は王都から動けないからな」
当然のように王子が言った。対照的に、二人の副官の顔に緊張が走ったのが解る。
「確か第三騎士団の規模はあまり大きくなかったと……」
「第二騎士団の半分だったのが、西方でも魔獣氾濫が起こると示されたことで、多少の増強はされた、六割強と言ったところだな」
つまり、敗北した第二騎士団の三分の二の戦力だ。騎士の数で言えば300強か。経験も第二騎士団の方が大きかったはずだ。普通に考えたら無理だろ。自殺しに行くような物だ。
「短兵急な行動はまずいとおっしゃられましたが……」
言外に何か成算があるんでしょうねと聞く。
「二つのタイムリミットがある。一つはクルトハイトの食料だ。封鎖されたクルトハイトは早晩食料が尽きる。大公から聞いたが、其方らの働きで食料はある程度の余裕があるようだ。それでも、一月伸びた程度だ。宰相の計算によると、二ヶ月、持って三ヶ月という話だ」
あまり役に立たなかったけど、やらないよりはマシだったか。だが、貪竜を退けられない限り同じ結果になる。
「そして、我らの仕事は竜を討つことではなく、クルトハイトへの食料輸送を護衛することだ」
「でも、それは……」
俺は首をかしげた。隣の公爵領も含めて、周囲には食料そのものは存在する。だが、それが運べるなら苦労はない。それに、結局ドラゴンを倒せなければ危機は終わらない。
「それが、もう一つのタイムリミットだな」
王子は顔をしかめた。
「帝国の援軍を受け入れるという話が出ている」
「帝国ですか……」
「ああ、向こうにはドラゴン撃退のノウハウがあるというのだ。血の山脈からドラゴンが来るらしい。だから、部隊を派遣する用意があると。食料を補給すれば援軍が来るというわけだ」
「帝国は、魔獣の害に苦しんでいるんじゃないですか? ドラゴンに対抗出来るくらいなら最精鋭部隊でしょう。とてもじゃないが他国に派遣する余裕があるとは思えないんですけど」
「向こうが言うには、二百名ほどの部隊があれば追い払うことが出来るといっている。薄い魔脈では上位魔獣は魔力の補充もままならないから、ある程度のダメージを与えれば、魔力の枯渇を恐れて血の山脈に戻るというのだ」
なるほど、上位魔獣ほど魔力を大量に消費するという話は本当か。
「別に同盟関係でも無いのに太っ腹な話ですね……」
「もちろんただではない。食料と岩塩をはじめとした帝国に不足している物資の供給。交易とは別枠でだ。数字は……」
王子が副官の一人を見た。軍人にしては細いと思ったら女性だった。副官が説明した数字は、かなりの規模だった。流石にすべて前払いではないものの、食料などは王国の備蓄を損なうだけの量だ。
「かなりの量ですね。しかも、クルトハイトまで帝国軍が横切るわけですよね」
「ああ、そういうことになるな。それが問題だ」
「私は帝国軍を東方深くまで入れることも、帝国の力を借りなければ災厄に対処出来なかった事実を作るのも避けたいと思っている。もちろん、騎士団の面子はこの場合は最優先ではなく、危険が大きすぎるという意味でだ。さらに言えばドラゴンの襲来はこの一度ですむ保証はないし、次の襲来時に帝国が援軍を送るとは限らない。最悪……」
「今回で得た王国の情報と、こちらが渡した食料を使って……」
クルトハイトまで王国の主要路は七割方把握される。しかも、王国が対処出来なかった魔獣を帝国が倒したという宣伝付き。まずすぎる。
だが、ドラゴンに対処出来ない以上、王国の国力は減少し国内の動揺はどんどん大きくなる。こちらも大きな問題だ。となると、帝国の申し出を受けるべきだという人間が出てくるのは当然だ。
「宰相も流石に最初は抵抗していたが、受け入れやむなしの方向に変わっている。元々、軍事に金を使うのは嫌うからな」
「二つのタイムリミットですか……」
国内外状況の挟み撃ちだ。
「以上の条件から、私としては貪竜は王国の手で撃退するべしという考えだ。もちろん、それが可能であるという場合の話であるのだがな」
王子はそう言うと俺を見た。まて、今初めて状況を把握した俺に何を期待している。




