3話 初めてのお買い物
「クラウディア様。もうちょっと落ち着かれても大丈夫だと思いますよ」
「いや、このような得体の知れぬ場所で、何があるかわからぬからな」
大通りの左右に忙しく視線をばらまくクラウディアに、リルカが声をかけた。
「一応、王都の中央通りですから。滅多なことは起こらないと思いますよ」
案内役として、クラウディアにも気を遣っているのがリルカらしい。まあ、つれている相手が相手だから、気にしすぎって訳でもない。例の防犯ブザー付き指輪があるとは言え、鉄砲玉みたいな相手には効果は限られる。
「あの、本当にいただいてもよかったのでしょうか」
俺とミーアに挟まれたアルフィーナが、小さな袋を両手で覆うように持っている。
「労働に対する正当な対価です。特別扱いは一切してませんから」
査定したミーアが答えた。実際、袋の中身は十枚にも満たない銅貨である。日本のファーストフードの時給の三分の一にも満たない。
まるで宝石でも扱うように袋を扱うアルフィーナに、こちらの気が引けるくらいだ。彼女の着ている服のボタン一つ買えない金額だろう。
それはこれからのミッションの困難さを象徴するギャップでもあった。
俺たちが王都を歩いているのは理由がある。久しぶりに登校したアルフィーナにアルバイト代を渡したのはいいが、なんと彼女は通貨の使い方を知らないという驚愕、でもない事実が判明したのだ。
持ち帰って宝石箱にでも仕舞いそうなアルフィーナに、お金の使い方を教えるという放課後ミッションが急遽組まれたわけだ。だが、どこに買い物に行くのかという選択は難しかった。何しろお姫様を連れて行くにふさわしい店では、銅貨など役に立たない。
銅貨経済と一番なじみの深い俺が役に立たないので、リルカが案内役を買ってくれた訳だ。
そうしてやってきたのは学院の立つ貴族街から、王都の中央通りを歩き商人街と職人街の中間の十字路だ。東には、通りに沿った広場が見える。
「ここでどうヴィンダー」
「なるほどフォルムか」
長方形の敷地は円柱で囲まれ、中央には花壇、周囲にはベンチがある。ベンチの周りにはいくつかの屋台が出ている。ローマにある公共広場の遺跡を思い出す作りだ。あれは古代の権力者が、民衆の人気取りの為に作る公共事業的な位置づけだった。
実際、多くの市民が利用しているようだ。カップルもいる。
「ここなら治安もいいし、出てる屋台も認可を受けたのばっかりでしょ」
「流石だ。で、何がおすすめなんだ?」
お姫様の初めてのお買い物には、絶妙なチョイスだ。
「いや、ここからのエスコートくらいあんたがやりなさいよ」
「適材適所って物があるだろ」
「生まれたときから銀のお嬢様の私よりも、銅からの成り上がりのあんたの方が適材でしょ」
広場の中央の花壇の周りに並ぶ屋台はなかなか多彩だ。肉を焼いている店、手づかみであれにかぶりつかせる。無い。揚げパンのような素朴なお菓子。確かめちゃくちゃ堅いんだよな。
では、いっそ物はどうか? 八宝焼きのブローチを筵の上に並べている店がある。
こういうお忍びの時に身につける用にいいかもしれないな。そういえば、家臣を闇討するのが大好きだった非合法将軍は貧乏旗本のコスプレ衣装をどうやって用意してたんだろうか。
「で、どうするんですか先輩?」
「いや、はは。んっ。アルフィーナ様は何か希望はありますか」
問われた本人を除き、女子すべてが甲斐性なしのレッテルを貼り付けただろう。お金を使ったこともないお姫様に選ばせるなんてないよな、うん。学院の東屋のお茶会とは何もかも違うのだから。
「リカルドくんにお任せ……。ううん、それではいけませんね」
アルフィーナは一度困ったように俺を見るが、思い直して周囲の屋台を一つ一つ見ていく。好奇心旺盛なところがあるし、これはこれで面白がってくれているのかもしれない。
俺達は彼女のゆっくりとした歩みについて行く。少しシュールな絵面になっているかもしれない。
ついに王女の足が一台の屋台の前で止まった。煙が立ち上り、油の焦げる良い匂いがしている。てっきり粉物系など、もっと軽い物を選ぶと思ったが。案外大胆なチョイスだ。
「これは何という食べ物なのでしょうか」
アルフィーナは店の主人に話しかけた。
「はぁ? 焼き鳥を知らねえって、いったい……。っと、お貴族様か」
主人は困ったような顔になった。クラウディアが前に出ようとしたが、リルカが押さえた。
「とても良い香りですね」
「お、おう、ウチはダルガンから仕入れた鳥肉を使ってる、、、です。味は抜群よ、でございます?」
王立学院の制服に気圧されていた主人は、客の邪気のない態度に安心したのかぎこちなくアピールを始めた。ちなみにあんたの客は貴族じゃないぞ。知らないというのは幸せなことだ。
俺が主人の保身を心配していると、アルフィーナは注文を決めた。もも肉っぽい部位を使った焼き鳥だ、味付けは塩だけみたいだ。
ああ、照り焼きが懐かしいな。醤油さえあれば、すべての食べ物が和食になるという信念を持つ俺だが、とてもじゃないけどあの究極調味料は再現出来ない。ま、ご飯がないんだけど。
クラウディアに一挙手一投足を監視されながら、遣りずらそうに肉を焼いた店主。串を受け取り、代わりに銅貨を渡したアルフィーナは笑顔でこちらに戻ってきた。俺たちも続いて注文した。
石のベンチに焼き鳥を手に持った五人が座った。
「では、いただきます…………?」
手に持った串をアルフィーナが戸惑った顔になった。俺は、あえて豪快に自分の串にかぶりついてみせる。自慢するだけあって味は悪くない。ダルガンは牛だけじゃなくて、鳥も扱ってるんだな。
「姫様、すぐに食器を用意しますから」
クラウディアが言うが、アルフィーナはじっと手にある串と、俺を見比べた。白い手に捕まれた串焼きがゆっくりとピンク色の唇へと近づいていく。
ぱくっ……。
かわいらしい唇が開き、一番上の小さな一切れだけが口に含まれた。
「まあ、とてもおいしいですね」
小さく喉が鳴ると、アルフィーナは頬を押さえた。焼き鳥を食べてこのリアクションが出来るのが凄い。全く自然に見えるのはもはや反則だ。
「ヴィンダー貴様。アルフィーナ様におかしなことを教えおって」
「これはそういう食べ物ですから」
「そうそう、食事の時だってパンは手で食べるってことで、そこをなんとか」
リルカと俺が取りなした。考えてみれば、サンドイッチは貴族が考えたんだよな。もしかしたら、パンなら手づかみで食べてもマナーに反さないみたいな事情もあったのだろうか。
クラウディアは俺たちをにらむが、アルフィーナのうれしそうな表情に結局は矛を収めた。実際にはうまいと言っても、屋台のレベルの話だ。だが、こういうのは雰囲気が大きい。ましてや、初めて自分で稼いだお金での初めての買い物だ。
「おいしかったけど。ちょっとのどが渇いたね」
「そうだな」
俺は別の屋台に果実水が売っているのを見つけた。果実水と言っても、ジュースではなく水にレモンの果汁を垂らした物に過ぎない。それでも、口の脂をすっきりさせるのにもいいだろう。
「じゃあ、これは俺のおごりだ。みんな待っててくれ」
「リカルドくん、私に出させてください」
俺が失態を金で挽回しようとすると、アルフィーナが言った。俺達は二人で少し離れた屋台に向かった。二回目の買い物はつつがなく終わった、アルフィーナと俺をカップルと勘違いした命知らずの屋台のおばさんを除けばだが。
竹よりも薄くて柔らかい、なにかの植物の茎を切った入れ物を両手に、アルフィーナは満面の笑みで俺の隣を歩く。
「リカルドくんといるといろいろな経験が出来ますね」
「今日のことはリルカに感謝してやってください」
「はい。そうですね。後でお礼を言います」
アルフィーナは俺の顔をのぞき込むように言った。彼女の幸せそうな微笑みを前に、少しほっとした。学院で久しぶりに見たときは、少し疲れたような顔だった。予言のことが負担なのだろう。少しでもリフレッシュ出来たのなら何よりだ。
「そういえば、リカルドくんは明日から王都を離れるのですよね」
アルフィーナが遠慮がちに聞いてきた。大公から俺の出張を聞いたのか。
「ええ、養蜂の方で問題が生じたみたいで。直接見に行きます」
「一次情報ですか?」
同級生の口から、俺が教えた用語が出てくる。少しくすぐったい。
「そうですね。直接見ないと分からないことは多いですから」
「忙しいのに、つきあってくれてありがとうございます」
「馬車で一日の距離ですから、準備と言ってもしれてますから。アルフィーナ様こそ、予言のことでご苦労が多いのでは」
俺は気になってることに水を向けた。
「それは……。大丈夫です、私の役目はほとんど終わっていますから」
アルフィーナは言った。水晶から流れ込むイメージが、だんだん明確になっていくんだったか。となると災厄のイメージはもう固まっているのだろう。
今は起こりうる災厄の候補とその対策を練っているところか。政治と言うか、行政の範疇だな。宰相が直接指揮しているなら、使える人数もアクセス出来る情報も桁違いだろう。だが、それだけでないことを知っている俺は、彼女の表情にある僅かな影に気がついてしまう。
「アルフィーナ様はどうしてそこまで巫女姫の――」
「……っ」
俺が質問しようとしたとき、アルフィーナの足が止まった。広場に並ぶ円柱の間には、それぞれ石版が置かれている。彼女が立ち止まったのはその中でもひときわ大きな物だ。石版にはレリーフが彫られていた。トーガを思わせる古めかしい衣装をまとった1ダースくらいの男女が並ぶ構図だ。神話にでも題材をとったのだろうか。
素養がない俺にも技術は立派だとわかるが、内容はさっぱりだ。例えば、中央にある空白はどんな芸術的な意図があるのだろうか。
「見事な浮き彫りですね」
考えてみれば、こういう時に仕事の話を続けるのは無粋だ。アルフィーナなら様式やモチーフに詳しいだろう。
「……はい、そうですね」
アルフィーナは上品に微笑んだ。まるでレリーフのように繊細で美しく、そしてどこか儚い……。
「でも、早く戻った方がいいでしょう。みんなが待っています」
「あっ、……あいつら!」
こちらを睨むクラウディア、ジト目のミーア、口元に手を当てる皮肉っぽいリルカ。多種多様な視線が集まっている。アルフィーナは飲み物を持った手を軽く振ると、ベンチへ向かう。俺も慌てて後を追った。
今日はリフレッシュに徹しよう。難しい話は出張から帰ったらでいい。




