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3話:後半 再会

「これは、おじゃまして申し訳ありません」

「……もしかして、リカルド君ですか?」


 まるで痴漢に間違えられたサラリーマンのように、俺は反射的に両手を上げた。王女は俺が誰か解ったのか、少しホッとした顔になっている。


「くすっ。ここは学生なら誰でも使える場所ですよ」


 お姫様の笑みに金縛りが解けた。二人きりというシチュエーション。大人しめの髪型がいつもよりむしろ……。いやいやそんな場合じゃない、この王女はどこから入ったのだろう。俺より前から図書館にいたとは思えないのだが。


「王女殿下はどうしてこのようなところに?」


 途端に、白い頬に朱がさした。


「その、私は本当はフルシー先生の講義を受けているはずの時間なのです……」

「フルシー先生…………。ああ、図書館長の」


 よく見ると書庫の奥に、俺が入ってきたのとは別のドアが見える。位置からいって館長室に繋がるのだろう。知らなかった。


「恥ずかしいのですが。この時間はここで読書をしていることが多いのです。聖堂ではあまりそういう時間が取れないので」

「ご心配なく。殿下に会ったことは決して口外いたしません」

「ありがとうございます。リカルド君はどうしてここに?」


 お忍びの読書を邪魔してはまずいと引き返そうとしたら、そんな言葉が掛かった。こういうのが一番困る。俺の能力では、社交辞令として一応聞いたのか、本当に興味が有るのか判別できない。異性相手じゃなおさらだ。


 王女の視線は俺の手にある本に向いている。どうやら興味を持っているのは本当らしい。


「はい私はこの本を探しに……」


 俺は本の表紙を見せた。次の瞬間、作者の由来を思いだして冷や汗が流れた。クアトル・フェルバッハはニ十年前に反逆を起こしたフェルバッハ公爵の一族なのだ。本人は反逆に関与しなかったらしいが、監禁されたまま十年前に亡くなった。正直、惜しい人材だと言わざるをえないが、問題はそんなことではない。


 フェルバッハの乱は安定を誇る王国にとって大事件、歴史上の汚点なのだ。その関係者の本をこっそり書庫に籠もって読む人間が、王族の目にどう映るか。俺の保身は風前の灯だ。


「わ、我が商会の商品は、西方の気候や植生などと関わっておりまして。この学院の素晴らしい書籍で勉強させていただいているのです」

「あっ、もしかしたら蜂蜜のですか?」

「……はい。もちろんそれだけではなく、西方の動植物が事細かに記されたこの書籍には、参考になる点が多々ありまして」


 ビジネスであることを強調するため、あえて素直に褒める。俺の能力なら、こういう時は真実をそのまま話すのが一番いい。お姫様は蜂蜜に興味を持っていたのだし。

 ただし、それは地雷原の中の最善だ。


 養蜂を教えたあの村はフェルバッハの親戚だかの旧領で、直轄領になった後も冷遇されていた。だからこそ藁にもすがる思いで俺、実際に説得したのは親父、の提案に乗ったのだ。


 一歩間違えば政治への批判と取られかねない。


 表情を確認した。王女は笑顔のままだ。いや、さっきまでよりも心なしか嬉しそうなのはなぜだろうか。 


「私はこの本です」


 姫は俺の視線の高さに両手で本を掲げた。茶色の革表紙に、日にあたったこともないのではないかという白い手が眩しい。


「『コーンウェル公子の旅』ですか。実は私も読んだことが有ります」

「本当ですか」


 姫の顔がぱっと輝いた。『コーンウェル公子の旅』は吟遊詩人の書いた旅行記的な恋愛小説だ。公爵公子が詩人に身をやつし、旅をしながら町々のヒロインを助けるという内容。やたらと色っぽい盗賊が出てきたり、食べ物に目がないうっかり者の下男が居たりする。


 もちろん主人公は杖で戦う元気な老人ではなく、レイピアを帯いたイケメンの貴公子だが。


 この世界の人間に受ける宣伝方法の参考にと読んだので、姫が期待するような同好の士とは違うのだが。


「舞台が西方ですからね、父と行商で行った町や村を思い出します」

「まあ。リカルド君は西方のことに詳しいのですね。私は王都を出る、出たことがありません。この本の中の「見渡す限り一面の赤紫の花畑」というのは本当なのでしょうか。赤紫の花というのは私は見たことがありません」


 目を輝かせて聞いてきた。野草の花畑が珍しいとか、どんな箱入りだ。王都の庭園に咲く薔薇や百合などの派手で大振りな園芸品種の方が例外だ。ちなみにバラは青い。それはともかく、村人にとっては珍しくもない花だ。耕作には向かない、あるいは開拓が進んでない場所は殆ど草原だ。


「そうですね、小さな花とは言え、白から赤へのグラデーションが見渡す限りの地面を覆う光景は見ものでは有ります」

「まあ、それはきっと夢のように美しいでしょうね……」


 綱渡りは継続中だ。赤紫の花が珍しいのは本当だ。だが、その花は俺にとっては養蜂の蜜源として、金のなる木ならぬ草。牧草にもなるし、緑肥にもなるという万能植物だ。この話題も細心の注意がいる。これだから上流階級との話はめんどくさいんだ。


 俺は王女の顔を伺う。…………目を見開いて話に聞き入っている。どうにも調子を崩される。


 レンゲの花はあの村のような西南部の赤い森ぞいにしか生えていない。一番近い都市はたしか……。


「ベルトルドの大聖堂ならば、移動の合間に見れるかもしれません」

「ベルトルドですか。叔母上の領地です!」

「そ、そうなのですか。それならば機会があるのでは……」


 さすが王女だ、親戚も尋常じゃない。ベルトルドは西部では第一の都市だぞ。いやいや、なんでこういう風に繋がるんだ。俺は再びお姫様の表情を伺う。だが、彼女は寂しそうに微笑んだ。


「でも、勤めのある私が王都を離れるのはむずかしいですね。この学院に通うことも、エウフィリア叔母様のお陰でかなった我儘ですから」


 この脳内がお花畑になっている姫様はともかく、その叔母上の方は何を考えているのかわからない。ミーアに調べさせるか。


コンコン、コンコン。


 突然ノックの音がした。館長室に通じるドアが叩かれたようだ。女騎士の鋭い目を思いだして身を固めるが、ドアが開く様子はない。


 アルフィーナはゆっくりと本を閉じた。


「今日は楽しいお話を聞かせてくれてありがとうございました」


 衣擦れの音とともに腰を上げる彼女に、俺も慌てて立ち上がる。ガタッと椅子が音を立てた。高貴なる王女と平民の見事な対比だ。アルフィーナは咎めることもなく、俺に右手を差し出した。


「良かったらまたお話を聞かせてください」

「い、……光栄です」


 俺は白い手を握った。絹のような感触と仄かな体温が、掌と意識を侵食する。手が離れ、アルフィーナは扉の向こうへと去っていく。その背中を見ながら、掌の暖かさが消えていくのを何故か惜しいと思った。やっと開放されたのに、閉まった扉を恨めしげに見ている自分に気がつく。


「住む世界が違う女の子なんかどうでもいいだろ……」


 そう呟くと正しい出口へ向かう。


 書庫から出ると閲覧室にミーアがいるのが目に入った。何人かの女生徒、身なりからして俺達と同じく平民学生、と一緒だ。ミーアはさり気なく立ち上がると本棚の影で俺に近づいてきた。


「…………優先順位を変える。第四王女を急いでくれ。特にベルトルド大公との関わりだ」

「分かりました」


 ミーアは少し怪訝な顔をして指示を受け入れた。同級生の背景を調べる、ドレファノに偏っていたとはいえ、今までもしてきたことだ。

 だが、胸の奥から苦い気持ちがにじみ出てくる。…………いや、俺は必要なことをしている。


「……あと、確か荷物の中に村の子共たちからの土産が有ったよな…………」


 それを振り払うように、俺は小さな用事を付け加えた。



 新年祭まで、一週間を残すばかりの日だった。

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[気になる点] 王都を離れるのはむつかしいですね むずかしい
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