1話:後編 王家の乱
大公に案内されたのは長い廊下の角が膨らんだ場所だった。テーブルが一つと椅子が二つだけの狭い空間だが、半円形の壁には肖像画がずらりと並ぶ、なんとも貴族っぽい場所だ。
侍女がカップにお茶を注ぐとすぐに出て行った。
この女性と二人だけのシチュエーションは初めてだ。話が通じる相手だからこそ油断はできない。なにしろ、向こうは俺に油断してくれないのだから。ミーアの安全もかかっているのだから尚更だ。
「そなた、アルフィーの生まれについてどれほど知っておる」
「アルフィーナ様のお父上は陛下の弟君で前ベルトルド大公で、お母上は…………フェルバッハ公爵家の出だということくらいですが」
緊張を解かずに答えた。あの予言に関わる前にミーアに調べさせた情報だ。
「妾がアルフィーと呼んでいるときはそなたも様付けは良い。正確にはフェルバッハ公爵の三女がアルフィーの母親だ。姪は二十年前内乱を引き起こしたフェルバッハ公爵の孫娘ということになる」
アルフィーナの父方の祖父は先代王。母方の祖父は反逆者の公爵。これが彼女の立場にとって一番重要な要素であることは間違いない。
「ついでに言えば、現王陛下と私とアルフィーの父は皆先王の子じゃ。そして……」
大公は一際大きな肖像画に目を向けた。豊かな白いひげを蓄えた精力的な顔が俺を睨む。
「先の内乱の原因も先王にある」
大公は大胆なことを言った。西の大公が先代王を批判したなんて情報をさらっと与えないで欲しい。
「兄弟と言っても妾と陛下の間には二十年以上の歳の差がある。妾がアルフィーの叔母の割に若くみえるのはそのせいじゃ」
さらっと自分の若さをアピールする。考えてみれば、大公にとっては王女のアルフィーナも、大公女だったアルフィーナもどちらも姪と言うことか。ややこしい。
「先王は血統の維持というという責務にいささか熱心でな。それで妾も生まれたのだから文句は言えんが。ついでに言えば、家族に対しては情の深い父じゃった。妾腹の妾にすらな。ま、末娘であるうえ、妾があまりに愛らしかったからというものあるじゃろうが」
大公が羽扇で小さな絵を差す。十才ぐらいのロリ大公が描かれている。どうせ美化……、目の前の女性を見る限りそこまで誇張されてないか。
「王家、国家にとっての問題はその処理じゃな。めぼしい家に養子として押し付けるしかない。東西の大公はある意味そういう家じゃから収まらんでもなかった。だが、公爵家ともなると親戚とはいえ、独自の血筋への拘りも強い。特にフェルバッハ公爵家は古くてな。元は、帝国との緩衝地帯で独立した勢力だった来歴もある」
「なるほど」
江戸大名に例えれば大公家が御三家、公爵家が親藩か譜代大名の筆頭くらいのイメージだった。だが外様の大大名がいたわけか。家を乗っ取られることにたいする不満が内乱の原因か。
「三年を費やした乱の収束を待つように先王が崩御。後を継いだ一の兄上、つまり陛下は親戚間のゴタゴタを調整するためにかなり苦労したようじゃ。妾はまだ幼かったから、伝聞じゃがな。そんな時、ベルトルドを継いだばかりの五の兄つまり、アルフィーナの父親が、フェルバッハの娘と結婚したいと言い出した。二人は、学院生のころから恋仲じゃったらしい」
な、なるほど。自分が親戚間のゴタゴタの収拾に追われている時に、どう考えても物議を醸す。いや、はっきりわがままと言って良い行動だ。王の計画の中には当然弟の伴侶を誰にするかがあっただろう。
「ベルトルド大公としての兄上は優秀じゃった。それは後を継いだ妾にはよく分かる。じゃが、内乱の責任を全てフェルバッハに押し付けることで、王室と王国の安定を図ろうというのが陛下と宰相の方針。それに真っ向から逆らう話じゃな。ベルトルドが乱の影響から落ち着いたところで、兄は隠居。王都に事実上の幽閉というべきか。アルフィーナが生まれたのもその頃じゃった。夫婦と娘揃ってというのが唯一の温情だったのかもしれん」
それで、王都から出たことがないという超箱入り娘が出来上がったというわけか。西方は母親の故郷。彼女のあの憧れはそういうことか。
「王都での兄一家の暮らしは妾も殆ど知らぬが、両親を相次いで失うまで、家族という意味ではそこまで不幸な状況ではなかったようじゃ。今のアルフィーを見る限りでもな」
そうだと信じたい。無理やり恋愛結婚した挙句、それで立場を失って家庭崩壊では救いがなさすぎる。
「それで、今の話を聞いてどう思った?」
「国家の安定が損なえば、一番に被害を被る吹けば飛ぶような平民の一人として考えるなら、王国の内乱に対する方針は、間違っているとは言えませんね」
内乱が国内だけで完結しているのなら、収束した後は仲良くもありだろう。だが、帝国の影響が加わっている、ある程度容赦ない措置も正当化される。
「ほう……」
「ただし、それは一平民としての話。そのために割を食った無実の女の子を直接知っている身としては、別に思うこともあります。申し訳ありませんが、こちらを優先しますね」
「ややこしいことを言いよる。まあ、それでよい。立場によって考えが異なることは当たり前じゃ」
「ちなみに商人としては、この国はいささか窮屈だと言わせていただきます」
「元々、安定を志向する国風じゃが。あの内乱で更にその傾向が強まった。現陛下もじゃが、陛下が王族のゴタゴタに全てを奪われている間、国政を任された宰相は特にその傾向が強い。無能ではないが、予算と規律を守ることに血道をあげる」
それは俺にも実感できる。そして、アルフィーナの存在は宰相にとって何重にも煩わしいということだ。
「そなたの案で第三王子に手柄を譲ったのは正解じゃったが、王子と宰相も折り合いが悪い。特に先ほどの魔獣氾濫で、第三騎士団の拡充を求める王子と、予算を預かる宰相という対立軸が顕著になった。騎士団削減で軍への影響力が乏しい宰相にとっては、さぞかし煩わしかろう」
大公は羽扇で口元を覆った。溜息を隠したのだろう。
「そして、今回の予言じゃ。まだ明確な形になっていないようじゃが。アルフィーを見る限り、喜ばしい事とは思えぬな」
背景と現状が説明され、いよいよ本題が現れた。やはり問題は予言か。
「そなた言ったであろう。二度目はまずいと」
「言いましたね。前回は予言その物が無視されていたので、災厄を防ぐことに集中できた。でも、今回からは違うでしょう」
「その通りじゃ。前回と違ってきちんと対策会議が招集される予定じゃ。しかも、主催者は宰相。最高レベルの対応じゃな」
「…………頼もしい話ですね」
正常な世界ではある程度の理不尽が生じる。攻撃か防御のどちらかだけに全振りなんて理想的状況はゲームの中ですら無い。せいぜい、格ゲーのトレーニングモードくらいだ。
だがそれでも限度がある。内憂外患という。予言の災厄が外患かは微妙だが、内容によっては王宮の派閥争いと完全にリンクする。無視されていた前回の方が簡単だったんじゃないかと思えるくらいだ。
「言ったとおり、まだ予言は確定していない。したがって、宰相の対策会議も本格的な動きはない。もっとも、妾の方には情報が流れないようになっているようじゃがな」
大公は口元を歪めた。
「そうなってほしくは無いけど。きっとややこしいことになるでしょうね。それで、俺に求めることは何ですか」
「今のところは具体的には無い。ただ、アルフィーの力になってやってほしい」
「抽象的な話ですね。こっちは命が掛かるんですが?」
それも俺だけではない。もちろん前回も、いや紹賢祭のアレですら安全とは言いがたかったが、今回はさらに大きなリスクだ。宰相次男と宰相じゃ、トカゲとドラゴンくらいの差がある。いや、小鳥とドラゴンか。
「そのままの意味じゃ。王宮のゴタゴタに関しては、妾がある程度は盾になれる。そのための後見人じゃし、これでも西の大公じゃからな。じゃが、妾にはカバーできぬ分野がある。そして、それをカバーできる人間がおる」
大公はじっと俺を見た。
「つまり、権力という枠組とは別の枠組み。例えば、商人としてアルフィーナの助けになればいい、そういうことですか。二つの異なる枠組みで支えることで、安全を高める。一つの枠だと崩れる時は同時ですからね」
平民らしく命がけでアルフィーナの盾になれ、なんて要求は頷けないし技術的にも不可能だ。だが、そういうことなら相互補完関係の範囲であり、可能な話だ。
「その言い草。そなた友達少ないじゃろう」
「ほっといてください」
理屈っぽいのは重々自覚済みだ。こっちは慣れない覚悟をして言ってるんだから茶化さないでほしい。
「一応誉め言葉じゃ。アルフィーの願いで学院に通わせたのは正解じゃった」
「大公?」
誰も見ていない空間で、大貴族が平民の小倅に頭を下げた。
「今後もアルフィーのことをよろしく頼む。そなたが姪に力を貸す限り、妾はヴィンダーの株主全員を守るために力を尽くそう」
立場が上の人間が頭を下げる。卑怯な話だ。こちらの選択肢を奪うのだから。だがまあ、ヴィンダーの株主全員という言い方には誠意の欠片くらいは汲み取ってもいい。株主としても、もうすでに無関係には戻れないしな。
それに、俺はアルフィーナの叔母、と言うには若い女性を見た。アルフィーナの叔父的立場を自認する俺にとっては、同志みたいなものだからな。
「できることに限り、協力しますよ」
「そこは出来る限りじゃろう。…………そなた、なにかおかしなこと考えてはおらんか? 妾を見る目がどこか生暖かいぞ」
「そんなことはありませんよ」
首をかしげた大公。
「まずは上の情報を得られるそちらと、下の情報を得られるウチでのインテリジェンスの連絡ですね。ジェイコブと執事さんで……」
俺は素知らぬ顔で実務に入った。大公は納得いかなそうな顔のまま、ベルを鳴らす。
「……では、実際の連絡方法や頻度はそちらの現場と詰めさせていただきます」
執事の言葉で話は実務者同士にゆだねられることになった。これで、集めなければいけない情報の種類と量に比べて圧倒的に手が足りない状況が改善する。
「こんなところか。そなた、知ってることと知らぬことのギャップが大きいな」
「そりゃ、ど平民ですから。そうだ、最後に一つ聞きたいんですが」
前にも感じた疑問だ。巫女姫はアルフィーナにとって押し付けられた貧乏くじ。それなのに、彼女は押し付けた王や宰相の意向に逆らってまで、予言を告げる役割にこだわった。
彼女らしいといえばそうだが、背景をよく知るとさらに違和感が増す。
「アルフィーナはどうして――」
「私がどうかしましたか、リカルドくん」
後ろから突然声がかかった。
振り向くと、湯あがりの美少女がいた。先程までのよそ行きの服装ではなく、部屋着に近い簡素なワンピースだ。
湿った青銀の髪を庇うように小首を傾げたアルフィーナに、おもわずドキッとした。香料のほのかな香りが鼻に届く。
「先輩。目つきがいやらしいです」
ミーアは制服姿に戻っている。ただし、下ろした髪が肩に掛かり、いつもとは違う香りが悩ましい。どうして湯上がりの女の子はこうも艶っぽくなるのか。
「いや、はははは。そんなことはないぞ」
無自覚に艶姿を魅せつけるアルフィーナと、俺を動揺させているのがアルフィーナだけではないことに気がついていないミーア。俺は無理やり二人から視線を逸らした。




