10話:後半 次の予言
「カレストはどうなりますか?」
俺は大公に聞いた。メイドが捧げる日傘の下、執事が用意した簡易の豪華な椅子に腰掛けている。下町でも貴族は貴族らしい。
「私兵まで使ったからにはただではすまさんが、ドレファノと違って国家の危機を招いたとまでは言えんからな。現当主はともかく、商会自体は残るじゃろう。東の大公や宰相あたりも擁護の方向で動くじゃろうしな」
「もっとも、宰相家との関係を立て直した矢先の大失態。あちらの派閥もいろいろと揉めるでしょう」
執事が補足した。この人がインテリジェンスも束ねてるらしい。
俺がそんなことを考えているうちに、襲撃者達は出荷されていく。そこに、一台の馬車が近づいてきた。おかしいな、これ以上の来客の予定はないんだが。
上質だが、小回りの効きそうな馬車から、一人の男がでてきた。大公の前に膝をついた。細身の優男だ。最近見たどこかの双子に似た顔つきをしている。
「これはこれはベルトルド大公閣下。思わぬところでお会いしました」
大公に挨拶が終わると、男は俺の方に歩いてきた。リルカが驚きの声を上げた。
「コルネス様」
「やあリルカ。使者の役目ご苦労だったね」
なるほど、たった今次期ギルド長に決まったケンウェルの会長か。
「あの話どう使うのかと思ってたけど、まさかここまでするとはね」
穏やかそうな口調だ。権威を前に出さない態度は、ドレファノやカレストよりも好感が持てる。油断はしないけど。
「いささか早いですが、食料ギルド長おめでとうございます」
「ああ、そちらも銀会員に昇格おめでとう。いささか早いがね」
サラリと返された言葉に中に無視できない要素がある。
「…………それは噂だったのでは?」
「カレストをおびき寄せるには本物のほうが効果的だろ。ではポール・ヴィンダー殿、そこら辺の話を詰めましょう」
ケンウェルは親父に笑いかけた。
「やっと大公閣下が終わったのに。聞いてないよリカルド君」
「俺も聞いてないよ。大商人の横暴の相手もお願いします。会長」
大公案件をやっと片付いたみたいな言い方するな。連座対象としてはもう少し保身に気を使って欲しい。親父は肩をすくめると、ケンウェルを店の中に招く。
「一つ聞いていいかな。カレストが手を出さなかったらどうするつもりだった?」
すれ違うときに、ケンウェルは言った。
「どうもしませんよ。子供の喧嘩は、親が出なければ子供の喧嘩です。後、こちらに火の粉が飛んでこない分には、カレストとケンウェルが争っても困りませんから」
「ジャンとマリアが言うとおりの人間のようだね。ギルド長になったら、君のことは敵に回さないことにするよ。次はボクの首を飛ばされかねない」
「終わったのですよね。お仕事の続きをしましょう。玄関を片付けないと」
ミーアと一緒に店から出てきたアルフィーナは、割れた壺を見ながら言った。メイドと執事の視線が俺に刺さった。
「それがなアルフィー。聖堂から連絡が入った、水晶がまた騒いでいるそうじゃ」
大公が苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「水晶が……。わかりました。リカルド君、ごめんなさい」
「とんでもない。公務を優先してください」
アルフィーナが一瞬で公人の顔になった。彼女はミーアと一言二言交わすと、足早に大公の馬車に向かった。
「……予言ですか」
「兆候が出始めているらしい。休みが終わってもしばらくは学院には出れんかもしれんな」
「予言が出る時期って、決まっているのかと思ってましたよ」
抑えようとしても、口調に苦味が差す。
「決まっていた。行事としての予言ならな」
大公が顔を曇らせる。俺は額に拳を当てた。そう、パフォーマンスじゃなくて本物なんだよな。前回の手柄で、今回は素直に予言が聞き届けられるかもしれない。だが……。
「二度目はまずいんじゃないですか」
「そうじゃな。予言など出ないほうがよいのだが」
不吉な方でないことを祈りたい。大きな災厄を事前に知ることが出来るなど、個人には過ぎた力だ。繰り返せば、恐れか依存、あるいはその両方を引き寄せる。どの場合も明るい未来が見えない。アルフィーナの保護者を自認する身としては、あの娘にそんなものを背負わせたくない。
予言の水晶か。どんなメカニズムで動いているのか、なるべく早くフルシーに聞いて見る必要があるな。
「そんな顔をせずとも、すぐにまた会える。三日後、我が家にそなたら親子とミーアを招待する。良い茶を用意しておこう。心配せずとも土産はいらんぞ。フレンチなんとかを作ってくれれば良い」
「フレンチトーストなら、私が作るよりも遥かに美味なものが売られていますが」
もう行きたくないと思っていた場所だ。紅茶の味など覚えていないが、背中に感じた執事の爺さんの殺気だけは今でも記憶に残っている。
「冗談じゃ。出資は決まったが、まだ話しあわねばならぬことがあろう。ポールは株主総会と言っていたか。それを開こうと言うわけじゃ」
大公は羽扇をくるくる回しながら言った。それなら仕方がない。大貴族だろうとなんだろうと、建前上は株主として対等な立場で話し合うための仕組みだからな。
「私もヴィンダーは絶対敵に回さないようにするわ」
大公の馬車が去り、店の前がやっと平穏を取り戻した。玄関の片付けを手伝ってくれたリルカが言った。
視線が奥の応接室を向いている。彼女の親会社のトップがうちの親父と会談中だ。
「助かります。先輩は家を一歩出るごとに敵を作るので」
「男は敷居を跨ぐと七人の敵がいると言ってな。仕方ないんだ」
俺は苦し紛れにそう言った。ミーアとリルカが顔を見合わせて笑った。
まあ、今回も保身は全うした。加速度的に厄介になっていく状況を止められなかったのは遺憾だけど。
◇◇
夜。大陸中央。
乾いた血の色をした擂鉢の中心で、その生き物は青い月を見上げた。双腕を広げると、青銅色の六角形の鱗が月光を反射した。
眉間に埋没した暗黒色の結晶が、地面から立ち昇る瘴気を吸収して赤く染まる。夜の静寂に禍々しく光る結晶が脈動した。両腕に模様が浮かび上がる。鱗の間を流れる蛍光が、腕から背に向かって同色の膜として伸びていく。
幼体の頃に生えていた同じ機能の器官より軽く、強靭な翼が形成された。両腕を振り上げると、半透明のベールが風を含む。盛り上がった筋肉が収縮し、力強く空気を打った。ずんぐりとした体が容易に空中へと持ち上がった。
すべての動作は自然だった。二種類のまったく異なるエネルギーを操り、生き物を重力の軛から逃す。
一瞬で雲を抜けた。地を這う生物なら、薄い大気に意識を刈り取られるだろう。だが腕の筋肉は力を漲らせている。効率のよい空気の循環系が、翼を支える筋肉に次から次へと酸素を送り込む。
空中で姿勢を制御し下を望む。切れ切れの雲の合間に、東から西に流れる大河で二つに区切られた大地を見下ろす。生き物が飛び立ったのは、北半分の中央の山岳地帯だ。生き物の目には他のどこよりも強い、赤い瘴気のゆらぎが見える。
次の成長に向けて大量の食料が必要だ。瘴気と違って座して手に入らない。効率よく摂取するためには、ある程度の大きさの動物を大量に狩ることが出来る餌場が必要だ。
血走った目が西を向く。山の間に緑の平原が散在する土地がある。中央に比べると薄いものの、彼が活動するに足るだけの瘴気がある。
狭い緑の地に群れを作る生き物は、彼のお気に入りの餌だった。一匹一匹の大きさは少し物足りないが、群れの規模が同じ大きさの他の動物より傑出して大きい。
背中が疼いた。前回の狩りで、二つの群れを食い尽くした後、別の群れから思わぬ反撃を受けたことを思い出す。彼が負った唯一の傷、生え変わったばかりの鱗を意識する。
歪んだ目が大河の向こう、南に向いた。
瘴気に乏しい平原が広がる。あれだけの広さなら、さぞかし多くの餌が居るに違いない。だが、活動するには不便な地だ。平原の東西の山脈は足場にするには遠すぎる。額に蓄えれる瘴気では足りないだろう。
だが、生き物の目がその一部に赤い光を捉えた。大河の近くに孤立した山に僅かだが瘴気が揺蕩っている。生き物は目を細めた。




