9話:前半 身から出た錆、瓢箪から駒
最終日、朝一で自分のテントを見に来た俺は、昨晩と変わらない中身に拍子抜けした。蜂蜜の壺の傷、アルフィーナが社会見学初日につけた、の角度も蓋に挟んでいた糸くずも動いていない。
「妨害工作の跡は無しか。うーん、てっきり昨夜の内に何かしてくるかと思ったんだが」
ガラガラ、ガシャーン!
「何をする、ま、待て……」
テントを出た俺の耳に、校舎の方から何かが崩れるような音と、プルラのかすれた声が届いた。
「どうしたプルラ。こいつは何だ、仕入れがむちゃくちゃじゃねーか」
俺は慌てて校舎に向かった。プルラのドアの前に、メンバーが集まっている。そこには崩された三つの箱があった。
「今日の分の果物を受け取ったんだ。その直後、見たことのない業者がぶつかってきた」
プルラが悔しそうに言った。その腕には唯一残った箱が抱えられている。肘を擦りむいている。おそらく一つだけはかばったのだろう。
「済まねえ。見失った」
どの店も今日の材料を運び込んでいる時間帯。学内には、様々な業者が行き交っている。偶然ぶつかったというのはありうる。だが、それなら逃げたりはしないだろう。つまり、これは妨害だ。
「なんでプルラが……」
「中堅の中で、カレストと直接競合するのはウチだからね。警戒してたんだが、甘かったよ」
「あっ!」
俺はリルカから聞いた情報を思い出した。カレストの菓子をヒルダが気に入ってる云々というやつだ。二位のケンウェルに直接手が出せないならば、一番効果的な妨害相手は……。
考えれば容易にたどりつける結論じゃないか。標的は俺だと決めつけていたミスだ。
崩れた箱から、甘い香りと果汁が地面に染み出す。
「残ったのは一箱だけか。果物なんて、今から仕入れることは……」
ダルガンが悔しそうに言った。傷みやすい生鮮食料品は特に限られた量しか流通しない。
「これじゃ、ワンプレートランチも……」
箱を片付けるのを手伝いながら、ベルミニが言った。
最後を飾るデザートが作れなくなる。ホールディングス全体のダメージも深刻だ。くそ、返す返すも自分の迂闊さが嫌になる。なにが安全対策担当だ。
俺は握りしめた拳で眉間を叩いた。ダルガンとリルカも暗い顔になった。
「ふっ。なんて顔だい」
プルラが残った一箱を揺すってみせた。そういえば、なんで一箱だけの方をかばったんだ。不敵に笑ったプルラが箱を開く。そこには小さな赤い果実が敷き詰められていた。
「ホールディングスのうちの役割は死守したさ」
「は、てめえらしくねえじゃねーか。畜生」
「プルラ先輩……」
くそう、なんだこれ。
「先輩。そちらの趣向とはちょっと違うと思うんですけど、一つ提案があります。リルカと、ロストン先輩も聞いてください」
俺はプルラと彼を取り囲んだメンバーに声をかけた。
「坊っちゃん。潰れた果物はソースにするくらいしかありませんね」
俺はリルカとロストンを連れて、プルラの調理場に入った。調理人の格好をしたクマのような男が鍋をかき回していた。
「ムースにミックスフルーツのソースを合わせれば、最低限提供できる商品は作れるか……。ウチの品としては彩りが足りないけどね」
プルラは早くも自分の店の立て直し策を考えている。俺も役割を果たさないと。
「それで、君の提案というのは……」
「はい、特別なレシピが一つ」
俺はリルカから卵と牛乳、ロストンからパンを受け取ると、それを差し出した。
「これは……」
「まさかこんな簡単な材料で、ここまで力強い味が」
プルラと調理長が黄金色のバゲットを口に突っ込んだまま、絶句した。ちなみに、ぶっつけ本番なのに俺が作った時より旨い。さすが本職、細かな材料の量や焼き加減とかいろいろ違うんだろうな。
「ただ、いささか高級感に欠ける……」
「さらに、これを上に掛けるのはどうですか」
「こりゃ高級品が出てきたもんだ」
俺はうちのマークの入った壺を出した。調理長は、木べらの先を壺につけると、味見をした。
「蜂蜜にしては素直な香りだ。菓子作りには使いやすい。なるほど、これは素晴らしい」
「…………うちの流儀とは違うが、繊細なワンプレートランチの後に食べるなら、この力強い甘さとコクもありだね」
プルラがうなずいた。よし、最終日の隠し玉のできあがりだ。これで相手の思い通りにはさせない。
「すごい! みてよ、貴族が行列を作ってる。ありえないって」
渡り廊下で待っている客を見て、リルカが言った。倍の席数に拡張されたフードコートは満席。左右にある校舎と東屋から人間を吸い寄せる勢いだ。テーブルクロスを掛けただけの実験机にまで客がいる。
日差しは強いが、日本と違って湿度が低いのが救いだ。
「カレストのやつ、青くなってたぜ」
「この勢いなら順位が楽しみだ。しかし、良かったのかな。あんな貴重なレシピを……」
「ホールディングスの管理責任者としての義務ってやつですよ。プルラ先輩」
「蜂蜜も、あんな値段じゃタダで配ってるようなものだろうに」
「あれは、うちの適正価格です。何しろ銅の蜜ですから」
「本当かい。蜂蜜の珍重される香りは、菓子の種類によっては使いにくい。だけど、君のところの蜂蜜は癖がない。今後、うちが仕入れることは可能だろうか」
「これが終わったら増産計画がスタートするので、多分大丈夫でしょう。親父に話しは通しときますよ。ただし今は……」
「ああ、この忙しさ。はは、まるでここが祭りの中心みたいじゃないか」
俺とプルラはニヤッと笑うと左右にわかれた。
最終日の営業時間は、一時間早く終わる。パラソルにすがりつくように体を支えるメンバー達。最後の方は、俺やミーアも給仕役として駆りだされたが、彼らの疲労とは比べるべくもない。
それに、仕事はまだ残っている。
俺はフルシーから実験結果を聞くと、ケンウェルのテナントに向かった。集めたコインの数で言えば最低のヴィンダーと、ホールディングス参加者の中では真ん中だったリルカの店。そして、昨日までは二位だったケンウェルの三つで答え合わせをすれば、実験の精度は判断できる。
「最後見ましたよ。貴族客を行列させるなんて、ちょっと考えられないですね」
「融通いただいた席とテーブルのおかげで助かりました」
俺はジャンとマリアに礼を言った。
「リース料はもらっているからね。……それで、この実験? の意図を聞こうか」
ジャンが声を潜めた。
「保険ですよ。使わずに済めばそれに越したことはないって、考えていたんですけどね。今朝までは」
俺は努めて冷静に言った。カレストは妨害工作に失敗したどころか、ヤブをつついて蛇を出した状況だ。ワンプレートランチに加え、今までにないお菓子という評判が流れた中庭に、随分と客を取られていたらしい。
素直に敗北を認めるなら良し。そうでないなら……。
ケンウェルから戻った俺は、メンバーと合流して学生会室に向かった。貼りだされた順位表を前に、皆騒いでいる。
「独立系の中じゃ、俺らが軒並み上位だな」
「実力通りの結果だからね。騒ぐようなことじゃない」
ちなみにヴィンダーは下位三分の一くらいだ。プルラがレシピ料として提供すると言って聞かなかったのと、フードコートの配当でここまで来た。ウチ《カッパー》より下になった銀の視線が怖い。そんな心配しなくても、ちゃんとお前たちの面子は保つようにする。俺の保身を信頼してくれ。
「うちもベルミニも、ロストンも去年よりずっといいとこいったし。ヴィンダー。ワンプレートランチの収益は料理提供店だけで分けるなんて言わなきゃ、相当のところに行ってたわよ」
「いいんだよ。順位なんか興味ない」
今晩あたり、ルィーツアから株式システムの価値が大公に報告されるだろう。ヴィンダーにとって最重要の目的はほぼ達成した。異なる商会を集めて運営するという経験も、将来の商社設立に向けて貴重なものだった。
「あんたねえ……。まあいいわ。それよりも、あれどう思う?」
一番警戒していた不正はなかった。俺達に関しては。
「あの勢いだったら、ケンウェルは絶対にカレストを逆転したはずだよ」
収益は場所代を差し引かれる。入札で無理をしたカレストはそういう意味では苦しかったはずだ。しかも、フードコートのせいで最終日午後にはカレストの大テナントには空席が目立った。双子からはそう聞いている。
ところが、リストの一番上には昨日と変わらずカレストが居座っている。俺はケンウェルのもとに向かった。
「ウチの計算じゃあ、二割は上回るはずなんだけどね」
「決まりですか」
「でしょうね。順位付けは学生会の仕事だわ。責任者は……」
三人の貴族学生を従えて、宰相の次男レオナルドが学生会室に入っていく。続いて、参加者たちが呼び入れられた。俺はジャンと目配せを交わすと、中に入る。
最後の戦いをしよう。潰された果物代金の取り立てを怠っちゃ、ホールディングス責任者として失格だ。




