8話:後編 守るべき立場
「ここでしばらく時間を置きましょう」
久しぶりに訪れた書庫で俺はアルフィーナに言った。彼女の手を強く握ったままだったことに気付くと慌てて手を放した。
「も、申し訳ありません」
「大丈夫ですよ。リカルド君に手を引いてもらうのは安心しますから」
明かり取りの窓からの光に照らされる少女は、半年前ここであった時のことを思い出させる。掌に残った熱が、ダンスの時の記憶を刺激する。彼女とはいろいろな経験を重ねてきたが、はっとするような美しさに未だに驚かされる。
「……クラウ達は大丈夫でしょうか」
心配そうなアルフィーナの呟きに、天幕を離れる前のクラウディアの言葉を思い出した。あの女騎士が大事なお姫様を俺に任せるほどの事態。正直想像できない。
「事情を聞いてもよろしいですか?」
アルフィーナは帝国使節を招いての王宮の歓迎会の事を話してくれた。あの皇子は、王の指示で早めに引き上げようとしたアルフィーナに近づき、強引にダンスの手を取ろうとしたらしい。その時も、クラウディアが止めたという。
その直後、水晶に予兆が出たとの報告が入り、アルフィーナは聖堂に戻った。
「それは許せない、じゃなくて強引な話ですね」
不快極まりない話だ。……いや、冷静に考えろ。確かに強引で不快極まりないしムカつく話だ。しかし、さっきのクラウディアとルィーツアの反応は過剰に思える。ダンスはともかく、今日のような状況なら少し話をさせてお茶を濁すほうが自然だ。
何しろ相手は国際問題だ。
「二十年前のことが関係しているのです。…………あの反乱は帝国がお爺様をそそのかしたことが原因の一つですから」
アルフィーナは顔を曇らせた。また二十年前の反乱が関係しているのか。確かにフェルバッハの位置的に、帝国の干渉は考えられる。なるほど、王としては結びついてほしくない二人だな。一応クラウディア達の行動は理解できた。
帝国皇族との接触など、内容を問わず”国内”においてアルフィーナに対する要らぬ懸念を招くことになる。
「ただ、皇子は私というよりも予言の水晶に関心があったように思えます」
この姫君は自分の美しさに自覚が足りないのでそれを信じる訳にはいかない。だが、皇子は確かに魔獣氾濫のことを口にしていた。単なる口実ではないというのか? くそ、情報が足りなすぎる。ジェイコブ達が上手く調査してくれるだろうか。
情報が揃ったら最重要警戒対象にしよう。すでにインテリジェンスの手が足りないから、増員からだ。将来のために帝国の情報は必要だしな。
「分かりました。後はいつまでここにいるかですが……。クラウディア殿ならこの場所に見当をつけてくれるかもしれませんね」
剣を突きつけられた思い出の場所だからな。ある意味俺の保身が一番危なかった瞬間だ。今日の勇姿に免じて水に流すけど。
アルフィーナは俺が掴んでいた掌を握ってもじもじしている。
「や、やはり、リカルド君はクラウのような女性が好みなのでしょうか?」
「……はい?」
「今は親しくしてもらっていますけど。リカルドくんは、最初私が近づくと困った顔になって……。逆に、クラウがくると安心したように……」
ああ、それは完全に心あたりがある。困ったな、否定しにくい。
「クラウを私の側近に戻すかどうか、叔母上様はリカルド君にも意見を聞いたのですよね。リカルド君はむしろ賛成してくれたと聞いています。それは感謝しているのです。でも、リカルドくんに対して、クラウはあまりにも失礼な態度でしたから。少しだけ気になっていたのです」
「た、確かに大公閣下からそのようなことを問われましたが、書面でしたし。アルフィーナ様が信頼しておられるならそれが一番ではないかと。先程も帝国の皇子を前に一歩も引かず立派だったではないですか……」
両手を振って否定した。考えてみれば役割が逆だ。俺が「俺のことは構うな。アルフィーナ様を連れて逃げろ」って言うのが本当だろ。無理だけど。
今更ながら、己の立場に疑問を抱いた俺が沈黙した。アルフィーナは顔を曇らせた。
「ごめんなさい。こんな時におかしなことを言ってしまいました。一度、聞いておきたかったのです。クラウのことだけでなく、私が近くに居ることでリカルド君には苦労ばかり掛けていますから。やっぱり本当は負担なのですよね……」
アルフィーナは俯いた。サラサラの青銀の髪の毛が、彼女の頬を撫でるように垂れ下がった。
壁越しにかすかに聞こえてくる外の喧騒。静かな空間に二人きりの状況を嫌でも意識する。
どう答えればいい。いや、俺はこの女の子にどういうスタンスで接するべきなのだろうか。その答えが簡単には出ないことに今更ながらに気が付く。
最初は違う世界の住人としてしか考えていなかった。王族なんて気分一つで平民の運命を決めかねない。俺にとって利になるにせよ害になるにせよ、その振れ幅の大きさそれ自体が扱えないリスクと判断したのだ。俺の保身を脅かすぶっちぎりのナンバーワンだった。
言うまでもなく、状況は変わった。さっきも、彼女の手を引くことに何の躊躇もなかった。レイリア村のことや大公との関係など頭をよぎりもしなかった。
だがそもそも、俺が彼女のそばにいる事自体が本来ありえないことなのだ。身分云々じゃない。違う世界の住人だったからだ。それは彼女には言えないことだ。
向こうの世界の記憶は二十三歳までだったか、こちらで記憶を取り戻したのが五歳から六歳。それからでも十年が経っている。新しい世界に適応するため必死だったし。肉体年齢に引きずられることはある。だけど、考えてみれば俺の本来の年齢は若くても三十超えている。
そして彼女は十六歳だ。他の人間に対してはあまり感じない一種の罪悪感を、彼女に対してはどうしても意識する。あまりに純粋で無防備な女の子だからだろうか。
娘というには歳が近い、というか娘なんてなんの実感も持てない。姪くらいの年齢差か。
…………姪か。悪くない設定な気がする。もしこんな姪がいたらさぞかし可愛がるだろう。いかに小心者の俺でも、危険があると知れば守ろうとするはずだ。俺は親戚という名の保護者だ。
もちろん俺の心の中だけのスタンスとしてだが、それなら彼女のそばに居ても不思議ではないのではないか。
姪の社交界デビューをエスコートしたと思えば、あのダンスもおかしくない。
「あっ……」
この子は姪、可愛い姪だ。
いつの間にか、俺の手はさらさらの青銀の髪に触れていた。そのまま、ゆっくりと手を動かし頭を撫でる。
「えっと、その……リカルド君」
「えっ!? うわ、も、申し訳ありません」
帝国の皇子なんかよりも、遥かにありえないことをしている自分に気がついた。だが、頬を染めたアルフィーナは上目遣いで俺を見る。
「謝らなくていいです。えっと、私の事を避けているわけではないと伝えてくれたのですよね。嬉しかったですから」
少女は花のように微笑んだ。俺の心が叔父さんスタンスじゃなかったら、危なかったな。
「やはりここでしたか」
書庫に凛とした声が響いた。
「ク、クラウ。貴方こそ大丈夫でしたか」
「ご心配には及びません。幸いあの後第三王子殿下が来られて、皇子を引き受けてくださいました……」
「そうですか。クレイグ殿下が」
どうやらトラブルは収まったらしい。危なかった、クラウディアの出現がもう少し早かったら、今度こそ白刃を浴びていたかもしれない。
「皇子を相手にしても一歩も引かぬクラウディア殿には感服しました」
「私は二度と職務を放棄せぬと決めているだけだ。そして、あまり調子にのるなよ。リカルド・ヴィンダー」
俺はアルフィーナの横をクラウディアに譲った。大丈夫だ、調子に乗ったりしない。彼女は可愛い姪だから。
◇◇
二日目がつつがなく、とは言えないが終わり。俺達は順位表を見に来ていた。
「ふん、ホールディングスの中じゃボクの店が一番だね」
プルラが自慢気に言った。他のメンバーもいいところまで登っている。地代が安いこともあって、22店中10位前後だ。昨日からの通算だから大健闘と言っていい。
お陰でというか、配当を受けているだけのヴィンダーの順位もそこそこ上昇している。
「カレストとケンウェルの差が、だいぶ縮まってるな」
俺はリストの先頭を見た。
「ざまあみろじゃないか」
自慢気なプルラにつっかかり、ベルミニに止められていたダルガンが言った。
「仕掛けてくるかな」
「向こうの主敵はケンウェルでしょうが、可能性はありますね」
今夜が一番危ないか。だが、ヴィンダーには物理的な商の実体が存在しない。申し訳程度に用意したテントの中は、蜂蜜の壺が幾つか置いているだけ。ダミーだ。蜂蜜の本来の価値からすれば、切り札を温存していると思うかもしれない。
大事な商品を囮に使うのは心苦しいが、これで空振りしてくればホールディングスは守られる。
ケンウェルと話していたリルカが戻ってきた。ロストンも一緒だ。
「話はつけてきたよ」
「――ちょうど知り合いの商店に、手空きが有ってね。ここのやり方を実際見たいって人間を捕まえたよ」
これで明日は倍のスペースを確保できる。メンバーの頼りになる感が半端ない。正直言えば一社ぐらい裏切りが出るかもとか思っていた自分を殴りたい。
アーリーマジョリティーが押し寄せても対応できる。レイトマジョリティーまできたらパンクするが。
気になる学ランたちもあれ以降は近づいてこなかった。第三王子とやらが上手くやってくれたらしい。
◇◇
「若旦那」
「頼むからその言い方はやめてくれ、ジェイコブ」
「若旦那様」
「分かった、無理やりあんな格好をさせたことを怒ってるのは分かったから。で?」
「昼の事なんですがね」
「クソ皇子……帝国について、なにか分かったのか」
ジェイコブは一瞬でプロの顔になった。
「二つおかしな事があった。一つめは、皇子を取り巻いていた学生達。あれは冒険者だ。正確には冒険者の動きを身につけた人間ってことですが」
「皇子の随行員ってことは、帝国のお偉いさんの子弟だろ。そりゃ、護衛として訓練は受けてるだろうけど……」
「冒険者の動きっていうのは、人間ではなく魔獣を相手にしてるってことだ。普通の帝国軍人ならそこまでおかしくはないんだが」
「帝国は魔脈の合間に人間が暮らしてるって話だったか。だからといって、その頂点と取り巻きまで魔獣と戦ってるのか?」
「あっちで言う皇帝は、魔脈に分断された各部族の取りまとめ役なんですよ。帝都は各部族の領域に囲まれて、魔獣の害は一番少ないはずなんですがね」
一番安全な領域すら、魔獣の攻勢が馬鹿にできない規模になっているということか。王国で起こるはずがない魔脈変動が有ったことと言い、大きな規模での魔力の流れの変動が起こっているのか?
やめてくれ、世界規模の危機の可能性がある。人類レベルの保身なんてやってられないぞ。
「でも、あいつらを見る限り、そんな危機感は感じなかったけどな」
あの皇子、いや五人全部にそんな焦りは微塵も感じなかった。単にトップの傍若無人な人柄に引きずられていただけか?
「もう一つは?」
「女騎士ちゃんが立ふさがったとき、皇子の護衛は腰じゃなくて、上着の裾に手を掛けたんです。左右を守っていた二人ともがだ」
そういえば、日本よりは遥かに過ごしやすいとはいえ、あの格好は流石に暑いだろうに。
「素手で殴りかかろうとしたわけじゃないだろう。となると……」
「いつもの戦いの癖が出たとしたら、魔術の可能性があります」
「あの距離でか? 対人戦で魔術はあまり役に立たないんじゃなかったか」
実際に見たのは、フルシーの実験だけだが魔術は簡単には使用できない。魔結晶が必要で、剣や鎧など専用に作られた魔具に魔力を充填してから使う。言ってみれば、火縄銃の更に使い勝手が悪いやつだったはずだ。現代の銃ですら、近距離ならナイフに負ける。
「こちらが気がついたことはそれくらいだ。それとなく、どんな店に興味を持ってるかも監視しましたけど、特におかしなことはなかった」
「分かった。引き続き明日も帝国優先で頼む」
「分かりましたよ若旦那」
「帝国勢は午前中で引き上げるって話だ。仕事さえ終れば、レミとデートでも良いから」
「デートしてたのは若旦那様では。あれ、レイリア村についてきたお嬢さんじゃないですか。王女殿下って。もう若くない方の旦那の胃に穴があくぜ」
「大丈夫だ、彼女はそういうんじゃない」
「へえ。それがホントならミーアの気苦労も少しは減るでしょうねえ。本当だったらですが」
「……それよりも、めぼしい人材にあたりはつけてくれたか?」
「ああ、しかし大丈夫かい。腕が立って、少なくとも支払い分の信用ができるっていうのは高いぜ」
「多分なんとかなる。今回のホールディングスの結果が出れば、親父と大公の交渉も弾みがつくはずだ」
まずは、明日を乗り切ることだ。それが終わったら、ジェイコブ達の補助ができる人間を増やす。
まったく、次から次へと情報が必要なことばかり増えていく。




