3話:前半 悪巧み
「……全く羨ましくないリア充&セレブリティー光景だ」
人通りが少ない廊下を歩きながら窓の外を見る。中庭に並ぶ東屋の屋根が見えた。授業を終えた学生達が優雅に茶会を楽しんでいる。日本だったら、放課後のファーストフードだろう。違うのは、彼らにとっては将来を賭けた真剣勝負だということ。
平民は未来のパトロン、貴族達は将来の部下を見立てる。平民同士は情報を交換し合い、貴族は親の派閥に従って合従連衡。誰が誰を招いたのか、そこでどんな会話がかわされたのかが大きな意味を持つ。華やかな雰囲気に見えるが、社交という戦場と言える、らしい。
三日前のドレファノとの騒ぎで生意気な平民のレッテルが積み重なった俺には無縁の世界だ。
いや、コミュ能力に欠陥があるのは認める。だけど頼むから数字で話の通じる人間をくれ。一人二人でいいんだ。友達百人なんて言わない、それだけ作ると経済的に破綻する。大貴族と親しくなった平民が誕生日パーティーに呼ばれたら破産したって伝説があるくらいだ。
今はもう一つの目的に勤しもう。人間相手よりもずっと得意だし、対人関係は普通にこなせる部下がいるからな。
「先輩」
「ああ、ミーアいいところに」
廊下の端に図書館の入口が見えた時、黒髪の頭が隣に来た。肩までの黒髪を小さなおさげにした小柄な少女だ。整った顔立ちには幼さが残る。華やかさを良しとする上流階級の女生徒達と比べると地味。だが、野に咲く花のような可憐さと、野草の様な逞しさを持つことを俺は知っている。
俺を先輩と呼ぶが同級生だ。ヴィンダー商会メンバーとして先輩だから先輩らしい。まあ、生まれた年もはっきりしないから一、二歳年下なのかもしれないが。
ミッション系スクールを思わせる制服姿は、五年前つぎはぎを着ていた時とは大違いだ。親父などは悪い虫が付かないかと本気で心配し始めている。養女にって話もあったんだが、俺が結婚するまではと断ったらしい。
なんでも、俺はダメな女性に騙されそうなので、もし妹になっていたらその女性を義姉と呼ばない選択肢がなくなるから嫌だ、だそうだ。理由が間接的すぎてわからん。
前世でも兄弟全員男。こっちでは一人っ子だ。女の子の気持ちなんてわからないか。
奨学金を受けてこの学院に入学した本物の秀才だ。俺も一緒だが、何しろこっちは実質的に年齢詐称。ミーアの学力、特に数学的能力は本物だ。
そしてそれに比べれば数段落ちるが、それでも俺よりは社交能力が有る。平民学生のネットワークにちゃんと入っているんだから。俺だってドレファノの妨害がなければ友達の一人くらいは…………。
「ロワン伯爵家の情報収集が終わりました。当主は第二騎士団の副将、長男も部隊長の地位に有ります。あの女の父親、アデル家の当主も第二騎士団の部隊長ですね」
「あの女ってクラウディアのことか、人前では言うなよ」
「ご心配なく、第四王女の前で伯爵家次男とギルド長の跡継ぎに喧嘩を売る先輩ではありませんから」
ミーアはジト目で俺を見た。
「あれは予定外だったんだ。それよりも、ドレファノは第二騎士団の軍需に食い込もうって腹なのか?」
「おそらくは、王都の守護が役目の第一騎士団とちがって、第二騎士団には東方の魔獣氾濫への対処という遠征任務がありますから」
なるほど、対外戦争が無くなって五十年。元は五つ在った騎士団も三つに半減。一番小さな第三騎士団に第三王子が入ったことが話題になっていたんだっけ。
軍縮は要するに人員整理だから、徐々に行われる。ガチガチの縦割りシェアで生きている大商人にとっては、真綿で首を絞められる感じだったはずだ。
そこにギルド長の権力で割り込むというのは……。
「……それまで遠征任務の需要を満たしていた商家があるよな」
「はい。食料ギルド長をドレファノと争ったケンウェル商会が絡んでいました」
「なるほど。となると、ケンウェルはドレファノに恨みを持ったが、今は逆らえない状況……」
ドレファノの潜在的弱み発見だ。顕在化する条件がなければ役に立たないが、タイミング良くつつければ……。
「仮に役に立つ可能性が10パーセントでも、同じ条件の情報を十揃えれば……」
「0.9の10乗ですから、ひっくり返して65パーセントの可能性で役立ちますね」
関数電卓かよ。さすが数字に色が、数式が形に見えるだけのことはある。というか、偶然それを知ってから引き取ったんだけど。ただし……。
「…………」
「私、間違いましたか?」
ミーアは首を傾げた。
「いや、計算は正しい。でも、現実ではその十の要件は独立してないから」
複雑な金融商品で繋がった巨大銀行、を個別の倒産確率として計算した結果、世界が潰れそうになったことがある。タイヤのパンクは普通めったに起こらない。タイヤ一つがパンクする可能性が0.01パーセントなら、二つ同時にパンクする確率は一億分の一だ。予備のタイヤ一つあれば、修理工場までは間違いなく持つ。
だが、道路にまきびしが撒かれれば関係ない。しかも、高速道路で車間距離ほぼゼロで疾走している状況で起きたら?
「それは先輩の案件ですね。…………それで、第四王女はどうしましょう」
「そっちは急がなくていい。あれから何にもないしな」
「分かりました。ドレファノと第二騎士団、そしてケンウェルを追加調査します」
俺は頷いた。ミーアはコクリと頷くと、黙って離れていく。目の前には廊下の端、図書館へのドアがある。俺がこんなめんどくさい場所に通うもう一つの目的だ。
浮き彫りのドアを開くと、静かな空間が広がった。真ん中に閲覧席が並び、その周囲に本棚が並ぶ配置。広さは大学の大講堂くらいだ。物音一つしないのは人一人居ないからだ。
この世界では、最強の暗殺拳でなくても、ほんの小さな技術が一子相伝など珍しくもない。情報伝達は人から人であって、書籍にまとめられるものはごく僅かだ。何しろ識字率が低い上に、技術と森林資源の乏しさで紙が高い。
ここにある本も、殆どは貴族の変わり者が自分の趣味をまとめたもの。記述の不正確さ、体系にまとめる努力の欠如。はっきり言えば気ままに想像で書いている。SFと科学書の区別がないと言える。
元の世界で公表されていたようなマクロ経済情報は殆どが国家機密。あるいは存在しない。貴族の脱税への警告か収穫量の荒いデータはあるが、どの程度の信頼性があるか。
それでも、手の届く範囲でここ以上に情報が集まっている場所はない。求めているのはいわゆる博物学、この世界の動植物の知識だ。
判断基準はこうだ。俺が直接知っている地域の情報が正しく書かれている本を探す。その本の中に欲しい情報を探す。無ければ同じ作者の別の本を探す。書籍と言っても、結局属人的だ。それは、元の世界でも一緒かもしれないけど。
探しているのはカカオ、カイコ、ゴムなどいわゆる商品となる動植物。こっちに都合良く存在する保証はないが、勝算はある。この世界の人間含め動植物の由来は地球だ。レンゲの花が夏に咲く様に、全く同じではない。だが、生物としての基本構造が似すぎている。
俺は転生だったが、おそらく地球との間で大規模な”転移”があったのだろう。地球の先史時代あたりに一回起こり、人間が来た。もっと古い時代にも何度か起こっていると考えられる。巨大爬虫類や巨獣に相当する生物がいるのだ。
もしDNAを調べることができれば、どの時代にどの程度の転移が起こったかわかるだろうな。
ちなみに、古い時代に来た動物は、長い年月をこの世界で暮らしているせいかより適応している。
俺はあるページに目を留めた。そこには、額に大きな石を付けた動物が描かれている。巨大な狼。記述を信じるなら体長は人間と同じ、体高は七掛けといったところか。痩躯で毛はなくゴリラのような体勢で地面を歩く類人猿っぽい動物。象の牙くらいありそうな長い犬歯を持ったトラ。
そして、もう恐竜というよりドラゴンだろという爬虫類。ブレスを吐くらしい、本当に地球原産かちょっと自信がなくなる。
これらは地球にはない魔力に適応した生物、魔物だ。魔物は魔力源から離れて活動できず、魔力は山脈に沿って流れている。この国の東と西に大きな山脈があり、魔物生息域はその山脈と隣接する森林だ。まるで紅葉のような真っ赤な葉の樹木が特徴であり、赤い森と呼ばれる。
この国の人間は立ち入らない場所だ。例外的に、東方では山麓の森から魔物の群れが現れることがあり、予兆が出るたびに騎士団が討伐に向かい暴発前に片付ける。
だから、仮に有用な動植物がそこにあったとしても、紛争地域にあるようなものだ。とてもじゃないけど手を出せるものじゃない。
ちなみに西北で国境を接する帝国は山がちの地形のため魔獣との関わりも多いらしい。そっちには別の知識があるだろうな。
「魔物とかある意味ロマンだけど。もっと手近な新しい商品の種を見つけないと」
レンゲ蜜の商売拡大が第一だが、その交渉のためにも第二第三の矢がいる。強者相手には継続して利益を得られると思わせなければ交渉にならない。そして、裏切られて情報だけとられても反撃の手段はない。対等な交渉など存在しない、対等じゃないと交渉が成り立たない。
少なくとも部分的にでも勝ってる部分があれば、ある条件での対等を作り出せる。
情報というものは無形だ。隠し持っていれば誰にもばれないが使えない、表に出せば簡単に盗まれる。扱いが難しいのだが仕方がない。
「なんだよ、肝心なところで記述が途切れてるじゃないか」
俺は立ち上がった。確か書庫には同じ作者の本が有ったはずだ。
書庫の扉を開けると、ほこりっぽい空気が鼻に届く。明かり取りの窓の光だけの空間は薄暗い。出入りするのはそれこそ俺くらいだろう。
無秩序につめ込まれた本棚に目を凝らし。やっと見つけた一冊の図鑑を確認するため、隅の窓に近づいた。
そこで俺はピタリと足を止めた。まさかの先客だ。
窓の下に椅子が置かれ、青銀の髪の少女が座っていた。廊下で見た時と違って、長い髪は束ねられ肩から前にたらされている。彼女は一冊の本を広げていた。
細くて白い指がゆっくりとページをめくる。降り注ぐ光に浮き上がる美貌、無邪気な瞳が一心に本に注がれている。
これほど場違いな光景もないだろう。人知れず降臨した天使を見つけたような気分だ。
「なんで……」
「だ、誰ですか?」
思わず口に出た言葉。王女は慌てて本を閉じると、俺を見た。だが、彼女に見とれていた俺は固まったままだ。